【大阪】明智光秀の肖像公開 現存する唯一の実物作品 岸和田城、〜3/8
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
明智光秀の肖像、実物公開
2020.02.16(Sun)
https://www.daily.co.jp/society/culture/2020/02/16/0013120731.shtml
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で主人公となっている戦国武将・明智光秀の肖像画の実物が16日、大阪府岸和田市の岸和田城で公開された。3月8日まで。市によると、光秀を描いた現存する唯一の作品。
肖像画の実物は、光秀の子と伝わる禅僧の南国梵桂が開いた岸和田市の本徳寺が所蔵。光秀の死後約30年がたった17世紀初頭の作品とされ、畳に座る姿が描かれている。普段は非公開のため、岸和田城では複製を展示している。ドラマの放送開始を受け、寺が実物の一般公開を市に認めた。
公開に関する問い合わせは岸和田城、電話(※省略)。 │
\ /
彡⌒ミ
(´・ω・`) このキンカ頭め! >>4
自己レス
ちゃんと書いてあったわ
光秀の子が岸和田の寺にいたのか 南国 梵桂(なんごく ぼんけい)は、安土桃山時代の臨済宗の僧。和泉国岸和田(大阪府岸和田市)の本徳寺[1][2]を開基したと伝わる。
俗説に、明智光秀の子と云われるが定かではなく、一説には光秀の長男・明智光慶ともされる。 >光秀の死後約30年がたった17世紀初頭の作品
お、おう >>8
西郷隆盛ですら、弟をモデルにして描いたと言われているし
そんなものじゃないの? あぁ、この絵か。これしかないというのが意外だったな。
しかし戦国大名の肖像画ってどの武将もあんまりないよね。 信長の家臣だった稲葉一鉄の子孫らが書き残したとされる『稲葉家譜』には、光秀が信長にハゲを暴露されたことを恨んだため、という珍説が書かれている。
「信長は法に背そむいた光秀を呼びつけ、譴責けんせきして光秀の頭を二、三度叩いた。光秀は髪が薄く附髪(カツラ)をしていたが、この時に打ち落され、信長の仕打ちを深く恨んだ。光秀謀反の原因はここに起因する」
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180215-OYT8T50014.html
ハゲの怨みはこれほど恐ろしい 昔から明智光秀はなんとなく好き。
ハセヒロも嫌いじゃないけど大河は見ないな。 どうせ月代を剃るんだからハゲTELほうが都合いいじゃん 秀吉により悪党に仕立てられ、光秀に関わる物は悉く処分されたが、この絵は残されたんだな。
寺の住職が光秀と付き合いがあったか、恩があったかだろ。 実物?レプリカだろ
岸和田の寺は毎年説明会付きで公開してるけど、数年前から本物は出さなくなったと言われた >>14
明の洪武帝の肖像画も二つあるが、醜悪なツラの方が本物と言われている。
皇帝とか武将の温厚な仁者みたいな顔をしている肖像画は大抵インチキだな。 >>12
絵はこれしかないけど木像ならあるね
黒く塗られた明智光秀像 人の絵は死んでからかくもんだから家康のあれはもう死んだ気でかいたんだろう >>1
注目すべきは、座り方なんだ。
両足の裏側を合わせて胡座を組む
股関節が硬い現代人は直ぐには真似出来ない胡座である。
武士の肖像では、この両足の裏側を合わせる肖像が多く正式な座り方であったと考えられている。
対する正座というのは、
江戸時代以前には「正座」という言葉はなく「かしこまる」や「つくばう」などと呼ばれていた。
1889年に出版された辞書『言海』にも「正座」という言葉が出ていないことから、「正座」という観念は明治以降に生まれたと考えられている。
書籍でのもっとも古い「正座」の使用例は、明治15年(1882)に出版された『小学女子容儀詳説. 上編』の文中にある「凡そ正坐ハ。家居の時より習ひ置くべし。」と考えられている。 明智光秀ってハゲ馬鹿されたから信長殺したんだよね。怖いねハゲの恨みって。漢字のハゲはひでの上と光の下で禿なんでしょ。 >>1
直虎見とらんの?
光秀の子の自然は後の龍潭寺の悦岫和尚だろ 明智光秀の若い頃は全くの謎だったが、近年、九州のとある蔵より
明智光秀は衛生兵(武将クラス)だったのではないかという記述が発見されている
その後、ホームドクターとなり寺子屋の経営などしていた 岸和田市に荒木町という町があるけど荒木村重からとった
豆な >>1
そんな所に置いてたら、そのうちだんじり祭りの山車が突っ込んできて破れちゃうんじゃないの?(´・ω・`) >>20
ドヤ顔で記事に出てることを復唱するって恥ずかしいな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています