藤井は、学生時代の恩師が学究肌(交通流の先生、アメリカ歴が長い)だったので
若いころは、わりと真面目だったが、この恩師の体調悪化と死去に伴い、
東工大のポストを投げ、京大工学部の新キャンパスに合わせて京大に異動。

そのころから、国土強靭化の御用学者となり自民党に入り浸り、二階に取り入る。
その後、評論家の西邊に傾倒して、おかしな経済モデルを主張始め、二階と別れる。
現在は、まともな味方もいなくなっている。京大でも浮く・・・・