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ノート:マニラ大虐殺 Wikipedia open

マニラで10万人といわれる死者が出たのは、アメリカ軍の艦砲射撃と空爆の結果です。
広島と長崎に原爆を落としたときと同じく、アメリカ軍は戦闘後に
『艦砲射撃や空爆をマニラ市街に対して行わなかった場合、(マニラに上陸するにあたり)
アメリカ軍にはさらに多数の死者を出しただろう』と、公式の犯行声明(言い訳?)をきちんと出しています。

なにやら、日本軍が色々と虐殺したようなことをいっている人がいるようですが、
アメリカ軍がマニラを焼け野原にする過程は何十時間も(当のアメリカ軍が記録した)フィルムに残っていますし
当の生き残りのフィリピン人が見ています。

聖パウロ大学(その中の教会に現地人が戦闘を避けて立て篭もっていた)に
アメリカ軍が艦砲射撃を加えそこにいた人間が全員死亡した時刻は、現在ほぼ正確に判っています。

サンチャゴ監獄等で多数の現地人の死体が見つかったのは事実ですが、
その時にはアメリカの空爆や激しい戦闘が始まっており、さらに戦闘後に日本兵は全員殺害されているわけで
誰が誰を殺害したという証拠は何も残っていないような状況です。

ちなみに、かなりの数の日本軍(マニラに残っていた日本軍の多くは、正式な軍人ではなく
一般市民を徴収して銃を持たせただけの市民だったのですが)はアメリカに投降したのですが
臨時の捕虜収容所の水飲み場に並べられて、アメリカ兵から銃を渡されたフィリピン人に処刑されるなどして殺されています。
(NHKの全国放送に銃殺した当事者が出て堂々と証言いたのには驚きましたが・・)