新型コロナウイルスの大規模な院内感染が発生し、患者43人が死亡した東京 台東区の永寿総合病院の病院長が1日、記者会見しました。この中では、大規模な院内感染を経験した看護師や医師、3人の手記が紹介されました。対応に追われた看護師と、患者23人が亡くなった血液内科で勤務する医師、そして、みずから感染して一時は人工心肺装置ECMOを使った治療を受けた内科の医師の手記全文です。

■看護師「仲間を戦地に送り出しているような気持ちに」

患者さん109名、職員83名もの感染者を出し、原疾患で闘病中の患者さん43名が亡くなられました。亡くなられた患者さんのお荷物から、これまでの生活や大切になさっていたもの、ご家族の思いなどが感じ取られ、私たち職員だけが見送る中での旅立ちになってしまったことを、ご本人はもちろん、ご家族の皆様にもおわびしながら手を合わせる日々でした。

感染の拡大が判明した当初は、患者さんが次々と発熱するだけでなく、日に日にスタッフにも発熱者が増え、PCR検査の結果が病院に届く20時頃から、患者さんのベッド移動やスタッフの勤務調整に追われていました。なかなか正体がつかめない未知のウイルスへの恐怖に、泣きながら防護服を着るスタッフもいました。防護服の背中に名前を書いてあげながら、仲間を戦地に送り出しているような気持ちになりました。

家族がいる私も、自分に何かあったときにどうするかを家族に伝えました。幼い子供を、遠くから眺めるだけで、抱きしめることができなかったスタッフ、食事を作るために一旦は帰宅しても、できるだけ接触しないようにして、ホテルに寝泊りするひとり親のスタッフもいました。家族に反対されて退職を希望するスタッフも出てきましたので、様々な事情を抱えながら、永寿が好きで働き続けてくれるこの人たちを何とかして守らなければ、今の業務を統けていくことはできないと強く感じました。

4月4日、「頑張れ、永寿病院 地元有志一同」の横断幕が目に入り、「まだ私たちはここにいてもいいんだ」と思えました。涙を拭きながら非常口を開けたのを覚えています。支えて下さった地元の皆様には、本当に感謝しかありません。

私たちは、今回のウイルス感染症で多くのことを学びました。人の本質は、困難な状況に直面するとよりあらわになることを実感しました。困難な状況であるからこそ、思いやりのある行動や、人を優しく包むような言葉を宝物のように感じました。育児休業中のスタッフが「メディアで医療従事者が感謝されていますが、私はまだ何もできていない」と話してくれたときは、「その気持ちこそが宝物ですよ」と答えました。

※中略

■内科医師「死ぬかもしれない 子ども達を頼む」

私は永寿総合病院に医師として勤務しております。動務中にコロナウイルス感染症にり患しましたが、入院治療にて回復し業務を再開しております。

私の場合、高熱と全身けん怠感で発症し、数日後に強い乾咳と呼吸困難が出現しました。当時、当院でもコロナウイルス感染者の受け入れを始めておりましたので、スタッフを含めて感染対策には細心の注意を払っておりました。

しかし、元々の病気で入院された方がいつの間にかコロナウイルス感染症を合併されるという状況が出現し、これは我々医療従事者でも予測困難な事態でした。私は、自らの発熱を認めた際に、症状の強さからまず間違いなくコロナウイルス感染症にり患しただろうと思いましたが、いつどこで感染したかが分からないことに慄然としました。

入院後、安静にしていても呼吸が苦しくなり、症状の強さと酸素数値の悪さから死を覚悟致しました。家族との面会はできず、妻には携帯電話で「死ぬかもしれない、子ども達を宜しく頼む」と伝えました。妻は大変なショックを受けただろうと思いますが、とにかく諦めずに治療を受けるよう励ましてくれました。

呼吸不全はさらに悪化し、人工呼吸管理を必要としましたが、それでも改善が得られず、ECMO(体外式人工肺)を導入することになりました。人工呼吸器使用中は鎮静剤が使われますので意識はありませんが、病状が改善して人工呼吸器が外れ、意識が回復した際には、生きていることが不思議でした。

※中略

■血液内科医師「事態の重大さ その場に座り込んでしまった」

以下全文はソース先で

2020年7月1日 18時57分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200701/k10012491771000.html?utm_int=all_side_ranking-social_001