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1860年タンナ島に寄港した3隻の英船は、船内の麻疹患者4名を島内に担ぎあげて放置した。
当時島内に居た宣教師がこれに抗議したのに対し、船長は
「吾々は白人のために此等の動物を一掃せんとするものだ」
と言い、更に欺いて酋長を船内に誘致し、麻疹患者と同室内に監禁した後に放還した。
この「白人のため」の思想は、今日の白人濠洲主義において継承されて居る。

白人の齎したチブス、赤痢、結核、肺炎、黴毒(梅毒:代表的な性病)等
各種病菌は皆土人達を亡ぼすために有力な武器となったが、
麻疹が殊に烈しく作用したらしく・・・当時にあってその作用の激烈であったことは察するに余り有る。

全島民は挙げて麻疹に倒れ、病人に水を与える者も無く、死体を埋葬する者も無い惨状を呈したこともある。

島民はかくして白人と接触以前に比し十分の一に減じたろうと言われるが、現在数は大体6万と推定される。

概ねメラネジア系であるが、アオバ島やバンクス島では、ポリネジア系の血液が強度に混淆して居る。
・・・ソロモンやギルバートの土人と同じく、彼等も一時盛んに奴隷船の獲物となって、
濠洲の女皇州で、甘蔗栽培等に虐使された。