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3 新ヘブリデズ群島

1839年南海諸島の巡回布教を企図したジョン・ウィリアムスとジェムス・ハリスの両伝道師は、
エロマンガ島上陸早々、その海岸で土人に蒸焼きにされて啖われてしまった。
恰もその数日前、白人の貿易船が来て酋長の子を銃殺したため、土人は激昂して居たのであった。

1824年3隻の英船がヴァテ島に寄港したが、多くの果実や蔬と2百頭の豚を掠奪し、抗拒する土人20余名を殺した。

自由博愛、正義人道の名が特に盛んに叫ばれて居た時代であったが、
それは一部の者の口頭語に過ぎず、残忍兇暴は彼等の本性であった。
されば、彼等は、この掠奪と殺戮に甘んぜず、老幼男女が遁げ匿れた洞穴の口に薪を積み、
火を放って之を鏖殺(おうさつ:皆殺し)して祝盃を挙げた。

そうしたことは後年まで続いた。