論文の完成に20年、それを他の数学者が検証するのに8年−−数学の超難問「ABC予想」を証明し、
「世紀の大偉業」と讃えられた京都大学数理解析研究所教授の望月新一氏(51)。
教育界から「数学離れ」の危機が叫ばれて久しい日本だが、
これまでも世界で認められた数々の天才数学者を我が国・日本は輩出していた。
「取材は一切受けない」という望月氏の人物像は、あまり知られていない。
日本人の父と米国人の母を持つ望月氏は5歳で渡米。その頃の愛読書は日本の月刊科学雑誌『ニュートン』だった。
最新の科学情報がイラスト付きで説明されているとはいえ、5歳の子供が易々と読めるものではない。
渡米後は高校を飛び級で卒業し、16歳で米・プリンストン大学に入学。2002年、32歳の若さで京大教授に就任した。

望月氏が証明した「ABC予想」は、35年前に提唱された数論(整数の性質について研究する数学の一分野)の予想のこと。
「a+b=cを満たすa、b、cの素因数の積をdとした時、cがdより大きい場合はとても少ない」というもので、
整数a、b、cについての予想であることからこの名が付けられた。

これを証明できれば、整数に関する数多くの予想や定理が解決されるため、望月氏の証明は「数百年に一度」
「物理学でいえばアインシュタイン並み」の偉業と評される。
一方で、証明に用いられた望月理論の難解さも話題となった。日本数学協会会長で数学者の上野健爾・京大名誉教授が語る。
「これまで世界中の数学者が考えつかなかったまったく新しい方法で、
これを数学者たちが応用するまでには、あと何十年もかかるでしょう」

歴史に残る偉業を達成した日本人数学者は、望月氏ばかりではない。明治生まれの数学者・高木貞治は、
「現代数学の父」ダフィット・ヒルベルトがまとめた当時未解決の23の難問の一部を世界で初めて解き、
“数学のノーベル賞”にあたる第1回フィールズ賞の選考委員に選ばれた。
そのフィールズ賞を1954年に日本人で初めて受賞したのが、複素数に関する新理論を展開した小平邦彦だ。
以来、これまでに3人の日本人受賞者が誕生している。
ABC予想と並ぶ整数論の超難問「フェルマーの最終定理」の証明にも、日本人の天才数学者が一役買っていた。

1995年にプリンストン大学教授・アンドリュー・ワイルズ氏の手で証明されたが、
その源流は、日本人の数学者・志村五郎が、早逝した盟友・谷山豊と共に1950年代に考えた「谷山・志村予想」だった。

知られざる「数学大国」といえる日本だが、その原点といえるのが江戸時代の数学者・関孝和だ。
関は中国から伝わった数学を「代数学」(数字の代わりに記号を用いて方程式を解く方法)として発展させた。上野氏が語る。
(中略)
この時代、和算(江戸時代の数学)においても家元制度が発展した。関を元祖とする「関流」は江戸を中心に発展した
算術の最大派閥で、参勤交代の武士らが入門したことから全国に普及。
その成果は、問題と解答を記して絵馬に仕立て、各地の寺社に奉納された「算額」に見ることができる。
「だからこそ、明治以降に西洋数学が入ってきた際、代数学を日本人は簡単に理解することができたのです」(上野氏)
 
現代の日本人数学者にも、300年以上前の天才数学者の命脈が保たれている。

原文はソースで
https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/200417/lif20041715060045-n1.html