06◆"呪い"の対消滅

神の御子ヤハウェが人として受肉した姿であるイエスは
ユダヤ全土を巡り、障害者や病に侵されている人々を"奇跡"によって癒した。

伝道の旅を終えると、最後にエルサレムに入り、
「一粒の麦もし死なずば多くの実を結ばぬ」と述べて自らの死を示唆。
イエスがまさか死ぬ事を望んでいると知らなかった使徒たちは驚いた。

イエスはまず神殿で商売をする者たちの店を壊し、
営利主義の祭壇を破壊する事で警察に目をつけられるよう計らった。

さらに最後の晩餐で使徒ユダに自分を通報するよう命じて、
警察がやってくると抗戦しようとするペテロを制止し、
自ら進んで捕縛された。
裁判でも自らが処刑されるよう流れを誘導し、
結果として当初の"計画"通り、磔刑に処された。

イエスは自らの命と短い人生を捧げものとして父なる神に捧げた。
これによってアダムが犯した罪が、全く同じアダムの肉体が捧げられた事で
"等価交換の原則"で帳消しになり、
"神の魂"が捧げられた事で"等価交換"の原則で、
アダムに追放と死の運命を命じた父なる"神の命令"も帳消しになったのである。

これによって神の赦しが下り、初めて人類の呪いが解かれた。

人類は最後の審判の後に追放された楽園に戻り、
永遠の命を得られる木の実を食べらる権利が回復されたのである。
これがキリスト教の基本となる教義だ。
イエスが「救世主」と呼ばれるのはこの偉業のためである。