【歴史】「一人だけRPGの初期装備」「無課金勢やろ」…長篠の戦いの屏風絵に描かれた、軽装すぎる謎の兵士が話題に [記憶たどり。★]
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https://news.yahoo.co.jp/articles/199574d16cd71ea0c62ad721cab238b6e7c2ba6d
織田信長、徳川家康連合軍と武田勝頼軍が雌雄を決した長篠の戦いの模様を描いた
『長篠合戦図屏風』に「一人だけRPGの初期装備の奴がいる」とインターネット上で
大きな話題が巻き起こっている。
実際に屏風の画像に目を通すと、甲冑で完全武装した兵士たちの中、
たしかに一人だけ青い着物しか着ていない超軽装の男が確認できる。
長篠の戦いと言えばその規模だけでなく、鉄砲の大量導入で知られる合戦。
弾丸の飛び交う戦場をこんな軽装で駆け抜ける男の姿に、ネット上では
「無課金勢やろ」
「賭けに負けた奴やろ 」
「当たらなければ問題ないとか言ってそう 」
「一撃離脱型やろな むしろ強キャラに見える 」
などとさんざんな賛辞が寄せられているわけだ。
いったいなぜこの男はこんな軽装で長篠の合戦に参戦しているのだろうか。
この謎に迫るべく、まいどなニュースでは『長篠合戦図屏風』を所蔵する
徳川美術館のご担当者にお話をうかがってみた。
中将タカノリ(以下「中将」):この兵士が評判になっていることはご存知だったでしょうか。
担当者:存じませんでした。合戦図屏風について関心を持っていただけたことは嬉しく感じております。
中将:他の兵士が甲冑で防備している中、なぜこの兵士だけ軽装なのでしょうか。
担当者:合戦図屏風というものは大将を顕彰するために描かれるのが一般的で、
画面には甲冑を着込んだ上級武士を中心に描かれるのですが、実際には軽装で
戦に参加した人も数多くいました。おそらくこの兵士はそういった人たちの一人として
描かれているのだと思います。
◇ ◇
戦国時代の合戦と言うといかめしい甲冑をまとった武士たちの姿を思い浮かべる方が多いと思う。
しかし、実際に参加している兵士の多くは身分の低さや貧しさゆえに、この男のように軽装での戦いを
強いられていたのだろう。事情を知ると、こんな時代に生まれなくて良かったと少しホッとした気持ちになった。
なお当記事の制作にご協力いただいた徳川美術館では現在、世界有数の漆コレクションと、
夏休みにぴったりの鬼や妖怪の展覧会を開催中。8月末までに来館した小中学生全員に妖怪ブックと
妖怪シールもプレゼントしているので、ぜひ訪れていただきたい。
長篠合戦図屏風江戸時代18-19世紀 徳川美術館蔵
https://public.potaufeu.asahi.com/7a43-p/picture/22457741/809fd1c5cd05efddc245c94156bd54d0_640px.jpg
【写真】こちらが軽装すぎる謎の兵士。こんな格好で戦場を駆け抜けているとは…
https://public.potaufeu.asahi.com/994b-p/picture/22462161/d1bb7a95a356efdc767c4a2d98ca618a_640px.jpg 刀抜いてないし、他の武人に刀渡す係なのか
はたまた刀を拾って武具集めを担っているのか
わからんな それより下の太鼓背負ってるのは諏訪神軍かなんかなの 一人だけってのが、ちょっと説明つかないよな
何人かいたら、何かの役回りとして説明できそうだけど
一人だけって何なんだろうな これで無手なら最強説唱えてもいいけど刀持っているし
ただの雑魚だろ。 死線の中で笑みまで浮かべてる
只者じゃない
かなりの達人 こいつは鉄砲の弾が飛んできてもひょいっとかわすやつだ
それだけのジャンプ力備えてる
猿のようなやつやで 太鼓背負ってる奴って諏訪太鼓?
大河シーンってあれ脚色やろ 設定的に一番しっくりくるのは
第三勢力の偵察要員かなぁ? やっぱそこそこ名の知れた足軽なんてのもいたんだろうか >>1
なんやこの構え
ゼンイツ言いたいだけやろ? 下の太鼓持ち襲ってる鎧の奴、筆振り回してるがな
周回しすぎた縛りプレイ勢だな 「へへ、鎧なんざ動きが遅くなるだけで、気休めにもならねーんだよ!」
的な 無課金の俺でも斬鉄丸は4凸してるから、こいつもその口 >>1、傭兵までだぞ、城が武具武器よういできるのは?
農民が戦地に招集されても自己責任だ。 クソ強い織田の軍団でもみんな鎧もカブトもしなくて、
自軍に、せめてカブトくらいしてくれって指示がでてるからな >>722
なんか鉄砲隊のすぐ後ろの柵の中に南蛮人がいる?
西洋の帽子を被って剣を抜いてる白人みたいな奴 >>731
っていうか、「馬は移動の手段で乗ったまま戦わない!」みたいな話もきいたことあるけどな
『キングダム』じゃ上から切りつけるほうが絶対的に有利!なんて散々繰り返して説明するけど
あんな映画やマンガみたいに騎乗で刃物振り回して、自分の馬に斬りつけちゃわないもんかねえ... 鎧は何十キロもあるし、移動だけなら足の方が早いのかもな >>1
仮に宮本武蔵がこの戦場に紛れ込んでたとしたらこんな格好だろう
戦場で笑える時点で只者じゃない >>807
インビジリング付けっぱなしは良くないよな >>791
御諏訪太鼓の方々、神官(只今ではかんぬしと申すところ)の方々、
複数御在籍のゆえ死に面しての笑みなるは、さすがであろう あるいは剥ぎか
戦場で死んだ兵隊の刀や装備品を剥いで回るのもいる 分かってねぇな本当に強い奴は重装備なんぞしない
甲冑なんぞ二流が付ける物よ 興味深いが
これについて考えるのは脳リソースの無駄だな なかには雑兵みたいのもいるだろそりゃw
近代の日本軍だってほぼ丸腰で突撃とかしてたぞ >>712
密室で塗装してるのに防塵マスクは蒸れて暑いから嫌とかな
あまりつづくと死にたいならよそで死ねと言いたくなる ヴィンサガのトルフィンも成人後は鎧着た奴がトロくさいから軽くあしらって一撃でKOしてたな 上級武士は完全装備の鎧
徴兵された農民、つまり足軽は防備は劣るが大量生産が効く簡単な胴丸鎧や陣笠を御貸道具として大名から与えられていた。しかし各大名の財政状況により
そのレベルは様々、陣笠一つとっても鉄製から厚紙や藁製まで様々で、それすらも賭けですって装備を失う雑兵が少なくなく、意外と装備はバラバラだった
初期装備に近い格好の足軽とて少なくなかった。
テレビドラマの足軽勢ほどきちんと装備が工業製品の如く統一されてるパターンは意外と少ない。 中間(ちゅうげん)
脇差1つを挿し、時には戦いにも参加し、平時は雑用を行った。(wikiより)
戦場でもこんな格好だったのかな 絵師「1人くらい鎧きてなくてもええやろ。時短時短〜」 長篠の戦い終了後、忠勝はどこか物憂げであり、家臣がその訳を尋ねると、
忠勝は「武田家の惜しい武将達を亡くしたと思っている。これ以後戦で血が騒ぐ事はもうないであろう」と
愚痴をこぼしたという。
印象深いかなりの使い手だったのでは 鎧をきたら、動きにくいんだろ
鎧をつけないほうが、すばやく動ける >>815
モンゴルなんて乗馬しながら弓連射で世界取ってる レゾナンスエイジのワラゲでも戦争見学のつもりで裸ででかけて
死体を漁って装備を頂いてたからな
そういう人でしょ 戦場には戦闘員より多くの人足がいた。馬のくつわ取りじゃないの?当時は馬を走らせるとかしなかった。騎馬武者は30キロ近い鎧を着ているから歩けない。だから馬の背に乗せて従者が運んだ。騎馬武者は戦闘指揮が仕事だった。大将とか何人もで馬に押し上げたとさ。 長刀を居合い抜きする技を持ちながら尚それのみならず
胴タックルからの組技にも長けていることが伺える 当時の合戦は別に武士だけが出てたわけじゃないからこれくらいの軽装の農民兵士くらいいっぱいいたと思うぞ 戦太鼓を叩いてる奴は総突撃や一時撤退などを音で知らせる役割り 甲冑や足軽鎧つけてると必ず見方であることを示す合印がついてるからな、敵からねらわれやすい
こいつは何もつけていないから敵からねらわれてはいけない立場の人間だよ
おそらく伝令かなにかだろう
足に脚絆つけてるし、走るのが主だろう >>384
海自は大盤振る舞いで子供にグッズくれるなw 今の時代なら暴力反対〜とか個人の価値観や自由がある〜とか
男もいろんな人がいていろんな主張するけど
こういう昔だったら有無を言わさず戦闘員にさせられてたわけで
嫌々殺し合いに参加させられても本気で戦えない人なんていっぱいいただろうなと思う 火縄銃に鎧は無意味って知ってたんだろ
さらに弾が当たりにくく姿勢を低くして前進
コイツは近代戦の経験者やぞ >>859
鼓舞。ジョギングしながら炎のランナー聴いたら燃えるアレ 剣の達人というと
柳生だろう
宗矩は陣幕に攻め行った手練七人を
瞬く間に切り伏せたという
正史に残っている剣の達人は宗矩だけだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています