>>152の続き

この協定によって中華民国は大清の版図を承継した事になった。
しかしこれは漢民族(中華民国)と満州族(清帝国)の取り決めであって他の民族は従う必要が無い。
盟友(>>118)であるモンゴルは「漢民族に従うなんてまっぴら御免。(満州族)皇帝が復辟すればすぐに帝国に馳せ参じる」として
去ってしまった。
当然チベットや新疆もその権利がある。

しかし一番重要な事は、中華民国政府はこの清帝退位協定をハーグ国際法廷に登録し、諸外国に通達して国際法として遵守するとしていたのに、
12年後の1924年に協定を破棄してしまったのであった。
つまり中国は国際法的にも道理の面でも、チベットやウイグルの主権を主張する根拠が全くないのである。

そして1928年、協定にもあった>>152「4 大清皇帝の宗廟・陵(墓所)は永遠に奉祀し、中華民国はこれを慎重に保護する」が
蒋介石の北伐軍によって蹂躙(墓荒らし)された。
宣統帝溥儀はこの先祖の墓荒らしをされた事で、父祖の地である満州に還る決心をした。