0001チミル ★
2020/05/12(火) 20:12:09.84ID:0mpz6xEx9故郷を離れ理容師として10年以上働いたが、離婚してからは職を転々とするように。約2年前から自動車部品の積み込み作業などに派遣されて働き、夜はネットカフェで体を休めた。「自由がきいた」が、貯金はほとんどしてこなかった。その中で、突然「住み家」を失った。「普通じゃない生活を選んだ自分の責任。誰を責めるわけでもない」
自動車メーカーの生産が停止し、予想よりも早く4月半ばには仕事が途絶えた。知人にお金を借りるまで数日間ほとんど食べられず、差し入れの缶コーヒーで飢えをしのいだこともある。「いつ死んじゃってもいい。ただ、コロナでは死ねない。周りに迷惑はかけられないから」。言葉に、孤独感がにじんだ。
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https://mainichi.jp/articles/20200512/k00/00m/040/210000c
大型連休明けに再び仕事が入るようになると、閉所された施設を出て、不安定な日常へと戻っていった。