スペイン風邪、猛威の記録 100年前の記事で新型コロナと比べてみた

世界保健機関(WHO)が「パンデミック(世界的大流行)」と表明した新型コロナウイルス。社会への影響が広がるにつれ、100年前に世界で流行し、多くの死者を出したスペイン風邪への注目が高まっている。「当時のことを知りたい」という声が西日本新聞「あなたの特命取材班」に寄せられた。西日本新聞の前身「福岡日日新聞」(福日)と「九州日報」(九日)の記事から見えた、100年前と現代の類似点と相違点は―。

〈悪性の感冒猖しょう獗けつ 南阿アにては死亡者数千 馬来マレー半島にも蔓まん延えんせり〉(1918年10月25日付・九州日報)

この記事は、南アフリカ付近で流行する悪性感冒(スペイン風邪)の感染者が東南アジアのマレー半島に広がっているとして、〈同地方との往来船舶に就ついては警戒中にして若もし本邦に病毒を輸入するに於おいては一大事なるを以もって 予防上に注意を払われたし〉と報じている。

東京都健康安全研究センターの「日本におけるスペインかぜの精密分析」(2005年)によると、スペイン風邪はA型インフルエンザ(H1N1型)で、第1次大戦末期の1918年以降、全世界で当時の総人口の約3割に当たる約6億人が感染。2千万〜4千万人が死亡した。

〈世界的の感冒 世界各地に流行し多数の死亡者を出す所あり 日本のは軽いが油断すな/悪性感冒益々猛烈 各地小学校の臨時休業〉(10月27日付・九州日報)

国内では1918年10月上旬から全国に感染が拡大した。九州日報によると、福岡県内では最初の患者が10月10日に筑紫高等女学校で発生。全国の患者数は約1カ月間で56万9960人に激増し、うち4399人が死亡した。

〈暴風の如ごとき悪性感冒 各地を吹き捲まくりて勢ひ猖しょう獗けつ 学校は運動会修学旅行中止〉(10月30日付・福岡日日新聞)

〈休校、休校 福岡市内外各学校続々襲おそわる/魔の如ごとく蔓まん延えんする悪性感冒/郵便も電報も配達に大影響 福岡郵便局の患者続出/電車運転減数/炭鉱も休業〉(11月3日付・福岡日日新聞)

学校にとどまらず、さまざまな分野で影響が拡大。経済にも深刻な影響が出始めた。この日の福岡日日新聞には〈全国各地方を襲いつつある流行性感冒は遂ついに弊紙工場部をも襲い欠勤者多数にて本日の弊紙は八頁ページと為なすの已やむなきに至れり〉というおわびを掲載している。

当時の谷口留五郎・福岡県知事が6日に予防のための注意喚起を発表。〈他人と談話を為なす時は四尺(1・2メートル)以上を隔て、又または「マスケ」(マスク)を用い、自分が咳がい嗽そう(せき)、噴嚔くしゃみを為すときは布片を以て鼻、口を覆うべし〉といった、現代のせきエチケットに通じる内容や、〈宿屋汽車汽船等に於おいて往おう々おう伝染することもあるを以もって本病流行中は止やむを得ざる場合の外は可成なるべく旅行を見合わす様努むべし〉と“旅行自粛”も呼びかけている。

〈多人数集合の場所は病毒伝播の危険多きを以もって 止やむを得ざる場合の外は立ち寄らざるを安全なりとす〉という“不要不急の集会の自粛”や〈患者なき家に於ても常に室内を清潔にし空気の流通を良くし布団寝衣等は毎日日光にさらすを可かとす〉という項目もある。

発熱者の急増を受けてか、11月5日付の九州日報には〈流行悪性感冒で解熱剤や氷の高値〉という記事も。8日付の福岡日日紙面には〈夏の真っ盛りより氷の需要が多い〉とある。さらに9日付け九州日報は〈氷が毎日十八噸トン解とける 一市五郡の病家の需要に/料理待合旅館肉屋の冷蔵庫用の供給は悉ことごとく中止〉と福岡都市圏の窮状を伝えていた。

この後も連日のように、各地で増え続ける患者や死者数が報告されていたが、11月中旬になると、記事が少しずつ減っていく。代わりに、11月11日に第1次大戦の停戦協定が発効し、出征していた日本兵の凱旋に沸く記事が増えていった。

12月1日付の福岡日日新聞に〈感冒漸く減退 福岡県下の患者一時は六十万人に達す〉という小さな記事が載った後は、スペイン風邪の記事は徐々に見当たらなくなった。

ウイルスの脅威はこれで収まったかに見えた。しかし1年後、その恐怖は再び日本中を襲うことなる。

一度は沈静化したスペイン風邪だったが、翌1919年10月下旬から再び流行に転じ、20年1月に再びピークを迎えた。

以下ソース先で

2020/3/22 10:07
西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/590625/
https://www.nishinippon.co.jp/uploads/image/463105/middle_2f4a271964.jpg