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【起源】「神社」の社殿は日本古来のものなのか? ★4 [樽悶★]
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0001樽悶 ★
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2020/05/15(金) 18:22:07.64ID:1hvqSqVP9
全国各地に点在する神社。初詣や七五三、合格祈願など、訪れる機会は多く、我々日本人にとって非常に馴染みのあるものといえよう。

ところで、普段あまり意識したことはないかもしれないが、そもそも神社の社殿は日本古来のものなのだろうか。

「教えて!goo」にも「日本の『神社』は日本古来のものか、日本化されたものなのか、外国のものなのか?」という質問がよせられている。そこで今回も、日本宗教史研究家である渋谷申博さんに、神社の歴史などについて尋ねてみることにした。

■神社の社殿の歴史

まず、神社にある社殿はもともと何だったのか、その起源について話を伺った。

「社殿の起源については、諸説あります。かつての説では、古くは社殿がなく、聖地に神籬(ひもろぎ)のような仮設の依り代を置いて神祭をしたとされていました。しかし最近では、弥生時代の巨大神殿の存在が知られるようになり、社殿の起源をそこに求める説も出ているようです」(渋谷さん)

神社には多くのロマンがありそうだ。

「もっとも、山や滝、巨石を御神体とする神社は、これを社殿に入れるわけにはいかないので、露天祭祀(ろてんさいし:青空の下で神や祖先をまつること)が起源の神社も少なくありません。現在も大神神社(おおみわじんじゃ、奈良県)や金鑚神社(かなさなじんじゃ、埼玉県)などは、本殿を持たない神社として知られています」(渋谷さん)

本殿すら持たない神社が存在するとは……。御神体の形もさまざまあるようで、実に興味深い。

■神社の造り(配置)の意味

次に、本殿や宝物殿、鳥居、狛犬、手水舎(てみずや/ちょうずしゃ)といったものに、どんな意味があるのか聞いた。

「もともと神社においては祭祀が行なわれることが重要で、社殿の有無は二次的なことです。そのため、鳥居や聖地を結界する瑞垣さえあれば、神社としては成立可能といえます。また、社殿配置に決まりはなく、寺院のような四天王寺式伽藍配置(してんのうじしきがらんはいち)・飛鳥寺式伽藍配置といったものはありません。なお本殿は、南向きが多いのですが、北向きなどの場合もあります」(渋谷さん)

社殿がなくても神社が成立するというのは驚きだ。神社の主要な施設について改めて説明してもらった。

「神社の主要な施設としては、以下のようなものが挙げられます」(渋谷さん)

本殿:御神体を奉安する社殿。神社でもっとも重要な建物
拝殿:本殿を礼拝するための社殿
摂社(せっしゃ)・末社:境内にある小さな神社(本殿だけのことが多い)。摂社は本殿の御祭神にゆかりの神を祀る社で、末社より大きいことが多い
神楽殿(舞殿):神楽・芸能などを神に奉納するための社殿
手水舎:手と口を清める(禊の代用)ための施設
社務所:神社の事務などを行なう場所、神札・朱印などの授与所を兼ねることも
狛犬:正確には獅子・狛犬。境内を守る霊獣。稲荷社の狐は神使(しんし)といって神のお使い。天神社・天満宮の牛なども神使
宝物殿:神社の宝物を納める施設。参拝者に公開する博物館のこともある
鳥居:聖域との境界を示す象徴的な門。神社のシンボル。起源などは謎
神門:神社の門。二階建てのものは楼門という。脇間に随神(随身)像を置くものは随神門ともいう。すべての神社にあるわけではない

改めて見てみると、非常にたくさんの施設があることに驚かされる。また、鳥居の起源が不明というのも意外だった。

■「寺」の様式はやはり伝来?神社との違いは?

最後に「寺院」いわゆる「寺」についても聞いてみた。

「寺院は仏教とともに伝わったもので、言うまでもなく外来です。神社が神のための空間(施設)であるのに対し、寺院は修行し悟りを得る人間のための空間になります。寺院建築は柱を礎石の上に立て、丹(に)などの塗料を使い、瓦を屋根に載せるなど、同じ木造建築でも社殿建築とは大きな違いがあるのです。法隆寺が千年以上持ちこたえたのは、寺院建築であったことが理由になります。いっぽう、神社に式年遷宮(しきねんせんぐう)の制度があるのは、耐久年数が短いことも理由のひとつです。仏教は日本に建築・工芸などの最先端技術を伝えました。神社はこれに対抗するために、あえて古代の建築様式を保ったという説もあります」(渋谷さん)

(続きはソース)

2020年5月14日 12時0分
https://news.livedoor.com/article/detail/18258752/
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/f/6/f6128_314_d0520d64_0c14901c.jpg

★1:2020/05/14(木) 22:03:58.45
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1589497671/
0085不要不急の名無しさん
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2020/05/15(金) 20:00:29.03ID:sEBJSHDL0
日本古来ではないと思うなあ。
社殿(しゃでん)は、訓読みがない、大和言葉ではない。
0087不要不急の名無しさん
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2020/05/15(金) 20:14:56.78ID:2S7PH5S60
>>85
今の言葉だって明治期に大きく変わっている。
でも、日本という国はその前からあるだろ。
0088不要不急の名無しさん
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2020/05/15(金) 20:18:50.04ID:sEBJSHDL0
>>87
大事なものならば、音としての大和言葉で残ると思うんだ。
漢字流入以前に存在した音が。
日本(やまと)という音が今に伝わっているように。
0089不要不急の名無しさん
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2020/05/15(金) 20:20:02.02ID:duEnXRep0
>>87
古語で大和言葉でなんていうんだ?
0090不要不急の名無しさん
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2020/05/15(金) 20:21:33.25ID:xF2b38Es0
なるほど、カミを祀るこころ・慣習の始まりと「社殿」の起源とは分けて考えんとな、という噺家。
社殿は伝来かもと思っていたが、三内丸山遺跡あたりには、そのはしりとなる造営物があった可能性は否定できないし、それと大陸からあるいは南方から伝えられた知識と経験とがごちゃまぜになってるかもしれん。
0091不要不急の名無しさん
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2020/05/15(金) 20:23:47.71ID:OCe99ASj0
>>76
秦氏が渡来したのは応神天皇の時だから紀元後に制作されたことが確実な七支刀が送られた年代よりも後だよ。
七支刀はその前の神功皇后に送られてるから
つまり4世紀
徐福は紀元前2世紀の人物
0094不要不急の名無しさん
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2020/05/15(金) 20:26:55.00ID:OCe99ASj0
銅鏡が日本古来のものでないのだから、それを保管する社殿も銅鏡が伝来したより後に制度化されたものだよ。
0095不要不急の名無しさん
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2020/05/15(金) 20:27:53.81ID:0/1+lUTv0
『神社の起源と古代朝鮮』(平凡社) ←神社の起源を知りたい方はこれ

神社信仰の成り立ちには、渡来人の痕跡が拭いがたく刻まれている。近江から敦賀、
出雲、三輪、韓国の慶州までを歩きながら、古代朝鮮半島に日本の原始神道の起源
をたずねる。 日本固有のものとされてきた神社信仰だが、その起源においては、新
羅・伽耶を出自とする渡来人の痕跡が拭い難く刻まれている。好評の前著『原始の
神社をもとめて』に続き、日本海沿岸から韓国の慶州へと至る旅路のなかで、原始
神道における始まりの謎に迫る。
日本と古代朝鮮をつなぐ信仰の知られざる系譜。

『伊勢と出雲(韓神(からかみ)と鉄)』(平凡社) ←神社の真実(日本の本当の神)を知りたい方はこれ

古代朝鮮とのかかわりから神社の起源を探り、沖縄、済州島、韓国・慶州を経巡って
きた著者が渡来人の足跡=「鉄の道」を辿り直して行き着いたのは、国家神道の中枢
だった。両者とも日本の起源が刻まれた地でありながら別物とされてきた伊勢と出雲
を、「韓神と鉄」をキーワードにつなぎ直す思索の旅の物語。

  
0096不要不急の名無しさん
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2020/05/15(金) 20:28:16.12ID:sEBJSHDL0
>>92
言う。
ミヤ、ヤシロ、カミ、漢字や仏教の流入以前から存在する言葉だろうね。

だが「社殿」は仏教の影響下で、「古来の信仰」を発見する過程で作られたものだろうね。
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