日米双方でおよそ2万8000人が戦死した太平洋戦争末期の激戦、硫黄島の戦いで、旧日本軍の組織的な戦闘が終わってから26日で75年です。硫黄島では今も日本側の犠牲者の半数以上にあたる1万人以上の遺骨が見つかっておらず、手がかりが少なくなる中、どのように遺骨収集を進めていくかが課題となっています。

小笠原諸島の硫黄島では太平洋戦争末期の昭和20年2月から3月にかけて日米で激しい戦闘が行われ、日本側でおよそ2万1900人、アメリカ側でおよそ6800人が戦死しました。

硫黄島の戦いは、75年前の3月26日、日本側の総指揮官を務めた栗林忠道中将が、残った兵力を率いて総攻撃を行い、旧日本軍の組織的な戦闘が終わりました。

戦後、硫黄島では、昭和27年度から国による遺骨収集が続けられていますが、今も日本側の犠牲者の半数以上にあたる1万1400人余りの遺骨が見つかっていません。

遺骨は、旧日本軍が持久戦のために構築した総延長18キロの地下ごうの中にあると見られていますが、出入り口などがふさがれ、場所が分からなくなっているということです。

このため、ボーリング調査やレーダーを使った地下の探査が行われていますが、海に面した崖などではこうした探査ができず、作業は難航しています。

また、当初は生存者の証言などを手がかりに遺骨を探していましたが、いまでは新たな証言を得るのが難しくなっているということです。

政府は戦没者の遺骨収集は国の責務だとしていて、具体的にどのように遺骨収集を進めていくかが課題となっています。

以下略、ソース先にてご覧ください。

NHKニュース 2020年3月26日 4時12分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200326/k10012350361000.html‬;
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