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神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 移民および植民(13-025)大阪毎日新聞 1923.4.24-1923.4.27 (大正12)

潮のように流れ込む鮮人の群 (一〜四)

(一) 三月には二万と七千人 長白山の月にそむいて内地へ内地へ
無責任な吹聴などに浮かされた人々 内地の鮮人も驚いて渡航差止運動

朝鮮人が盛にやって来る!
汽車で梅田から汽船で川口から日毎々々に夥しい群れが束になって大阪へと流れ込んで来る、
大阪ばかりじゃない、ただ内地へ!内地へ!とまるで金の生る木でもあるかのように白衣の人が玄海灘を渡る、
釜山の埠頭で調べて見たら先月の如きは一日平均千人も内地へ渡航しているとは少々驚く

彼等の住宅は申し合せたように土を重ねて藁で包んだ三畳半の掘立小屋だ、
行屎にも走尿にも顔や手足は滅多に洗わぬ、
食べ物にしたって粟と砕米と黍を混ぜた飯に味噌か菜葉漬の副食物は都会生活を摸た最上等の格、
甚しきに至っては水と草 もっと手酷い連中は食土に木の芽を入れて食ってるという、
泥の木の芽あえに至っては珍品過ぎて怖ろしくなる・・・

この手合いに内地人の生活を見せれば食うや食わずのドン底生活も王候の富貴と羨ましかろう・・・
それに内地から帰省する連中が
「内地はいい処だ汽車、電車、飛行機、自動車、銀行、会社、活動写真、電気灯、瓦斯灯、
イルミネーション、アーク灯の文華燦然よき衣着美しい人が右往左往に歓楽を追い唄い歩き踊り狂っている」
ような無責任の宣伝をやる。
これだけの条件が具備したらいくら尻の重たい人種でも「行って見ようかナ」という気にはキットなる、
況して彼等は「東家食西家宿」とて水草を追うて移り住むに慣れた人種だから堪らない