0001首都圏の虎 ★
2020/04/18(土) 10:05:55.62ID:mwWKNOW79人口1100万人の大都市・武漢は1月23日から空港や鉄道駅が閉鎖され、市民の外出が厳しく制限された。同市の累計感染者は約5万人、死者は2500人以上に達している。隔離された家族を見舞うことも、大切な人が遺体になっても触れることもできない悲劇が繰り返された。
私たちは武漢の経験から何を学べばいいのか。中国の通信アプリ・ウィーチャットを通じて寄稿してもらった小学4年生から58歳まで武漢市民10人の体験をその背景と共に紹介する。【中国総局長・浦松丈二】
◇正しい情報を入手する
寄稿の多くは封鎖直後のパニック状態から書き起こされている。大学生の女性(22)は「恐怖の感情を抑えることができなかった。ニュースを見て、その日の感染者と死亡者の人数を確認していた」と振り返る。
民間企業勤務の女性(28)は「(武漢だけでなく)湖北省内や他省でも次々と都市が封鎖され、焦りと恐怖で胸がいっぱいになった」「新型コロナウイルスとは呼吸一つの(非常に近い)距離しか離れていない感覚だった」と指摘する。
突然の封鎖がパニックを引き起こしたようだ。自営業の男性(27)は封鎖2日前でも「満席のレストランでは誰もマスクをしていなかった」と証言する。
2月8日の本欄<新型肺炎、初動の遅れはなぜ起きた? 武漢市長の発言を読み解く>でも詳述したが、武漢市は封鎖直前の1月12〜17日に「新たな(感染)増加はなし」と発表していた。18日には4万余りの世帯が料理を持ち寄って春節(旧正月)の到来を祝う恒例行事「万家宴」がにぎやかに開催された。封鎖2日前の21日夜になっても、湖北省の政財界代表が武漢市公会堂に集まって、歌や踊りの春節祝賀ステージを楽しんでいた。
だが、正しい情報は流れていた。
医大に通う女性(24)は「12月31日の夜に(原因不明の肺炎患者発生の)情報が流れてから、すぐにマスクを購入した。その後、十分な消毒薬もストックした」と明かしている。
先の民間企業勤務の女性は2019年末には「グループチャットで重症急性呼吸器症候群(SARS)に関する情報が流れていた。当初はデマだと思っていた」と後悔をにじませる。
内容や時期から武漢市の眼科医、李文亮氏が医師仲間のグループチャットに流した感染情報とみられる。李氏はデマを流したとして当局に摘発され、その後、自らも感染して死亡した。
いち早く警鐘を鳴らした李氏が摘発されたように、中国での情報発信にはリスクが伴う。しかし、名前は書かれていなくても複数の寄稿からは李氏への深い感謝が読み取れた。
◇自発的に助け合う
封鎖直後のパニックは2月上旬には収束したという。寄稿の多くは、行政の支援に先駆けて、食材の集団購入など住民同士の助け合いが自発的に始まったと指摘する。
先の医大に通う女性は「封鎖当初、末端の行政組織は機能せず、住民が自発的にグループを作って業者と連絡して食材を購入していた」と説明する。さらに「私も1度だけ(地域の)ボランティア活動をしたが、手伝いにくるたくさんの人を見て温かい気持ちになった」と振り返る。
先の自営業男性も「近所同士の助け合いが大変役に立った。ウィーチャットグループで物資や感染情報を分かち合い、付き合いも増え、地域の絆が深まった」と指摘する。また「おいしいものや生活の知恵などの話題で盛り上がり、新型コロナ禍から一時逃れ、気持ちが温かくなる時間を過ごせた」と振り返る。
この男性は「自発的にボランティア団体を組織する住民もいて、1人暮らしのお年寄りを支援していた。こうした連絡を取り合うウィーチャットグループは『生活必需品』の一つ」と指摘し、住民ネットワークの重要性を強調する。
4/18(土) 10:00配信 全文はソース元で
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200418-00000022-mai-int
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