コロナウイルスによる新型肺炎リスクの拡大により、日本列島のみならず世界が大混乱に陥っている。この見えざる敵との戦いに勝利するまでには幾多の困難が予想されるが、そもそも人類の歴史は疫病との戦いでもあった。今ほど医療技術が進んでいない時代、人々は神仏に頼ることで国難を排除しようとしてきたが、現代でも力のない私たちは「苦しいときの神頼み」をしがちである。著書「神社で出逢う私だけの守り神 神様に力を分けてもらう方法」(祥伝社)を上梓したばかりの神社探究家・浜田浩太郎氏に、「疫病と神頼み」の歴史や、そこから見える教訓について話を聞いた。(聞き手/エッセイスト 鳥居りんこ)

● 八坂神社に登場した「茅の輪」とは 疫病と「神頼み」の歴史を紐解く

 ――新型コロナウイルスへの世の中の不安が一気に高まった先月、京都の八坂神社(京都市東山区)に疫病退散や息災を祈る「茅(ち)の輪」が登場して話題になりました。報道によると、通常時期以外に設置されるのは、コレラが流行した1877(明治10)年以来、143年ぶりということですね。

 八坂神社の「茅の輪」は京都の夏の風物詩なんですが、神社が新型コロナウイルス感染症の終息を願い、特別に置いたのです。八坂神社には疫神社(えきじんじゃ)という神社があります。

 茅の輪とは、茅(ちがや)を束ねて直径数メートルの大きな輪としたもので、通常は6月30日の夏越しの祓のときに神社の境内につくられ、これをくぐることで心身が清められ、穢れが祓われるとされます。

 茅の輪をくぐるときは、神拝詞(となえことば)を声を出さずに唱えます。代表的な神拝詞としては 「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ」(はらへたまへ きよめたまへ まもりたまへ さきはえたまへ)というものがよく知られています。

 ――八坂神社といえば、祇園祭が有名ですよね。

 そうです、日本三大祭の1つですね。この祭り、実は「疫病退散」を願うことから始まりました。その始まりは、平安時代に遡ります。863年(貞観5年)に、疫病が流行り、多くの人々が亡くなりました。そこで、京都の神泉苑という場所で「御霊会」(ごりょうえ)という儀式が行われたのです。

 御霊会とは、この世に恨みを残して亡くなった人々の霊、災いを及ぼす疫神(やくじん)を鎮めなだめ、もてなすために行われる神事(祭り)です。つまり、当時の人々は、恐怖心から疫病はそうした霊や疫神の祟りだと考えたのです。

 その後も疫病の流行が続き、さらに869年(貞観11年)に起こった貞観地震(2011年の東日本大震災と似た平安時代の大地震)による社会不安を鎮めるために行われた御霊会が、祇園祭の起源となります。

 この御霊会は、全国66カ所(当時の国の数)を表す66本の矛を立て、その矛に国々の悪霊を移して宿らせることで、その悪霊たちによる災い(疫病、地震、災害、戦争など)を祓う神事でした。いわゆる御霊信仰の1つです。

● 得体の知れない災厄は 魔物や悪霊の仕業と考えられた

 ――起源は悪霊たちによる災いですか……。でも、そういう考え方は今もしがちですよね。先日も、麻生太郎副総理の「呪われたオリンピック」発言がありました。

 そうですね。現代に生きる我々でも、得体の知れないものを魔物や悪霊の仕業と恐れることがあるくらいです。地震や風水害、戦争なども人々から恐れられるものですが、なかでも疫病は、昔の人々にとっては死を身近に感じさせるものでした。

 昨日まで元気だった人がバタバタと倒れていき、その多くが亡くなるのだから、当然です。しかも、昔は現代のように特効薬やワクチンは当然のこと、衛生的な環境もなかったわけで、疫病の広がり方は現代とは比べ物にはならないほど速かったと思います。

 ――現代でも新型コロナで大変な騒ぎですから、昔の人の恐怖といったら、想像以上ですよね……。

 ええ。さらに、医学的知識がない時代ですから、疫病の原因がわからず、人々は恐怖に怖れおののいたことでしょう。

 このような疫病は、人の力では克服できないという考えを生み出し、やがて恐怖心から神々を頼る信仰が始まりました。何かわけがわからない存在のもの、つまり魔が引き起こすのが疫病であり、その魔を封じるのが神であると考えたのです。そういった信仰から生まれた神事(祭り)の代表的な例が、前述の祇園祭です。(続きはソース)

4/18(土) 6:01配信
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