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うん、今はロシアだな

ポツダム宣言第七条、一般命令一項により、千島はソ連の占領下になりました。

1946年1月29日、GHQは日本の行政区域を定める指令(SCAPIN-677)を出します。この指令で、クリル(千島)列島、歯舞、色丹は日本の行政範囲から正式に省かれます。
 
1951年、サンフランシスコ条約を批准します。条約第2条C項は次のようになっており、日本国は世界に向けて、千島の放棄を約束しました。
『日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。』

日本が放棄した千島とはどこか、条約には明確な記述はありませんが、同年10月の衆議院で、西村熊雄外務省条約局長は、放棄した千島列島に南千島(国後・択捉島)も含まれるとの答弁を行っており、国内外に向けて、国後・択捉島の放棄が明確に宣言されました。(注意:歯舞群島・色丹島は北海道の一部であり千島に含まれないというのが当時の日本政府の説明です。)