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『5月3日は忘れてならない済南事件の日』(ねずきち氏
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「尼港事件」は、ロシアのトリャピーチン率いる、ロシア人、Korean、Chinese約四千のならず者たちが
共産パルチザンを名乗って、黒竜江(アムール川)の河口にある尼港(現・ニコライエフスク)を襲った事件です。

この事件で、石田領事を含む約700名の日本人居留民が虐殺されました。
このときはまだ、狙いは日本人ではなく、白系ロシア人たちでした。
しかし日本人は、眼の前で白系ロシア人たちが虐殺(というよりも大量屠殺に近い)される様子を見て、これに抗議しました。
そして巻き添えを食う形で、日本人も虐殺されました。

尼港事件で味をしめた共産パルチザンは、日増しに乱暴狼藉を激化させました。

Chinaでは古来、暴徒とヤクザと軍隊は同じものです。
つまり「蒋介石の国民党軍の兵士が、満州日報の取次販売店を襲撃して掠奪を働きはじめた」ということは
単に暴徒が暴れ始めたということであって、こうなると軍の統制も、政治関与もあったものではありません。
ひとたび火がつけば、そこにいるすべてのChineseが暴徒に早変わりします。

暴徒たちは、駆けつけた日本人の巡査にも、多数で暴行を加えました。
市内全域はたちまちのうちに修羅場と化し、各所で多数の日本人居留民の男女が、暴兵の手で惨殺されました。

この事件で、日本人女性が両腕を帯で後手に縛られたうえ
顔面、胸部、乳房に刺創、助骨折損、陰部には棒をさしこまれ惨殺されていた写真などが現在でも残っています。