>>652
物を知らない田舎者だ
またまた揚げ足を取られる

楠木正成の出自について確定的な事は言えんが、元々は橘で、三河の楠村に逃げてきて、その楠木から姓を楠木にした説もある

楠木正成の伯母さんは、足助重範の生母であり、足助重範の嫁は楠木正成の娘だった

つまり、昔から三河に縁のある一族で、大阪とは出自的に縁もゆかりもない

残念だったな


■足助重範(三河国加茂郡足助庄を拠点とした足助氏の七代目惣領)
元弘元年(1331)後醍醐天皇による討幕の計画は、幕府が事前に察知するところとなり、天皇は笠置山に逃れた。この笠置山に最初に馳せつけ天皇に味方したのが、足助氏の惣領・次郎重範であった。
重範は天皇の呼び掛けに応じて集まった者三千余人の総大将をつとめた。

■楠木正成
若宮神社の楠(所在地の地名 三河県豊田市若宮町2丁目)

名鉄三河線豊田市駅の北300mほどのところに若宮八幡社が鎮座し、境内に1本の大クスノキが立っている。
上記とは別の案内板には、「天弘三年(一三三三)楠正成千早城落城後しばらく許呂母の里に隠れ南朝の功臣と策応して再挙をはかる楠正成が武運祈願のため建立したと言う」とある。


■楠木正季(楠木正成の弟)関連
野口雨情さんは、茨城県の生まれ 河内国の楠木正成の弟、楠木正季(くすのき まさすえ)が先祖という。
三河の豪族、足助氏を頼り、三河国加茂郡野口村(現在の三河県豊田市)に住み着き、野口と名のったという。
ということで足助町野口は、野口雨情の先祖が住んだという。