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H下が私たち大阪人に残したのは「負の遺産」だけだった
『薬師院仁志』


薬師院仁志(帝塚山学院大学教授)

 9月24日に行われた大阪府堺市長選挙は、4年前の前回と同様、大阪維新の会と他党が全面対決する一騎打ちという構図であった(公明党は自主投票)。
そして、結果もまた前回と同様、無所属で現職の竹山修身氏が、大阪維新の会の新人候補を制して当選を果たしたのである。しかしながら、選挙戦は前回ほどの盛り上がりを見せず、投票率は6%以上も低下してしまった。

4年前とは異なり、政界を引退したH下氏の姿がなかったことも、その一因に違いあるまい。それでも、票集めにおける大阪維新の会の手口は、H下代表の時代から何も変わっていなかった。
だからこそ、首長選挙における維新と反維新の全面対決という構図も維持されているのである。

 大阪I新の会は、まず現状に対する不満を煽動(せんどう)する。その上で、「改革」だとか「Change」だとかいった中身のない標語を声高に叫ぶのだ。実際、今回の堺市長選挙においても、大阪維新の会が掲げた争点は
「停滞か、成長か」という抽象的なものであった。つまり、現市政を「停滞」だと一方的に決めつけておいて、自分たちは「成長」だと自称するという次第である。

言うまでもなく、こんなものは争点でも何でもない。堺市民の意見が「停滞か、成長か」で割れていたわけでもなければ、対立候補の竹山氏が「停滞」を主張していたわけではないのである。
そもそも、現在の堺市が停滞しているという具体的な根拠は何もない。大阪維新の会は、堺市が停滞しているというイメージだけを煽(あお)ったのだ。