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「オセアニア南太平洋諸島」南進社 南方産業調査会 編 1942

・・・タスマニア人は、ミリガンの伝える所によれば
英人の侵入当初即ち19世紀の初には2千人居たが、英人のために、慰みの銃猟の目標として屠殺され、
1834年には巳に111人に減じ、爾後この屠殺は禁止されたが、
英人の輸入した酒と性病等のため1865年最後の1人の男が死んで4人の女だけが残り、
而して、最後の女ツルガニニも1876年50歳で死んで、今はただ少数の混血種が残って居るだけである。

・・・白人の出現以来、大きな変革が起きた。ポリネジア人の七、八割は基督教徒となった。

・・・彼等白人達は、神の福音と共に、酒と性病と結核と貨幣経済と商取引とを齎らした。
酒と性病とは見る見る彼等を殺して行った。
貨幣経済と平和の福音とは、着々彼等の純真且つ剛健な魂を蝕んで行った。
肉体的に、又精神的に、このまま死滅するか、それとも再び更生するか、
彼等は恰かも今その運命の歴史的関頭に立って居るのである。

・・・リユアニユアには1907年には5千人居たと言われるが、今は750人だけである。
マラリア、結核、流行性感冒等で、脆く斃れて行くのである。