若い世代増える「戦友会」 新たなつながりのきっかけは(NHK) [蚤の市★]
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戦後75年、さまざまな人たちが戦争の記憶を後世に伝える活動を続けていますが、先の大戦に参加した元将兵でつくる「戦友会」もそのひとつです。高齢化で会員数が減少する中、若い世代の会員が増えている「戦友会」があります。なぜ会員が増えているのか。きっかけとなったのはインターネットを活用した継続的な情報発信でした。
(映像センター カメラマン 早川きよ)
戦友会の活動 ネットで積極的に発信
戦場から生還した102歳の元衛生兵が戦後、初めて訪ねた上官の墓参りの様子や海外の戦場に残された遺骨を収集する動画。いずれもSNSとインターネットで発信されたものです。投稿したのは、戦友会のひとつ「全国ソロモン会」です。
「全国ソロモン会」は南太平洋のビスマーク・ソロモン諸島で従軍した元将兵が、慰霊と遺骨収集を目的に昭和40年に設立しました。
自然消滅や解散… 減少続く「戦友会」
「戦友会」は、先の大戦に参加した元将兵などで作られた団体で慰霊や戦争の記憶を後世に伝えるために戦後まもなく全国各地で設立されました。
専門家によりますと「戦友会」は、戦後、各地で少なくとも5000団体があったとみられていますが、会員の高齢化で解散や自然消滅する会が相次いでいるということです。
若い世代が増えている「全国ソロモン会」
「全国ソロモン会」も同様で、設立時に2800人余りだった会員は、現在はおよそ220人まで落ち込んでいます。
しかしこの会の違う点は、この5年間、若い世代を中心に会員が増え続けているところで、新たに加わった会員はおよそ50人にのぼっています。
その多くの人が、会が発信するSNSやインターネットをきっかけに入会しました。
入会した31歳の男性 きっかけは「検索」
去年入会した三輪勇太郎さん(31)もその1人です。
三輪さんの祖父は会の戦友たちと同じ戦場から帰還しましたが、三輪さんが高校生の時に祖父は亡くなり、三輪さんは祖父の戦争体験についてほとんど知りませんでした。
そうしたなか、去年、ふとインターネットで祖父がいた戦場の「ブーゲンビル島」を検索してみると、ソロモン会のホームページが出てきました。
そこには戦時中、武器や食料の補給もなく倒れていった将兵たちのことや、現地ではいまだに遺骨が置き去りにされていて、会が収容していることが書かれていました。
三輪勇太郎さん
「最初にホームページを見つけた時は、いろいろな活動の写真が載っているので『わあ、本当にこんなことをやっているんだ』という驚きと、こんな南の知らない島で亡くなって、そのままにされて75年がたち忘れられようとしているというのがショックでした」
「祖父について知りたい 子どもにも伝えたい」
三輪さんは会に入って戦場の様子をより詳しく知るようになると、生きのびた祖父はどんな思いで戦後を暮らしていたのか、知りたい気持ちが生まれてきました。この1年、祖父について母親と話すようになりました。
母親の三輪恭子さん(64)
「父が話していたことで、一番ショックだったのは『仲間の死体を踏んで自分が戻ってきた』というところだった。それでつらかったんだなと思って。戦友を亡くしてしまった分も、自分がこれから頑張って生きていくって事を父は選んだと思います」
三輪さんは、妻がことし出産する予定で、父親になります。生まれてくる子どもにも、祖父の思いや、犠牲となった戦友のことを語り継いでいきたいと考えています。
三輪勇太郎さん
「多くの犠牲があったという歴史を忘れない。祖父が語らなかった経験に近づくことがこの活動を通じてできるのかなと思っています」
「情報を発信し続けることが大切」
インターネットで会の情報を発信しているのは、寺の住職で会の事務局をつとめる崎津寛光さん(48)です。
12年前、崎津さんは、会の戦友に事務局を頼まれて以来、会が先細りしないようにと、SNSやインターネットによる情報発信に力を入れてきました。
崎津さんは、若い世代の人のなかにも戦争について興味を持っている人はいると考え、その人たちが知りたい時に知ることができるよう、活動を継続し、情報を発信し続けることが大切だと思っています。
また、崎津さんは語り継ぐことで平和につながると訴えています。
(後略)
NHK 2020年9月11日 14時39分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200911/k10012598021000.html > 戦時中、武器や食料の補給もなく倒れていった将兵たち
戦国時代の方がよっぽど補給はしっかりしていたのでは >>1
これ以上自民ウヨが増えるのは日本の害だよ
自虐史観を止めさせようとして、無根拠なホルホルで恥かくのはそいつらだぞ? >>2
悲惨な負け方をしたら、復興して経済が回復し
平和な状態になっても戦前の立場は戻らない
かなりのマイナスからスタートしてるから
未だに制約がかかっている 隣国もそう見ている
日本は内側から無残に潰されて、中国に立場を
取られたんだ じいちゃんの武勇伝でマウント取り合う飲み会なら行ってみたいw アメリカは勝ち逃げだからね
戦争反対世界平和を言い続けてくれれば笑いが止まらないのがアメリカ
だから原爆2発も落としても反撃させないように日本を弱体化させ続けてるんだよ
普通なら原爆2発も落としたら味方になってくれる国もあるはず
大きな同盟国にさせないように
日本が悪いと汚いアメリカは言い続けた
ここに韓国と北朝鮮もアメリカの味方になって乗っかってるからね
日本は立場を強くしないと潰されたままで終わりだよ >>8
日本が核武装し、自由で開かれた西側諸国との価値観を共有出来てれば
アメリカに恨みを反すような愚行はしないと思うけどな >>2
日本軍の食料は現地調達だから先ずは食料集めから始まるんだぜ。 >>2
なんてったって地続きだからな
それにしても秀吉の中国大返しなんて大したもんだ 客観的な知識と共に継いでいくなら喜ばしいことだと思う
隣の国は事実はどうでもよく恨みの感情だけ継いでいくようだが >>19
秀吉て何気に日本最強武将だよな中国一歩手前で行ったんだから >>21
日本も公文書燃やしたからあまり客観的な記録ベースでも無いがな。部隊の名簿すら戦後に関係者の申告と記憶に基づいて再作成したのがほとんどだし。 >>2
と言うか敗軍はそうなりがちなだけ
戦国時代でも孤立した負ける側は飢餓に苦しみながらの戦いになりがち
勝てる側は補給線を切られることもないわけでね
大日本帝国も優勢の時に補給が届かずに餓死なんかしてない うちの爺さんは武漢で戦病死した
昔から武漢はヤバい土地だったんだな >>22
朝鮮半島を無視して沖縄から中国本土を突いたら世界史の偉人になってたな >>28
湿気と気温が凄くて、瘴気渦巻く暗黒の地だったとか聞いた。 >>30
台湾から中国本土を突いた半分日本人の英雄はいたけどな 戦友じゃないのに「戦友会」(笑)
父から直接話を聴いている私でさえ入る仕掛けのもんじゃないのに
まったく知らない孫が入会って何だよ。 >>2
戦国時代はどこからでも食料調達できたし、兵士の規模が違う こういう人達って中東の内戦や中国の侵略行為や香港問題にメッセージを出したりしないの? >>2
朝鮮出兵時
福島正則「補給が届かねえぞゴルァ!」
石田三成「なんでそんな所(今のウラジオストック辺りw)まで行ってるんだ馬鹿野郎!」
って揉めてた様な気がするw >>1
ブーゲンビルから生還って凄まじいな
じいちゃんの話は聞かなくて正解だったろう
人に言えないような苦しい話をするのは本人にとって辛いものだ >>30
その後日本も中華圏の一部に取り込まれそうw
国名も「中華及び周辺諸島連合」とかにw >>3
いや今90歳以上の、戦争中に判断力ついてた年齢の人にホルホルは滅多にいない
むしろ反戦うるさい世代。ネトウヨにサヨだって言われるような人たち
ネトウヨの最年長組は石原慎太郎や津川雅彦みたいな敗戦時にガキだった世代。
この世代は日本=弱くて貧乏、アメリカ=強くて金持ち、って
子供の頃に見た進駐軍で刷り込まれちゃってるから
白人への憧れが強烈な一方で、日本人と同じ黄色人の中韓に抜かれることに我慢できない
今生きてる日本人で一番、白人に卑屈で奴隷根性が染み付いちゃってる世代だろうね >>2
どうせ死ぬから食料なんか要らんやろ。
どうしても食べたきゃ、現地調達しろって話や。 祖国を護るために死んで逝った先人が多いからな、仕方ない。
日本が悪い!、、と洗脳教育してきた反動もしくは正義の表れ。 >>41
私の父は石原さんのことを生前こう言ってたよ。
「はなたれ小僧だったくせに、口鉄砲だけは達者だ」 この手の話、実はカルトの乗っ取りだった
なんてのが多すぎて素直に聞けない 隊友会とか水交会と思ったら、まさかの戦友会か…
まあ色々考えがあって入会してるんだろうね。 >>1
1942/
08/17 マキン島日本軍守備隊が米海兵隊奇襲で全滅
08/22 マキン日本軍応援部隊が日本兵遺体凌辱痕跡確認
〜戦後米兵TV証言「米海兵隊員は日本兵遺体から男根と睾丸を切除し、口にくわえて記念撮影に収まった」
10/18 「キルジャップス!」ウィリアムハルゼー中将南太平洋方面軍司令官就任「kill japs!kill japs!kill more japs!」演説
1943/
03/03/ダンピール海峡の悲劇、日本軍輸送船が米豪軍機から撃沈される、
更に漂流中の無抵抗兵士2600名を殺戮するためだけの反復攻撃空襲を米豪軍実施
1944/
05/22 米ライフ誌トロフィースカル写真掲載、
米軍兵士が故郷の恋人に贈った日本軍兵士の頭蓋骨のお土産を眺める女性の写真が掲載される、
日本国内世論激昂。
マリアナ戦線から日本に送還された日本兵遺体の6割は頭部が無かった。
当時米兵は日本兵の鼻、耳、頭蓋骨を戦地土産として持ち帰った。その為に頭蓋骨を鍋で煮て脂肪や肉を削ぎ腐敗防止処理をする写真やリンドバーグの見聞が記録に残る。
06/16 サイパンに米軍上陸
07/07 サイパン陥落、邦人5千人自決
07/09 サイパン米軍拡声器「米軍は虐待しません、皆さんの投降を待ってます」投降勧告
07/09 サイパンパナデル飛行場で米軍が邦人数百人を集めてガソリン焼殺、婦女子は全裸にしトラックで移送、以降行方不明
07/11 サイパンマッピ岬邦人投身自裁「バンザイクリフ」の悲劇
07/12 米軍「毒ガス攻撃」洞窟内に籠る住民に向け使用後洞窟内邦人遺体を損壊、四肢解体分解、婦女子遺体損壊
11/03/風船爆弾作戦開始 >>45
亡父も元自衛官(警務官)だったけど石原慎太郎を嫌っていた。
理由は政治的なものじゃなくて「太陽の季節」。
あれで性犯罪を起こす隊員が続出して困ってたんだと。
また、三島由紀夫も嫌っていた。
理由は総監らを傷付けたことと昼飯を邪魔されたこと。 若い世代に伝える
菅長官 弱肉強食、あくまで強い方の味方
東北出身の苦労人 マスコミは報道するが 期待したら痛い目にあう
甘い言葉に騙されず 気を付けよう >>48
こういった虐殺があったから後々は捕虜を大切にしたとも言えるし
アメリカの肩を持つわけではないが
戦後75年の現在より、当時を生きていた者は
インディアンとの征服戦争の名残りのほうが大きかっただろう
戦争を望んだのはユダヤ(スファラディ)と中国だが
その構造が今も継続してることを忘れてはならん 一頃のスカウトみたいなもんだろ
結局ムラが政治で食うから口利きとか文化なら隠蔽されるし なんか左右の思想を持った奴が混在しそうなカオス組織?になりそう 飽きていなくなるか、やる事が多すぎて放棄される未来 >>2
戦国大名は不戦条約を結ぶと必ず、親族を人質にとって担保としてた
何の担保も無い日ソ中立条約を信じ切って、ソ連に仲裁を頼むとか馬鹿すぎる >>49
末端のソルジャーは大局観はないからなー
むしろ脳筋の世界だし てっきり若いネトウヨが自己満足と日本スゴイのために
入ったのかと思ったわ 死んだご先祖を思う会になっているだけだな。左右あっても構わんが左の人は肩身
狭いだろうな。 いちご会という可愛らしい名前の、陸軍同期の桜15期生の人達の会があったな。 戦友会なんか人数が減るほうが普通であり平和が長く続いてることを感謝するでいいんじゃね 俺の爺さんなんか徴兵検査で落っこちたんだぞ!身長足らんかったらしい… >>58
あぁ
頭が悪いのだね、可哀想に(´・ω・`) >>57
意味分かってないなら無理にレスしなくても良いんだよ >>64
戦友会の老人たち
本当の戦争を知ってる老人たちはそう言ってるよ
ここもLGBTやアイヌとおなじく、早晩乗っ取られるだろう >>67
「落ちた」って言っても乙種だから招集されてもおかしくなかった筈なんだけどなぁ…謎… >>41
石原は、「漂流教室」のパン屋の関谷みたいな奴だったんだな ウチの爺さんも戦地帰りで、よく軍隊時代の話をしてくれたが、ガキの頃はその話を聞くのが大好きだったなぁ。
爺さんは最初は関東軍にいて、満ソ国境地帯の警備部隊にいたらしいが、開戦前の深夜に関東軍の司令部偵察機がソ連領内への越境偵察に出撃する場面に出くわした話とか、色々面白い話を聞かせてくれたもんだ。
多分、当時そんな話を口外しようもんなら、即行で憲兵に引っ張られたことだろう。
爺さんはその後関東軍の南方抽出を受けてフィリピンやインドネシアを転戦した挙句、最後はビルマでインパール作戦に参加し、敗走する中ラオスで終戦を迎えた。
敗走中の地獄絵図も、容赦なく詳細に聞かせてくれたもんだから、未だにトラウマになってるぜw
特に、最後の組織的戦闘になったシッタン河の渡河作戦なんかの話は、思い出すだけで吐き気がしてくる。 >>72
元鉄血勤皇隊の方なら、最年少だとまだ89歳って人もいるかもしれん。
生き残りがいれば、だが。 >>41
お前は脱亜論も知らんのか
明治ですでに欧米優位アジア劣位視点は定まっている どういう思考してたら集まりにソロモンなんて名前を付けるんだ? 家の亡くなった爺さんも戦友会だけは特別だと言ってたな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています