>>4のつづき(>>1のソースより)

■もはや日韓の政治問題は話題にも上らない

キムさんは休憩が終わるとコンビニに戻っていった。バックヤードでもっと話そうよと言われたが、仕事中にそれはさすがにまずいだろう。そんなことしたら怒られると言ったが日本人は怒んないから大丈夫と言っていた。日本人がオーナーなのか店長なのかはわからないが、この大胆なケンチャナヨ(大丈夫)精神はなかなか理解しづらい。

それでも私たちは彼らと付き合っていかなければならない。コロナ禍の東京で働く外国人留学生という体で話を聞いてみたが、それ以外の部分でいろいろと考えさせられた。予定どおりにうまくいかないのもルポの妙味と言うべきか。それにしても、これまでの韓国人留学生といえば「日本はあやまれ」とか歴史問題、政治問題を盾にあれこれ言うのが常だったが、キムさんはもちろん、最近の留学生からはそんな話はあまり聞かない。もうそんなことを言う必要がないほどに韓国は自信をつけたのか。もう日本はそこまで歯向かうような大国でなくなったということなのか。

■卑屈なインバウンド政策が結局分断を生んでいる

ともあれ、コロナによる世界変動は私たちの身近にも起こるだろう。インバウンド事業に固執した日本はコロナで外国人観光客を失い、回復のめども立たないまま倒産や人員整理にあえいでいる。国力の衰退は優秀な外国人労働者からもそっぽを向かれてしまうだろう。キムさんには申し訳ない言い方だが、かつて韓国からの留学生といえばキムさんの言うような「残念な韓国人」ではなく、優秀な国費留学生が多かった。私の学問の師である韓国人教授も1970年代に高麗大学校から同志社、そして東大で社会福祉学を学んだ人だった。近年の日本は韓国でしくじった若者の受け皿になってしまっている。外国人に対してなんてひどい言い方だと非難する人もいるだろうが、私はそういう意見には賛同できない。外国の方だから、ましてや韓国の方だからと特別扱いする必要はないし、日本にもうその余裕はないと思っている。日本人の若者と同様に、普通の若者として接するべきだし厳しいことも言うべきだ。それは嫌韓でも外国人差別でもない。むしろお互いの対等な姿勢である。

卑屈なインバウンド政策の失敗の果てに迎えたコロナ禍における在日外国人との共生は、日本人がへりくだり、おもてなしをしていればいい段階を終えている。むしろその日本人の外国人に対する卑屈さが軋轢(あつれき)を生んでいることを、一部リベラルは猛省すべきである。アメリカのような分断の不幸に陥らないために。

※終わり          .