夜の政治

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200522-00072732-gendaibiz-pol
「アベノセイダーズ」が求めているのは悪魔の証明

 モリ・カケ問題から始まって、サクラの会、さらには最近の「検察庁法改正案」に至るまで、何でもかんでも安倍首相のせいにして「疑惑追及」を繰り返すアベノセイダ―ズの皆様方の執着心には驚かされる。

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 もちろん、健全な政策論議・政権の責任追及はどんどん行うべきものである。しかし、アベノセイダ―ズが行っている「疑惑追及」なるものの正体は、一般的に「悪魔の証明の要求」と呼ばれる無意味なものに過ぎない。

 例えば、ある日突然検察(警察)が、あなたの家に踏み込む。もちろん、あなたに身に覚えはない。しかし、検察(警察)は、「疑惑」(警察・検察に証拠はない)があるから、「あなた自身で証拠を見つけてその疑惑を晴らさなければならない」と主張する。

 例えば、殺人犯である証拠は、使用された包丁にあなたの指紋がついている、あるいは被害者の体についていた毛髪からあなたのDNAが発見されるなどのケースが具体的に例示できる。

 しかし、一度犯人であると検察(警察)の見込み捜査の対象になってしまえば、無実であることを証明することは難しい。

 言い換えれば、「緑色の宇宙人は存在する」ことを証明するには「その宇宙人をみんなに紹介」すれば事足りるが、「そんなはずはない」ということを証明するには、無限に存在する「緑色の宇宙人が存在する可能性のあるケースをすべて否定する」という不可能に思われることをしなければならない。「悪魔の証明」と言われるゆえんである。

 読者が、検察(警察)からいきなりそんなことを証明しろと言われたら、大変な災難であるはずだ。
見込み捜査が冤罪を生み費用は国民が負担する

 検察(警察)の見込み捜査で、無実の人々が逮捕され、拷問に近い取り調べで虚偽の自白をさせられてきたことは、検察(警察)という独裁権力の汚点だ。

 もちろん、最近では改善の兆しは見えるが、検察の横暴による冤罪事件(表面化しているだけでは無く、無実の罪で死刑判決を受けた人々は多いものと推察される)を始めとする権力の暴走を防ぐためにも「国民の選挙で選ばれた国会議員」(内閣)による監視は必要不可欠だ。

 例えば、カルロス・ゴーンをルパン3世に登場する銭型警部のように間抜けに取り逃がした責任はきちんととったのだろうか? 検察に自浄作用が無いことを示す好例だ。

 特定野党を含むアベノセイダーズが行っているのは、まさに検察(警察)の証拠なしの見込み捜査のようなものである。オールドメディアも含めてあれほど大騒ぎしたのに「決定的証拠」が出てこないのがその「証拠」といえよう。

 しかも、その見込み捜査による空騒ぎの国会運営費などのコストは、国民の血税から支払われるのである。特に特定野党の政権への攻撃は、嫌がらせのために裁判に訴える「スラップ訴訟」であるとさえ思える。

 それだけではない。「悪魔の証明」に無駄な時間を費やさなければならないおかげで、政権・政府が本来行うべきことが妨害される。

 今回の中共(武漢)肺炎対策においても、5月16日の記事「歪んだ日本のPCR検査信仰、死者・感染者が少ないのには理由がある」で述べた様に、政府の方針は概ね正しく(共産主義中国からの入国禁止が遅れたのは失策であったが、結果的にはリカバリーしている)、政権打倒を目指すアベノセイダ=ズの「批判ありき」の言動が、正しい対応をゆがめていることが最大の問題である。

 政権批判が出来なければ民主主義は成り立たないが、アベノセイダーズのような批判ありきで、「自分の利益だけを考え、国民全体の幸福を考えない主張」は、むしろ民主主義を崩壊させ、独裁政治を招く。

(略)