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8月20日午前7時33分、ソ連の軍艦が真岡付近にやってきました。
港に近づいたソ連軍艦は、なんの予告もなく、いきなり猛烈な艦砲射撃を始めました。
続いてソ連軍の上陸用艇が真岡町に上陸を開始しました。

南京のことがよく取り沙汰されますが、南京城攻略の際
総大将の松井石根大将は、南京城を包囲したあと、なんと1週間もの間、
城内に向かって降伏と軍人以外の一般市民の退去を呼び掛けを行い、
その間、一切の攻撃をせず、一般人の避難のための時間を相手に与えています。
戦いに際し、一般人への被害を極力少なくしようとしたからです。

便衣兵などと呼ばれ、女子供まで一般服に身を包みながら、日本軍が近づくといきなり発砲して日本兵に損傷を負わせる。
そんな卑怯なルールを無視したChina兵に対してでさえ、
日本は出来うる限りの温情で、一般人の被害が出ないよう最大限の配慮をしました。
これが日本の姿勢です。

ところが真岡にやってきたソ連軍艦は、近づくや否や、いきなり艦砲射撃を一般人に向けて行ないました。
多くの日本人はこのために防空壕に入る間もなく命を失っています。