【起源】「神社」の社殿は日本古来のものなのか? ★4 [樽悶★]
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全国各地に点在する神社。初詣や七五三、合格祈願など、訪れる機会は多く、我々日本人にとって非常に馴染みのあるものといえよう。 ところで、普段あまり意識したことはないかもしれないが、そもそも神社の社殿は日本古来のものなのだろうか。 「教えて!goo」にも「日本の『神社』は日本古来のものか、日本化されたものなのか、外国のものなのか?」という質問がよせられている。そこで今回も、日本宗教史研究家である渋谷申博さんに、神社の歴史などについて尋ねてみることにした。 ■神社の社殿の歴史 まず、神社にある社殿はもともと何だったのか、その起源について話を伺った。 「社殿の起源については、諸説あります。かつての説では、古くは社殿がなく、聖地に神籬(ひもろぎ)のような仮設の依り代を置いて神祭をしたとされていました。しかし最近では、弥生時代の巨大神殿の存在が知られるようになり、社殿の起源をそこに求める説も出ているようです」(渋谷さん) 神社には多くのロマンがありそうだ。 「もっとも、山や滝、巨石を御神体とする神社は、これを社殿に入れるわけにはいかないので、露天祭祀(ろてんさいし:青空の下で神や祖先をまつること)が起源の神社も少なくありません。現在も大神神社(おおみわじんじゃ、奈良県)や金鑚神社(かなさなじんじゃ、埼玉県)などは、本殿を持たない神社として知られています」(渋谷さん) 本殿すら持たない神社が存在するとは……。御神体の形もさまざまあるようで、実に興味深い。 ■神社の造り(配置)の意味 次に、本殿や宝物殿、鳥居、狛犬、手水舎(てみずや/ちょうずしゃ)といったものに、どんな意味があるのか聞いた。 「もともと神社においては祭祀が行なわれることが重要で、社殿の有無は二次的なことです。そのため、鳥居や聖地を結界する瑞垣さえあれば、神社としては成立可能といえます。また、社殿配置に決まりはなく、寺院のような四天王寺式伽藍配置(してんのうじしきがらんはいち)・飛鳥寺式伽藍配置といったものはありません。なお本殿は、南向きが多いのですが、北向きなどの場合もあります」(渋谷さん) 社殿がなくても神社が成立するというのは驚きだ。神社の主要な施設について改めて説明してもらった。 「神社の主要な施設としては、以下のようなものが挙げられます」(渋谷さん) 本殿:御神体を奉安する社殿。神社でもっとも重要な建物 拝殿:本殿を礼拝するための社殿 摂社(せっしゃ)・末社:境内にある小さな神社(本殿だけのことが多い)。摂社は本殿の御祭神にゆかりの神を祀る社で、末社より大きいことが多い 神楽殿(舞殿):神楽・芸能などを神に奉納するための社殿 手水舎:手と口を清める(禊の代用)ための施設 社務所:神社の事務などを行なう場所、神札・朱印などの授与所を兼ねることも 狛犬:正確には獅子・狛犬。境内を守る霊獣。稲荷社の狐は神使(しんし)といって神のお使い。天神社・天満宮の牛なども神使 宝物殿:神社の宝物を納める施設。参拝者に公開する博物館のこともある 鳥居:聖域との境界を示す象徴的な門。神社のシンボル。起源などは謎 神門:神社の門。二階建てのものは楼門という。脇間に随神(随身)像を置くものは随神門ともいう。すべての神社にあるわけではない 改めて見てみると、非常にたくさんの施設があることに驚かされる。また、鳥居の起源が不明というのも意外だった。 ■「寺」の様式はやはり伝来?神社との違いは? 最後に「寺院」いわゆる「寺」についても聞いてみた。 「寺院は仏教とともに伝わったもので、言うまでもなく外来です。神社が神のための空間(施設)であるのに対し、寺院は修行し悟りを得る人間のための空間になります。寺院建築は柱を礎石の上に立て、丹(に)などの塗料を使い、瓦を屋根に載せるなど、同じ木造建築でも社殿建築とは大きな違いがあるのです。法隆寺が千年以上持ちこたえたのは、寺院建築であったことが理由になります。いっぽう、神社に式年遷宮(しきねんせんぐう)の制度があるのは、耐久年数が短いことも理由のひとつです。仏教は日本に建築・工芸などの最先端技術を伝えました。神社はこれに対抗するために、あえて古代の建築様式を保ったという説もあります」(渋谷さん) (続きはソース) 2020年5月14日 12時0分 https://news.livedoor.com/article/detail/18258752/ https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/f/6/f6128_314_d0520d64_0c14901c.jpg ★1:2020/05/14(木) 22:03:58.45 https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1589497671/ 我々日本人が現代において、一般的な神道と認識している神道、つまり神社本庁傘下の神社の神道は日本の神仏混淆の伝統宗教に朝鮮朱子学が背乗りしてできた。 江戸時代半ばにできた新興宗教。 大義名分論を強調した李退渓の学説は、その系統を嗣ぐ姜(カンハン)という学者が、 16世紀末に日本の捕虜となって日本に連れて行かれ、後に京都に招かれて藤原惺窩と交流し、強い影響をあたえた。 藤原惺窩によって取り入れられた朱子学は林羅山らによって江戸時代の公認の学問とされることになった。 そして儒教側からも「儒家神道」と呼ばれる合体論が多く生まれたのである。江戸初期の朱子学者である藤原惺窩にはじまり、その門人の林羅山によって、 神道と儒教の一致を説く思想が積極的に提唱された。羅山はその著『本朝神社考』の序文において、 従来の本地垂迹説や神仏混淆説を批判し、 「日本が神国であり、神武天皇が天神(あまつかみ)のあとを継ぎ、その道を広めた。 これがすなわち神道であり、王道である」とし、この王道こそはシナの聖賢の道と同一のものであることを唱えた。 この「神道即王道」の観念によって神儒一致論を主張した羅山は、その考えを『神道伝授』において一歩進め、自らその神道説を「理当心地神道」と名づけたのである。 http://www.heisei-shin.com/writings_box/religion_page/religion_26_3.html アカ族の鳥居 https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/12/c4fbdf3806d00eb721dcae38c2b4c4aa0d895efd.17.1.12.2.jpeg アカ族は、中国チベットや雲南省に居住していたハニ族が、南下ミャンマーやタイ、ラオスへ移住してきたとされています。 ハニ族は、世界遺産にもなっている棚田(哈尼梯田)を開墾した稲作文化を持ち、味噌や納豆などの発酵食品、茶の栽培や歌垣の文化も持っています。 そんな事はないニダ! 神社の起源は古代朝鮮にあるニダ 神主にあたる人物が神に祈りを捧げている様子が手搏図に描かれている https://i.imgur.com/gbyN1TT.jpg >>5 アイゴー! 兄の国からの有難い送りものでしたか! ありがとうございます。 一生頭か上がりません。 とか言って欲しい流れ? 京都の八坂神社は新羅系。 当社は慶応4年(1868)5月30日付の神祇官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。 創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が 新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。 http://www.yasaka-jinja.or.jp/about/ http://i.imgur.com/NfonxPW.jpg 八坂氏は朝鮮渡来系。 。 開封のユダヤ教徒は、現在の中華人民共和国河南省開封市に数百年間存在したユダヤ人(ユダヤ教徒)のコミュニティー。 現代の中国ではユダヤ人を中国語で 犹太(簡体字)・猶太(繁体字)(地名「ユダヤ」 יְהוּדָה の音訳)と呼ぶが、 周辺の漢民族からユダヤ教は挑筋教とも呼ばれていた。これは、「腱を取り除く宗教」という意味で、 ユダヤ教の食事規定カシュルートで動物の大腿の腱を食べてはいけないと規定されていることに由来する。 開封のユダヤ人コミュニティーは遅くとも宋代(960年-1279年)には成立し、19世紀末まで存続していた。 明代(1368年-1644年)には、ユダヤ人は皇帝から 艾、石、高、金、李、張、趙 の7つの姓を授けられ、これらは今日でも見識することが出来る。 これらの姓は本来のユダヤ人の氏族の姓 Ezra, Shimon, Cohen, Gilbert, Levy, Joshua, Jonathan をそれぞれ中国風にしたものであるという[2]。 面白いことに、これらの姓の内の2つ石と金は、西欧のユダヤ人の姓に多く見られる Stone (Stein) やGold と一致している[3][4]。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E5%B0%81%E3%81%AE%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA >>16 ゲイバーで出会った二人を描いているように見える。 長野の田舎の神社でラジコンヘリ飛ばしてた 鳥居をくぐらせたりw >>1 起源を唱えたい方々が 蠢いているのが見える 刺青は半島が起源だったのになぜか黙っているんだが何故だろう >>16 これは完全に相撲のルーツは韓半島にあったと言えますね 「神社」は渡来系弥生人の末裔が始めた 縄文とは無関係 >>17 ∧_∧ <ヽ`∀´> お前は見所あるイルボンニダ! ( ) | | | 〈_フ__フ >>33 ハハハ、 オマエのようなチョンがいつも同じ寝言いうよなww 日本人は朝鮮朱子学の害を知るべき。 ブラック企業も特攻も朝鮮朱子学の害。 朝鮮朱子学は「格物致知」で、 「世襲で、格上の上級国民は何もしなくてよく、何を言っても、何をしても正しい。 格下の下級国民は死ぬまで奴隷労働当然」 という謎道徳。 だから、「息を吐くように嘘をつく」のは、上級国民の当然の権利。 なぜなら、上級国民の嘘は真実になるべきだから。 だから、安倍はやたら変な閣議決定をする。 本来の儒教には、放伐があるのだが朝鮮朱子学ではなくなった。 「ある人が格上である理由は、格下より徳があるから」のトートロジーになり、簡単に言えば、「長い物には巻かれろ」になった。 これが無為徒食かつ無能な両班による李氏朝鮮の衰退を招いた。 社殿の中覗いたらちょっと大きめの石だったのでそのへんに落ちていた同じぐらいの石と変えてみたけど、大丈夫だったよ ・ 建物を造るようになると、宗教は堕落する。 建物という装置で、無知な民衆を勧誘するからだ。 そしてそんな建物は、「本当の神」が繰り出す火・水・風・地震・人間の欲であっけなく崩壊する。 ・ >>1 左系マスコミ「日本古来のものはすべて潰して存在させなくしてやる」 まあネトウヨみたいな現代日本人そのものが 先祖をたどれば兄の国である偉大なる大韓からやってきた 渡来弥生人なわけでw その渡来弥生人の後裔がこさえた建築様式は そりゃ理の当然として偉大なる大韓の起源にあることは当然なんだよwww だいたい原初日本人こと縄文人、1万年も生活していながら 竪穴式住居以外の建築様式、とうとう自前では編み出せなかったでしょ? 神社建築でしばしば参照される高床式倉庫とか そういうのは偉大なる大韓からの渡来文化だからwww そもそも「建築」という営為そのものが大韓由来の先進文化だからねえ。 長州人が、多様性のあった全国の神社を自分達の都合のいい形に無理やり矯正した 長州人は日本人の敵 >古くは社殿がなく、聖地に神籬(ひもろぎ)のような仮設の依り代を置いて神祭をした これは日本書紀か古事記に書かれてある天照大神を最初に祭った檜原神社のことだな 今でも鳥居しかない >>41 古来からだと思っていた物事が実は戦後生まれだったりするんだよね >>42 あほやな。 仏教も漢字もお茶もうどんも大陸南部からだ。 なぜなら呉音で仏教用語は渡来してる。 因みに天皇も呉音。 漢音ならてんこう。 ところで神社で思い出したが 仏像ほど一般的ではないが神像(not晋三www)ってのもあるにはあるんだよ。 それを拝んでる神社ってのはどれほどあるか知らないけれどもね。 で、まあ本朝における神像の何たるかは適宜調べてほしいんだが、 少なからずは仏像のコピーみたいな感じなんだけど たまにね、これは前衛だなあ、プリミティブアートかと思う 人類始原の記憶の活写のような神像、これあるんだよ。 よくネトウヨのバカどもが偉大なる大韓の古代芸術を トーテムポールといってバカにするが (そして何気に日本でもトーテムポールは出土してるがw)、 よく考えれば日本人の先祖が偉大なる大韓にあるとすれば その古代美術の様式も大韓調でいささかも不思議はないよな 今の神道と江戸中期までの日本の伝統的な宗教との違いは、 キリスト教とイスラム教以上ぐらいある。 祭神が変わっているからだ。記紀神話の天皇につながる神以外祭神変更されたんだよ。 合祀令で検索! 神仏判然令で検索! 大小神社取調書についても読んで欲しい。 神道の神はスクリーニングされた。 http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f13-3.pdf >>1 答えは古事記に書いてある 渡来人の秦氏が秦から逃げてきたヨーゼフ(徐福)一行 ●「日本人とユダヤ人の先祖は同じである」という説を日ユ同祖論という。これを最初に言い出したのは、日本人でもユダヤ人でもなく、スコットランド人のノーマン・マクラウドという人物が言い出した説である。 このノーマン・マクラウドなる人物のことはよくわからない。一説にはイギリスでは売買を商っており、日本や韓国では宣教師として活動ながら「イスラエルの失われた十支族」を探していたという。 マクラウドが日ユ同祖論を展開したのは、イギリスに元々あった「イギリス・ユダヤ人同祖論」を日本とユダヤに当てはめたものであるらしい。 内容は、日本の天皇、宮家、公家の儀式とユダヤ教の儀式が似ているからというものであった。 ちなみにアメリカの黒人は「イスラエルの失われた十支族」である説。 ネイティブアメリカンは「イスラエルの失われた十支族」である説 。 韓国人は「イスラエルの失われた十支族」などなど世界中にあるらしく、特にめずらしいものではないようだ。 日本の場合、ノーマン・マクラウドの講演を聞いた日本のキリスト教指導者数人が、明治から昭和初期にマクラウドの説をさらに解釈を加えて日ユ同祖論を作っていったらしい。 なぜか? 明治〜戦前の日本はまだまだ二等国だと思っており、なんとか一等国に欧米のキリスト教国に思ってほしかったのである。そして日本は偉大な国であり、神の国であると日ユ同祖論者は口をそろえる。 例えば、「日本は神の国である。ゆえに蒙古襲来の神風から日清日露戦争にいたるまで負け知らずであったのは、我々日本人がユダヤ人と同じく神に選ばれた民だからだ」 とか、「旧約聖書に数か所「日の出る所から、その沈む所まで」という聖句があるが、この中の「日の出る所」とは地球の中央であるエルサレムから一番東にある「日いずる国」である日本のことだ」 とか、『日本は神に選ばれた国であり、日本民族は神に選ばれた民族である』といういわゆる神国ニッポンの皇国イデオロギーと同じなのである。 近所のそれなりの神社の江戸時代の古地図をみろ。 名前も祭神も違う可能性が高い。 あなたの知識は改変後の神道を古来の神道とする捏造されたものでしかない。 品川神社が牛頭天王だった話。 http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/page000010700/hpg000010623.htm ●ユダヤ人は日本人のことをどう見ているのか? ユダア人研究でも有名な神戸女子学院大学の内田樹教授によると『エンサイクロペディア・ジュダイカ』という、全26巻におよぶ英語で書かれた百科事典がある。 『エンサイクロペディア・ジュダイカ』は文字通り『ユダヤ人の百科事典』という意味で、その厖大な百科事典に、日本についてのことがどれくらい記されているかというと、0.009%、ページ数にしてわずかに2ページ程度であるという。 日ユ同祖論に熱心な日本人には申し訳ないが、イスラエルを含む英語圏のユダヤ人は、日本や日本人にほとんど、あるいは実質この程度しか関心がない。 Wikipediaによると、一時滞在も含めて日本に住んでいるイスラエル国籍者は802名(2005年末)であるそうな。 ユダヤ系アメリカ人など他国のユダヤ人を含めると2000人ほどいるらしいが、極めて少ないといっていいだろう。 よって日本にユダヤ教のシナゴーグ(集会所) もほんの数か所しかなく、そして開国してからあまりユダヤ人は日本に住みつかず、 もっといえば第二次世界大戦前に日本に横浜や神戸、長崎にあったユダヤ人コミュニティーも、戦後になるとみんなアメリカに移住しちゃってなくなってしまうありさま。 どうやらほとんどのユダヤ人にとって、日本については関心もなく、また世界のあらゆるところに移り住んだユダヤ人だけど日本はあまり魅力的ではないのかも知れない。 神田明神に平将門が居なかった話。 明治七年(1874)、明治天皇の行幸が決定。 すると、明治政府が天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られている事を問題視。 この事により将門公が御祭神から外されてしまう。 代わりに少彦名命が茨城県の「大洗磯前神社」から勧請される。 以後、長年、将門公の御神霊は 境内摂社に遷されたままとなっていた。 http://www.news-postseven.com/archives/20121228_162646.html ◎日ユ同祖論の年代矛盾。 ダビデの星がユダヤの象徴になったのは十七世紀から (イエズス会製)。 伊勢神宮のダビデの星がある石灯籠の設置は戦後。 ユダヤ・カバラで生命の樹理論の元型ができたのは12世紀(盲人イサク)から。 クリスチャン・カバラ(生命の木中心)は15世紀にピコが創始。 ◎日ユ同祖論の方位矛盾。 メルカトル図法は方位が不正確。 方位が正確な正距方位図法ではイスラエルの東北の果てが日本であり、東の果てならニューギニア島あたり。 聖書が根拠の失われた十支族に考古学的証拠なし。 イスラエル中心の正距方位図↓ http://ronbarak.tumblr.com/post/39738833512/online-map-creation-using-azimuthal-equidistant ◎日ユ同祖論は縦書きの漢字とヘブライ語(横書き)の子音表記を無視。 公にしない支配者層の文章ですら漢字と漢字の変形(仮名)。 漢字否定の為に神代文字を捏造。 ヘブライ語は子音表記で母音記号(ニクダー)がないと正しい読みは不明。 都合よく読めばどんな言語とでも同祖論を作れる。 ◎日ユ同祖論は仏教と道教を無視。 本地垂迹説(神の正体は仏)で神の実体を否定する仏教が国教(寺が神社を管理)。 天皇も側近も仏教徒。 日本語に仏教用語は多いが神道用語は少数。祇園は仏教用語。 昔の神道=和風道教。神道・神器・天皇は道教用語。 天皇は道教最高神・天皇大帝(北極星)の略。 ◎日ユ同祖論はユダヤ教の最重要教義を無視。 神道は多神教で安息日がなく(十戒=最重要事項違反)、 バルミツバ(13歳でする成人式)もない。 祇園は仏教用語。シオン祭というユダヤ教の祭りは存在しない。 RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日 ユダヤ教徒の妻ですがシオン祭などというのは見た事も聞いた事もないですね。日本独自の都市伝説です。そもそも7月1日がロシュハシュナでシオン祭の初日という記事もありましたが今年のロシュハシュナは9月24日から26日です。 RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日 ネタとしては青森のキリストの墓と同じで面白いなあとは思うのですが(笑)、世界のどこにいても伝統行事を大切にしているユダヤ教徒に話したら「なんじゃそりゃ」と笑ってました。ユダヤ教の行事カレンダーも7月は空白です。 RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日 何度も言いますがシオン祭と言うもの自体が存在しないのです。ユダヤ人は古代の行事伝統をすべて大事に今でも行っている民族ですがそのユダヤ人たちの間でこのような祭りが存在しないのです RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日 シオン祭で検索してみてください。祇園祭に関連する記事以外何も出てきません。本当に存在する、あるいは存在したものなら、たとえユダヤ教やユダヤ人の文化の記事として必ず英語か日本語でみつかります。それが何もないのです 。 RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日 ユダヤ人たちは、世界のどこにいても、その多くが子供の時からヘブライ語を学び、自分たちの民族の歴史や伝統をしっかりと教え込まれます。そのための学校も必ずあります。その彼らが「シオン祭?何それ?そんなもんないよ」と言っているのです。 RiekoPiano@RiekoPiano • 9月5日 それで、伝統をこの上なく大事にして何千年も多くの行事を続けているユダヤ人たちが知らないシオンの祭典って何ですか? ユダヤ人の祭り http://www5f.biglobe.ne.jp/ ~jesus/NT-intro_festivals.htm ユダヤ教 ━ ユダヤのお祭り http://myrtos.co.jp/info/judaism03.php >>48 仏教用語の読みについては国語学やら漢文学やら言語学やら仏教学やら いろいろ参照せにゃならんからむつかしいぞ。 漢訳仏典の流入史まで参照せにゃならんからね。 で、もちろんウリにはそんな知の体系はないから語る術がないがね 神道起源と偉大なる大韓の古代文化についてはもう少し考えられてしかるべきと思うね。 その途上において現生日本人の祖先が偉大なる大韓の渡来弥生人、 すなわち地上最強の戦闘民族、大韓民族の征服王朝にあることも これまた分明になるだろうしねえ >>39 福翁兄貴オッスオッス ユダヤ人由来だろ? 入り口の周りを血かなんかで赤くしたのが鳥居として伝わった 。 トリイはヘブライ語で門という意味。 カタカナもヘブライ語と瓜二つ、君が代もヘブライ語由来。 昔の日本人は彫りが深かったというし、 そこに今で言う韓国、中国が流れ込んできて顔面が平たくなったんだな。 >>60 小中華思想はやめろ。 迷惑だ。 日本人は李退渓の朝鮮朱子学で酷い目にあってる。 >>5 韓国人は山陰地方で神社破壊してたよな?バチがあたればいいのに。 >>8 お前の書いてることはずーっと間違ってるけど、仕事か何かで書かされてるのか? そもそも神社本庁なんて朝鮮戦争の頃にできたような組織だ。 神仏習合はそれこそ飛鳥時代、聖徳太子ですらやってる事だ。 鹿児島の廃仏毀釈 江戸時代には,幕府の仏教保護政策の影響もあって, 仏像をもって神体とする神社があるなど神仏混淆の傾向がありました。 王政復古によって祭政一致をめざす新政府は,1868(明治元)年神仏分離令を出し,神社からの仏教的色彩の払拭に努め, 旧幕時代,僧侶より低く位置付けられていた神職は,神仏分離に止まらず,寺院・仏像の破壊,経典・仏具の焼却を求めました。 多くの地方では神仏分離のみで廃仏毀釈には至らなかったが,鹿児島藩は廃仏を断行し,数年間は藩内に 一つの寺院もなく一人の僧侶も見られなかったといいます。 鹿児島藩において廃仏毀釈が実施された理由としては,鹿児島では,寺院と民衆の結びつきが薄かったこと, 廃寺により職を失った僧侶の生活の保障に努めたこと,藩が廃寺によって得た財源を軍備充実に充当しようとしたことなどがあげられます。 この措置により,大乗院,福昌寺など県内の名刹(めいさつ)はことごとく廃されることになりました。 http://www.pref.kagoshima.jp/ab23/pr/gaiyou/rekishi/bakumatu/haibutu.html >>64 あってる。 日本人を朝鮮朱子学から守るのがおれの目的だ。 鎌倉の廃仏毀釈 神仏分離自体は江戸時代から藩によっては行われており、単純に「分離」するだけであればあまり問題はなく、 1868年(慶応4年)の神仏分離令も仏教の破壊を意図したものではありませんでしたが、これに端を発し、 日本の貴重な文化と文化財を数多く破壊した廃仏毀釈運動が起こります。 数年後の1871年(明治4年)には全体として終息したものの、その間に日本全土において仏堂、仏像、仏具などが破壊され、 数多くの歴史ある寺院が廃寺に追い込まれました。 大阪住吉神社神宮寺に大伽藍はほとんどが破壊され、奈良興福寺でも食堂が破壊、 千葉鋸山の五百羅漢はすべてが破壊、伊勢神宮のお膝元である三重県では100か所以上が廃寺となったといいます。 鎌倉でも、鶴岡八幡宮にあった数々の仏堂や塔頭、仏像が破壊され、 源頼朝が創建し700年に渡り神仏双方が護持されてきた鶴岡八幡宮は全く違う姿になってしまいました。 鎌倉に大量にあるやぐらにはよく仏像が安置されていますが、首の折られているものが多数あります。 これももしかすると廃仏毀釈の行いかもしれません。様々な変遷を経て今日残っている歴史ある日本の神仏を少しでも大切にしていきたいものです。 (江ノ島/江島神社 全5回 おわり) https://kamakura-guide.jp/enoshima_enoshimajinjya-5 >>1 そもそも神道には必ずしも神社なんか要らない。 多くは寺院の真似してつくったもの。 大半は明治以降だしな。 >>52 なぜ紀元前200年の人物が期限後400年ころに日本に渡来するのかな? >>52 >答えは古事記に書いてある >渡来人の秦氏が秦から逃げてきたヨーゼフ(徐福)一行 あとはハイジとアルムおんじかな? もともと、神道は自然の脅威を恵みにかえるため象徴的自然物(山とか太陽とか)を祀ったアニミズム。
この延長で祟りそうな人(平将門や菅原道真とか)を祀った。 中世には仏教と習合。
江戸中期以降、神道は朝鮮朱子学ベースに再編された。 結果、必然的に徳の高い偉い人が神になることになった。
そして、明治には廃仏毀釈と同時に天皇陛下につながらないアマテラス系でないアニミズムの神さまは合祀または廃祀。
古代神道と今の神道は別物w >>71 申し訳ないが記紀の年号はまったく当てにならない が、実際の人物や実際起こった出来事をもとに描かれていると仮定すれば なぜ安倍政権下で恥知らずな朝鮮化が進むか教えてやるよ。 安倍が理想とする大日本帝国は、列島と半島からなる多民族国家だった。 安倍は、再建するつもりだ。 統治理念は格物致知で「偉い奴は何もしなくてよく、何をしても正しい」朝鮮朱子学。
朝鮮の李王家は大日本帝国では王公族となり皇室とほぼ同じ権利義務を得た。
実は、大日本帝国はオーストリア・ハンガリー二重帝国のような
日本朝鮮二重帝国が正体。 殖民地の王が宗主国の皇帝とほぼ同じ権利義務とかありえない話だ。 神道が朝鮮朱子学の後裔なことを、ブリタニカ国際大百科事典をソースに説明してやるよw 儒家神道 江戸時代に儒教によって解釈,組織された神道説の総称。 中世の神道説は儒教や老荘,さらに陰陽五行説の術語や論理をかりることもあったが,その中枢においては仏教教理によって解釈,組織されていた。 江戸時代に入り儒教運動の隆盛をみるに及んで,仏教的潤色を洗い落し,儒教によって神道説を再組織することが企てられた。 この場合儒教のなかでも朱子学の思想が有力に作用した。朱子学は太極を根源とする理気二元論の高遠な形而上学を有するが, これが古学派,陽明学派の非難攻撃を招来するところであったとともに,深遠な仏教哲学に対抗して神道説を再組織する要因でもあった。 林羅山の理当心地神道は天皇の道である神道は儒教における聖人の道つまり王道であるとし,太極理気説によってそれを説明した。 羅山は儒教の立場から神儒一致を唱えたが,神道の立場から神儒一致を唱えたのは吉川惟足の吉川神道 (→吉田神道 , 吉田兼倶 ) および度会延佳の伊勢神道 (度会神道) である。 前者は理学神道とみずからも称しており,いずれも儒教の教理によって自説を基礎づけているが,朱子学的色彩が濃い。 この両者をも広い意味で儒家神道に含めてもよかろう。 延佳に伊勢神道,惟足には唯一神道の伝授を受け, 深い儒教の学殖をもって神儒一致を主張したのが山崎闇斎であり,その神道説を垂加神道という。 神秘性の強いその所説はこじつけも多いが,尊王愛国を説く熱情と非合理性のゆえにかえって多くの共鳴者を得て, 門流は大いに栄えた。闇斎の神道説は,古学神道と並んで近世尊王思想の理論的支柱をなして全国に普及し,幕末維新に際しては多数の行動家を輩出した。 https://kotobank.jp/word/ 儒家神道-77650 >>77 大学の時に韓国からの留学生に 「日本と韓国がまた同じ国になったらイイですね」 って言われて寒気した 天皇崇拝および日本崇拝(忠君愛国教)は、その日本の新しき宗教であって、もちろん自発的に発生した現象ではない。 二十世紀の忠君愛国という日本の宗教は、まったく新たなものである。 一般の人民はなおも仏教に対して愛情を抱いていたし、一般の祭礼も仏式であり、死者を葬るところも仏寺であった。 しかし支配階級はこのすべてを変えようとした。天皇は太陽女神の直系の子孫であり、彼自身は地上の生き神 (現神 あきつかみ)で あって、自分の臣民に対して絶対的な忠誠を当然に要求できるものである、という神道の教義を主張した。 神話と古代史と称するものが同一の書物に記載され、どちらにも同じようにありうるべからざる奇蹟が麗々しくでて いる。年代記は明白に虚偽である。古代の天皇の口から出たという勅語は、中国の古典から抜粋した寄せ集めである。 日本国民は、その支配者の超自然的美徳にあやかるところがあって、『武士道』と称して、 劣等の国々には知られて いない高尚なる騎士道によって特に秀でていると主張している。 官僚階級があらん限りの力を 用いて組み立てようとしている思想の構造は、以上のごとくものである。 『日本事物誌』 調べれば調べるほど色々混ざってるんだよね そこが面白い まーだやってんのか、稲作起源だとか縄文文化だとか、日本黎明の話になると 韓国起源がどうこうとまぜっかえしてマトモな話ができなくなるのがどうにかならんか。 日本古来ではないと思うなあ。 社殿(しゃでん)は、訓読みがない、大和言葉ではない。 >>85 今の言葉だって明治期に大きく変わっている。 でも、日本という国はその前からあるだろ。 >>87 大事なものならば、音としての大和言葉で残ると思うんだ。 漢字流入以前に存在した音が。 日本(やまと)という音が今に伝わっているように。 なるほど、カミを祀るこころ・慣習の始まりと「社殿」の起源とは分けて考えんとな、という噺家。 社殿は伝来かもと思っていたが、三内丸山遺跡あたりには、そのはしりとなる造営物があった可能性は否定できないし、それと大陸からあるいは南方から伝えられた知識と経験とがごちゃまぜになってるかもしれん。 >>76 秦氏が渡来したのは応神天皇の時だから紀元後に制作されたことが確実な七支刀が送られた年代よりも後だよ。 七支刀はその前の神功皇后に送られてるから つまり4世紀 徐福は紀元前2世紀の人物 >>85 「御社(オヤシロ)」あるいは単に「社(ヤシロ)」と言わんか? 銅鏡が日本古来のものでないのだから、それを保管する社殿も銅鏡が伝来したより後に制度化されたものだよ。 『神社の起源と古代朝鮮』(平凡社) ←神社の起源を知りたい方はこれ 神社信仰の成り立ちには、渡来人の痕跡が拭いがたく刻まれている。近江から敦賀、 出雲、三輪、韓国の慶州までを歩きながら、古代朝鮮半島に日本の原始神道の起源 をたずねる。 日本固有のものとされてきた神社信仰だが、その起源においては、新 羅・伽耶を出自とする渡来人の痕跡が拭い難く刻まれている。好評の前著『原始の 神社をもとめて』に続き、日本海沿岸から韓国の慶州へと至る旅路のなかで、原始 神道における始まりの謎に迫る。 日本と古代朝鮮をつなぐ信仰の知られざる系譜。 『伊勢と出雲(韓神(からかみ)と鉄)』(平凡社) ←神社の真実(日本の本当の神)を知りたい方はこれ 古代朝鮮とのかかわりから神社の起源を探り、沖縄、済州島、韓国・慶州を経巡って きた著者が渡来人の足跡=「鉄の道」を辿り直して行き着いたのは、国家神道の中枢 だった。両者とも日本の起源が刻まれた地でありながら別物とされてきた伊勢と出雲 を、「韓神と鉄」をキーワードにつなぎ直す思索の旅の物語。 >>92 言う。 ミヤ、ヤシロ、カミ、漢字や仏教の流入以前から存在する言葉だろうね。 だが「社殿」は仏教の影響下で、「古来の信仰」を発見する過程で作られたものだろうね。 古代朝鮮とのかかわりから神社の起源を探り、沖縄、済州島、韓国・慶州を経巡って きた著者が渡来人の足跡=「鉄の道」を辿り直して行き着いたのは、国家神道の中枢 だった。両者とも日本の起源が刻まれた地でありながら別物とされてきた伊勢と出雲 を、「韓神と鉄」をキーワードにつなぎ直す思索の旅の物語。 https://www.heibonsha.co.jp/book/b239700.html 神社信仰の成り立ちには、渡来人の痕跡が拭いがたく刻まれている。近江から敦賀、 出雲、三輪、韓国の慶州までを歩きながら、古代朝鮮半島に日本の原始神道の起源 をたずねる。 日本固有のものとされてきた神社信仰だが、その起源においては、新 羅・伽耶を出自とする渡来人の痕跡が拭い難く刻まれている。好評の前著『原始の 神社をもとめて』に続き、日本海沿岸から韓国の慶州へと至る旅路のなかで、原始 神道における始まりの謎に迫る。 日本と古代朝鮮をつなぐ信仰の知られざる系譜。 https://www.heibonsha.co.jp/book/b163652.html 国家神道の研究でも知られる歴史学者の故・安丸良夫氏は、著書でこのように書いている。 〈伊勢神宮と皇居の神殿を頂点とするあらたな祭祀体系は、一見すれば祭政一致という古 代的風貌をもっているが、そのじつ、あらたに樹立されるべき近代的国家体制の担い手を 求めて、国民の内面性を国家がからめとり、国家が設定する規範と秩序にむけて人々の内 発性を調達しようとする壮大な企図の一部だった。そして、それは、復古という幻想を伴 っていたとはいえ、民衆の精神生活の実態からみれば、なんらの復古でも伝統的なもので もなく、民衆の精神生活への尊大な無理解のうえに強行された、あらたな宗教体系の強制 であった。〉(『神々の明治維新』岩波新書) 926名無しさん@1周年2020/01/14(火) 12:41:50.48ID:4Ufwtfj+0 >>906 最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見 https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html 同町では、朝鮮半島式の床暖房装置「オンドル」を持つものを含めて約40棟見つかっている。 以上、記事より一部抜粋 もはや、宮内庁は逃げ切れないところまで来ている そもそも「御神体」にも、最近のものっぽい響きがある。 最近のものとは、仏教以降に起源をもつという意味。 《中国と陸続きの悲惨な朝鮮半島の隷属半島としての歴史》 紀元前108年〜220年: 漢(植民地) 221年〜245年 :魏 (植民地) 108年〜313年 : 晋 (植民地) 314年〜676年 : 晋宋梁陳隋唐(属国) 690年〜900年: 渤海(属国) 1126年〜1234年:金(属国) 1259年〜1356年:モンゴル(属国) 1392年〜1637年:明(属国) 1637年〜1897年 :清(属国) 1897年 :日本の尽力で下関条約により清の属国から開放される 1903年 :ロシア朝鮮半島を南下。日本がロシアを撃退しロシアによる属国化を回避 1905年〜1945年 :日本(保護国、併合) 1945年〜1948年 :アメリカ・ソ連(非独立) 1948年:大韓民国成立(アメリカ軍による南部朝鮮統治によって国家基盤が形成され成立) 1948年:朝鮮民主主義人民共和国成立(ソ連軍による北部朝鮮統治によって国家基盤が形成され成立) 1948年:南・軍事独裁政権誕生 1948年:南・済州島4.3事件 3万人虐殺 1950年:朝鮮戦争 400万人殺し合い 1950年:北・ソウル大附属病院事件 1000人虐殺 1950年:南・保導連盟事件 30万人虐殺 1951年:南・国民防衛軍事件 10万人虐殺 1951年:南・居昌事件 8500人虐殺 1952年:南・竹島不法占拠 日本人44人虐殺・4000人を不法拘留 1965年:南・ベトナム出兵 ベトナム人3万6000人虐殺・強姦被害者多数 1970年〜:北・日本人拉致に着手 1979年:南・軍出身の大統領政権誕生 1980年:南・光州事件 600人虐殺 1993年:南・初の文民政権誕生(民主化) 1994年:北・IAEA脱退、核開発に着手 1997年:南・アジア通貨危機・国家財政崩壊 2015年:輸入症例を発端としたMERSの流行 『◆DNA的にも文化風習的にも、朝鮮半島は 縄文人はもちろん弥生人とも殆ど関係がありません』 古墳時代に集団で漂着した百済などから逃亡して来た 半島難民はたくさんいましたが 難民キャンプ集落で隔離生活していたので日本人とは交雑する関係もなく それ以上に列島弥生人は朝鮮人とは何の関係もありません 朝鮮半島人は水稲文化人じゃなくて肉食畑作文化人だからです 弥生人(パッチリ一重) = 列島弥生水稲倭人 ≠ 朝鮮半島人(肉食こうりゃん畑作人) 弥生人の出どころ = 稲作弥生文化人 = 長江流域〜華南〜越人中軸 水稲地帯が中心 💎最新: 現代日本人 (≠韓国人) のまとめ 最先端のゲノム分析 〔日本人のDNAは朝鮮人や中国の東北部人とは異なっており琉球人やアイヌ人のDNAと共通点が多い〕 Y染色体の80種類ほどの遺伝子のうち 日本人は 「D2 (D1b)」 を持っているが Y染色体の中でも 非常に古くからある系統。 日本人のD系統は、ほぼ100%が 「D2 (D1b)」系統。 同じD系統であってもチベットや東南アジア が D1とD3系統。 もちろん同じD系統だから近縁であることは 間違いないが D2 (D1b)系統は世界の中で 日本人にしか存在しない固有の系統。 さらに大きな意味な持つのが、 日本の隣の 【韓国にはY染色体D系統が存在しないこと】。 この系統を持っているのは世界的にも珍しく 【圧倒的に日本人に多く存在し韓国人には先ず 見られない】。 核DNAというのパターンを網羅的に解析した 結果、【日本人は韓国人と大きく異なる】ことが 判明した。その【「D2 (D1b)」をいちばん多量に 持っているのがアイヌ人と沖縄人である】。 [現代の科学がアイヌ人と沖縄人が日本人の源流であると証明してしまったのである。] DNAでわかった東アジア人は大きく分けて 「4集団」ある。 ・東南アジア集団 ・中国集団 (北京、ソウル(韓国)を含む) ・モンゴル集団 ・日本列島集団(ヤマト人、オキナワ人、アイヌ人) 現代の科学がアイヌ人 と 沖縄人が日本人の源流であると、 証明してしまったのである。 DNAでわかった東アジア人は大きく分けて 「4集団」 ある。 ・東南アジア集団 ・中国集団 (北京、ソウル(韓国)を含む) ・モンゴル集団 ・日本列島集団 (ヤマト人、オキナワ人、アイヌ人) であり、4つの集団は各々DNA上離れて存在する。 【ソウル(韓国人)は中国集団に分類され】、DNA上、 華北人と韓国人とはそれほどの違いはなく、 【韓国人は日本人よりも中国東北部の人間に近い】。 またこのD系統は、アジア人種のみならず地中海 沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間であり、 Y遺伝子の中でも非常に古い系統である。 東アジアの地域全体には南方系O系統が広く分布し、 島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと 考えられる。 D2 (D1b)系統は 【アイヌ人88%】、 【沖縄人56%】、【本土日本42〜56%】 チベット33%で、【韓国ほぼ0〜3%】 である。 アイヌには南方系O系統は殆んど無い完全なD系統 であり、 本土日本人と沖縄人には 南方系のOが混ざり、 つまり事実上アイヌと本土日本人は大差がなく、 アイヌに南方系を足したのが本土日本人となる。 つまり【 日本国は民族として非常に安定したまとまり を持った国家 】 である。 >>104 朝鮮半島からの移民は、弥生期のはじまりから現在に至るまで、途切れることなく続いている。 日本列島の文化形成における半島の影響は大。 ここを否定するのなら、事実の探求ではなく、信仰の表明になる。 >>107 未だに文化のない所からはろくなものが流れてこない。 >>19 >>42 朝鮮半島では北が男で兄、南は女で妹 韓国が兄なんてえりえないんだよアホ そして朝鮮北部の者はこう言う「南の奴ら(韓国)はパンチョッパリ」と パンチョソンではなく、パンチョッパリと 朝鮮人曰く「倭寇秀吉日帝に犯されて産まれたのが韓国」なんだそうだ よくわかったかボンクラどアホ >>61 社殿は古代イスラエル由来。古い神道は縄文時代から存在していた自然崇拝と祖先崇拝のアニミズム。 彫りの深い日本人はY染色体ハプログループD系統の縄文系。 水稲弥生人と分析されるO1b2 O-47zは 韓国にほとんどいない。 だからこのO1b2 O-47zは徐福の故郷に 近い長江流域の江南から日本へ直接来た 可能性が高い。 江南からはもう一つのタイプxO-47zがいて、日本人の8% 韓国人の33%だから、この集団は韓国南部を経由して来た。 O1b2 O-47zは稲作に長じた倭人といってよく、韓国には 少ないが韓国人学者でも倭人と分類するものもいる。 考古学的に半島南部は倭系遺物が大量に出土し、その倭系遺物の 翡翠が埋め込まれた王冠の種類など、三韓内の階級にまで影響を 与えているのが解るからである。 朝鮮半島の中で唯一洛東江下流域は日本の平野部と似た環境で寒冷化が すすむ前は北九州や出雲方面からの列島弥生人の移植者が少なからずいた時代が あったと考えられている。 稲作弥生人と朝鮮半島はほぼほぼ関係がない。 そもそも朝鮮半島で水稲に適した土地が南端部以外ほとんどない。 >>110 金属の精錬技術、氏族制、漢字、仏教、これらがろくでもないと思うなら、そうなのだろう。 在日韓国人にはD1bが見つからない そろそろ在日韓国朝鮮人は大噓はやめないと 30年前のホルホル時代じゃないんだから 日本書紀では「百済」はわざわざ「扶余」と 書かれている 百済人は倭国の日本人とは違う異人種、という意味 百済など朝鮮半島のツングース系穢族や同族の扶余族は 動物肉食で冬には豚の脂をこってり身体中に塗る大陸東北部の 生活習慣 稲作メインの弥生人である時代からその後大陸思想の影響を受け 律令時代の倭国人、つまり日本人は根底は縄文文化と水稲文化の融合民族 水田文化のない半島民族と遺伝的にも文化基本風習的にも日本人とかなり離れた民族なわけで 畑作も日本のような根菜類はなく雑穀類だけ 食習からして根本から違う 初期天皇の都や皇后の関係性などを見ると、邪馬台国や初期の大和朝廷が大和の土着豪族と融合して成長していく過程を読みとれる 当然、系譜などが全て真実と言うつもりはないが、そこには邪馬台国、もしくは初期大和朝廷の姿を見る手掛かりがある 特に初期の都がある磯城郡は唐古鍵遺跡などがあり、 立ち上げ当時の邪馬台国や大和朝廷がその勢力を牽制したり結合して発展していったとみる事も出来るだろう 欠史八代=嘘だから最初から否定する、という姿勢を見せる人が多いがそれは大切な情報を見落とす危険があると思う 別に古来のものである必要なくね? 日本の神社仏閣くらいユルユルな文化ないだろ 神社の神様の敷地内にお寺があったり 鬼子母神祀ってる神社の境内に猿の神様が同時に祀ってるあって、さらに入口と出口にお稲荷さん居るとことかある マンションかよ このスレのところどころで朝鮮学校では可笑しい在日妄想を教えるのかと ちょっと心配になりましたのでふれておきますね 藤原氏のことを百済の王子という人がいますが 皇室の日向時代からの五伴緒神族です 蘇我は河内の石川出身出身で葛城と奈良の曽我川流域の2カ所に本拠(常識です) 在地豪族の平群なども孝元天皇の孫の武内宿禰の後裔氏族 継体天皇は応神天皇5世孫 (南九州出身の皇室の血を引く手白香皇后の一族ともともと姻族にあたる若狭や北陸一帯に進出していた海人) すべて縄文や水稲系弥生との融合した列島の最古株の在地豪族たちです 当時は葛城氏や巨勢氏など縄文倭系の古豪族ごとの私有民であった半島難民にもオンドルつきの住居を提供してあげていましたよ >>117 そう思う。 古来のものの価値、独自文化の価値ってなんだろうと思う。 長年にわたり外来のありがたきものをごった煮にしてきたからこそ、いとおかし。 【歴史】 『新羅から連れ帰った捕虜が葛城地域の渡来人の祖先に』 朝鮮半島からの渡来人の存在示す遺構、 奈良・御所の南郷 柳原遺跡 ヤマト王権を支えた中央豪族として名を残す葛城氏。5世紀ごろ の王権のあり方を考える上で非常に重要な存在だ。 日本書紀は、その祖とされる葛城襲津彦(そつひこ)について 朝鮮半島との関わりが深い人物として描いている。 神功皇后5年、襲津彦は朝鮮半島への一時帰国を望む新羅の 人質を引率したが、対馬でだまされ、逃がしてしまった。襲津彦 は怒って新羅の城を落とし、連れ帰った捕虜が葛城地域の渡来 人の祖先になった--。書紀はこう説明する。 葛城氏の本拠と考えられているのが、棚田が広がる金剛山 のふもと、御所市にある南郷遺跡群(東西1・4キロ、南北1・7キロ)だ。 居館跡とみられる5世紀後半の石垣などが1989年に見つかった 名柄遺跡の南方に当たる。 神社創建の仕事をしてるから気になってスレを覗いてるけどあなた達は何の問題意識でココを見てるの? チョン半島に 今住んでる連中と 昔住んでた連中は 別の種族 チョンは高麗人を詐るエベンキ・ワイ族なんだわw 昔のことを語っててもそれは今のチョンとは無関係w それどころかそいつらを虐殺して名前と歴史を奪ったんだわw >>60 地上最強の戦闘民族がなんで周辺諸民族の奴隷、もしくは妾稼業なんだよボンクラすぎるやろアホ 本名で呼びかけたら泣きべそかくお前が何イキってんのよ 神社は社殿ではなくて、ご神体が本体だから、拝殿や本殿がしょぼいからと言って、軽く扱うのもどうかと思うよ。 https://sueyasumas.exblog.jp/23490705/ 列島から朝鮮半島に派遣された豪族は百済や 新羅の王族の娘をメカケとして子を儲け 豪族たちは百済人や新羅人の血が混じった子を 倭人とは認めなかったのか、扱いは一段も2段も下 百済も新羅も国王の息子が日本で何10年も人質の 隷属奉公の新羅の王族は馬の世話の馬飼い 現地では倭人の高貴な血統を持つものとして 崇められた面もある だから瓢の古話も残る 縄文・弥生倭人系の日本列島の古族を血を崇敬しているのだという話だな まあ、学校で教わったことを信じてるのかね。 ほんと、冗談がきつい。 >>91 記紀は8世紀に創られたものだから4世紀の事とか当てにならないよ 水田稲作の開始が紀元前10世紀頃 金属器の使用開始が紀元前5世紀頃 文字の使用開始が紀元前後 邪馬台国の時代が3世紀 鉄器の国産化が5世紀頃 ヤマト王権の成立が8世紀初頭 欠史八代は5世紀以後ですね。 >>123 仏教文化流入以前の神社建築を想像したい それが無理でも、有史以降の神社建築の発達を学びたい 大陸や半島、あるいは東南アジアからの影響についても知りたい >>99 戦後GHQの奨励した自由主義・民主主義信仰や 日教組の平等信仰、平和憲法信仰に比べれば 帝国主義時代に国を維持するための現実的方策だったと思う >>100 温突は中国由来ね 高句麗地域にも広まったが、そもそも高句麗は中国の一部だから ■2012/10/29 アメリカ議会がコリアが歴史的にチャイナの一部であることを確定 アメリカ連邦議会調査局(CRS) 「高句麗や渤海などコリアの古代地域は唐の中央政権に属する地方政府で、チャイナの一部」であると確認 東南アジア諸国の民家を見ると神社の社殿とよく似た高床式住居の建築様式を持っている。 神社の社殿は南方系に起源があり、稲作と共に弥生〜古墳時代に伝来したものだろう。 神社の最初は飛鳥時代の飛鳥神社だろ。 いきなり、五重塔とか、建てちゃったんだろ。 法隆寺もだけど。 中東の文様が入ってる。 それ以前は古墳時代でピラミッドに等しい土木。 技術を見せつける気持ちが満々だよな。 つまり、いずれも高度な数学だよ。 イスラエル人がいつ、来たのかは不明だけど、明らかに中東やギリシャの数学だろうよ。 >>113 韓国のo1b2 L682の親はプロは」日本人からはっけんされてるんだが 徳島にだけある延喜式に記載されたイザナミ神社 http://www.city.mima.lg.jp/kankou/kankouannai/miru/0017.html イザナミを主祭神にする神社は他にもあるが、社名がイザナミ神社なのは、式内社ではここだけ。 朝鮮半島に肉食があるのは、モンゴル帝国に 占領されたから >>129 はあ 外国の文献に七支刀を日本に送ったと書かれてんだよ。4世紀の近尚古王が送ったと 記紀の年代じゃないよ エベンキがシベリアの「悪魔の洞穴」から這い出し、 北方の土地ででワイ族や満州族、モンゴル人、他の雑多な土人 と混血を繰り返した。 その結果エベンキは新たに凶暴性を高め、朝鮮半島になだれ込み 侵略した。 海からも陸からも交易活動に長けていた縄文倭人は、飛び地遺留地 としての洛東江下流域を手放し、弁韓時代には植民は進んでいたが 危険時には丸木舟で自由に列島に帰還した。 これを繰り消したので、日本海地方や対馬でさえ半島文化が習俗として 残っていない理由である 逆に半島南部には倭系遺物が量的に多く出る しかし遺跡を残すほどは、居着かない 日本の気候や肥沃な土地に慣れてしまうと半島南部でも 住みたいと思える土地が限られていたからであるが 扶余系の民族との異文化交流が、日本の縄文と江南系弥生 ほどは進まなかったからである つまり古代から扶余系の文化と日本の縄文弥生文化には 近縁性は薄い 必然的に朝鮮半島を諸蕃と異族扱いし国扱いすらしなかった 理由である 知識はないが普通は「知らんけど中国じゃね?」って思うんじゃない? 日本古来とか考え及ばないよな。 >>1 ベースは間違いなく日本の自然信仰なんだろうけど 神道を体系化したのは古代ユダヤ教の可能性が極めて大 >>142 神道の体系化って仏教伝来以降の話じゃないの? 朱色の鳥居とか中国っぽいよね? 鳥居って中国から来たんじゃないの? >>1 この前仕事で福岡県朝倉に行った時「日本最古の神社 おおなむち神社」って看板があったよ でも初めて聞く名前で有名でもなさそうだし小さいし覗いたら中国っぽい原色がいっぱい見えたからあんまり長居しなかったけど カルトなの? >>134 英米は、日本、ロシア、中国を順に潰す戦略 ・日本 徳川幕府、大日本帝国 ・ロシア ロシア帝国、ソ連 ・中国 清国、共産中国(今、ここを潰すところ) >>130 俺が創建に関わってる既存の神社は鳥居が日本で唯一鬼門に向いているのだけどどこだか分かる? ♠ 瞬殺される在日韓国人の無知を超えたデタラメ願望妄想病w 895不要不急の名無しさん2020/05/15(金) 16:25:43.83ID:Dmq5xezh0 東アジアのシャーマニズムは突き詰めればエベンキなどの北方系民族の風習に たどり着く、縄文人は自然信仰で巫女などはいなかったが弥生時代になって ♠ 在日韓国人の無知を超えたデタラメ願望妄想病を優しく瞬殺する日本人 913不要不急の名無しさん2020/05/15(金) 16:41:46.27ID:bElnibUG0 >>895 >東アジアのシャーマニズムは突き詰めれば >エベンキなどの北方系民族の風習にたどり着く 在日韓国人さん 民族病いでしょうけどもうウソはやめて下さいよ 逆の南方系のシャーマニズムに辿り着きます それに縄文時代は母性、女性格の神の強い時代です ですから日本は地母神であり蛇神なのですよ 永遠に植物や作物の命を生み出す女性の胎のような大地 永遠に再生を繰り返す蛇 これが縄文のプロトタイプですから 北方系民族が渡来してからシャーマニズムが広まった、その代表が卑弥呼だな。 卑弥呼は朝鮮半島北部から北部九州に渡来した北方系民族だったと言う事だ。 ●このスレの噓が平気な在日チョン人のデタラメが 多数の日本人によって矯正された過去の例 初代の神武は、九州で水田すら所有しておらず [大嘘デタラメの噓松チョン]、 豊かだという東への旅を決心する。 苦労の末、大和にたどり着いて、土地の有力者の娘に婿入りする冒険譚で、とてもおもしろい。 神代の高天原の物語にも、やってきた元の「場所」を示唆する要素はなく、 日本列島をつくったはなし。 [不必要に示唆のような言葉を織り交ぜる在日韓国人が恒例の安定のウソ松デタラメを吹くw] 771名無しさん@1周年2019/03/07(木) 20:58:20.62ID:QxARAx3e0 >>762 アマテラスが高天原で稲造っててそれをスサノオが荒らしたんだよ それで出雲に追放されたんだよ 774名無しさん@1周年2019/03/07(木) 21:00:04.00ID:QxARAx3e0 >>771 その時アマテラスは絹織物をしてたんだよ。 777名無しさん@1周年2019/03/07(木) 21:02:03.64ID:nainNKQ00 >>762 高天原では織物機を稚ヒルメたちが自在に扱い 用水路の完備された水田が経営されていて しかもスサノヲのいた地点より相当に高い地点に あるのにもかかわらず、祭祀湯庭の傍で水耕 れているので棚田と考えられる。 現在の宮城内はこれに似せて運営されている 側面がある。 最低限は、この条件が高天原。 山の中腹以上の海抜の地点で棚田確保と 湯庭があり神御衣が織られている場所。 霧島の高千穂峰や椎葉や上野原縄文遺跡などの 九州南部は絶好の土地。 >>42 ,49,60 これが現実 ●2012/10/29 アメリカ議会がコリアが歴史的にチャイナの一部であることを確定 アメリカ連邦議会調査局(CRS) 「高句麗や渤海などコリアの古代地域は唐の中央政権に属する地方政府で、チャイナの一部」 ●2017/04/20 米中首脳会談で再確認 習近平→トランプ『Korea actually used to be a part of China」 (コリアは中国の一部だった) トランプはこのことについて「中国は、このコリアとは半島全域のことを指すと言っている(北朝鮮のことだけを言っているのではない)」 アメリカ側はこのことについて特に批判や反論 などはしていない なぜなら、このことは世界の常識であるからだ 大韓なんて幻想なんだよボンクラくん ●このスレの噓が平気な在日チョン人のデタラメが 多数の日本人によって矯正された過去の例 初代の神武は、九州で水田すら所有しておらず [大嘘デタラメの噓松チョン]、 豊かだという東への旅を決心する。 苦労の末、大和にたどり着いて、土地の有力者の娘に婿入りする冒険譚で、とてもおもしろい。 神代の高天原の物語にも、やってきた元の「場所」を示唆する要素はなく、 日本列島をつくったはなし。 [不必要に示唆のような言葉を織り交ぜる在日韓国人が恒例の安定のウソ松デタラメを吹くw] 771名無しさん@1周年2019/03/07(木) 20:58:20.62ID:QxARAx3e0 >>762 アマテラスが高天原で稲造っててそれをスサノオが荒らしたんだよ それで出雲に追放されたんだよ 771名無しさん@1周年2019/03/07(木) 20:58:20.62ID:QxARAx3e0 >>762 アマテラスが高天原で稲造っててそれをスサノオが荒らしたんだよ それで出雲に追放されたんだよ 774名無しさん@1周年2019/03/07(木) 21:00:04.00ID:QxARAx3e0 >>771 その時アマテラスは絹織物をしてたんだよ。 777名無しさん@1周年2019/03/07(木) 21:02:03.64ID:nainNKQ00 >>762 高天原では織物機を稚ヒルメたちが自在に扱い 用水路の完備された水田が経営されていて しかもスサノヲのいた地点より相当に高い地点に あるのにもかかわらず、祭祀湯庭の傍で水耕 れているので棚田と考えられる。 現在の宮城内はこれに似せて運営されている 側面がある。 最低限は、この条件が高天原。 山の中腹以上の海抜の地点で棚田確保と 湯庭があり神御衣が織られている場所。 霧島の高千穂峰や椎葉や上野原縄文遺跡などの 九州南部は絶好の土地。 ●学術的に議論を進める日本人 779名無しさん@1周年2019/03/07(木) 21:06:06.90ID:QxARAx3e0 >>777 それと高天原には赤土が取れて鹿がいて杉と榊が生えており、みかんが植えてある香具山が無いといけない。 786名無しさん@1周年2019/03/07(木) 21:12:01.52ID:QxARAx3e0 >>779 俺はこの条件に合うような山を探している。 789名無しさん@1周年2019/03/07(木) 21:14:38.07ID:nainNKQ00 >>779 香具山にはみかんはない。 アメ糠手の鋳造の材料があればいい。 橘の話は崇神・垂仁帝の田道間守の時代に 持ち帰ってからの話。 縄文後期からどんどん進んでいる寒冷化の気象環境で BC300年〜AD50年くらいに水稲を山の中腹で行い かつ、複雑な織物機を持っていて機織りをしている環境。 796名無しさん@1周年2019/03/07(木) 21:18:05.91ID:nainNKQ00 >>779 もう少し正確に言えば、埴土の活躍は 大国主尊のもてなしと、神武東征祭祀と 崇神帝時代の反乱時の崇神帝の大叔母 の指摘時の話。 ●学術的に議論を進める日本人たち 810名無しさん@1周年 2019/03/07(木) 21:39:53.83ID:MxH05BXT0 >>699 道教およびその周辺の宗教文化、 あとは今に通じる稲作文化のパッケージのかなりの部分は、 中国揚子江流域から西日本へ直接渡来やぞ。 西日本の伝統文化は、中華南北朝時代の揚子江流域の文化(六朝文化)の影響が強い。 必ずしも少数民族ガーとは言ってない。それもあるけど、やや南寄りの漢民族の文化そのものの輸入も多い。 これは気候がそっくりだからで、当然の話。 今につながる歳時記はほぼ準拠してるし、 神道とされる宗教文化のかなりの部分も江南系の道教のエッセンスが入ってる。 極寒乾燥の半島は気候が違いすぎてな。移植しようにも移植できんのですわ。 811名無しさん@1周年2019/03/07(木) 21:41:39.40ID:nainNKQ00 記紀編纂時には時代遅れ的とも考えられたであろう 古代のことが様々に書き記されている。 釉薬須恵器の時代に素焼きの赤土、埴土関係の 記述ももそうだが、崇神帝時の武埴安彦 の反乱時も、その赤土の決定的重要性を指摘する のは崇神帝の大叔母。 記紀伝承上の、箸墓古墳の被葬主。 その被葬主の近似の特徴を持つと考えられる南西 から琉球にかけての女性巫女は赤土成分の入った 水を儀式で飲む。 ●目には目を、在日韓国人には在日韓国人的に 350名無しさん@1周年2019/04/06(土) 05:36:55.17ID:buhDuSAP0 大陸由来ってなんだよ 卑弥呼もスサノオもほぼ朝鮮人だと確定している 日本人は朝鮮人 ごまかすなよジャップ おまえらは朝鮮人なんだよ 朝鮮人説を覆すために縄文人との混血を主張か? 雑魚が ジャップはマジで雑魚 おまえらは朝鮮半島という神の国から流刑になった罪人の末裔だろ アホが ちゃんと歴史を勉強しろタコ 361名無しさん@1周年2019/04/06(土) 05:44:07.60ID:a5ldrMb/0 >>350 朝鮮半島からの流刑はお前の故郷の済州島だろw ホントに惨めな無知チョンw もともとメソポタミアの宗教が日本に伝わって真似したのが神社のはじまり ただし、神社も仏教・寺・朱子学なんかの影響をかなり受けて変質した 山の禁足地の前にあるとか、ほら貝吹いてる、みたいな古式神社はあまり残ってない ●科学業績や記紀神話などを手掛かりに議論を進める日本人たち 681名無しさん@1周年2019/04/28(日) 06:51:05.40 ID:3oBm95kG0 >>676 『スサノオは髭を抜いて放つとその髭が杉の木になり 胸毛を抜いて放つと檜に、尻毛は槙に、眉毛は樟となった。 これらの樹木を見て、杉と樟は、船を造るのに良し、檜は宮殿 の材料に』 スサノヲは、縄文系日本人として描かれているが、神話上は 朝鮮半島 に渡ったがそこがスサノオの好みに合わず、列島 に帰って来たと記される。 日本の緑の豊かさと朝鮮半島に森林の欠乏が描かれており、 青谷上寺地のDNA解析結果は、そういう際の半島女性の出雲 への持ち帰りの状況をあらわしているのであろう。 925不要不急の名無しさん2020/05/15(金) 16:47:11.90ID:gjYn1GBp0 682名無しさん@1周年 2019/04/28(日) 06:52:44.88ID:8xrkHv2m0 そういや、ヒノキは、日本と台湾にしか分布しない 683名無しさん@1周年 2019/04/28(日) 06:55:01.22ID:8xrkHv2m0 スギも、日本固有種 ウンコ半島には、朝鮮総督府が勝手に植えたニダ 696名無しさん@1周年2019/04/28(日) 07:24:07.56ID:V73LBiEW0>>698 在日韓国朝鮮人の頭の中は デタラメでも大嘘でも妄想でも何でもいいから 自分たちに都合のいいことを広めてしまえば 勝ちだと思ってるキチガイだから だからいつまで経ってもノーベル賞が取れないんだけどね 698名無しさん@1周年 2019/04/28(日) 07:26:12.84 ID:Tkow/OiG0 >>696 そんな奴の笑顔にコロッと騙されて無料で液晶技術を伝授したバカもいた >>42 ,49,60 日韓併合以前、日本人が指導教育する前の朝鮮半島の農業 ↓ 地面に…実・種をばら撒く…あとは自然任せ… ↑ ・耕すとか開墾するとか、そういうことはしない。そういう発想がない。 ・種の選別や品種改良などはしない。そういう発想が無い。 ・朝鮮の米は日本人には不良米でしかなかったので、ジャポニカ米を広めてあげた。 ・虫取りや雑草取りなども特にはしない。そういう発想が無い。 ・水は雨待ち…水を引くという発想が無いので用水路など当然なく、 雨が降らないときは川から水を運んで来る 奴隷の様なみすぼらしい男達が、只々トボトボと水を汲みに行き、トボトボと戻ってきて水を撒く 只々それの繰り返し 漢人が朝鮮半島に農業を持ってきたが、その後に流入した女真族が半島の農業を駄目にした 今の朝鮮韓国とはその女真族なんだよ 中国の門とか建築物みると太い丸太の柱が朱色じゃん。 中国だよ、中国。 (アバウトな感覚) >>146 オオナモチ、オオナムチは大きな名(土地)を持った人、 ムチで読むなら貴人 つまり、大きな土地(国土)を持った貴人 ナという古語は現代まで続いていて名寄帳(土地寄せ帳面)などが残っていて イザナミの別名の道敷大神は黄泉比良坂でイザナギに追いついたという意味 >>145 >>165 > 朱色の鳥居とか中国っぽいよね? > 鳥居って中国から来たんじゃないの? 鳥居にそっくりな門は東南アジアとかにちらほら存在する ちなみに古代ユダヤ教に魔除けとして門に動物の血を真っ赤に塗りたくる風習がある 加えてヘブライ語で「門」のことを「トリイ」と呼ぶ >>166 ありがとう ちゃんとした神社なのですね 今度行った時は参拝してみます 日本最古とか大きく書かれてるから幣立神社みたいなのを想像してしまいました >>169 勉強不足ですみません ありがとうございました! >>129 大和王権の成立は流石にもっと早い 九州から関東まで鉄剣に銘のあるワカタケル大王(雄略天皇)が五世紀 >>78 朱子学って神道と正反対じゃん 逆に挑戦半島は朱子学だったから神道的なものが残らなかったのでは? >>11 日本特有っぽい食品(餅、蒟蒻、豆腐、納豆、味噌、醤油)は だいたいそのへんが起源なんだよな でもゴボウだけは日本オリジナル あとこのへんには海産物の文化が無い 誰が何のために作ったか? 日本で日本人が氏神や地神の為に作ったんだろ? 記紀の700年以降ってのは、日本古来だろ? 記紀神で万世一統にした天皇に氏姓を貰って、始祖神を祀ったんだよ。 倭の五王の応神〜雄略朝や、曽我系、推古朝〜継体天皇までは一統とは言えない。 記紀神話以前の火山神や地神に 社が必要だった可能性は無い。 仏教の伝来、国分寺政策で 地域神を祀る寺社の必然性が普及したんだろ? 仏教寺院は当然、地域の氏神地神を持った豪族王が設置する。 神仏分離は、日本の信仰史上、最悪の施政であった。 日本人の信仰の本質は、神仏統合が無ければ復興しない。 >>134 敗戦は別に理念信仰で負けたんじゃなく 武力と戦術で負けたの 朱ってなんだっけ? 水銀の化合物? どっから来たんだろ? 中国? 神社で御朱印とかあるじゃん。 印鑑の朱肉とか。 金印とか。 ぐぐったら印鑑は中国発祥じゃん。 みんなアバウトに中国でいいよ。 >>172 ヤマトって朝鮮から逃れてきた奴隷階級ってマジ? 朝鮮では奴隷なのにあっさり日本を支配して現在に至るw 日本人さいよわw >>175 その後神道が中央集権国家の政治性と結び付いたのも最悪の最悪 一神教の劣化コピーにしてしまった 現代でも後遺症がまだ抜けてない >>178 いや、当時の日本の属国が朝鮮だよ 記紀に書いてある >>177 辰砂を使った朱色の土器は縄文時代からある 実は日本古来の色 道教は神道にに似てるし ラトビア神道ていうのもあるしな 2000年も辿れば元は同じかもしれない 東洋の果てにだけ残ったという >>178 古代〜中世〜近代と、その日本に侵略され奴隷にされたと泣きわめいてるのが奴隷チョソンなんだが頭ダイジョウブか?カスどアホ おまエラー情けなくて本名隠して、顔チョンバレしないようにうつむいて歩いてないで古里のシベリアに早よ帰れよ だから何? 現在が重要でしょう 百済朝鮮から日本へ人質の朝鮮王子を送ってきたことなんて 朝鮮人は知らなかったんでしょうね 日本が統治していたからですよ 仏教というのは、中国とは関係ない。 インドの仏教が、中国で日本人の為の漢字に翻訳された。 中国人は既に漢字を知らない。 空海は中国が失った仏教信仰、密教の正統な後継者である。 記紀以前の古来の神社が有るなら700年に作った 記紀神を差し置いて存続可能な理由は、国家を統一している権力が、 記紀成立の700年迄無かったという事である。 >>158 神功皇后の時に葛城熊熊津彦が百済に使いに行ったことは外国の文献にもでてるだろ >>175 >記紀神話以前の火山神や地神に >社が必要だった可能性は無い。 鳥海山の大物忌の祖型の神はおそらく縄文時代からでしょう 国底立や国床立も同様です おそらく少し興味をもった時点で日本人ならみんな知っています 阿蘇の健磐龍もそうです 人格神のよう認識されると彦や姫がつきます 風の宮として神宮で祀られる級長津もそうです 日本の特徴は旧石器から縄文的な原初の人間が認識した 自然現象を神として祀っているところでそれが多彩なのです 縄文的な水の神などは10種類を超えます 意外にミズチは縄文よりは弥生以降かもしれません 天候降雨神のナーガ軸からの水分(ミクマリ)もそうです 水分神社のある地帯は、必ず豪雨による洪水のある地域です これらは日本の学校では高校生であっても地理で習うことは 思いますよ >>1-999 30万を渡す予定だった世帯に追加20万を渡すのは当然。 「必要だ」と認め閣議決定したわけだからな!! 新型コロナ恐ろしい夏以降】スペイン風邪と同じ猛毒化した第2波が https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1588911360/l50 食材を買わねば生きてけないし、 働かねば生きてけないし、 自粛なんて土台ムリ。 普通に出歩き、暮らすしか… だが、 サイレントキャリアが触って商品を汚染! 発熱の無い、咳の無い感染者! 健康な人と区別できないサイレントキャリア! 医療崩壊で治療は受けられない。 日本列島は「 医者が1人も居ない原始時代 」と同じ! ではどう自分の命を守るのか? 感染者の少ない地方へ逃げるしか道はない。 感染者の少ない地方へ脱出だ! m9(・∀・) ビシッ !! 今こそ野外で行動する時だ!! 移動後の環境は確実に移動前より改善するから。 個人には国家が滅びても生き抜く権利が有る。 https://2ch.review/cache/view/tcg/1587810228/196n-196 震災の時「対応が遅い!」って叩いたが 今の安倍政権と比べれば【爆速】だった民主政権 仏閣はアフガニスタンから日本に来た 中国とかなんの関係もない 在日コリアンは判り易いって 本当に判り易い 日本人の場合は無知を自覚しつつ他人に押し付けるってことは誰もしない >>190 般若心経が中国経由で伝わってるのは明らかだから 中国人「歴史は政治プロパガンダ」 韓国人「歴史はホルホルファンタジー」 >>187 百済記は日本書紀で引用されているだけで 本編は存在しない アレキサンダー大王、ヘレニズム文化、仏像でぐぐると良いよ >>21 その当時の朝鮮人と現代朝鮮人とは人種が違いますよ 出雲大社などの馬鹿でかい木造建築が神社の起源じゃないかなあ? 神社は基本的に木造建築だから、石造りの建築物と違って、後に遺跡が 残りにくいからねえw 神社の起源は神籬らしいけど社殿の起源になると難しいな 出雲大社の社殿は大昔は高層建築だったとか 建物を建てるようになった頃には神社的なものは作っただろう だから実質建物の起源だな >>175 仏教がお寺という形式を日本に持ってきたので、 対抗上、神社という形式が発達した、というのが定説では。 元々建物なんかいらないんだから、本来の信仰では。 だって御神体は自然界にある、山であったり岩であったり巨木であったりだもの。 縄文時代弥生時代古墳時代のいずれかに神社は出現したのか、これも 現在までのところ、想像するしかない問題であるねw >>197 日本に伝わった般若心経は中国の僧侶玄奘(三蔵法師)がサンスクリット語の原本を漢文に訳したものだぞ 弥生時代にはすでに高床式倉庫という立派な木造建築が存在していたわけで あれを単純に巨大化すれば、出雲大社ができあがるわけであるねw >>205 古代の材木運搬の様子が祭りになって残ってるらしいな 今となっては、何で木を運んでるのか分からないらしいがw >>205 諏訪神社の御神体「モリヤ山」もヘブライ語だと意味が分かるらしい まあ生産力が権力によって統御され集中的計画的に運用されるようになると そのような権力のシンボルとしての巨大建築物というものが生まれるわけで 巨大神社や巨大古墳というのは、そのような古代的権力のシンボルであるといえようw >>206 対抗上というより仏教伝来当時は神も仏も特に区別してなかったんじゃない? 明治政府が「神と仏は別もんだ!」と言うまでは 「なんか違うんじゃね?」とか「いやいや同じだよ」とかもやもやした状態で いろんな解釈がされてたんだよ。 >>217 流造や春日大社は奈良平安時代にまでその起源はさかのぼるそうであるが 出雲大社よりは新しいわけだから、流造りや春日大社が神社建築の起源とは いえないのではないか?w >>216 聖書はそんなに古くないよ 縄文と比べたら縄文の方が古い >>194 中国南部からは余一族もそうですが古代から現代までたくさんが別の地に移動してます その大半が舟でで移動した先祖の説話を持っています 大陸の政争から逃れるために小琉球方面にもにもかなり前の時代からわたっていますが みんな海や川に強い民族です 江南水稲文明時代の古族はすでにほとんどがいなくなっていますよ 馬鹿でかい木造建築物をつくるためには、とても太くて良い木材が 必要なわけだが、古代日本はそのような良い木材が沢山あったので ギリシャ・ローマのような石の建築は発達しなかったようであるねw 古代における神社建築の流れを知るためには、まず当時における木材の 加工流通について知らねばならないのかもしれないが、あいにく当方は無学だから そちらの知識はまるでないねw >>225 秀吉とも朝鮮とも全然関係ない話してんだから、そのツッコミはまるで意味不明w 日本ではどこでも見られる蓮田 琉球や華南や台湾や東南アジアでふつうの水田利用 こういう水田耕作が全くこの種類の農耕の痕跡がない朝鮮半島 tps://www.youtube.com/watch?v=lwilSDm1Clo >>212 > 諏訪神社の御神体「モリヤ山」もヘブライ語だと意味が分かるらしい スメラミコト ハッケヨイノコッタ ヤッホー ワッショイ 日本語や中国語では説明が付かないこれらの言葉も ヘブライ語で読めばすんなり意味が通る >>229 >>232 朝鮮半島は中国東北部と同じ類の畑作と肉食の穢貊とかの東夷 これがまた畑作農耕で貊喰いの夫余しかいないから水田利用どころかまともな水稲耕作なんて元からないわ 竪穴式住居に柱が付いて高床式になった様式が そのまま神社じゃないか? 朝鮮韓国系の民族学校の教科書オモシロ過ぎ 225不要不急の名無しさん2020/05/15(金) 23:29:44.82ID:YZMxUYuN0>>226 >>224 秀吉日帝が技術全部奪っていったよ ただ知ってる単語を並べるだけのクラスターbakaチョンw コロナ自粛期間も安定のバカさ全開のクラスターbakaチョン (≧▽≦)/キャハハッァ♪ >>198 同じです。当時の新羅王は金氏、今の朝鮮人も金氏です。 >>198 >>237 そうだね 当時も今も最後のモンゴルの蹂躙によって起こった遺伝子の構成比は 違ってくるけどツングースのエベンキ系の扶余の穢族がベースで その上にモンゴルが重なった混血 >>200 出雲族は新羅系 その新羅の始祖であるヒョッコセの廟が神宮の起源と言われている 謎は伊勢の韓神社 大正時代の河川工事でどさくさ紛れに取り壊されたw 伊勢神宮の祭神の社を取り壊すってすごいよね >>239 灌漑飯盒水産ダムも朝鮮からの渡来人由来の技術 >>238 韓国人のYdnaハプロタイプの70%はOタイプ。 C2はわずか13%だけ。 日本人のYDNAハプロタイプもまた51%以上はOタイプ >>240 全部朝鮮からの技術だよ それまでは顔に入れ墨入れてイノシシになってたんだから 青銅器や鉄器をはじめ、ありとあらゆる技術をもたらしたのが朝鮮人 まあ、製鉄技術はヒッタイトのものだから、もろもろの技術があの辺りから来たという説はもちろん否定はしない ただ、我々は朝鮮人だよ これは断言できる 朝鮮人なのだよ 記紀にも半島についての説話は割とあるねw しかも新羅についての説話が多い気がするねw アメノヒボコとアカルヒメとか… 偉大なる古代大韓民族が日本人を教化指導したと言えよう >>239 うーん、日本の神社の構造は高床式を基本としてるんじゃないか、稲作の米倉との関連が深そう 中国南西部や東南アジア・インドネシアに見られる建築様式との共通項が多いと見られるよ 新羅の廟なるものを調べてみたが、中国北部式で石造りの基礎に柱を建てるのは、神社となにか違う https://www.pusannavi.com/miru/1098/ 古代韓民族が偉大な存在だったかどうかはわからないが、大陸や半島から新文明がきて、日本に大きな影響を与えた一時期が古代にあったのは歴史事実であろうねw >>246 素晴らしいリンクをありがとう 我々日本人のルーツを説明する素晴らしいサイトだね 鳥居=円盤の停車場、用意された女児達Wの宇宙旅行〜 ID:jbNFEuqE0 自らのアイデンティティに悩みながら一度しか無い人生を無駄に過ごしている奴もおるw 【韓国】8000年前の人類ゲノム解読、 「韓国人のルーツ」発見! 約8000年前の新石器時代に生きていた韓国人の祖先のゲノム(ある生物種を 規定する遺伝情報全体)が、初めて解読された。 パク・チョンファ蔚山科学技術院(UNIST)ゲノム研究所長(生命科学部教授) が率いる国際共同研究チームは1日、「中朝国境・豆満江(中国名:図們江)の 北にあるロシア・アムール川流域の『悪魔の門の洞窟(Devil's Gate cave)』で 発見された7700年前の人類のゲノムを解読した」と明らかにした。 「悪魔の門の洞窟人」の遺伝子は、現地に住むウルチ(Ulchi)族と最も似ており、 近くの先住民を除く現代人の中では韓国人が最も近いことが分かった。この研究 結果は国際学術誌「Science Advances」に掲載された。 韓国・ロシア・イギリス・アイルランド・ドイツの科学者たちが参加した国際研究 チームは、悪魔の門の洞窟で発見された20代と40代の女性の頭蓋(ずがい)骨 =写真=からデオキシリボ核酸(DNA)を抽出して解読した。 ゲノム研究所のチョン・ソンウォン研究員は「細胞核DNAだけでなく、母系にのみ 遺伝する細胞核以外のミトコンドリアDNAも主に韓国人が持っているものと同じ だった。 遺伝子で見ると、悪魔の門の洞窟人は韓国人の祖先とほぼ同じだと言える」と 説明した。 朝鮮半島は文化習俗やDAN解析でも、日本列島の弥生人とほとんど関係がありません 古墳時代に集団で漂着した逃亡の朝鮮半島の難民はたくさん漂着した 難民キャンプ集落で隔離生活していたので日本人とは交雑する関係もなく それ以上に列島弥生人は朝鮮人とは何の関係もありません 朝鮮半島人は水稲文化人じゃなくて肉食畑作文化人だからです 弥生人(パッチリ一重) = 列島弥生水稲倭人 ≠ 朝鮮半島人(肉食こうりゃん畑作人) 弥生人の出どころ = 稲作弥生文化人 = 長江流域〜華南〜越人中軸 水稲地帯が中心 古墳期以降の半島渡来難民 ( 糸目一重の線目 ) = 朝鮮民族(肉食こうりゃん畑作人) ≠ 弥生人(水稲文化倭人) というDNA調査結果 >>221 神社本庁はGHQによって国家神道を解体されたことで準公務員の身分を追われた神祇院の民間後継団体だよ まぁ当時のGHQおよび現代のアメリカに頭の上がらない立場ではあるだろうけどね 韓国の某カルトも深く根を張ってるようだし >>250 >我々日本人のルーツを説明する素晴らしいサイトだね 紹介したのはただの韓国の観光サイトだが。 しかも、日本の神社の基本形式(高床式で階段)がまったく見られない。 神社は、元々は寺だったんだよ。 常識だから良く覚えておけ。 >>254 >弥生人の出どころ = 稲作弥生文化人 = 長江流域〜華南〜越人中軸 水稲地帯が中心 中国南部、東南アジアに農耕の起源があるというのは納得できるが、技術導入と民族移動は等価なのか? 明治維新で鉄道やガス電気などの技術を使うようになったからといって、日本人が白人になったわけじゃない。 >>257 日本への仏教伝来は538年の欽明天皇時代と習ったんだけど? 昨日話しに出たけど、神社は穀物倉庫だった説や疫病患者隔離施設って考え方は当たってるかもって思う。 もちろん全部が全部そうであったわけではないと思うけど >>260 神社は穀物倉庫説だが、日本の文化や宮中行事は稲作を基本としたものが中心と見てとれる 神話でも、スサノオの罪状に田の畦を壊し水を流したというものがあったりする >>248 秦氏なんかはそうだろうな というか漢字や書式を持ってきたのは当然渡来系だろう 少なくとも五世紀頃の雄略天皇の頃は 公文書の記述を担当してたのはすべて渡来系だろうしな >>259 ほとけほっとけごみやさん ろくろくみのらぬはくそんこう これだけ覚えておけば古代史は完璧 >>263 「仏教伝来、いざゴサンパい(538い)」の方が意味が通じる気がする・・・。。。 まあ、どうでもいいけど。 >>219 そういえばそうだよね・・・ 稲作が6000年前からだっけ。 中国人の末裔(弥生人)が中国の宗教をありがたがるのは仕方ない事なのでは? まあネイティブジャパニーズ(縄文人)的にはたまったもんじゃないが そろそろ追い出すか弥生人 >>1 拝殿と本殿があり、それをぐるりと板塀で囲まれてる、移動式神殿であるアークを安置する幕屋である 複雑な建築物は全て渡来人技術だよ これは嘘ついても仕方ない 2013年夏の参議院議員選挙直前、ある宗教団体が全国の信者に対して以下の内部通達を出した。 「全国区の北村さんは、山口出身の政治家。 天照皇大神宮教(「踊る宗教」とも)の北村サヨ教祖のお孫さんです。 首相からじきじきにこの方を後援してほしいとの依頼があり、 当落は上記の『踊る宗教』と当グループの組織票頼みですが、まだCランクで当選には遠い状況です。 参院選後に当グループを国会で追及する運動が起こるとの情報があり、 それを守ってもらうためにも、今選挙で北村候補を当選させることができるかどうか、組織の『死活問題』です」 「全国区の北村さん」とは、2013年の参院選で自民党から比例全国区に立候補し当選した元産経新聞政治部長・北村経夫のことだ。 そして北村への「後援」つまり組織票支援を「じきじきに依頼」した「首相」は、 前年12月にその座へ返り咲き、第二次安倍内閣を率いていた安倍晋三内閣総理大臣その人である。 では、首相みずから「じきじきに依頼した」相手とは如何なる宗教団体なのか。 組織票支援の見返りに国会での追及から「守ってもらう」必要があった「当グループ」とは、 霊感商法や偽装勧誘など多くの社会問題を引き起こしてきた 宗教団体・統一教会(世界基督教統一神霊協会、2015年、世界平和統一家庭連合に改称)だ。 https://hbol.jp/183109 天照皇大神宮教 設立年 1947年(昭和22年)1月 設立者 北村サヨ (在任期間:1945年8月12日 - 1967年12月28日) 教団の「無我の舞」、1948年9月 天照皇大神宮教(てんしょうこうたいじんぐうきょう)は、宗教法人格を有す新宗教団体の一つ。文化庁『宗教年鑑』の分類では「諸教」となっている。 信者数は国内で約48万人(2017年現在)。本部は、山口県熊毛郡田布施町大字波野123。山口道場は、山口県山口市平井188。東京道場は、東京都千代田区九段北4丁目3-18。 教祖は熊毛郡田布施町の農婦、北村サヨ(大神様、1900年1月1日-1967年12月28日)(出生地:山口県玖珂郡日積村大里(現在の柳井市日積))。 二代目教主はサヨの孫娘(サヨの長男北村義人(若神様、宗教法人天照皇大神宮教代表役員)の娘)、北村清和(姫神様、1950年4月27日-2006年6月7日)。 三代目教主は清和の娘・北村明和(明和様、1990年1月9日-)。 北村サヨ(きたむら さよ、1900年1月1日 - 1967年12月28日)は、「踊る宗教」こと天照皇大神宮教の教祖[1]。山口県玖珂郡日積村(現柳井市日積)に出生[1]。21歳の時に結魂を契機に山口県熊毛郡田布施町の北村家に嫁ぐ。自民党議員の北村経夫は孫。 来歴 (「紀元」は教団が昭和21年から使用し始めた教団独自の年号) 1900年1月1日朝、山口県玖珂郡日積村大里(現在の柳井市日積)の農家、浄土真宗門徒の浴本家四女として生まれる。 1920年11月、山口県熊毛郡田布施町波野の北村清之進の家に嫁ぐ。 1922年3月、長男の北村義人[若神様](のち、宗教法人天照皇大神宮教代表役員)を儲ける。 1942年7月、北村家の離れで不審火があり、その原因究明のために、祈祷師を訪問したり丑の刻参りを実践したりし始める。 1944年には、祈祷師から生き神になると告げられ、5月4日に憑依現象を体験する(のち、それが天照皇大神宮という神であることが判明する)。5月10日には「名妙法連結経」を唱える。 1945年7月22日、北村家で初の説法を行う。 1945年8月12日、宇宙絶対神が降臨し神の国建国の神託を受けた、と発表。 1946年(紀元元年)1月1日、神の国の紀元元年を創始。 1946年(紀元元年)2月10日、宇宙絶対神より「お祈りの詞」を授かった、と発表。 1946年(紀元2年)1月11日、宗教法人天照皇大神宮教設立。 1948年(紀元3年)9月、東京・数寄屋橋近くの数寄屋橋公園で無我の舞を行ない、世の注目を浴びる。月末には、神田共立講堂で歌説法による説法会を行う。 1950年(紀元5年)2月、神の国の紀元節式典挙行。 1952年(紀元7年)5月、前年のサンフランシスコ講和条約を受けて、ハワイへの進出を果たす。 1967年(紀元22年)12月28日午後、本部道場敷地内の自宅にて死去。翌年、 1968年(紀元23年)1月1日、孫娘(北村義人の娘)北村清和[姫神様](1950年4月27日-2006年6月7日)を2代目教主とする。同2日、サヨ葬送。 エピソード 太平洋戦争のことを本当の戦争とは認めず、神の国建国のための戦争はこれから始まるとしていた。 同郷の岸信介が巣鴨プリズンに収監された際、「10年以内に必ず内閣総理大臣になる」と予言しており[2]、実際に岸が首相になった後、そのことで両者が言葉を交わしたことがあったという。 「神芝居(かみしばい)の女役座(おんなやくざ)」を自称していた。 サヨは「宗教で生活するな」「わしが金を持ってこいと言ったら離れろ」 と戒めていたといい、天照皇大神宮教も教えを伝える職業宗教家、即ち教団活動を生業(なりわい)とすることを禁止している。 サヨも普段は北村家の田畑で野良仕事を行い、農婦として生活していたという。長男の義人([若神様]、宗教法人天照皇大神宮教の元代表役員)も山口県ふるさとづくり県民会議会長[3]、山口県公安委員会委員[4]、同委員長[5]など公職を歴任していた。 >>270 鳥居、東屋、寺社建築などにある 柱を上方で内側に傾斜させる「うちころび(内転)」は 縄文遺跡の三内丸山の六本柱にすでに見られる >>208 でっていう 中国人にレイプされ続けてな 嘘の主張に侵されたクソが 今は神道に傾倒、安倍昭恵さんメールに「神」発言多数 http://news-postseven.com/archives/20170330_505900.html 《何でこんなことになってしまったのか、神様は何を望んでいるのでしょう》(9日 https://pbs.twimg.com/media/DcKZUubVQAAt-QL.jpg https://pbs.twimg.com/media/DcKZUuZV0AEs0ku.jpg 安倍昭恵さん「自分のお店に、ウズという名前をつけた。アメノウズメという女神から。アマテラスが隠れ、世の中が真っ暗になった時に、アメノウズメが楽しく歌い踊ったことで、再び世の中が明るくなった。また、そうやって社会が良くなる渦を起こしたい、と思ったため。」 >>270 今話してるのは、それがどこからきたのかだが? 宇佐八幡宮の本殿はそれぞれ応神天皇、比売大神、神功皇后の3つある。 >>246 高床式はシベリア東部にも見られる。むしろ日本と関係が深いのはこっちかもしれない なんも無い場所から神社の遺跡って出た事あるの? 吉野ヶ里とかは神社じゃないよね >>282 日本最古の高床式建造物は、青森県の三内丸山遺跡。 他にも縄文時代から高床式建造物は存在してた。 これらは食料倉庫ではなく祭殿として使われてたと推測される。 青森の三内丸山遺跡と言えば、シベリア辺りから渡ってきた縄文人の遺跡。 神社の古体を考えるには、過去に遡ってアニミズムから神道に変化する前の事も調べた方が良いだろうね。 >>281 神社は神様を祀る所 寺は人間の修行場所 神社に墓、寺に鳥居はないし、寺で二礼二拍手一礼なんかしたら恥ずかしい思いをするだけなので注意 >>281 江戸時代までは神仏習合だったので、ある意味仕方が無い面もある。 基本は285の言う通りなのだが、例外も中には有る。 >>248 どの書物や石碑みても朝鮮は日本の支配下にあったとしか記されてないけどな >>242 朝鮮人に製鉄とか無理すぎるわアホ 日韓併合時代に日本が製鉄を教えてあげるまで朝鮮人が作った鉄製品にまともなもんなんて無かった まともな鉄製品は中国からの輸入 北はシベリア、南はスンダランドから列島に人類が到着 この二つが一旦シャッフルして全国に拡散 これがネイティブジャパニーズの縄文人 そこに稲作と金属加工技術を持った集団が朝鮮から北九州に流入 そこに王国を作り科学と武力を持って東へ東へとネイティブジャパニーズ達を駆逐していく ネイティブジャパニーズ達は住み慣れた土地を追いやられ日本の僻地へと移動 北海道に残った人たちはアイヌ 東北の山奥に追い込まれた人達が蝦夷 九州南部で頑張ってたのが隼人 沖縄に取り残されたのが琉球 後から来た朝鮮人が元々いた日本人を追い出し「自分たちこそが日本人」と言ってるのが今の現状 そしてその朝鮮の宗教を「これが日本の宗教だ!」とやってるだけの話 >>283 知らん 古代の祭祀場だった遺跡なら知ってる 俺は日月神示派なので 鳥居・しめ縄は元々の神々様を縛り封印するため論に賛成 >>285 浅草寺でも成田山でも拍手する馬鹿が多くて腹が立ったわ >>293 インドの宗教を朝鮮式で拝むと腹が立つ人ってインドの人? http://www7b.biglobe.ne.jp/ ~uekabuto/tayousei/higasiajia.jpg 古代日本の文化は照葉樹林文化領域の文化という観点で論じるのが良いだろう >>248 古代韓民族なんていう言い方だと 今の朝鮮人と関係があると誤解する人がでてくる >>289 つまりこういうことだね 【東アジアの下戸率※下戸は中国由来】 http://i.imgur.com/jAMWVLN.jpg この地図は酒を飲むと顔が赤くなるいわゆる下戸の人口分布図 (アセトアルデヒドの分解能力が低い下戸遺伝子保持者の分布図) 地図で赤い地域ほど、お酒の弱い人が多いことを表す 下戸は呉の故地、福建省、広東省、山東省、台湾と近畿地方に集中している 華北満州と朝鮮半島はそれよりはかなり低い ※下戸率、中国江南四割、日本四割、朝鮮二割五分 >>289 >>248 まぁこういうこと ●2012/10/29 アメリカ議会がコリアが歴史的にチャイナの一部であることを確定 アメリカ連邦議会調査局(CRS) 「高句麗や渤海などコリアの古代地域は唐の中央政権に属する地方政府で、チャイナの一部」 ●2017/04/20 米中首脳会談で再確認 習近平→トランプ『Korea actually used to be a part of China」 (コリアは中国の一部だった) トランプはこのことについて「中国は、このコリアとは半島全域のことを指すと言っている(北朝鮮のことだけを言っているのではない)」 アメリカ側はこのことについて特に批判や反論 などはしていない なぜなら、このことは世界の常識であるからだ 朝鮮人は日本と関係があることで偉大だと言いたがるけど 自分たちだけで偉大さを証明すればいいのに それはやらないんだね >>258 中国人が3000年前や5000年前に今と同じ場所に住んでいたという証拠はないからなあ。 水稲稲作は長江が起源としても、当時の住民の子孫がそのままそこにいるかどうかは分らん。 遺伝子によれば5500年前前後に各地に拡散したらしいことが見て取れる。 >>289 ところでアホすぎるお前はなぜ奴隷チョソンが中国系渡来人もいる日本で支配者になれるという妄想をもつようになったのよ? >>289 在日チョソンのジョニー大倉(なぜか名前にチョソン要素無し…) 「在日コリアンは自分が日本人ではなく、コリアンであるということを知るとノイローゼになってしまうんだ。」 この手の話題はいつも半島スレに みんな好きなんだな コメの食べ方はカレー、炒飯、パエリア、ドリアと色々ある。日本だとおにぎり、握り寿司、ちらし寿司、いなり寿司、柿の葉寿司、炊き込みご飯、牛丼、親子丼、うな重など 米の起源を知ってもお茶の起源を知っても子供の誕生を祝う起源を知っても意味ない。食べ方、飲み方、祝い方の違いこそに文化の違いがある。 原始神道自体は、三輪山信仰のような土着の自然信仰に、儀式としての道教を合わせた感じなんだろうな。 卑弥呼の鬼道なんか山東半島由来の太平道系の道教の影響が色濃いだろう。 時代的にも地理的にも極めて符合する。 自然信仰だけでは、儀式としての形式を持てないので、そこに道教ないし神仙思想の儀式を導入し、 統治のための宗教として成立した。それが初期大和王権の原始神道だろうな。 >>1 >そもそも神社の社殿は日本古来のものなのだろうか…… いいえ。神道、社殿、鳥居も、遡れば起源は 百済から、つまり今の韓国から伝えられたもの であることが歴史的事実である。 天皇も百済王の末裔であるのは、古事記、 日本書紀にも明確に書かれている。 >>296 照葉樹林って、関東以北民にはわかるのかね? 椎の木やクスノキ、樫木の大木が神社のまわりにあるとか。 神社は徳川政権をイスラム原理主義のようなテロリスト集団になって国取り合戦した薩摩長州の田吾作が日本を奪取した後に、 薩摩聴取の田吾作論理で神社を作って薩摩長州政治を押し通す為に明治ににって神社を各地に大量に作られて深刻や天皇を浸透させる為に作られた捏造だよ 自然崇拝するのにあんな社殿は要らんわな 世界共通で土着の宗教は自然崇拝なんだろうけど、他のどこも自然崇拝の為にあんなの作ってないし 自然崇拝要素は支配層が民衆をその気にさす為の詐欺っぽい感じもするなあ 特に自然や動物を大事にしてる国でも無いのに自然崇拝やアニミズム云々で悦に入ってる人見てるとそう思う 最初は露天だろう そのうち、立派な祭壇作るようになった 天皇即位の儀式も儀式用の宮作ってそこで儀式(神様に即位の報告)して、宮はすぐ壊してた 神器なんかができるようになってそれを祀るための常設の祭壇ができて、それが宮になったんだろ 神社建築の「千木」「鰹木」は、東南アジア諸民族の建築習慣と同じ。 日本が大陸・半島の影響を受ける前からの様式で、非常に古いと見て間違いない。 >>307 普通住民まで入れ替わったりしないでしょ 古代の狛犬は出てこないんでしょ 鳥居だって痕跡あるのか? >>324 いや、あるよ しかも、よくある アメリカインディアンとかオーストラリアのアポリジニとか、 華北もなんども住民変わってんじゃないかな >>315 おまえは歴史を知らないな。 古代の朝鮮半島は日本だったのだ。 なんで日本が日本から教えられる必要があるのだ。 いつもベクトルが逆なんだよ。 その後、日本人が撤退した後も、その地域の国から 王子などの人質を日本に出している。 つまり、日本の支配下だということ。 仏教は朝貢として献上されたり、隋に人を送り学ばせたり して、定着していったものだろう。 >>318 ルーツは関連があるんじゃないの? この国の歴史は胡散臭さ満載な >>306 伊勢神宮は近畿の至るところに移転してるからね、ようやく伊勢に落ち着くまで何度も移転を繰り返した、 まるで遊牧民だった頃のイスラエル人が幕屋と呼ばれる移動式の神殿に祈りを捧げていたように >>327 >古代の朝鮮半島は日本だったのだ。 西暦でいうと何年から何年あたり? >>331 古墳時代の少し前あたりまでだろうな 紀元前1500年くらいか5世紀くらい >>330 伊勢って何処の地名なんだろうな 三重と滋賀以外にある? 出雲に空中神殿なかったか? 直径1mくらいの柱を三本束ねた柱を何本も立てて、高さ50mくらいの所に宮作ってた 大国主がいたくらいの時代 >>332 弥生時代BC3C〜AD3Cは 日本で稲作が始まり、高床倉庫が出来て 貧富の差があらわれ始めた頃。 その頃、朝鮮が日本だったら、半島の方も 高床倉庫、稲作とかやってたんじゃないかな。 日本の文化がむこうに流れてない感じだけど ユダヤと繋がりがあるかは分からんが、フリーメーソンと通じるものがあるのは確かだな ロマンはあるけど胡散臭いネタが多すぎて、恐らく今力を握ってる勢力はえげつない手を使って生き残った偽物なんだろうなっていう >>331 562年の任那日本府の消滅まで 覚え方は、「いつ無に帰したか、任那日本府 (い(5)つむに(62))」 >>284 >日本最古の高床式建造物は、青森県の三内丸山遺跡。 >他にも縄文時代から高床式建造物は存在してた。 >これらは食料倉庫ではなく祭殿として使われてたと推測される。 常識的に考えて、稲作によって実用性の面から使われてきた高床式建造物が、食料生産という生命維持の 役割から神格化されて祭殿へと変化していったというのがありえそうなシナリオだと思うが。 神道の起源をさらに遡って建築をともなわない神座にまで求めるなら縄文前記までいくんじゃないの ということは、日本の神道って新石器時代の記憶が受け継がれてるという無茶苦茶古いものになるな >>340 そうだろうけど知りたいのは神社の形態がいつからかでしょ 神社だから鳥居くらい有って欲しいんだけど 仏教は聖徳太子が和をもって尊しの精神とともに持ち込んだ。 それ以前は各地、各共同体の土着信仰があり。 その間での対立が絶えなかったので、それをなくすために仏教を持ち込んだわけ。 すると今度は仏教勢力が強くなり。(蘇我氏) それに対抗するために土着信仰の建築やプロトコルの統一化が図られ神道の基礎ができる。(物部氏、中臣氏) その対立も大化の改新で終止符がうたれ、 神仏習合が国策となり。春日大社や興福寺が生まれる。 こういう経緯なので神社の起源はバラバラで秦氏の神社もあれば物部氏の神社もあるということです。 やっぱ、日本人の根底には好むと好まざるとにかかわらず神社があって、後から外来の仏教やキリスト教が入ってきたと考えるのが自然ですべて説明がつく。 日本人は無信仰が多いというのは仏教やキリスト教といった第2信仰を持ってないだけで、基本信仰の神社は生活に根付いてるので意識してないだけ。 第2信仰は営利目的で布教活動がウザったいと思ってる日本人は多いと思う。 >>341 まあ普通に考えて、ヤマト姫からだろ その時から鏡を皇居から出して神社に置くようになったんだから >>342 聖徳太子のお陰で蘇我氏が成り上がったとか無いわ 蘇我氏が聖徳太子の一族郎党皆殺しをやってるのに >>340 鳥居に関してはアカ族のロッコン、トカラ列島悪石島の島中坂森神社のノコギリ状文様鳥居、 糸島市平原遺跡の王墓の入り口あったといわれる鳥居跡などがあることから、稲作とともに 中国南部から南方諸島経由で持ち込まれ、境界線を示すものから徐々に神格化したんでは? 弥生後期、古墳時代を通じて徐々に神社建築ができあがっていったんじゃないかな >>345 その裏切りが大化の改新の大きなきっかけ。 聖徳太子は蘇我氏系の人です。 >>346 建築に関して様式ができてきたのは仏教の寺院建築に対抗するためで、 言い換えるとそれを参考にしてるので大きな影響を受けている。 鳥居の原型は東南アジアにあるみたいだから 稲作と共に東南アジア方面から伝わったんだろうな。 仏教伝来以前は土着の信仰に統一的な宗教感はなかった。 >>350 統一的な宗教感はなかったかもしれんが 古墳とか見ると宗教の流行があったみたいだな。 キリスト教が欧州で広まったのも民族紛争が激しくそれをやめるために、土着信仰に対する宗教として広まった。 ただ日本と違うのは土着信仰を取り込んでいったこと。 日本人的にはその教義は理解できるが、血をワインに肉体をパンとしてみんなで食する儀式とか、 民俗信仰的な要素にはものすごく違和感がある。 >>351 宗教という概念もなかったと思われる。 各共同対ごとの祈りのプロトコルはあっただろうが、シャーマニズム的な色合いが濃い。 >>347 記紀の記述を信じればね 蘇我蝦夷が自爆した際にそれまであった歴史書の天皇記、国記を焼いちゃった件とか 乙巳の変に至るくだりは記紀の中でも特に胡散臭いものの一つだと思うが 「大化の改新」なんていう歯の浮くような言い方、今時あまりしないでしょ >>354 パヨク丸出しですw聖徳太子を必死で否定してる人たちですね。 >>355 聖徳太子自体は否定してないが、秦河勝が参謀だったり母親の穴穂部間人皇女が丹後の方に避難してたり、謎が多い人なのは確か 近代の発展をさせた明治政府は天皇を神としてアホな国民を統治する中世の君主制を取り入れた その役目を神社にさせた >>356 民族あおりとかパヨク丸出し。 功績を否定してるんでしょw そう言うのは一部の偏った思想で歴史を語る人たちです。 そして浄土真宗に聖徳太子が非常に重要だから。 それを潰したい与党の宗教勢力が乗ってプロパガンダしてるのがいま。 >>357 神仏習合でバランスが取れてたのを外すとどうなるかの一例。 キリスト教の真似事をしたのが失敗。 >>358 流石に功績多すぎるだろw その時代の出来事を全て聖徳太子の手柄にしてスーパーヒーロー像を作って そんな聖徳太子の一族を殲滅させた蘇我氏なんて滅ぼされて当たり前、というシナリオにしてるだけじゃん 殷の亀卜と言う神事を今でも途切れることなく続けている唯一の国が日本 中国大陸では殷の次の周と言う国では廃れ、易にとって代わられた 占いのルールと言うものは自己流に勝手に定めことは出来ない、神聖で権威ある先祖が定めたルールを頑なに守ることで正しい占い結果を得ることが出来る すなわち、神社や天皇陛下の大嘗祭で行う亀卜の神事を遡れば、中国大陸にあった殷の国の儀式にまで3000年の間、途切れることが無かったことになる >>359 でも八百万の神の国だから、割と天皇=神でもなかったんだぜ。だから現人神と呼んでた訳でな。 敬わないと特高や憲兵が来るので従っていたに過ぎん。有力者になればなるほど神と担いでたけどな。 そこら辺は、今の北朝鮮を見てれば分かるよ。 神道には元々、神のイメージは無かった。 つまり偶像崇拝に付き物の社殿や神の像は存在しなかったと思われる。 ただ、信仰の中心には鳥居があり、それは元々神道の儀式が屋外で行われてきた 歴史を物語る。 鳥居以外の社殿とか、ただの付け足しに過ぎない。 鳥居の根巻とかいうのは稲作農耕の儀式からきたものだろう。 古事記や日本書紀の、「畝丘樹下に泣き沢目の神がいる」とか、 「根の堅す国」とかの表現は明らかに焼畑での植林や稲作農耕の 技術について触れたもの。 鳥居は古代日本の最も小さな建築ユニットだったのでは? 鳥居は古代ギリシャや近東のdokanaドカナと同じだが、 dokanaは地中海南岸諸国の椰子の根元を泥や小枝、小石などで 固めて椰子の成長を促す造作のことでもある。 >>337 韓国は高句麗は中国の一部ではないとか百済は日本に従ったことなどないなんて主張するアレな国だそ 前方後円墳が見つかったときも慌てて埋め戻して隠すようなことするからな 他にもハングル文字をオリジナルと言っているが、あれはモンゴルのパスパ文字のパクリ もう歴史や文化の根本レベルから滅茶苦茶だ 朝鮮半島北部は946年の白頭山噴火で、噴火の記録も残せないほど壊滅的なダメージを受けているからな。 長白山(白頭山)はもうすぐ破局噴火なんて話だし 風向きなんかなよるけど、北朝鮮は無くなるだろうな 日本も東北や北海道にかなり灰降りそう 韓国にもかなり被害でるだろうな >>16 いわゆる社殿に関してはそれであってるよ ほとんどの日本独自で昔からあるって勘違いしてる今あるのは朝鮮式 古来からあるのはよく遺跡あとの横とかで復元されてる弥生式住居みたいな感じ >>352 それな。 結局真似事でしかないんだよな、その真似事を延々と繰り返しているとオウムみたいに本当になってきちゃう。 お経だってそうだろ、釈迦の座禅や修行だって。 何でも度が過ぎれば行き着くところはそれを棄てる事になる。 ↓ それが悟りなんだろな→執着する事からの悟り まだまだ悟れないっすよ!! >>336 誰がそんな巨大建造物作ったんだろう。地元の人間だけじゃ無理じゃね? >>364 西洋とは神の概念が違うよな 明治以後西洋寄りになったかもしれんが ホントはしょこたんが連発するカミ程度だったろう 古来からの伝統はほとんど明治時代から 明治政府が行った歴史破壊行為 神仏分離、廃仏毀釈、城の破壊、町名変更等を散々やったので 伊勢神宮も出雲大社も高野山も比叡山も怪しい 古代エジプトのアテン神が一神教じゃなかったかな 無茶な宗教改革してクーデター起きたやつ、ツタンカーメンとかの自体 その頃、モーゼがエジブトにつれて来られてた? そこからユダヤ教が一神教になった? >>354 普通に皇極天皇が怪しいよ。 切られる前に入鹿が私に何の罪がといって訴えているのを天皇が黙殺して見捨てたんだから はめられたんだと思う。 >>369 ワロタ 朝鮮には建築なんてないからな 日清戦争の際、戦場になった朝鮮で日本軍が懐柔の意味もあって現地の業者に小屋を建てる仕事を依頼したら 朝鮮人達は地面に棒を突き刺しはじめて、それが柱なんだと 結局は日本側が指導して基礎から手とり足取り朝鮮人の作業員に教えなければならなくなった 現在でも歴史的建造物を修復する技術が韓国にはない その歴史的建造物は中国人が作ったものだから、後から半島に居着いた女真族朝鮮人には無理ということだ 兄の国とか日本人の先祖は朝鮮人って連呼しても、日本人にはなれないからな 100万回書き込みしたら日本人になれるかもしれないし、頑張ってコピペするんだなw >>144 あるけど??? 関羽信仰は神社だぞ、あれ 廟っていうけどな 孔子廟だってあちこちにあるだろ 神社じゃなかったらアレは何なんだ??? 神社は、本来は寺だったんだよ。 だから、建物が良く似てる。 基本だから、良く覚えておけ >>381 ここで言う神社は八百万の神を祀った神道のもの。 関帝廟や孔子廟は神道の神では無いから、神社ではない。 良く覚えておけ。 >>384 じゃ、逆に聞くが、七福神はオマイ的に神様なのか 仏様なのか??? えびすさんを奉っている神社なんてそこらじゅうにいっぱいあるぞ >>385 仏は神じゃないぞ? 何いってんだ? 悟りを開いた人が仏 大分の米神山、ここには神社以前の古代の祭祀跡が残ってるよ、ここに神社が建てらなかったのが不思議。 滋賀の伊勢遺跡は本当に元伊勢の一つだったんだろうか? おそらく伊勢神宮より古い時代の物で役割を終えて忘れ去られて 伊勢という地名だけが残った 福岡市の香椎宮は仲哀天皇が崩御したところだったから始めは香椎廟と 呼ばれていたそうだが時代が経って香椎宮と呼ばれるようになった 旧官幣大社で勅祭社でもあり福岡県では宗像大社よりも格上の存在。 巨石信仰がある時代にあった名残だろう なぜ巨石に信仰心が芽生えたか 巨大建築があたりまえの現代人には 想像できないな >>390 道路にでっかいウンコあったら 誰がしたんだ!!??と疑問に思うだろ 古代も現代も変わらない 鳥居を4126せんかぃー、背負う事になった超凶悪な熊野がなんじゃぃー 俺はw俺はw温厚な仏式に生まれ神式にカーンな┃〒 応神天皇 7年〔396〕高麗人、百済人、任那人、新羅人がそろって 来朝した。 このとき武内宿禰に命じて韓人に 池(韓人池)をつくらせた。 舒明天皇 2年〔630〕高麗の大使宴子拔・小使若徳と 百済の大使恩率素子・小使徳率武徳がともに 朝貢した。 3年〔631〕百済王義慈が王子豊章を 人質として送った。 10年〔638〕百済・新羅・任那がそろって 朝貢した。 孝徳天皇 大化元年〔645〕高麗・百済・新羅がともに遣使進調した。 大化2年〔646〕高麗・百済・任那・新羅が遣使して調賦を貢献した。 9月、小徳高向博士K麻呂を新羅に派遣して 人質を出させた。 大化3年〔647〕正月、高麗・新羅がともに遣使して調賦を貢献した。 この年、新羅が上臣大阿飡金春秋らを派遣し、 博士小徳高向K麻呂・小山中中臣連押熊を送り、孔雀一隻・鸚鵡一隻を献上した。 春秋を人質とした。 大化4年〔648〕新羅が遣使して貢調した。 大化5年〔649〕5月、小花下三輪君色夫・大山上掃部連角麻呂らを新羅に派遣した。 この年、新羅王が沙[口彔]部沙飡金多遂を派遣し 人質とした。従者は三十七人いた。 >>367 噴火以前に渤海は滅亡してて、高麗も半島付け根のクビレ部分までしか統治してなかったから記録しようがなかった >>368 偏西風が強い冬なら平壌や38度線地帯には火山灰は降らないし 白頭山周辺や北東部は人口稀薄地帯だからどうかな? >>385 エビスは七福神唯一の日本の神 民間信仰ではイザナギとイザナミの最初の子ヒルコが成長した姿と言われている だからエビスは体が不自由で耳も遠いので願掛けのときは大騒ぎする >>335 その出土した三本丸太は鎌倉時代の頃のものだった筈 現物を見たなら思っただろうけどアレで高層建築を安定的に支えるのは無理 実際よく倒壊してたらしい >>379 火山噴火で滅亡した半島に火事場泥棒みたいに流れてきたんだろうな >>363 というか生涯に渡り真に最高権力者だった天皇は歴代に一人も居ないと思う それこそ聖徳太子の頃は天皇候補の皇子が暗殺されるのもよくあることで 時代が下り後白河なんかは絶大な権力を持ってたが自ら危険な綱渡りを続けた結果だし 後鳥羽が敗れて以降天皇の権威は下がり続けて明治以降の天皇も実権とは程遠い >>363 君主は国家主権の象徴として 神聖不可侵 >>386 神の正体が仏 基本中の基本だから 良く覚えておけ おいおい 何いってんだ 仏教に神はいない 悟りを得た者しかいないよ でも、悪魔はいる 剣豪の故郷として歴史上で先行するのが東国の地である。 関八州は古来尚武の地であった。 平氏政権を倒して武家政治を作り上げるのに大きな役割を果たしたのが東国武士団である。 東国はその後の日本の武家社会を支えるエネルギーの培養源であったといってよい。 武技の伝統は鎌倉、室町時代を通じて、この地に脈々と生き続けた。 その脈絡の一つの中心となるのが、古来から軍神ととして崇敬された鹿島、香取の両神宮の鎮座する常総の地であった。 (原田伴彦・大阪市立大学名誉教授) 剣法夜話/直木三十五 常総の流祖 伝説によると、鹿島、香取の神々は、中にも鹿島には「鹿島の太刀」というものが、天津吹屋根命十代の孫、国摩大鹿島の子孫、国摩真人によって発明されて、代々神官によって伝えられていたということである。 そうして、これを剣法の最初としてある。これと、流祖の多くが、この地方に起ったため結びつけているが、必ずしもそうは断定できない。 この地方は阪東武者、東夷、東方濱従者の産地であって、且つ「偏下者」には、もって来いの所であった。 尾張の織田、甲州の武田、奥州の伊達などという領民の見て歯のたたぬような領主は一人も無く、上野の上杉、上総の里見、下総の古賀、常陸、佐竹、小田、下野の那須、宇都宮、小山、結城、悉く後に滅亡した人々で、 この領主を頂く領民が、いかに手に曄して立とうと望んでいたか?と同時に、この領主を攻める多くの敵を防ぐため、いかに忙がしく戦わねばならなかったか。 即ち、時代思想、刀の普及、個人的武勇に富む人々の多い地方、そうしてその地方の模範的乱世相、この理由と、平民の自衛、及び野心が手伝って、一時に剣祖は輩出してきたのである。 同じ戦つづきであるのに鎌倉に起らず、南北朝に起らず、室町に入って空前の発生をしたのは、この諸因が剣法が起らなければならなくしたからであった。 もし「鹿島の太刀」が日本剣法の元祖で、いくらかでもこの時代相以外に剣法発生を助けたとすれば、香取に住んでいた飯篠家直がこれを学ばぬ筈はない。 然るに、彼は自修したとも云い、鹿伏菟刑部を師としたともいうから、この鹿島の太刀は名のみであって、剣法がこの地方に発生した原因にならない。それにもう一つ、鹿島の祝部、松岡兵庫が、卜伝からこの太刀を学んでいるのも不思議である。 何とならば、卜伝は、鹿島の神官松本備前から、この太刀を伝えられたというのだからである。 それからもう一つ、軍神は、独り鹿島、香取のみでなく『梁塵秘抄』にある如く「諏訪の宮、叉比良の宮、阿波の北滝の口、熱田に八剣、伊勢には多度の宮」と外いろいろと有ったから、 鹿島を中心に諸士輩出した以上、この軍神を祭ったどの一ヶ所からか、一人でも剣客が出なくてはならぬのに、一人も出していないから、主としてこの地方の雰囲気が、剣客養成に適していたためであって、 暇のある、財のある人々の間に、殆ど時を同じうして勃興した原因は、以上の如く考えるよりほかに理由がみつからない。 この東方に於ける剣客の勃興に対し「京流」が西に現れているが、これの正体は甚だ怪しいものである。 堀川鬼一より鞍馬の僧に伝え「京八流」とも称すというが、恐らくは、東の人々が、東方の剣法以外のものを総称して「京流」と云っていたのでは無かろうかと思われる。 もし「京流」が一流儀の名なら、その流祖は多少とも伝えられていなくてはならぬ筈である。それに、京師にも一記録なく、ただ『甲陽軍鑑』『関八州古戦録』位に漠然として「京流」とのみ書かれているだけであるから、 西の人々の使う剣法を総称して云った称号としておいていいと思う。 武神を祀り、これに仕える神人が古代の武術を伝えていた鹿島神宮は、奈良時代には、東北や関東方面の武人が九州へ防人として出発する際に、 必ず立ち寄って武運長久を祈り、神人達から武術を教って旅立ったので鹿島立ちという言葉が生まれ、そして、旅の道すがらや任地の九州で、 鹿島立ちと云えば、現在のニューヨーク、ロンドン、パリ、ミラノ等とはと云って珀(ネームバリュー)をつける様な事が出来たのであろう。 ともあれ、この防人達の喧伝によって、兵法は東国からと云われていたのである。 飯篠長威斎が創始した剣術兵法は、香取鹿島地方の優秀でしかも名人や達人となった門下達によって継承進化され新しい流儀が続々と派生していったのである。 特に塚原卜伝と上泉伊勢守は当時の都であった京への上洛を果し、卜伝は十二代将軍足利義晴に上泉伊勢守は十三代足利義輝にそれぞれの剣術を上覧して 天下一の名声を博した上、関東から北陸、東海、近畿地方に至るまで自らの流儀を指導広布した事によって、当時は香取鹿島と云う一地方民族の武術に過ぎなかった 剣術剣法が、全国に伝播する礎を築いたと云えるのである。 (『古流剣術』田中普門著) 仏は輪廻転生を解脱した者。 神は輪廻転生の中に組み込まれている。 朝鮮半島に近い壱岐、対馬に格式の高い神社が多いと言う事をどう考えるかだ 格式が高いとは延喜式神名帳に記載のある~社の事。 >>81 そもそも十数世紀以上前からの形を継承してることはわかってるので ひとつにすらなってなかった「日本」という括りで語るのはおおざっぱすぎるよ 諸国豪族の神の形を練り込んで作ったのが今の形なので ルーツは九州地方のあちこちの伝承が入ってくるものと思う >>413 アマテラス皇統は百済系なんだろ 記紀にも天孫降臨はニニギからって書いたぁる それ以前は日本にいなかったということや それ以前にイザナキ王権が日本を侵略したがイザナミ王権に報復されて淡路で死ぬ スサノオはイザナキに従属していたがイザナミ王権に裏切って本国新羅から追い出されて出雲に亡命 古代世界は三次元なんだよ 高天原、空の上の神の世界 中津国、人の住む世界 冥界、死者の世界 倭も朝鮮も中津国 >>416 日本書紀に素戔嗚尊の事、書いてあるんだっけ。 >>390 エアーズロックや富士山が元々誰のもの?なんて思わないだろ? 人工的なモノではなく、何億年も前からあるモノや自然に畏敬の念を示すのは人として当然の事。 それは現代人も古代人も何も変りはない。 そこの基本を外すと様々な事がズレていく。 >>374 頼り過ぎないその程度でいいんじゃないのか? >>418 冥界じゃなくて 黄泉の国じゃね? 黄泉平坂 黄泉ってヨーマだったっけ? インドの神話で初めて死んだ人がヨーマで死の世界の王になったみたいな で、ヨーマが閻魔大王に >>416 アマテラス信仰は豊鍬入姫や倭姫の母方の血筋だと思うけどな この二人は結婚もさせて貰えずにアマテラスと心中させられてる訳だし 倭姫命の巡幸経路の丹波、近江、美濃、伊勢に勢力を持ってた一族が恐らくアマテラス信仰と関係が深い >>418 いや、むしろ古代世界は2次元、蓬莱国も西方浄土もミミラク島も鬼ヶ島も海の彼方にあるという考え 竜宮城やねずみ浄土が、海底や地底に潜ったのは、後の時代になってからという柳田民俗学説 鳥居もうやめない? イミフだし巨大すぎて怖いよあれ >>423 それ本からの情報? ヨーマでググっても出てこない >>428 あれは元々は村と村の境界に張った結界らしいし、神聖な敷地内と外(俗)を分けるために要るんじゃないの? 日本古語と沖縄方言とが、弥生時代に分岐したという話聞いたことあるけど、これはトンデモ説扱いのものなのかな。 >>430 それも迷信レベルだな この国は知れば知るほど土人に近くね? >>430 結解というのは全世界的に見ても上から垂れ下がるものだ 鳥居はどう見ても入り口だよ >>385 よその国の神が歓迎されて神社が出来た神は沢山いるね 七福神もそうだし、白髭神社もそうだし、あと古地図を見ると白山神社なんかも「客人(まろうど)神」と書かれていることがあった ちょっと話は逸れるけど、台湾に一番たくさんある某神社は日本の某神社めいていて何だか繋がりを感じる >>401 それは乱暴すぎるかな ヒルコ(障害理由に海へ流される)とエビス(海の向こうから福を持ってくる神)は別の性格の神だったが後に習合したものと言われている エビスを広めたい側からすると、「ヒルコと同一ならイザナギイザナミの長男じゃんアマテラスより上じゃん」って感じに信仰されるから都合が良かったんじゃないかな 起源がそんなに大切か? 文化継承とその重要性はわかるけど地域制無視しても意味なんて無いだろ >>434 あれが怖いって 何か持ってんだろうなぁ >>431 文法が同じだから、元は同一言語だったんでは? 沖縄にはオセアニアや中国南部〜東南アジアの言葉が入ってきて混ざり、本土には中国北部の言葉が入ってきて混ざり、アイヌはアイヌで特に混ざらなかったみたいな感じなのかなという印象 >>433 仏教を失うことで土人にまた戻っちゃった感じだろうな 神道とかはお上の思想で、一般大衆は本当の意味を知らされてきてないだろう 自然崇拝は全人類共通のもので、神道の専売特許でもなんでもないし >>434 ソッテ(ミャオ族)にも見られる鳥の守り神は 日本では何故か蛇になっていった しめ縄は蛇のシンボル 現在の鳥居に鳥はおらず蛇しかいない そのしめ縄も、かつての日本では村境を示す物だったんよ 「しめ」は古語で立入禁止の意 开 开 开 开 开 开 开 开 开 开 形 形 形 形 形 形 形 形 形 形 刑 刑 刑 刑 刑 刑 刑 刑 刑 刑 >>416 なんでだよ 記紀にちゃんと筑紫で生まれましたって書いてるだろ >>425 饒速日だな ようはアマテラスはどちらかというと神武系の神というより饒速日系の神で 斎王は人質に近い存在だと思う。 >>385 七福神の成立なんて、江戸時代でようやくメンバーが固定されたんだろ 神様仏様のアベンジャーズチームのセット売りしただけのもので、日本の信仰の起源が語れるの? 七福神 アベンジャーズ(マーベルヒーロー) シュガー・ラッシュ(ディズニープリンセス) 単品売りできなくなったキャラを一山いくらで売るのはよくある話だからな トヨスキイリヒメの巡航先もふくめて吉備、難波、丹後、伊賀、近江、尾張、美濃、伊勢 この辺が大和政権の政治を牛耳ってるとみて間違いない。 権威は九州だが >>423 >>429 ヨーマでなく、ヤマだね。サンスクリット語の ヤマ→閻魔 発音表記問題なんで他にもあるかもしれんが 鳥居の源流はインドの寺院で中国にも朝鮮半島にも古くから鳥居は存在するけどな >>423 黄泉は「根の堅す国」のアナログだろ。 山の上に作る小石や土で盛り上がった墓所。 「根の堅す国」にいるのがイザナミで、 「畝丘樹下」にいる泣き沢女の神がイザナミの 小分身であることを示してる。 小石や土、泥土、小枝などで盛り上げて人為的な 丘を作り、堅くして植林や農耕、埋葬の聖的シンボル とした。 黄泉は山上からの星座の「読み」から来たと思う。 古来、世界中で天体観察は高所で行われた。 月読みの神も同様の語源を持っていて、 天にある月の月齢や位置を「読む」ことから来てるんじゃ? 神社って中国台湾のカラフルなお寺に雰囲気似てるね 鳥居がインド中国韓国にもあるの不思議ね ナスDが行ったネパールのお寺に狛犬みたいな獣の像があった 狛犬はどう考えてもイスラエルでしょ 一角獣とライオンて北イスラエルとユダ王国のシンボルじゃん 狛犬は、ペルセポリスの神殿前に置かれてたライオン像だから アレキサンダー大王、ヘレニズム、ヘレニズム仏でググるといいよ 三越百貨店のライオン像はヨーロッパスタイル? 余談だが、レゲエが好きな人が言ってたけど、古代アフリカでは有力者の屋敷ではライオンが御庭番的に飼われていたそうだ その流れでライオン像が玄関先に飾られたりもしたと >>454 皇室の紋章「獅子と一角獣」は南北イスラエルの象徴らしい ということは日ユ同祖論の証拠が1つ増えた 日本最古の石造り狛犬は13世紀頃の東大寺のもので、古代の神社には無かったと思う。 天平の甍って映画あったけど、あれは遣隋使か?飛鳥時代くらい? ヘレニズムの仏教美術が伝わったあとにならないと日本で狛犬は作られない レゲエの人が崇拝するエチオピアの皇帝さんの象徴がライオンでユダヤの末裔かなんとかっていうのも言ってたな あとバビロンていうのがアカンらしい ったく長州人って御所に大砲打ち込むわ廃仏毀釈はするわ、ろくなことしてないな 神も仏もともになかよくやってきたのに 遣唐使が中国で見た猊座が日本で狛犬にアレンジされたらしい。 古来のものじゃなく、高麗のものだったらいやだな ( ´・ω・`) >>462 明治の廃仏毀釈運動は三条や岩倉に依る嘗て藤原国家神道OCIをぶっ潰した徳川檀家CIAに対する意趣返しで明治国家神道NSAを構築する事が目的だったフェノロサが何処の筋に派遣されて来日したかは不明 >>456 ケルト十字を見て薩摩がケルト人の末裔だと言ってるようなもんだよね? 山田君、>>467 に中国製不良品マスクを50箱あげて ( ´・ω・`) 聖地って基本的に昔からあるものだそうだから 磐座とかなんか大きな石が置いてあってみたいな それを木で囲った程度のものが最初なんだろう それで仏教寺院の影響を受けて今の神社ができた なるほどこういう建物作るのかってね アッシリアの王宮に見られる人頭有翼獣像なんかもそんな感じかな? 全く説明が足りないと思うのは片方が一角獣というのは無視なんだ。 日本の狛犬がロスチャイルドと同じ組み合わせというのは無視なんだ >>480 そりゃ俺だって天皇家がユダヤだったらちょっとショックだよ でもそれらしき事実がありすぎてそれから目をつむるわけにいかなくなってるからさあ >>437 日本人はアイデンティティが不安定なので「純粋な日本」「本来の日本」「本来の自分」ってのを 探したくてしょうがないんですね 本居センセ以来 >>481 共通項を見つけたいという人間のバイアスの一種が働いているだけだろう リンカーン大統領とケネディ大統領は似ている、とかいうオカルトと同様 時代によって、日本はイギリスに似ている、日本はドイツに似ている、と言われてきたはずよ。 >>483 見つけたくねーよ 縄文人であってほしかったよ でも昨今論調では目をつむるわけにいかないほどになってきている。 神社自体がただの地主でしかないよね 神がどうとかそこまで重要と思っていない 時代時代で武士になったり坊主になったりふわふわしてる >>478 マジか・・・ >>483 島国だから似ているんじゃね? あと勤勉だからストレスで良くも悪くも変態に走り易い。 >>449 調べてみよっと。 >>450 全ての人類の祖先がインドだったりしたら、インド人はそれを誇ったりはしないんだろうな・・・ 人は人の国だから。 カレーは世界を平和にするのかも。 辛い物を食べると火病を起こしてレイプが残虐化するが。 >>483 もっと平たく言えば同じ人間なんだから、いろんなものが収斂して似てくる もちろん、シルクロード経由でもちこまれたものもある、狛犬とかはその典型例 で、日ユ同祖論のキモは、エッサエッサだのワッショイだのの言葉のあてはめ遊びだろ 20世紀の終わりには、万葉集を韓国語で読めば真意がわかるとかいうトンデモもあったわ 「人麻呂の暗号」とかな。結局人間の言語なんて、曲解しようとすればいくらでもできる。 >>490 そんな言葉遊びが肝じゃないと思うよ 肝は神道がほぼユダヤ教だという部分だろ >>491 神道には元々教義とか決まった祀り方なんてのは無く、 仏教の影響で体系化したときに、ユダヤ教由来の要素も混じっていただけでしょ。 秦氏とか・・・渡来系の氏族がそれに深くかかわった・・・と。 >>491 ちょっとWikiで日ユ同祖論見てきたら、以下のような記述があったぞ 大和朝廷の起源について、騎馬民族征服王朝説を唱えた江上波夫や古代史研究家の澤田洋太郎は、 夫余→高句麗→百済→伽耶→大和という流れを想定し、ヤマトは夫余から出ているとしている。 夫余の建国神話によれば、建国者である初代王の名は解夫婁(ヘブル)という。 ユダヤから流れ着いた人々が建国したのが、中国東北部の幻の古代国家「夫余」で、その末裔が朝鮮、 さらにその末裔が日本を作ったという敗戦後のトンデモ説「騎馬民族征服王朝説」の亜流でますますトンデモになった説だな >>477 時代的にそれがスフィンクスの元ネタじゃね? >>492 天皇家の男系相続を説明できてるの聖書だけだよ 神道の長なのに仏像を拝んでるの説明できるのも聖書だけだし 同祖というより、一部のユダヤ人が同化したって感じかな。 ユダヤ教系の宗教はどこも一神教でしょが、神道は多神教だったから、ユダヤ教的要素も取り入れられたってことだと思うけど。 正直、奈良飛鳥時代くらいにユダヤ人が日本にいても不思議無いけど、ユダヤが日本人の先祖ってのはないわ 彼らは海路じゃないだろ フェニキア人が日本に来たならありかもだけど てか、我こそはユダヤの民なりと宣言した日本人はいるのかと >>341 日本最初と伝わる大神神社には本殿はない。 神さまは三輪山に鎮座しておられる。 次に出て来るのは伊勢神宮。 鏡を納める場所が必要 その次が熱田神宮、草薙の剣を納めないといけない。 石上神宮はその頃は国家の武器庫だった。 「大事なものをしまう場所」として、「倉」が使われるのは自然だと思われる。 崇神天皇が流行り病で住民が半減するという国難の時に大神神社を作らせた。 「オレ様を祀らないからだ」という大国主命のお告げに従って。 当時すでに先祖を祀る習慣が存在し、それをおろそかにしたことをとがめられた。 大神神社から見ると、社殿はその後に作られるようになったと思われる。 出雲大社の古代の社殿を再現すれば良いのにな 鉄筋コンクリートでもいいから 確実に神道起源じゃないものを日本古来の伝統祭祀ガーってやるから神道は胡散臭い 狛犬の起源よりいつの時代に日本に来たかが重要 鳥居も同じ お寺の鐘は銅鐸が進化したものか? なんか形が似てるでしょ 何時からかはわからないけど明治天皇までは即位の高御座の脇に狛犬を置いていた 大正天皇即位のときに日本のものではない狛犬を置くのは良くないと廃止 古代アメリカ=日本 を証明した本。日ユ同祖論よりも信憑性は高い ドン・R・スミサナの書いた「古代、アメリカは日本だった!」 これにインディアン(ネイティブアメリカン)と日本の言語の共通性について書かれてるけど 同音類義語が数百見つかってる。はたしてこれが偶然なんてありえる? >>474 狛犬ってピラミッドのスフィンクスがライオンで2体あったんじゃない?知らんけど >>505 失われた10氏族が日本に到達したのが国津神で、イスラエル滅亡で残り2氏族が日本に到達したのが天津神、 だから国譲りもスムーズだわな >>478 第二の宗廟宇佐神宮に一角獣の狛犬が無いのは何故? >>1 こういう記事って渡来人どうのこうので 侵略の口実にしそうだから 最近は渡来人来なかった説を推す 現実にも大量の渡来人が来る方法は無かったし 弥生人は縄文人 食料事情が変われば骨格も急激に変わる幕末明治で証明出来る だいたい天皇家の紋章も12頭のライオンが書いてあるし。 どう考えても12支族だろ >>514 天皇と聖徳太子が建てた法隆寺にも一角獣は無いよな >>516 聖徳太子が建てた法隆寺は焼けてしまってもうないからわからない >>493 オタクさまは70歳ですか? そういうのって40年前から50年前の説でしょ? 沢田陽太郎て方は高校の先生だった人でもう80歳以上のひとでしょ? 尾張氏や海部氏の系図前半の読み方は当たり前に正しいところはありましたけど そこの巻末でユダヤにふれたところが2行くらいありましたっけね それだけでしょ 時代的に江上氏の影響の下で書かれてまして部分参照しかできませんね 建物はともかく、成立が古い所は本当に古いよな 起源が定かじゃない神社は、本州四国九州なら普通に一都府県に一ヶ所以上はあるだろ 風土記だの延喜式だのに名前が載ってるやつ 狛犬は長江流域や小琉球の 石造の獅子のこと 風獅で風除けの守りの風習 空っ風の強い北関東にも多い 日ユ同祖説なんてムー民以外まともに取り合わなかったのに なんで今更熱心に主張する奴が出てきてるの >>523 みなネットでばらし始めたからだよ ハルマゲドンが始まったからか何かわからんけど やたらネットで日本は北イスラエルだって主張してる聖書研究家とかが次から次へとあらわれてる。 >>523 日本民族や文化の起源は韓国だ、というと一部の人間はホルホルするが、右の人は激怒する。 日本民族はユダヤが流れ着いたものだ、というと東アジアには中韓しかなく日本はただの幻想だとホルホル、 ユダヤ金融が世界を支配しているのは日本が世界を支配しているのだと右の人もご満悦、で両方に好都合。 プライドをくすぐったり、ライバルを貶めたり、心理を巧みに利用するのがインチキコンサルタントの常套手段よ >>525 やだよそんな金で世界を裏で支配しているような人たちと天皇が同族とか >>515 エチオピアのハイレセラシエ皇帝もその12なんとかだそうだ 紋章はライオン レゲエが好きな人はこの辺詳しい >>526 ところが、イヤイヤ言いながらさりげなくドヤるのが人間の心理なのよ ドラえもんで、スネ夫が知り合いのアメリカの金持ちを自慢するみたいなもんだわ 「イヤァ〜、あのおじさんにも困っちゃうんだよなァ〜、金持ちすぎてついていけないよぉ」的なやつ 嘘だろとか思いながら聖書よんでみたんだよ そしたらそうだとしか思えないことが数々書いてあるからさ こりゃ神父も言い始めるのもわからんでもないと思った。 >>528 日本人で自分はユダヤ人って主張する人がいないのは何故? >>530 おれはたとえ同族でも天皇は国際金融資本とは無関係であってほしいと思ってるけどね >>532 天皇家とか秦氏だけなんじゃないの12支族らしきのは >>529 エチオピア皇帝ってシバの女王の子孫とか称してるけど 歴史記録が見当たらない気が・・・ 突然お前はユダヤ人だと言われても全然嬉しく無いよな >>500 普通に見たら米倉だと思うよな 大切な食糧だから神様からめたのもおかしくないし >>534 皇室の子息があえて国際キリスト教大学に進学したということは、ユダヤ人疑惑を否定したということだと思うけど レゲエの歌詞によく出てくるザイオンというのはZIONの訛りということらしい レゲエ好きの人の車に乗ると、ライオン・ザイオン・バビロンというのが嫌というほど歌われてる あとカゴメの文様とか三角を上下に組み合わせた星型が天皇とエチオピア皇帝に共通するとか言ってたな 神社は南方起源の高床式倉庫と、中国由来の仏教寺院が混ざってる感じかな >>540 似非ユダヤ人じゃん 一部の古代ユダヤ人が秦氏となって日本に来ていた説はあると思うぞ >>451 一行目のアナログという表現の意味が分からないけど、黄泉は読みから来ている説など面白いと思った ただ、ヨの音は古来から今のようにヨと発音していたんだろうかという疑問はある というのは、確か胞衣(えな/いな)のことを「よな」と呼ぶ所があると聞いたことがあったから ただの地方の方言かもしれないが、地方の方言にこそ古い言葉が残っていることも少なくない また、黄泉、闇、山、は現代発音は違えど語源を同じくする言葉ではないかという説もある >>449 の閻魔も、エンマ、ヨーマ、ヤマ、繋がりを感じる 凄く面白いわ、暇潰しになりそう もう何年も前だけど自分が記紀を読んだ感じだと黄泉と根の国と常世の国は別の場所を指して使い分けているように思えたのも今になって気になり出した 近々また読んでみるわ >>459 神社を寺が管理するようになった時くらいからかな?神社に狛犬が出現しはじめたのは >>501 出雲に古代社殿の大柱が出てきたけど、その社殿があった時代は伊勢神宮より前じゃなかったんだっけ? >>506 銅鐸は大和じゃないべ 銅鐸と仏教伝来は何百年も間がある >>506 そういえば謎の巨大銅鐸については、両目で見通せる覗き穴が必ずあるので社殿建築のための測量道具だったのではという説を書いている面白いブロガーがいたな >>512 言ってることが良く分からないけど、日本人のDNAは大陸由来と南島由来が多かったんじゃなかった?中国人やマレー人(広くはポリネシア人)と近縁だと聞いた気がするけど 日本人は結局渡来人の集合体というか >>523 なんか妙に流行ってるというか信仰めいてて怖いね レビ族と山伏の類似性に関しては面白いと思ったが、同祖は言い過ぎというかなんというか… 日本なんてシルクロードの果てなんだからユダヤの様々なものだって伝わってきただろうし >>539 世界を牛耳ってると言われるフリーメーソンになった人らはキリスト教だぞ ダヴィンチ・コード見たら分かる 日ユ同祖論の信者には、美男美女の多いイスラエル人と同族だったらいいな!という願望があるのかな?相当かけはなれてるが みんな!スレタイ読んでね! >>549 出雲の48mの神殿の柱だったとされてるものはだいぶ新しい 朱塗りだったことが分かってるし、全然古代じゃない >>547 アナログanalogueは、他のものに対して アナロジー相似性を持ってるものの意味で 使いました。 「根の堅す国」ーイザナミ 「畝丘樹下」ー泣き沢女ナキサメ 私は日本書紀や古事記をメタフォリックに 解釈すべきではないと思ってるので、柳田の 「根」や「ニライカナイ」、「オボツカグラ」などの 解釈には何の意味もないと思っていて、それは折口の 民俗学に対しても同様の阿保らしさを感じています。 >>557 創価はあんたみたいなことを言う人が多い。 創価は言論や表現の自由が大嫌いだから。 創価は自分たちが押してる言論人以外の発言を 圧殺しようとする。 伊勢神宮の神明造と インドネシア/DAYAKUダヤクのlong houseは似てると思うけど。 単純に中央アジアから古代中国そして日本までが景教徒のキリスト教国だった時代があったと言うだけのこと、 その後ユダヤ教やカトリックは別の進化を辿って、ある意味日本というタイムカプセルだけが原始キリスト教を忠実に保存しているという理解かな 韓国の歴史村兼ドラマ撮影所の施設が短期間の風雨日照で屋根、壁が破損している件… >>554 うん、いいかい坊や 例えばお清めの塩とかあるだろ? よく考えればあれ仏教的にはとっても失礼な行為だって思わないか、まあ実際に仏教は全く関係ないんだけどな じゃあなんでこんな文化が色濃く残っているのか、考えたことなんか全くないんだろうな でも世の中坊やみたいなのばっかりじゃないって事だよ >>11 やっぱ日本人の先祖は、その辺りの人達やな 雲南省 戦国武将衣装の文化の分科 s://i.imgur.com/eRYCvAK.jpg 髪結いや装飾も日本と似てる s://i.imgur.com/6h6aMpb.jpg まんま、戦国時代の武将やん s://i.imgur.com/5lA25EA.jpg 流行っているというより、北イスラエルのエフライム族に対する預言が日本そのものなんだってことだと思うけど 要は、 エフライムとマナセは世界の果てまで行く。 東の果ての島々の国で、金属や木でできた神に似せた像を拝む。 終わりの時に日の昇るところから呼び戻されて、敵に占領されているエルサレムを奪還する。 最後の審判で偶像崇拝した罪で神殿の門番にされる。 とかの預言が日本っぽいということだと思う。 >>567 似てると思う >>11 の文化を見ても思うし プータンなんかも似てる 一つの民族学散った気がする プータン、プータンってなんだっけ ああ、クロ高に出てきた着ぐるみか 神社建築はその発展の過程は大体明らかになっている 特に古い神社建築を見るとその発展の動きが明らかとなる @神明造り。いわゆる伊勢神宮に代表されるもので高床式倉庫を原型とする A大社造り。出雲大社の形式。古代の貴人の屋敷を原型とする B住吉造り。古墳時代の埴輪などから見える古代祭祀の儀式場を原型とする。大嘗宮の原型 つまり、弥生時代の農耕祭祀、貴人への崇敬、儀式用建築物から社殿が発展したことが分かる 神社の社殿は弥生時代、古墳時代の原始的な段階を経て断絶することなく今に至っているのが明確に分かる 社殿の発展は外国の影響などではなく、古代から現代まで日本の独自文化が維持され伝わっていることを示す証拠となっている >>557 なぜわざわざこのスレに 気に入らないなら見なきゃいいだけ >>565 意味不明な持論で悦に入ってるとこ悪いけど嬢ちゃんの方ですわ いちいち「他の宗教に失礼だからこの神事は自粛しとこ」なんてのがスタンダードだとでも言いたげだが、そんなことやってたら何も出来ないわ 頭おかしいんじゃないのかと >>572 完全に独自なんだろうか 特に台湾で祀られてる某爺なんか神社にしか見えないんだよな >>11 や>>566 でも言ってるけど、中国南部や台湾などのビンナン語を使う地域の文化は少なからず日本に影響をもたらしてるとは思う 数字の数えかたも日本のそれと発音が似ている所からもね そしてDNAの話からすると、それらの地域の人らは日本も含めてマレー系の血も入ってることが分かってるよね 元々の鳥信仰は海洋民族の文化から、しめ縄などの蛇信仰は大陸側の文化から、それぞれ伝わって混ざりあったのでは 社殿に関しても、例えば交易品の中に奴隷というか大勢のヌヒ(何故か変換されない)も含まれることがあったから、彼らを使って建てていたのだとしたら文化の違う建築知識が活かされた可能性もある 少しずつ伝わってくるものを取り入れながら今の形になったのでは 上のほうでしていた狛犬の話(寺由来かという話)からも 狛犬どうのとかのよく言われる話はずっと後の話 平安以降の仏教が強くなった後に仏教様式として取り入れられた物 むしろ「仏教的、外来的な要素は後になってから加わった枝葉の部分」だと言う事 外国の影響なんてものは神社発展の過程の後発でしかも末端の部分 神社そのものの古来からの姿は弥生時代、古墳時代から連綿と受け継がれる物 神社建築の特徴的な部分を見ると古来からの継続であるのが分かる 神社には心御柱と言う物がある 何も支えてない意味のない柱 これは古来の社殿を持たない時代の神籬、磐境の名残 要は社殿を持たない時代から、社殿を持つ時代まで同じ精神性の信仰として神社が発展していることを示している この連続性を見いだせる祭祀の思想から日本の神道、神社が外国の影響かなどではなく、原始的な祭祀段階から受け継がれるものであると理解できる 当然、あらゆるものが日本発祥なわけではない 建築様式などは元々外来の物だろう ただ、その外来の物を独自の思想の元で他と全く違う様式に作り変え断絶することなく現代にまで受け継いでいる 銅鐸、銅矛なども原型が海外にあろうとも、伝来直後から全く違う精神性の上で独自改変をして利用してる これが独自の文化という物 海外の技術受け入れ と 海外の文化受け入れ というのは全く意味が違う だから、その狛犬の流れみたいに「後になってから加わったもの」が積み重なった集大成なのではって話だろ? >>454 それがイスラエル起源だと何故思った? イスラエルこそパクリ文化やん ID:60kOIFYd0の話は最もっぽく書かれてるけど、なんか説得力がない 独自独自と言ってるだけで根拠が示されてないから 社殿は良いけどほこらの存在はドラクエの認識から入ったから山の中にあるのは100%ショボいと思ってしまう。 ドラクエのは実質修道院クラスだな。 子供の頃の刷り込みは後々尾を引くね。 上でも書いたように神社の建築様式は弥生時代、古墳時代の形式を今に伝えている物 @農耕祭祀 A貴人への崇敬 B古代の祭祀場 これが神社の原型 これに自然物崇拝の時代の名残である心御柱などの他にない独特な様式を残している 神社の建築様式が弥生、古墳時代、さらにはその前の縄文の時代の祭祀をも踏襲していることを示している 外国の技術を用いていたとしても日本古来からの進行と祭祀を現代に伝えていることが分かる >>547 地名研究者らの本が好きで良く読むけど、全国にありがちな十三塚(トミ地名)系も黄泉と関係あるんかなって思った あと、忌み地名が割りと山に集中してるんで(イヨ/イヤジ/イヤマ/イヤダニ/イヤヤマ等)、"忌み" や "嫌/弥" も黄泉と同じ語源だったら面白いと思った ちなみに、葬式することを「ヤマを出す」「イヤマに行く」と言う地域がある >>585 農耕祭祀や祭壇なんて他の世界にもあるからなあ 必死なのは伝わるんだけど、だから日本独自と言い張る根拠にはならないように思うんだけど… 他に何か無いの? 社殿じゃなく古墳の話になっちゃうけど 日本の古墳はモンゴルから来たのかって話おもしろいよ 710 日本@名無史さん 2020/03/19(木) 03:40:45.46 出雲の四隅突出に似た古墳が内モンゴルに ttps://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1293798199/926 >>580 ほかに同じものをシンボルにしている民族があるの? 淘汰されていった膨大な少数民族のことは分からないんだからシンボル云々とか議論しても意味ない はいはい何でも韓国起源、ビッグバン韓国起源もミドリムシもクマムシもマザーミトコンドリアは韓国人と一緒。 伊勢神宮は明治時代に新設計されたって説もあるね 明治天皇大室寅之助説みたいなもんか >>1 宝くじ神社ww カルト教だけじゃなく全ての宗教はお金儲け 「信者」とか書いて「儲かる」と読む お分かりいただけたでしょうか モンゴルと言うか北方の墓制は積石墓 その名の通り小石を積んで作る墓 土を積み上げて構築する技術がなかった故 版築を用いて土を突き固めて作る四隅突出型と全く違う また「同じ墓を同盟の証として採用する」「墓上祭祀を行うための特異形状」と言う点も違う 根本的な部分が全く異なる墓制 何でもかんでも海外由来とか言う話はネタとしては面白いけどそもそも「なんか似てる」程度の根拠しかないモノばかり こういう機会にちゃんと否定しておく >>592 誰も韓国起源なんて言ってないような 韓国そのものの起源が向こうのアレだし >>597 教えてgooの質問の趣旨がそ言う方向なんぢゃねーの? 前方後円墳も讃岐や播磨、吉備に広まっていた円形周溝墓の発展形 国内の流れを全部無視して用法も繋がりも見いだせない「ちょっと似てる」だけで何でもこじつける珍説は毎度毎度見てて呆れるばかりだ 昔の建物なら中国に影響受けてないものなんてないんじゃないの 面白いと言ってるだけでこじつけてはいないと思うが 誰と戦ってるんだこいつは 思い込みで決めつけにかかってるのは自分だろ >>600 何故2ちゃんなんかにいるんだろう 俺ルール振り上げて皆を黙らせたいならブログ向き 掲示板は色んな人間が色んな視点で色んな雑談する所 四隅突出型はその最古段階が安芸国に現れてる 殿山墳丘墓などがそれ 規模は小さくその前段階の台状墓と貼石墓の組み合わせで出来上がってる それが次第に被葬者の権力の拡大に伴い巨大な物に変わり西谷王墓で最大の物が現れている そういう発展過程の上にあるのが墓制 ある日突然害意国から持ち込まれたような状況にない 前段階を完全に無視してなんでもかんでも外国由来とか言い出す人が多いからな ID:60kOIFYd0 この人、本で読んだことあるようなことしか書いてないし何が面白くてここに来てるのか分からない 一向に独自の根拠は示さないし、楽しい流れには水さすし、コミュ障なんだろうか >>593 そして尾張造りだった熱田神宮は、伊勢に倣った造りに建て替えたんだっけ >>601 同意 発展の仕方については例を見ないんだろうが、たたき台やら受けた影響やらは海外由来と考えるのが自然だわな >>574 いや、全然違うよおばさん お清めの塩が仏教由来じゃなかったら、じゃあどこからきたのかって疑問にも思わないのかって聞いてるの? んで、それがもしかしたら古代ユダヤ由来かも知れんという話 >>454 一角獣はサイの先祖のことだと思うけど、イスラエルにサイはいたのかな? 社殿、要は聖なる空間に有をはめ込んだものに過ぎない 大事なの空間性であり精神性なのだ そもそも「日本古来」つうが、「日本」自体7世紀末にできたもんだぜ・・ こんな説やこんな説もあるよ ←わかる ユダヤ起源! ←電波すぎる 日本独自! ←頭かたすぎる 白黒思考のキチガイわきすぎ >>617 似たようなものがあったかと。 少なくとも古代ローマ帝国が支配してた期間には。 古代イスラエルの幕屋 で検索すれば色々出て来る。 手を水で清めるとこも同じ。 >>572 >@神明造り。いわゆる伊勢神宮に代表されるもので高床式倉庫を原型とする 神社の構造が弥生時代の高床式建築を元にしているというのは納得だよ ただ、高床式建築自体は稲作の食料保管の機能的なものなので、中国南部から東南アジアまで分布してる。 祭壇として活用することは日本オリジナルかもしれないが、建築様式としては縄文か弥生期に伝播だろう >>619 母屋に入る前に手を洗いたいって割と人類共通の考えなんじゃないか だったら、門、手洗い場、神殿はあの配置にならざるを得ないだろう >>615 ムーじゃなくて旧約聖書な ロトの妻の塩柱は旧約聖書でソドムとゴモラの滅亡に関連した話で(『創世記』第19章)、ロトとその家族は神によって救われるが、逃げる途中は振り返るなと神に言われたのに、ロトの妻は振り返ったために塩柱にされたと言われているもの。 >>612 グルジアからジョージアみたく 倭から国名変更しただけじゃね。 >>622 イスラムもモスクに入る前には手と足も洗うからな。 >>622 疫病が流行することも度々あったはずだから、その都度おてて洗うなんて世界で普通にやってたんじゃねえのと思う >>625 読み方そもそも違うだろ 伊都国から勉強し直してこいよ ユダヤ電波はそういうスレ作って移動してほしい ここは日ユ同祖論の証明をするところではない ように旧約聖書の世界では、「塩の海」(創世記 14:3、民数記 34:3,12,17,ヨシュア記 3:16,12:3,15:2,)、「塩の谷」(列王記 II 14:7,サムエル記II 8:13,歴代誌 I 18:12 ,歴代誌 II 25:11,詩篇 60)、「塩の町」(ヨシュア記 15:62)、「塩地」(エレミヤ書 17:6)、「塩穴」(ヤバニヤ書 2:9)の記載があるように、塩がごく身近にあったと考えられる。 しかしまた「塩」は聖書の中でかなり重要な言葉になっていることがうかがわれる5)。 すなわち宗教的表象として、「神の契約の塩」(レビ記 2:13)、「永遠の塩の契約」(民数記 18:19)、「塩の契約」(歴代誌 II 13:5)、「塩をまき」(エゼキエル書 43:24)(士師記 9:45)、「地の塩」(マタイ 5:13)がみられ 、健全の生活には「塩味のきいたもの」(コロサイ4:6)があり、「塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。 あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。」(マルコ 9:50)、もし塩がその効用を失うときには、「硫黄と塩によって焼け土となり」(申命記 29:23)、 また「もう、死や流産も起こらない」(列王記 II 2:19-22)にみられるように無益、荒廃、死の表象になる。 また水の悪い土地で「この町は住むのには良いのですが、水が悪く、この土地は流産が多いのです。」「新しい皿に塩を盛って、私のところにそれをもって来なさい」水の源のところに行って、塩をそこに投げ込んで言った。 「主はこう仰せられる。『わたしはこの水をいやした。ここからは、もう、死も流産もおこらない。』 こうして、水は良くなり、今日に至っている。」(列王記 II 2:19-22)、 「塩水が甘い水をだすこともできないことです。」(ヤコブ 3:12)、「その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のまま残る。」(エゼキエル書 47:11)。 また「あなたの生まれは、あなたが生まれた日に、水で洗ってきよめる者もなく、へその緒を切る者もなく、塩でこする者もなく、布で包んでくれる者もいなかった。」(エゼキエル書 16:4)の記載もある。 >>630 倭・日本とも表記して「やまと」と訓ずることもある >>588 それは日本国内の在日さんたちがいつもの牽強付会でやってることで たとえば日本の方墳は、安満宮山や神原墳を持ち出すまでもなく 前方後方墳も文献史学上の国津神、あるいは各系譜が天孫として記されたり 国津神として記されたり両方の記載を持つ丹後や尾張系などの重要人物の 海人族のものといわれています。 668名無しさん@1周年2019/06/14(金) 01:42:36.53ID:yMg1WHUq0 高麗人の動き、 朝鮮北東部を出港→能登半島に上陸→山越え→長野に到達→山越え→群馬に到達 →関東一円に広がり定住化 朝鮮半島特有の方形周溝墓が関東地方で大量に出土した事実から半島系の渡来人は 壱岐対馬を通らずに直接日本列島に来た者も非常に多かったと思われる 673名無しさん@1周年2019/06/14(金) 01:54:39.51ID:PME0V1VA0 >>668 方形周溝墓は朝鮮半島特有じゃないんだがな 関西から北陸から北関東少数に伸びている方形周溝墓は 高麗と何の関係もないな 方形周溝墓の大量出土? 関東のどこで大量発見された? 示せよ 674名無しさん@1周年2019/06/14(金) 01:59:54.73ID:yMg1WHUq0 >>673 方形周溝墓は弥生時代よりも前の時期に朝鮮半島で大量に出土している 日本では滋賀県と埼玉県が抜きん出て多く出土している。 675名無しさん@1周年2019/06/14(金) 02:00:08.76ID:Bo8Bx/X50 『あるある正誤問題』のセンターの4ページ目で 弥生時代には朝鮮半島南部に起源をもつ方形周溝墓が各地でさかんに作られた。 (誤)方形周溝墓→(正)支石墓 (誤)各地→(正)九州北部 となってるんですが…確かに各地というのは誤文ですが弥生時代に方形周溝墓も使われたと思うんですが…朝鮮半島南部からの影響があるのは支石墓ということですか??少し気になったので確認したかったのです(>_<) <石黒> 教材をつかってくださっているそうで、ありがとうございます。 支石墓の特徴としては、 地上に石を置くとか、九州北部とかもありますが、 出題率的には圧倒的に「朝鮮から伝わった」のがポイントです。 方形周溝墓は朝鮮から伝わったものではありません。 このため「朝鮮半島南部に起源をもつ」を読んだ瞬間に、 「支石墓でしょ」ってつっこむことができるんです。 >>638 日本最古クラスの神社である三輪神社と諏訪大社は御神体が山で拝殿のみで本殿をもたないよね 少しずつ本殿とかが出来て形になっていったんだろうな 伊勢神宮の神殿が出来たのは、法隆寺建立の後です。 つまり、大瓦を使っての大きな建物を建てる事が出来るのに、 瓦を使わずに、太古の時代を思わせるような神殿を造りました。 要するに、天皇家には、そうしなければならない伝統が当時にあったのです。 あの伊勢神宮の建物が、天皇家の出自そのものです。 4隅突出は素人の私でも大国主の活動範囲と一致するという内容を20年以上前から著名な専門家の講演で聞いて知っておる >>1 題目設定が外国人か何かなのって思っちゃうよね >>639 牽強付会だけで妄想食べて生きてる人はその仲間内だけにしておいて欲しい なんでもかんでも思いつきで付会する前にまず日本の歴史の勉強からやってみればどうかな? まず日本の縄文時代は巨木・高木・巨石信仰なんだけどね 中学校で学ぶよ それを組んだのが三内丸山の遺跡 教科書や専門書に高い石柱まで載ってる 諏訪の高木倒しもそういう精神文化の名残 まえにその縄文時代からの巨木高木信仰を 朝鮮半島のソッテだとかいう人がいて唖然 たぶん言ってるのはアメリカ人じゃないよ タカミムスヒは高天彦の社があるところか 対馬が起源といわれている 関西の先住古族の葛城氏はタカミムスヒの後裔で それが葛城土神の系統でもあるので日本の歴史は 皇室もそうだけど物凄く深くて、付会して解決できる ものなんて一つもないよ >>637 お前リンク先ちゃんと見てないだろ? 尾張人が内モンゴルに行ったって意味か? 神殿の起源を語るスレでユダヤが出てこない方が不自然だよ >>645 中国に呼ばれた倭という国名から聖徳太子が「日出ずる国」日本という国名で独立宣言したのだよ。 だいたい日ユ同祖論を主張してる人がその辺にいる素人研究家とかじゃないんだよ。 度会神道とか籠神社とか 要は神社の中の神社みたいなところの中の人が主張してるわけで、それ無視するわけにいかないじゃん そもそも神は仏なので 神社も元々は寺院だったし 神社と寺院が似てても何ら不思議ではない >>1 神社の社殿そのものは、日本神道よりも、 仏教の要素から来たものだろう。 日本神道の社殿の元は宮津の眞名井神社の 拝殿のような小さな祠のようなものだろ。 古代の出雲大社神殿の想像図とか言っても、 容積自体は小さいので、たいした人数も収容できない。 外形的に高床で外階段が正面についてて、 インドネシアのdayakのlong houseとそっくりだ。 >>650 度会神道って伊勢神宮外宮だよね 日独伊三国同盟締結の時に伊勢神宮のスタンスはどうだったんだろうか? 寺と神社は様式が全然違う 習合が始まった平安期から混ざった形で作られるもののそれこそ本来は完全に別物 仏教伝来当初の寺の特徴は瓦屋根 そのために神社側は寺をバカにするときに「瓦屋根」と呼んで見下していた 古来双方が全く違う建築様式を持っていたことを示す傍証 仏教の影響などは後の時代から持ち込まれたに過ぎない 日猶同祖論って言っても半島人好きのするどっちかがどっちかの先祖って話では無く謂わばヒトとサルとは同じ祖先を持つって意味の同祖だからなあーどっちがどっちとか言うな 度会も籠神社もどちらも饒速日を始祖とする氏族で 唯一神を主張してるからなあ >>654 天照大神の岩戸隠れの際に建てられた時を告げる鶏の止まり木が由来とされることが多い アメノワカヒコやヤタガラスの神話にあるように神の使いは鳥 鳥が伝言を伝えにやってくるという考えがあった 双方ともに鳥が門の上に止まって神の意志を伝えている このために神を迎えるための門を作ったのが鳥居の起源と言われる 日本は漢語的な表現だから始めには隋唐側で「日出る処」と称して居た野党を指して日本と称して居たんだろう その後に天智統を牛耳った百済系閨閥が白村江会戦大敗後のマッチポンプ敗戦処理をするプロセスで日本を自称した で冊封されて日本國の誕生と相成った 古代東洋に於いては「國」は勝利により建てられるモノでは無く降伏により封じられるモノだったんだよm9(´・∀・`) 百済式外交は大国に公式記録される部分ではへり下りつつ言動は華々しい現在の韓国人と全く同じ仕口だったんだろうなぁ >>657 饒速日は物部氏の祖神だし 籠神社は奥社名や由緒見るに秦氏系では? 銅鐸に鳥の扮装をしてるシャーマンと思われる人物像が描かれていたり、 仁徳天皇陵で鳥の形象埴輪が多数配置されるなど古代では鳥を何らかの神秘的なものと考えていたことが読み取れる 鳥居はそういう神聖な存在を受け入れるための場所だった可能性があるね >>661 でも籠神社の絵馬には饒速日とイチキシマヒメが書いてあったらしいけど そもそもが、神道は社殿の中に神官などの人間を収容して儀式を行うという 考えは無かったろ。 宮津市の元伊勢・眞名井神社がその代表では? 三重に伊勢神社が創建される頃には仏教の影響が入ってきてたんじゃ? 仏教は公式の伝来時期(552年か538年)よりもずっと古くから民間の交流によって 日本に入ってきてたと五来重などが主張してる。 俺は素人に過ぎんが余りにも意見が少ないので喋らざるを得ないw >>665 伊勢神宮の社殿には渡会氏の娘しか入れないらしいよ 斎王も手前までしか入れないらしい 塩が防腐剤になるのは食物が腐りやすい地域やな 砂漠の民のユダヤが由来とは考えにくい 神輿にしたって同じ あれは水害のある地域でこそだ なんで遊牧の民が集まってて神輿担ぐのよw >>652 ひとをいれるもんてはないだろう 誰が入るんだ 日ユ同祖論とかとっくに否定されてるトンデモを信じてるやついるんだな 「お前の国は何というのか」 「えっと・・・わーくには・・」 「倭か わかった」 >>46 宗像大社の奥の丘のほうにある、神様がしろしめす場所みたいなの? 大きな話ばっかりだなあ 秩父の東京から日帰りで行ける山でも、岩に縄か何か巻いて祀ってたりするな プチ神社?お墓?的な感じ 日本に仏教が初めて入ってきたときも、初期のキリスト教なみに邪教 扱いされてたというねw それが何百年もたって、鎌倉時代あたりに ようやく馴染んできたわけだねw 神殿はユダヤ 基本 平安京を作ったのもユダヤ 基本だよ キリスト教は、他宗教を 表向きそのままにして中身を すり替えてしまう癖がある 島原の乱の頃 国家神道廃仏毀釈の頃 スピリチュアルブームの頃 に侵略を受けてるけど そもそも日本の神社って壮大な日本人の知恵というか、和の装置だからね 外からの宗教の侵略までお見通しというか それ前提につくられてるからね 外から来た侵略者を神様と祭り上げて、社殿に閉じ込めて 封印して、後の世のなんもしらない日本人に神様として純粋に 祀らせると、あら不思議、侵略者の邪念が浄化されていく >>667 古くから日本には塩に浄化作用があると信じられてきた。相撲で力士が塩を撒くのもそうだし お母さんが作ってくれた弁当の茹で卵にお清めの塩がついていたのネタで有名なお清めの塩も 嫌な客が来たら塩まいとけって言うのも同じ ただし 内陸の国だと塩は貴重品だから、日本や死海があるユダヤみたく気軽に塩でも撒いとけ なんてできないってのもわかる だからあくまでも可能性の一つ 【古代】古墳時代の出雲人は縄文人寄り DNA解析で判明 弥生人との混血 進んでいない可能性 ◆弥生人との混血 進んでいない可能性◆ 古墳時代の出雲人は、同時代に関東で見つかった人骨や現代の日本人よりも、縄文人に近い遺伝子を持っている――。出雲市で発見された古代人骨のDNA解析から分かった。古代出雲では、大陸から来た弥生人との混血が進んでいない可能性がある。 出雲市の出雲弥生の森博物館で昨年12月、同市の猪目洞窟遺跡で1948年に発見された古墳時代(3〜7世紀)のものとみられる人骨のDNA解析結果の報告会があった。 多分、環太平洋に住んでいる人はいた。 そこへユダヤの文化を引き継いだ一団がやってきた。 大きな影響を与えたが、ユダヤは選民思想なので、他社を同化することなく終了。 元々住んでいたひとも、ユダヤの文化の都合の良いとこだけ取り込んだ。 そんなとこではないかと思ってる。 証拠は無い。 >>655 というか、神社が寺院から分離したのだ 寺院が先にあり、神社が後から出来た 神社が出来たのは明治時代以降 中国では実際にユダヤ人コミュニティーが発見されてるが日本で同種のユダヤ人は発見されていない これが全て 本当にユダヤ人の末裔ならちゃんと自分らのことをユダヤ教徒だと自負してるはずだよ 平安22社は畿内ヤマト権力以外は除外されて いるから逆に分かりやすい。 物部曽我継体も同様。天神も菅原、八幡も 男山、箱庭の狭い平安おじゃるの世界観。 >>687 混血は進んでますよ。なぜなら母系はアジア系が優位だったから。 ただこの結果はアジア系が元々いたところに D系統があとから入ってきたことを示唆している。 南米なども母系は現地系が優位で男系は欧州系優位。 そして縄文人優位だった関東のアジア系が出雲より優位だったことは、 関東へのD系統進出が出雲より遅かったことを意味する。 神道と係わりの深い中臣氏や忌部氏はアジア系で 神話の上では天照大神を彼らが迎える形になっていることとも符合する。 従来の縄文系、弥生系の概念は覆ってしまう。 >>651 >神は仏なので これ誰がいつ決めたの決まったの? お前さんの勝手な決めつけと思い込み(思考停止)なんじゃね? そもそもとして旧石器時代は大陸とも地続きだったわけで、 そこにアジア系が入ってこず。弥生時代になってから海を渡って入ってくるというのは 地政学的にはかなり無謀な発想。 アジア系である中臣氏の根拠地から旧石器時代の遺物も出てくるから、 元々列島にはアジア系がいたと考えるのはごく自然な発想。 >>695 神が仏の姿でどうのこうのこうのって説な ググればあると思うぞ 神道という概念は仏教伝来に対して、もともとあった各地の民間信仰をまとめるために導入されたもの。故に統一的な経典はない。 そういう意味では土着系ともいえるのに対して、仏教は国策で導入された宗教という歴史を持つ。 これはキリスト教がローマの国策で導入されたのと同じだともいえる。 >>693 男山と言えば樟葉の辺りか樟葉と言えば北極老人だな、北極老人が住むくらいだから何かあるんだろうね >>695 代わりにググってやったぞ感謝しろよ 本地垂迹の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典 ほんち-すいじゃく【本地垂迹】 日本の神は、インドの仏や菩薩ぼさつ本体が人を救うため、 神の姿を借りて現れたということ。また、そのように仏教と神道とを融合させた考え方を指す場合もある。▽仏教語。「本地」は仏・菩薩の本来の姿のこと。「垂迹」は仏が借りたいろいろな神の意。「地」は「じ」とも読む。 >>692 そんなことはない 聖書の預言ではエフライム族はエルサレムに連れ戻されるまでヤハウエを捨てて偶像崇拝することになっている。 もしエフライム族の子孫がいたとしたらその預言を守ろうとするはずだ。 >>691 神仏混交時代の寺院上位はあったし 神社建築の成立に仏教伝来が関わってるとは思うが 明治期まで神社が単体で存在し得なかったなんてことはないよ 現に明治政府も多過ぎる神社の整理という建前で神社合祀令を出している ちなみに神社合祀令の真の目的は鎮守の森の木々を伐採して木材化し金を得ることだった >>702 現在の神道は国家神道由来 国策で明治時代に導入された宗教なの 二礼二拍手一礼とか明治時代に決めたの それまで神社では経を唱えていたし 写経を納めていた だから神社にも御朱印があるの つまり、現代人が神社と呼んでいるものは 明治時代に仏教から分離させた成分であり 本来あった古代神道とは繋がりが無い >>692 いまのユダヤ人ってエセが大半だぞ 聖書の教えを守ってる純粋なユダヤ人はキリスト教に改宗しているだろうし いま残ったユダヤ人はキリストを十字架にかけた連中の末裔と途中から入ってきた異邦人の金持ち >>705 本物の十支族なら守る人もいるのではないかと思う。 神=仏 分かりやすく例えれば 古坂大魔王=ピコ太郎 分けて考える方が変なんだよ >>666 >>伊勢神宮の社殿には渡会氏の娘しか入れないらしいよ 斎王も手前までしか入れないらしい じゃあ、大きな社殿は全く必要ないわけだ。 神仏習合は勘違いされることが多いが仏教側からの一方的な話 勝手に「神は仏の化身で下位の存在」といわれてる 当然、神道側は別に受け入れてもいないし納得もしていない 神道側からもそれを否定する説が提示されているが仏教勢力があまりにも巨大すぎて反論の声がかき消されてるだけ たとえば「三教枝葉花実説」や本地垂迹の逆の「神本仏迹説」などが提示されている 一方的な仏教側の「侵略」に対して神道側は勢力的な問題で抵抗できなかっただけ その反動で明治の時に国学者が仕返しとばかりに過激な廃仏毀釈運動を起こしている >>709 というよりも 元来、古代神道も仏教も、 個別の宗教という概念が無い。 従って、敬うものは神であり仏であり 何ら区別の必要が無かった。 天にも地にも神は宿っており それは仏と一心同体と考える 区別したのは皇室の権威を高めるための政策 この政策は欧米の宗教感なの 一神教的視点だと、分けねばならないから アッラーとヤハウェは別物と考えるから 神道的視点なら尊崇するもの全てが神であり 仏なの >>709 神仏習合の最初は仏教受容問題で蘇我氏と激しく対立し 蘇我氏を滅ぼした中臣鎌足が中臣氏の根拠地でかつ 物部と関係の深い場所に建てた山階寺であることは歴史的に明白。 これによって対立から融和の時代へと踏み出した。 その後壬申の乱で天武天皇側が勝利し。 山階寺は奈良に移転し興福寺となり同時期に中臣氏の神社である春日大社が成立し神仏習合の基礎ができる。 伊勢神宮や多くの神社が形式を整えていったのもこのころ。 しかし天武天皇が中央集権のために唐から取り入れた官僚制度などとともに 仏教勢力も大きく勢力を伸ばし、最終的に大仏建立という一大イベントに行きつく。 ここで再び大化の改新の頃の揺り戻しが国民の貧困を背景に起こり。 中臣氏の根拠地である山科の隣に京都が成立し神仏習合が完成し1000年の都となる。 これらすべてに深く関与していたのは藤原不比等であることはいうまでもない。 江戸時代の仏教は一向一揆の勢力である浄土真宗に対する脅威から、 幕府によって厳しく管理されそれと同時に保護したから勢力拡大に至った。 明治期は討幕運動なのだから、幕府と深く結びついて施政者側に回っていたことが恨みを買った側面があり。それが激しい廃仏毀釈の動きにつながった。 今はその尻尾の時代。 滋賀の伊勢遺跡が気になる なんであそこの地名が伊勢なのか教えて 葬式仏教が力をつけて神社はショボクレていったイメージしかない。 一部の観光で有名な神社なんかはすごい人だけどね。 観光で食っていくのと、あとは七五三かな。 寺と同じでイベントで稼ぐのとお守りお札なんかを売りつけたりする場所だね。 >>677 籠神社の宮司家の海部氏は家系図が家系図としては唯一の国宝指定になってるような家柄だぞ 裏天皇の都市伝説で名前が出てくる八咫烏、賀茂氏は母系ルーツが丹波だし、 丹波〜丹後の辺りがアマテラス系の本当の本貫地かもしれない >>714 それ言い出したら 東京にある長崎、佐賀、久留米とか何だよって話。 >>715 まさにその通り 仏教と神道の決定機な差は葬式ができるかどうか 江戸時代には平田派の一部が開発した神葬祭が認められたために平田派が資金力を手に入れて大きな力を得た ところが明治維新の際にその平田派が宗教的な対立を伊勢派と繰り広げたために葬式を禁じられた そして神社からも追い出されて実質的な力を失うことになった 今は神葬祭も当然認められてるけど僧侶とか言う葬式業者の事実上の独占状態でそのシェアは小さい 棟持柱と急こう配の妻屋根の組み合わせは、東南アジアでも見られる。 ここまで、最も重要なキーワードが出てない。 ぼんくらばっかりだな。 繰り返しになるが神道側は仏教との同一視を嫌ってる 実際に伊勢神宮は僧侶の参拝を禁じていた 仏教を穢れとして神域に踏み込ませない姿勢をとっていた 今でも大宮の氷川神社などは一度も仏教を踏み込ませなかった姿勢を維持している 仏教的な文物の持ち込みを禁止している 神道としての自我を確立してる場所では仏教を受け付けない これがそもそもの姿 二礼二拍手一礼については元々が古代の宮中での儀礼 当然、記録のない時代の詳細な神社への儀礼は分からない しかし古墳での埴輪の祭祀再現の様子や、大社造、住吉造の社殿の在り方から神社の祭祀と貴人への儀礼は同一のものと考えられている そのために神社の拝礼も古来の貴人への儀礼、つまり宮中儀礼に求めたうえでこの方式が採用された この儀礼は延喜式や内裏儀式にも見える 実際に日本書紀の持統天皇即位の際の群臣の祝賀でも柏手を打つ儀礼が行われている 「もともと」というのを仏教や武士、庶民文化に毒された時期に見るのではなく、より根源的な時代の儀礼に求めた結果の儀礼 >>719 朝日新聞と言う著名なメディアは社員物故者の慰霊を神道形式でやっておる >>722 それは明治以降の廃仏毀釈の尻尾。 春日大社と興福寺の関係を知っていればそういうお馬鹿な発想にならない。 そもそもとして、皇室の菩提寺は泉涌寺。 御寺の僧侶は皇室の血を引く人も多く。 男系継承のために力を借りる可能性もある。 そういう人たちも参拝も伊勢神宮は拒否するのかな。 >>719 高杉晋作の葬儀って神式でやったはずだよ 戦前の公式な慰霊式典は榊を備える神式だったはずだよ 日露戦跡とか榊が備えられてたと >>707 日本語の仏っててきとーに使われてるよなー 死者のことも仏様というし 仏像全般仏様というし 仏陀を指すことの方が少ない >>723 魏志倭人伝に、敬意を示す作法は、拍手を打って、うずくまり、拝む。とあるね 腐りやすくなるにも関わらず柱を土に直接埋め込む掘立て式にこだわったのは 母なる大地に男根に見立てた柱を深々と挿して、太陽に向かっておっ立てることに 宗教的な意味を持たせてたかららしい 別に一神教と日本の神道がそれほど矛盾してるかというとたいしてしてない。 どちらも創造主らしき存在がいて、それをヤハウエというかアメノミナカヌシと呼ぶかの違いである。 アマテラスやスサノヲなどは日本では神といっているがただの先祖霊である。 ただ、大きな違いがある。 ヤハウエは人間に対して物を言ったり賞罰を与えたりするが、アメノミナカヌシは何もしない。 日本の方が後から作っただけあって非常にうまくできてると思うのは、創造主が物をいうと自称神の代弁者が乱立しそういう人が氏族を好きなように操れてしまう。 日本は天皇の近い人しかそれはできないということにしてまあまあその弊害を限定的にしている。 それも天皇のできるのはあくまでも自分の先祖霊の言葉しか聞けない設定になっているのが秀逸である。 >>705 エセって何? そもそもユダヤ人は大昔に全世界に散らばったんだから、異邦人も何も各地に子孫がいて混血も進んでるだろ? 日本人、アメリカ人、みたいな民族名じゃなくて、ただの教徒名だろユダヤ人って? なんか勘違いしてない? >>639 アリランだかを歌う地獄の門から来たエヴェンキに百済以前の朝鮮半島は関係ないだろ。 詳しい人が多いんだねえ 俺は神社を日本国内だけではなくて世界中に作る仕事をしてるんだけど 詳しいというか、皆それぞれ自分好みの聞きかじり情報を推してるだけのようなふいんき(なぜか変換ry >>714 隠岐の島に伊勢命神社っていう隠岐国独自の伊勢命なる神を祀った神社がある アマテラスや伊勢の名称は隠岐の島経由の渡来人と関係してるんだろう >>728 それは明治維新以降に作られた概念。 日本人は千年数百年もの間、神と仏を同一視してきた。 天照大神=大日如来 八幡神=阿弥陀如来 素戔嗚=薬師如来 ニニギ=釈迦如来 だから神社でも納経の証として 未だに御朱印を授与している。 日本人が同一視してきたっていうより 日本に仏信仰を広めたい寺側が「おたくらの拝んでる神って実は仏なんよ!」って誘導してうまくいっただけの詐欺 >>748 それは権力で寺に神社を管理させてたからだろ それ以前は神は神だっただろ 仏教が来たの何年か知ってるか 神仏習合については指摘されているように、仏教側からの一方的な言い分 「侵略」といっていい 日本文化を席巻した巨大勢力の仏教に対して神道側の声が通らなかっただけの事 神道側からいくつもの反論が出されたが結局まったく知られていない 伊勢神宮が僧侶の参拝を禁じている事などからも分かる通り、神道は仏教との同一視を嫌っている >>751 仏よ〜伊勢神宮と神宮寺〜 - 三重テレビ放送 ttp://www.mietv.com/special/inori/yotei_01.html 私たちは、なぜ、神にも仏にも手を合わせるのでしょうか。 日本古来の神を祀る「神道」と、インドで発祥し、大陸より伝わった「仏教」。 この二つの異なる信仰は、日本の国の成り立ちの中で、互いに影響し、調和していきます。 これを「神仏習合」といいます。 神さまを祀り、神職が奉仕する神社にも、古くは仏教の影響を受けて、寺院が建てられ、僧侶が読経する時代があり、神社に附属するお寺「神宮寺」が建てられました。 これは、皇室の祖先神である天照大御神を祀る伊勢神宮も同じでした。 「神仏習合のかたち」として、奈良時代に出現するお寺「神宮寺」。 なぜ、神社に寺が建てられるようになったのでしょうか。 伊勢神宮の神宮寺である「伊勢大神宮寺」の建立の経緯や、「神宮寺」という、神社に附属するお寺の存在を考えながら、日本人の信仰の歴史をたどります。 >>752 これ見たけど、支配された過去を頑張って正当化してるだけのようにしか見えなかったよ >>752 お前、ただ反論要素ググっただけで番組は見てないだろ コピペしないで自分の言葉でレスしろよ 伊勢への信仰ー次の20年へ https://www.sengukan.jp/wp/wp-content/themes/sengukan/media/pdf/record/h26/20150129-zuroku.pdf かつての伊勢神宮は他の神社と同じように朱塗りの神社だった時代がある 古来からずっと神明造を継承してきた訳ではない このことからも中世の伊勢神宮はかなり仏教色の強い神社であったことが伺える 伊勢の神宮寺はこれも仏教勢力からの一方的なアプローチ 多度の方に至っては神の身が辛くて仏になりたいから仏門に入りたいという願いで建てたとか言う噴飯ものの内容 大神宮司も国策で作られたがすぐに廃絶している 金剛證寺については「寺が神社を守る」という図式ゆえに伊勢神道として受け入れられた形 どの道、神道側が喜んで受けれいたとか作ったものではない むしろ仏教からの圧力の存在を見出す要素 この辺のことは関連書いくつか読めば分かることなのにね 武士が活躍していた時代は幕府や地方の有力武将が神社の建築費用を持つことが多かったけど 出来上がった神社は大体朱色で荘厳な神社だったんだよね まあ当時は仏教の影響力が一番強い時代だったから仕方ないけどさ 朱塗りは別に寺の様式じゃない むしろ弥生時代などから神聖な場所を水銀朱を使って赤く彩色する日本古来の信仰に基づく色 鳥居などを赤く染めるのもそれが元 その提示している資料にも「僧尼拝所」の事が記載されていて僧の参拝を拒絶する様子が書かれている 聖徳太子に始まって、日本のアイデンティティに口出ししてくる奴増えたから、みんな注意しろよ? >>761 なんで朱塗りイコール仏教みたいな決めつけで話を進めてるんだろう 朱塗りは大陸の少数民族やなんかにも散見される習俗だし、弥生時代の城野遺跡なんかでも墓が朱塗りされてるのが見つかってるし、古墳の内側が丹塗りされてるのも見つかってるし、仏教から来てる訳じゃないんだけど たまにBS1とかで中国少数民族の番組やってるけど、ころした鶏とか羊とかの血を家の柱とかに擦り付けて魔除けにしてるのを良く見る(もちろん仏教徒ではない) 唐辛子が魔除けシンボルなのも単に赤いじゃねえの 巨石や大木、山、川、そのものが御神体って言うところも ざらにあるからなあ。 >>16 鳥居とか磐座信仰は古代高句麗由来だったっけ? >>761 武士は戦闘系の神仏を好む傾向があり、その時代は本地垂迹が浸透していたから寺系の色が強かった そして彼らは神仏を拝むため金に糸目をつけなかった 単純に武士の好きなように金をかけられたから朱塗りできただけのことだと思うが >>764 シナチョン以外にも、毛唐も混ざっているからなw 伊勢神宮、宇佐神宮などが古代からある神社の形 江戸時代以降、全国の神社は改修が行われて現代に残っている 太宰府天満宮など 日本のものにいちち難癖つけるシナ、チョンうざい 本当にねたみのかたまりだなw そもそもの話、仏教が伝来する前から日本独自の信仰は存在している その祭祀の姿は沖ノ島祭祀などでも知ることが出来る 神社建築が弥生、古墳時代の建築様式そのもであることも周知の事 神社の歴史を調べれば仏教の要素は後発でしかも枝葉の部分に過ぎない事がむしろ明らかになる 当然、建築方法などは外国から得た物もあるだろうが、それは「神道が外国の物だと言う事を意味しない」 日本人が様々な文化を独自の信仰の上でアレンジして用い自らの文化として成立させている 外国の技術が一部用いられていたから外国の信仰などという話は失笑物でしかない >>761 >大体朱色で荘厳な神社だった・・・・・・・ 例えば〇〇神社のことなの? 朱色社殿というと奈良春日大社・広島厳島しか思い浮かばぬ。 あとケバいというと日光東照宮。 >>745 今までどこの国で作ってきたの? どういう機関から依頼されるの? 作った神社の画像とか見たい >>722 あんましアホなことに拘泥してると 天皇家がまた仏教回帰するぞ そもそも明治天皇が仏式即位望んでたと知られちゃってんだ 先帝も葬儀火葬を押し通して、ご学友は即位礼をコスプレと公言した ありゃ上意だなきっと 海外の神社といえばハワイにもあるね 御朱印まであるからちょっと面白い >>781 アホなことに拘泥? >>722 ではないが、朝廷は聖武天皇このかた 江戸末期孝明天皇まで1000年余仏教に帰依し続けた。 菩提寺泉涌寺には行幸しても祖宗伊勢神宮には行幸せず。 それを1867年王政復古令で倒幕派が祭政一致を 打ち出し、追従国学者が敵視仏教を排斥・古代神道を 祭政一致の「祭」に選び明治政府が採用しただけ。 時の天皇ご自身の意向には無関係にね。 日本の神社に朱色が多用されてるのは道教の影響かもな。 道教寺院は壁や柱に朱色を使うことが多いらしい。 一方で仏教は黄色を良く使うらしい。 長崎総合科学大学学長の林一馬は伊勢神宮に道教建築の影響を指摘してるが。 神社ってどう見てもチョン臭がしない建物と作法だよね >>750 確かに仏教以前に宗教はあった。 しかしそれは古代神道という別物。 現代でいう神道は明治維新以降に作られた 国家神道をベースにした新宗教的なもの。 だから日本全国どこの神社も同じ様な式たりで参拝したり行事を行うの。 本当の意味で古代からある宗教は諏訪のミシャグチ信仰ぐらいなの。 社殿を建てるという行為そのものが大陸からの影響を示しているもんな 本当に古くからの神道を守っているのならまず社殿なんか建てないし山や巨木や磐座を信仰しているはず 今も僅かではあるがそういった信仰は残されてはいるが、殆どの神社はもう神道古来のやり方を守っているとは言えないだろう >>786 >本当の意味で古代からある宗教は諏訪のミシャグチ信仰ぐらい・・・・・ 本当の意味で宗教と呼べるには教義・教典がないとね。 御石神信仰に教義・教典はあるのだっけ? 古代からある信仰レベルならチカモリとか土偶とか石棒とか諸々ある。 東日本に於ける古代信仰 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/min/1409540521/ >>778 確かに、信仰が存在しない古い民族など居なかっただろうしな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる