【邪馬台国論争】九州?近畿? 古代史最大の謎に挑む シンポジウム「邪馬台国の今」
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邪馬台国論争が残る「吉野ケ里遺跡」と「唐古・鍵遺跡」の両面から議論を交わした記念シンポジウム=佐賀県立美術館ホール
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邪馬台国はどこにあったのか−。古代史最大の謎に迫るシンポジウム「邪馬台国の今」が2月、佐賀市の県立美術館で開かれた。九州説と近畿説それぞれの立場から、「吉野ケ里遺跡」と奈良県の「唐古・鍵遺跡」の発掘を手がけた専門家が、最新研究を踏まえて邪馬台国論争を解く鍵を探った。
【パネリスト】
藤田三郎氏(奈良県田原本町埋蔵文化財センター長)
七田忠昭氏(佐賀城本丸歴史館館長)
高島忠平氏(佐賀県芸術文化協会理事長)
【コーディネーター】
内田信子氏(学校法人旭学園理事長)
■内田 吉野ケ里フィーバーから30年。当時、私はサガテレビの記者だったが、魏志倭人伝、邪馬台国、卑弥呼という三つのキーワードのパワーはすさまじかった。当時の思い出を。
高島 これでやっと近畿説と対等に戦えると感じた。魏志倭人伝の記述と極めて符合する遺構のまとまりで、(弥生時代研究の権威)佐原真さんに裏付ける発言をしてもらって一挙に盛り上がった。
七田 新聞社の記者たちが邪馬台国と結びつけ、何とか遺跡を残そうという気持ちがうれしかった。これで遺跡が残るなと感じた。
藤田 巨大な遺跡を保存するのは難しいと実感していたので、吉野ケ里はすごいインパクトだった。遺跡全体を保存する道が開かれた、最初のケース。きっちり前向きな波に乗せていく力が重要だと思った。
■内田 現在の邪馬台国論争を整理してほしい。
高島 今日の邪馬台国論争には三つある。「九州説」、「近畿(畿内)説」、そして九州説から出てきた「東遷説」だ。日本の考古学は近畿説が主流であり、九州説は傍系的と位置づけられている。
(近畿説の裏付けとされる)三角縁神獣鏡は、卑弥呼が使者を送った巍の年号が銘に刻んであった。だが、三角縁神獣鏡は中国では1枚も出土していない。
また、弥生時代には各地に独自の政治勢力、王権が成立していた。そこで、出雲や筑紫などの勢力が倭国を作り、奈良に都を置いたという考え方が出てきた。
一方の九州説。まず、環壕集落に中国の影響が色濃い。戦略物資である鉄を輸入・流通させるシステムは九州・山陰が主体で、そこに近畿は組み込まれていない。さらに、九州は圧倒的に国際性が高い。
■内田 唐古・鍵遺跡や吉野ケ里遺跡から出土した建物について聞きたい。
藤田 なぜ弥生時代に、大きな柱、それもケヤキにこだわる必要があったのか。それは、王権のルーツになるような神聖な柱だったからだろう。いろんな集落に大型建物があるわけではなく、象徴的に建てられたと考えられる。
七田 吉野ケ里の北墳丘墓と祭壇は、ほぼ南北の線で結ばれている。南北線に沿って都城が作られた、長安の考え方が入ってきたのではないか。
その南北線の延長線上に普賢岳がある。普賢岳は火の山、火の鳥。つまり南に朱雀という、壮大な空間意識の元に作られている。
■内田 邪馬台国はどこにあったのか。何が出てくれば決着するのか。
藤田 まずは卑弥呼がもらった金印だろう。
なぜ畿内が重要かというと、その次の時代を考えないといけないからだ。大和政権がどうやって成立していったかが、邪馬台国を解く鍵だ。
広大な奈良盆地の生産力がポイントになる。巨大な環濠集落を作るだけの土木技術、労働力の投下、これが次の政権、都を作る力になっていく。それを支える地盤が、大和には充分あった。邪馬台国は奈良盆地の「南和」地域だろう。纏向遺跡も含めた10キロ四方くらいの範囲と考えている。
七田 やはり金印。さらに銀印も10個もらっている。私は邪馬台国を大きく見るか、小さく見るかだと思う。実は巨大な国ではない。農業生産に適した、鉄も入る、中国の文物も入るという国だっただろう。
島 もうひとつの鍵は「封泥」だ。贈り物は必ず授けた者の前で開かれた。封泥という特殊な粘土で封じられており、そこに皇帝爾印と印刻がある。封泥のかけらが出てくれば、そこが卑弥呼がいた場所と特定できる。吉野ケ里発掘調査があらためて始まるので、この封泥か金印が出てくるのではないかと期待している。
(続きはソース)
3/6(金) 16:15配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200306-03496714-saga-l41 元祖・邪馬台国:北九州(たぶん現在の甘木市)
敗残者が東に逃げてつくったヤマト:奈良盆地 豆知識な。 まず邪馬台国の定義はなんだ?
それぞれ別のものの所在地を主張してる可能性はないのか? もう日本史板で結論出ただろ
309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg >>6
朝鮮がなければもっとスッキリしたと思われるな [◎縄文人の特徴◎]
毛が濃い、髪が微妙にくせ毛、まぶたが二重
ホリが深い顔、耳たぶがあり耳たぶを装飾
柔軟な思考
染色体D系統(優性遺伝子が多いのでウイルスに感染し難い)
犬を大切に飼っていた
集落間のネットワークがあった
前述の優性【顕性】遺伝子が多い
[○日本人概ね特性○]
恩に忠義(他人を信用する、騙されやすい)
飽きやすい(革新的)
アイヌ系、琉球系、渡来(大陸から等)系など
千数百年経っても優性【顕性】遺伝子である二重が
劣性【潜性】遺伝子の一重を駆逐できないのは、
都度、日本へ朝鮮人が入国し在日化しているからである
[◎弥生人の特徴◎]
毛が薄い、髪が異様に直毛、まぶたが一重
平べったい顔、耳たぶが小さく装飾できない
硬直な思考
染色体O系統(劣性遺伝子の複合体なのでウイルスに感染し易い)
犬を食用として喰っていた
集落間は対立して戦争ばかり
多重近親相姦(寒さで一重は誤想)で前述の劣性【潜性】遺伝子に変異
(多重近親相姦で発生した一重などは優性【顕性】を凌ぐ噂もある)
[○朝鮮人概ね特性○]
恩を仇で返す(他人を信用しない、裏切る)
執着する(保守的)
第一波 中国大陸からの逃走民
第二波 百済からの亡命
第三波 新羅高句麗からの難民
第四波 満州建国時からの終戦後に帰化
第五波 第四波の在日を伝手に日本で帰化
過去、下層民が多重近親相姦したため
均一DNA塩基配列な地域が現在も点在している
現代日本の分布D,Oは表裏一体
D系統含む 染色体を少しでも含んでれは縄文人の末裔
O系統のみ 大陸や朝鮮半島から渡来、大和民族(弥生人の末裔)、漢民族(朝鮮から渡来した漢民族)、朝鮮民族(在日朝鮮人)から構成される
染色体的には、大和民族≒漢民族≒朝鮮民族 魏に派遣された使節が国の名前を「やまと」と話した
それを中国の人が「邪馬台」と漢字をあてた
どこにあったにせよ「やまと」という国であったことは間違いない >>8
研究してるのって老い先短い爺さんばっかりだからな 邪馬台国がどこかすら
分からないような日本が未知の時代が
三国志の時代で三国志の時代のやつが
歴史として語るようなそこからさらに
600年くらい前が春秋戦国時代とかで
孫子とか孔子とか始皇帝とか
すごい人物がいたわけで
歴史に関しては中国は素直に
すごいと思うわ >>18
「音韻学的には「邪馬台」は「ト」(乙類)に対して、「山門」は「ト」(甲類)であるため、専ら否定されている。」
--wikipedia >>25
それは幼稚な言いがかり
例えば隋書では小野妹子を蘇因高と記している
古代中国人の音写はオノノイモコがソインコウになってしまう程度のレベルなのに甲類と乙類の微妙な違いなんて分かるわけがない ここまでコロナ流行ってくるとわりとどうでもいいな
邪馬台国はっきりさせることでの観光客獲得にもならないものな 魏志倭人伝でも狗古智卑狗(クコチヒク)と記されているのは菊池彦だと言われている
ネイティヴじゃない人間の音写なんてそんなもん 東北の伝承は面白い
龍の黒神と鹿使いの赤神のアマテルを巡る戦い
アマテルを手に入れた赤神は岩隠れをし黒神は北に追いやられたという伝承
黒、暗い、水底の土は黒土
水底の土は上代は烏ぬばと言ったらしい、沼も同じ語源かな
黒、烏、沼
射干玉ぬばたまはヒオウギの黒い種で黒の枕詞
京都の祇園祭や大阪の天神祭では、ヒオウギは床の間や軒先に飾る花として愛好されている。
祇園や天神様は黒と関係あるかもな
龍の黒神
赤は朱丹かな
春日大社は朱の塊
黒と龍、天神、祇園
赤と鹿、朱丹、春日大社 >>28
小野妹子のものは足掛け二年滞在し本人がそう名乗ったもの >>38
>推古朝(593〜628)の遣隋使。中国では字音から蘇因高と呼ばれた。
逆のことが書いてありますが? 魏志倭人伝が正しいから邪馬台国はあるはずという前提がどうにも納得できない。
規模も方角も距離もでたらめだし、存在も疑うべきでは? >>34
鹿は志賀、つまり志賀島を本拠とする海人族安曇を指しているのでは?
志賀島の志賀海神社には一万本以上の鹿の角が奉納されている
鹿島神宮のタケミカヅチとも同一視されている
奈良の春日大社の神鹿は鹿島のタケミカヅチの使い 編集途中で書き込んじゃった
タケミカヅチと同一視されているのは安曇の祖神安曇磯良ね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
>民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある
>(磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
>『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神
> 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)
http://www.genbu.net/saijin/isora.htm
>袋中上人の『琉球神道記』には「鹿島の明神は。もとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。 常州鹿島の海底に居す。
>一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。 神功皇后、三韓を征し給うときに、九尾六瞬の亀にのりて、九州にきたる。
> 勅によりて、梶取となる。また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。おなじく磯良の変化なり」とある。 >>40
どこに?
ここからは私の想像
蘇は苗字として
因高は名前として妹子が名乗ったものだろう
音は妹子に似せたと思われる
小野は出身地の地名
妹子を使わなかったのは中国語で「自分より年下の未婚の女性」を指すことから避けたものか >>43-44関連
日本海側はよくわからないが、太平洋側だと少なくとも宮城までは安曇磯良の影響が見て取れる
宮城の磯良神社は常州鹿島から勧請したとされていて、やはり鹿島神宮のタケミカヅチは安曇磯良のようだ
http://miyagitabi.com/sikama/isorajinja/index.html
><磯良神社の由来>
>延暦23年(804)、坂上田村麻呂が常陸国鹿島郡から磯良明神を勧請して祀ったもので、阿度目神・河童明神ともいい、「おかっぱ様」という名前で広く知られています。
>古くはここから南方にある真山三十郎(大崎氏の家臣)の屋敷の氏神として祀られていましたが、後に現在地に移されたといわれています。
古代の海上交易ネットワークから見ると秋田まで安曇の影響が及んでいてもまったく不思議はない
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg >>46
>どこに?
君が貼ったリンク先にだよ
検索しろ
>ここからは私の想像
君の想像はソースにならないから要らない 玉名に行ったけどトンカラリンやチブサン遺跡が有ったり不思議な雰囲気だった もう絶対に分からないんだろうけどねえ
まあ、九州だと考えるのが自然だけどね >>52
朝日日本歴史人物事典の解説
生年:生没年不詳
推古朝(593〜628)の遣隋使。中国では字音から蘇因高と呼ばれた。子は毛人。 関西人だけど邪馬台国は九州だろな。
オーサカへやって来るも退けられて上陸出来ず足踏みしてるとこなんか物語としてもいい感じだろ >>55
なるほど、ありました
ご迷惑を掛けました
私の引用は記事中
「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」のものを引用したつもりでした
ちなみに妹子は中国語では「めいず」と発音します 魏が女王国連合に執着したなら
倭には呉と同盟したもう一つの連合があったのでは?
そうでないと女王国と魏が同盟する意味が無い 九州で興ってから近畿に遷都
その過程で分裂していって面倒臭い人間が残っていって
北九から兵庫にかけてのあのルートには
異常に面倒臭いキチな人間が多いんじゃないかと勝手に想像 邪馬台国なんて存在しなかった
すべてがバカウヨ学者の妄想 狗奴国が強くて邪馬台国は弱小連合なんじゃねえか?
邪馬台国が強大な統一国家なんて魏志倭人伝にも書いてない
内乱が多く鬼道の女王でまとまる緩い集団だろ 暗黒神話では
邪馬台国は大分県にあったとされてる
暗黒神話の印象が強すぎて
邪馬台国は大分県以外考えられない まさに不要不急
なぜ今こんなシンポジウムを開くのか 近畿説と九州説の間をとって四国がファイナルアンサー。 箸墓古墳を掘れば畿内で決着やいかにするんだけどなぁ こんな時に何やってんだか…
ホント、考古専攻性は唯我だね
そこに権威主義が乗っかるから最悪だわねー >>25
ヤマタイ(標準語)
ヤマト(東国方言) ・・・東国って近畿のことねw >>72
密度低いし大丈夫じゃないか?
これが駄目なら映画館とか論外w >>68
蜂起の類と考えれば、説明が付く。 (`・ω・´)!
学問ではない狂った近畿説に対する蜂起だ。 そもそも卑弥呼は女王ではないのだから
今で言うなら金正恩の影武者みたいなもの
海の向こうの文献をファクトにしたところで
永遠に決着はつかないから
ということで真の邪馬台国は阿波(徳島)にあった
ということでいいだろう
本当に卑弥呼が女王なら「卑」は使わないと思う
つまり海の向こうが勝手にマウントしてつけた名
まあ卑弥呼や邪馬台国を使った街おこしは悪くない
頑張れよ 反日吉永小百合の映画見たわ、邪馬台国の。
もちろん違法アップロードで。
面白かった。 どうでもええわ
半島の奥座敷日本だから玄関口の北九州から半島の動乱避けて 大阪平野や奈良盆地に遷都
穏やかな内海の瀬戸内海だから安心して船で来れる 何処でもええねんけど
上岡さんが九州力説してたのだけは覚えてるw 九州説は九州の軍事力と生産力の高さを邪馬台国の証拠にしてるけど
魏と組んで呉を攻められないクソザコ邪馬台国なんだから九州が強いほど九州には居られなくなる
後背から狗奴国と呉の同盟に楔を入れる程度の存在だろ >>73
台は「と」発音するはずです
同じ魏志倭人伝の中の次の女王が台与
「とよ」です なんかようわからんけど邪馬台国が大和国だったとする限り普通に奈良やろ
その後日本の首都が京都に制定された シンプルに考えるとな >>41
これは思うよね
蛮族の朝貢はあったと思うが、それが日本人とは断定できない
中国には易姓革命の前触れとして未知の蛮族が朝貢するという定番のお膳立てがある
司馬氏がそれを利用して朝鮮半島人を倭人偽装した可能性は大いにある 不要不急の邪馬台国
歴史事実の神武東征
勅撰の日本書紀は歴史事実 関西人だけども邪馬台国は九州と思う
考古遺物を見ると当時の近畿にあれだけの国があったとは思えない
邪馬台国がもし近畿にあったとしたら強大な狗奴国は近畿の何処にあったんだよ
それを示す当時の遺物なんて出てないだろ 神武天皇の和歌山の虐殺
二階を排出し続ける和歌山
和歌山を関わらせるなと歴史は言っている >>92
邪馬台国が畿内にあったなら
狗奴国は和歌山から三重南部だな 唯一絶対の証拠、桃の種が九州の遺跡から出ない限りは纏向説でいいよ 【あなたはどっち!? 邪馬台国テスト】
あなたが九州論者か畿内論者か分かります
以下の10の質問にYES、No、どちらでもないで答えてください
YESは2点、どちらでもないは1点、Noは0点で計算
1.戦後の歴史学者とマスコミは左翼であると知っていますか
2.毛沢東の演説によって南京虐殺は存在しないと知っていますか
3.歴史学者とマスコミの共犯によって、南京虐殺は存在したと教科書に書かれていることは知っていますか
4.嘘も100回言えば本当になると知っていますか
5.どうでもいい鏡を何種類も掲載している高校歴史資料集に、なぜか伊都国から出土する世界最大の内行花文鏡(円周が八咫の大きさ)が掲載されていないことを知っていますか
6.「報道しない自由」という言葉を知っていますか
7.中国側の資料によって倭国と日本国が別の国として並立しており、倭国側(九州)の支配は朝鮮半島南部にまで及んでいたことを知っていますか
8.魏志倭人伝にふんだんに登場し卑弥呼や台与の象徴でもある高級品の絹が、北部九州からしか出土せず、奈良からの出土がゼロなの知っていますか
9.天皇が天皇である証明は「三種の神器を継承していること」であると知っていますか
10.弥生期に三種の神器が揃って出るのは博多湾沿岸の五か所のみであることを知っていますか
5〜20点の人は九州論者。4〜0点の人は畿内論者もしくは吉見義明、朝日新聞、マスゴミ、歴史教科書の可能性が高い >日本の考古学は近畿説が主流であり、九州説は傍系的と位置づけられている。
しかし、5ちゃんねるでは傍系的であるはずの九州説が圧倒的に多い
これは5ちゃんねらーが学問からかけ離れた位置にいるということだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています