卑弥呼の時代に入った2世紀末には大飢饉が派生し、多くの倭人が半島に避難したとのこと。

<新羅本記>
173:倭の女王卑弥呼が使者を送った
193:倭人が飢饉。避難民が新羅へ。

<当時の気候>
https://i.imgur.com/9fKvb8o.png
3世紀〜4世紀は海面温度が下がり、寒冷化だけではなく干ばつにも見舞われたと考えられる。
『名古屋大学の中塚武教授は、卑弥呼登場前の時代は大雨や旱魃が繰り返された不安定な気候の時代であったという。
飢饉が続いたために、銅鐸を用いた過去の祭祀を捨て、新しい宗教をひっさげて卑弥呼が登場した。
それが卑弥呼の鬼道だと石野氏らは解釈する。』

銅鉾/銅鐸文化圏:https://i.imgur.com/QsuokqV.png

<推測されること>
・畿内式土器の広がりは飢饉により、畿内民が各地へ移民した痕跡である
(実際纏向には生活痕の残る住居がほとんど見られない)
・纏向は倭国の一部ではなく、女王国の東にあった倭種の国の一つであった
・卑弥呼は銅鐸文化圏の人物ではなかった