【古代】日本で出土した貴重な「三角縁神獣鏡」、その精巧さと品質に「きっと中国製に違いない!」−中国メディア ★2 [樽悶★]
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日本には中国の面影を残す文化や習慣、建築物などがたくさんあるが、その多くが唐の時代のものと言われている。しかしさらに昔の1700年以上前の中国由来と思われるものもあるそうだ。中国メディアの百家号はこのほど、日本から出土した鏡「三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)」について、中国製だとする説を紹介する記事を掲載した。
記事が紹介しているこの鏡は、鏡縁部の断面が三角形になっていて、鈕(つまみ)の周囲に神像と獣像が表現された青銅製の鏡で、日本の古墳から出土したものだ。古墳に副葬されたこうした鏡は、日本からも中国からも多く出土しているが、この三角縁神獣鏡は今のところ日本からしか発見されておらず、大変貴重なものになっている。
記事は、これが中国からはるばる海を越えて渡ってきたという説を紹介。中国には、魏(ぎ)の皇帝から邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)に銅鏡100面が贈られたという記述が残されているそうだが、出土した鏡の中にはその時代の魏の年号を記した銘文を持つものがあるからだ。当時の中国は近隣諸国と頻繁に行き来があり、貴重な品を贈り合うのは何も珍しいことではなかったため、三角縁神獣鏡が中国製だったとしてもおかしくはないとした。
日本で出土している三角縁神獣鏡は、いずれも非常に質が良いという。記事では写真も掲載しているが、非常に写りがよく現代の職人が作るものとそん色ないとその品質を称賛しつつ、その時代に「タイムスリップしたようだ」と当時の魏の国に思いをはせている。
ただ、日本で出土した三角縁神獣鏡の数は、魏の国から下賜されたという鏡の数を優に超えるほか、中国からは1面も出土していないことから、「中国製」とは断定できないようだ。記事は、中国の職人が日本へ渡って製造したとの説もあることを紹介し「いずれにしても中国製と言える」としている。とはいえ、古墳時代の銅鏡は日本製か中国製かに関わりなく、現代の私たちにロマンを与えてくれるものであることに変わりはないだろう。(編集担当:村山健二)
2020年9月11日 7時12分
https://news.livedoor.com/article/detail/18878792/
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/9/a/9a9b3_620_fbe37045_28af084d.jpg
★1:2020/09/14(月) 23:08:34.82
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1600092514/ >>758 > 前年から作ってれば景初四年があってもおかしくない//
その見解は捨てました、>>757 に書いた様な次第で。 オレも平成34年まで有効の免許証もってるから、景初4年の鏡があってもおかしくない。 「さんかくぶちしんじゅうきょう」が一般的な読みだよな >>761 > オレも平成34年まで有効の免許証もってるから//
紀年鏡があまりないというのは、年号なんていつ変わるか知れたものでない、
というのがあったからじゃないか、と思う。 年号など多少の問題があろうと、大陸で作ったものか、大陸の技術が使われたものでは間違いない。
「日本人が独自にあみ出した匠の技で作った」みたいな結論には絶対にならないし、そういう韓国人みたいな物言いはカッコ悪い。 三角縁神獣鏡を魏から贈られた鏡と言ってる方たちのレスを呼んだ感想
みんなも同じような感じなのかな >>763
三百枚越える枚数あって紀年鏡は五枚とかやろ >>764
渡来人がこさえた言う奴はおっても日本人が独自に編み出したとか言う奴は基本おらんのとちゃうかちょっとでも調べた事あるなら そもそも竜とかは中国の想像上の動物で日本であんな図案が描けるわけない >>753
魏朝内部で暦の混乱が生じていたのなら尚方製作時でも起こりうるし、呉域内の工房がオーダーを受けいたとすれば、
あるいは帯方郡などの遠隔地で作っていたとすれば情報が届くのが遅くなったたしてもとくに不思議でもない
景初三年十二月 詔曰 『烈祖明皇帝以正月棄背天下 臣子永惟忌日之哀 其復用夏正 雖違先帝通三統之義
斯亦禮制所由變改也
又夏正於數為得天正 其以建寅之月為正始元年正月 以建丑月為後十二月』
要は、「明帝は誤った暦(殷正)を用いた。また「夏正」に戻して、寅之月(殷正では二月)を正始元年正月とするわ。
だから丑月(殷正では正月)を、(景初四年正月とはせず)景初三年の後十二月としまっせ」というお触れを出したわけだ
ゆえに、正史元年は夏正を用い、寅之月である二月からになっている
これが混乱を招いたとしてもとくに不思議でもない >>734
単純な脳みそしてて生きるのが辛そうなやつだなって思ってるよ 魏鏡が中国産→畿内に魏の威光を振りかざす大勢力がいた
鏡が国産→畿内に魏の鏡を量産して威光を振りかざす大勢力がいた
どっちにしろあまり変わらん >>766 > 三百枚越える枚数あって//
何で三百枚あったらいかんのかね。
あの鏡欲しい、と思ったらどうするの? トヨたんに土下座するのか?
魏に買いに行けばいいんじゃないのか? 鏡下賜って、引き札みたいなモンでしょ。
100枚呉れてやるのは、千枚売り付けるためじゃないのか?
魏にしたって、製造業の保護育成を考えたって、不思議では無かろうに。
> 紀年鏡は五枚とかやろ//
紀年鏡が少ない事については、普通にレス元で書きましたが。
>>769 > (景初四年正月とはせず)景初三年の後十二月としまっせ//
正月行事、それも改元に伴うそれを、12月のことだった、としちゃった訳ですよ。
閏月の入る様なタイミングではなかったんだしさ。 >>772
売るほどある交易で買ったブツなら向こうでも出土するんとちゃうか 画文帯神獣鏡みたく まるで挑戦。 まっ、殆ど80-90 ほんの一部に上が115の低能民族。 >>773 > 売るほどある交易で買ったブツなら//
特注だったんじゃないのかな、>>757 末尾で書いたんだが。
> 向こうでも出土するんとちゃうか 画文帯神獣鏡みたく//
三角縁は本国では受けなかったんじゃないのかな。
魔鏡といったって、何だか子供だましの様にも見えるしさ。 >>775
朝貢ならともかく商売でそんなまどろっこしい事するんか往復すんのも命懸けやのに >>776 > 朝貢ならともかく商売でそんなまどろっこしい事するんか//
普通にするでしょ、商売ってそんなもんだよ。
> 往復すんのも命懸けやのに//
アンタさ、曹操に斬られちゃうよ、そんな覚悟ではさ。
まぁ、彼の直参になれる様な器量は、ちょっとなさそうだけどもね。 古代中国は日本にとって教えの場、教室であった
しかし何故か廊下が偉そうに、兄だの、起源だの どっちが作ってようがどうでもいいだろ
自分で作ったんじゃあるまいし 卑弥呼の使者が来たのが景初2年
その頃に景初4年の鏡を作り貯めしとく
可能性は無いよ。 >>750
>景初四年は晋書天文誌に出てくる
出てきません
君の勘違いです
528 :日本@名無史さん :2019/09/28(土) 19:36:39.82
>>205
晋書天文志
「魏明帝太和五年十二月甲辰,月犯填星。
青龍二年十月乙丑,月又犯填星。占同上。 戊寅,月犯太白。占曰:「人君死,又為兵。」
景初元年七月,公孫文懿叛。二年正月,遣宣帝討之。三年正月,天子崩。
四年三月己巳,太白與月?加景晝見,月犯太白。占同上。
景初元年十月丁未,月犯?惑。占曰:「貴人死。」二年四月,司徒韓?薨。」
これは訳すと、
「青龍二年十月乙丑に月が土星に接近し、また、戊寅には金星に接近した。これを占うと「人君が死に、戦と成る」ということであった。その占い通り、景初元年七月に公孫文懿が反乱を起こし、
(景初)二年正月に宣帝がこれを征伐したが、(景初)三年正月には明帝が崩御した。
(青龍四年)三月己巳に金星が月と共に光を増して日中でも見え、月が金星に接近したので、また占った。
景初元年十月丁未に月が火星(?惑けいこく)に接近した。占ったところ「貴人が死ぬとあり」(景初)二年四月に司徒の韓?が死んだ。」
田舎の大学教授が青龍二年に行われた占いにある「四年三月己巳」を「景初四年」と勘違いしちゃったんだね
次に来る四年は景初じゃなくて青龍四年なんだな
青龍二年、青龍四年、景初元年の占いが時系列で記述されているということ
佩文韻府も同じ間違い むつかし過ぎてあんまり興味が無かったのだが、三角縁神獣鏡はよくよく考えるとかなり深い謎だな。中国での出土無し、日本製か中国製か、邪馬台国は九州か大和か、三角縁神獣鏡が埋納された古墳の年代、多すぎる三角縁神獣鏡、そして景初正始の紀年鏡。複雑過ぎるパズルであり議論が終わらないのはもっともだ。 >>781
倭人伝は明らかに誤写がそのまま印刷化されており、二年は三年の誤り
司馬懿が景初二年の八月に公孫氏を倒して、帯方郡を直轄して魏の役人を置いたのに、その二ヶ月も前に魏皇帝への面会を求めるのは不可能
『三国志東夷伝』の前文にも「景初中 大興師旅 誅淵 又潛軍浮海 收樂浪 帶方之郡 而後海表謐然 東夷屈服」と書かれており、
また、誤写される前の魏書を見ながら書いたとみられる北史でも「魏景初三年 公孫文懿誅後 卑彌呼始遣使朝貢」となっているので、倭人による
魏への朝貢が司馬懿が公孫氏を滅亡させて以降なのは議論するまでもなく明らか
何月かはわからないが、倭国の使者が洛陽にやってきて、歓迎式典等をおこなったあとの景初三年の十二月に倭の使者に詔を出しているので、
その頃に魏の尚方以外のどこかで鏡を作らせている以上、景初四年銘鏡を作っていた可能性はじゅうぶんありえるし、その場所が洛陽から遠け
れば遠いほど情報が遅れるのもの当たり前 >>786
>景初三年の十二月に倭の使者に詔を出しているので、その頃に魏の尚方以外のどこかで鏡を作らせている以上、
>景初四年銘鏡を作っていた可能性はじゅうぶんありえるし、
景初三年の元日に明帝が崩御してるんだから、景初が三年で終わるのはほぼ一年前から織り込み済み
あり得ません >>788
政権内部で織り込み済みではあっても、十二月に詔書が出されて伝達されるまでは工房側はわからんからなあ
そもそも紀年銘が魏の要望か、工房が自決事項なのかもわからんのだし
魏朝側の要望ならもっと多く出土しても不思議ではないと思うがな すげえな。景初四年が国産鏡だとすると畿内には漢字や年号まで理解して鏡制作できる技術者がいたんだ それぞれの国に渡来人のウェーブが割と大規模にやってきてたんだろうと想像できる話しだね
いろいろな集団が来てたとなると中国人てなにかね?という疑問もわいてくる >>791
マジでそうだな。
日本人とは何かという疑問も。
阿倍仲麻呂や鑑真的な人生が、もっと昔から大規模にあったのやもしらん。 >>783
晋書天文志はかいつまんで書くと
景初元年 公孫氏反乱
二年 皇帝これを討つ
三年 皇帝崩御
四年 月が金星を覆う。(人君の死、または兵乱という)占い通り
という書き方なわけよ
この中で四年のは実は景初じゃなくて青竜というのはちょっと苦しいね そらまぁこの時代のモノに中国から来たものはたくさんあるだろうよ
こまかく調べたら由来はわかると思う
青銅がドコ産なのかとか
わざわざ中国産の青銅を輸入してまで日本で作らんだろうし(完成品持ち込んだ方がはやい)
ただそこまでして産地特定させる意味がないからやらないんじゃ 銅鏡のオモテは文様が刻まれてる方ではなく、ピカピカに磨いてモノが映るようになってる方
文様のある面はウラ >>795
畿内から大量の魏鏡が出てる時点で反論のしようがないというw 偽奈良市や偽御所市があるんだなあ、シベリアかな ロシアかな 日本が朝鮮その他に文明を齎したことが日本神話と朝鮮神話で整合している
日本神話=スサノオが朝鮮に渡った
朝鮮神話=桓因が朝鮮の祖
檀君の祖父である桓因はインドラ
スサノオは牛頭天王
牛頭天王はインドラの別名
檀君は紀元前2333年に檀君朝鮮を作ったとされている
すなわち、紀元前2333年より前にスサノオが日本から朝鮮に渡って文明を齎したということになる
これは7300年前の鬼界カルデラ大噴火によって、日本から離散した日本人が世界中に文明の種を授けたことを示している
中国では伝承三皇の伏羲・女禍を紀元前3350年〜紀元前3040年の人物とし、縄の発明者であるともしている
世界最古の縄は、16500年前の日本の縄文土器作成時の縄
縄の発祥が日本なのだから、中国で縄の発明者とされている伏羲・女禍は日本から渡ったイザナギ・イザナミとなり
神農が医学と農業を伝えた
これも同様に、7300年前の大噴火によって、日本から離散した日本人が世界中に文明の種を授けたことを示している 天孫紀元1795153年(人類初の火の利用)
日本最古の遺跡 120000年前(デニソワ系旧人)
日本に最初にたどり着いた新人(ホモサピエンス)集団(Y-D1b系) 38000年前に日本に到達、世界最古の磨製石器を38000年前に日本で作成(世界初の石工技術)
最終氷河期70000年前〜10000年前は海面が130m低い状態
世界初の石工技術を用いて海岸線に巨大石器文明遺跡建設
世界初の石工技術を用いて世界最古の文字である縄文絵文字を開発
世界最古の土器 17000年前の日本で作成
12000年前、氷河期終了、海面上昇、日本列島が大陸から切り離され、海岸線の巨大石器文明遺跡が海底遺跡化
世界最古の農業(稲作) 12000年前に日本で開始
世界最古の船 9000年前の日本で作成、世界中に航海して日本から世界各地に縄文文明を携えて世界中に文明の種を蒔き、縄文絵文字の石板を作成(ペトログリフ)
7300年前、世界最大規模の鬼界カルデラ大噴火、九州〜南東北まで火山雲に数か月間覆われ、日本列島から日本人がさらに世界中に拡散して文明の種を蒔いた
この時、火山雲のせいで太陽が出てこなくなり、作物が育たず、疫病が蔓延り、地獄絵図となったことが、天岩戸神話の元
6000年前、三内丸山遺跡建設、日本列島に残った集団は対馬海流に乗り日本海側を北上して、太陽が出る東北を拠点化、北海道まで北上した集団も有り
3000年前、北海道で繁栄した集団が本州に対して侵攻、親潮に乗り太平洋側を南下し日立に上陸して東日本を制圧、西日本に対して国譲りを迫る
国譲り成立後、四国を経由して日向に到達、山幸彦が沖縄に長期滞在
2680年前、神武東征で畿内を拠点とし、日本統一して日本建国 38000年前に日本で世界最古の磨製石器を開発(世界最古の石工技術)
12000年前までに石工技術を用いて岩に掘る絵文字を開発(日本近海海底遺跡に現存)
氷河期の海面は今より130m以上低いので陸続き
https://i.imgur.com/PzDIWPH.png
12000年前に氷河期が終了して海面130m上昇して
世界最古の石工技術を継承して作り上げていた石造遺跡や絵文字が沈没
12000年前頃に石工技術と絵文字を携えて日本から世界中に拡散
6000年前頃までに世界中の岩に同一体系の絵文字を書き残した(ペトログリフ)
最初の世界共通文字は日本発の絵文字(表意文字)
これに反旗を翻したのがシュメールの粘土板に掘られた表音文字(アルファベットの元)
表意文字は言語が違っても通じるが
表音文字は言語が違うと通じない
これが世界共通文字の破壊と選民思想の始まり→シュメールの粘土板で創作→今の聖書へ受け継がれてる 昔の中国は質がよかったのに、コピー品ばかり作る犯罪国になるとは昔の人思いもしなかっただろうなw 三角縁神獣鏡が粗悪な模造品とか言ってたヤツがそっ閉じするスレ。(笑) >>793
この文は月蝕(対象は五緯=火星、水星、木星、金星、土星)があると国が潰れたり、戦争になるなどろくなことがねーことを説明したもので、
まず、太和五年の土星への月蝕に続いて、青龍二年の二度の月蝕があり、「皇帝が死んで戦になるよ」との占いが出たことを説明し、
その景初元年の火星への月蝕から三年の天子崩御までを実例として挙げている
ところが、連続で一、二、三、四と並ぶので、次ぎの四年三月己巳は一見景初のことと思いがちになるけど、これは文章を実例から元に戻し
たもので、青龍四年に同様なことが起き、同じ占いが出たと書かれているわけだ
青龍二年十月乙丑と同じく、三月己巳と日付けまで書かれているので、その前の実例である一、二、三年とは書き方が異なることが理解できる
そして次は景初に移って、元年と二年に起きた月蝕と占いの結果である司徒韓?の死亡を説明しているわけだな 晋書天文志に景初四年の記述ありてのはガセで青龍四年の事やったと >>809
紛らわしい書き方なので、詳しくない人が間違えても仕方がないよ
でも、専門外なのかもしれないが、大学教授ともあろう人がこれ読めないのはさすがに恥ずかしいな
そもそも景初四年銘鏡は日本側でも魏朝側でも作る意味はなく、単純に型工人の陳さんグループが彫り間違えただけなのかもしれない
このグループの彫る銘文は漢文漢字に詳しくないのか結構杜撰で、もし帯方郡の役人が現代製造業のような厳密な検品をしていたら
間違いなくはねられるレベル
まあ、発注主も杜撰というか、些細にはこだわらないおおらかな時代だっただろうとは思うが
いずれにしてもたった一枚しか出てないから類例を待つしかないね 晋書天文志の四年の記事が青龍四年のものというのはガセ
書いてる事の意味が通らなくなるだろ >>811
せやかて>>783読んだ限り意味通らんの景初四年の方やないんか >>812
んな事あない
晋書天文志の景初四年の記事を青龍四年とすると意味が通らんよ つーか、今の中国と千年前の王朝は違う(-д- 三 -д-) >>813
中身これやど
>>783
> >>750
> >景初四年は晋書天文誌に出てくる
> 出てきません
> 君の勘違いです
>
>
> 528 :日本@名無史さん :2019/09/28(土) 19:36:39.82
> >>205
>
> 晋書天文志
>
> 「魏明帝太和五年十二月甲辰,月犯填星。
> 青龍二年十月乙丑,月又犯填星。占同上。 戊寅,月犯太白。占曰:「人君死,又為兵。」
> 景初元年七月,公孫文懿叛。二年正月,遣宣帝討之。三年正月,天子崩。
>
> 四年三月己巳,太白與月?加景晝見,月犯太白。占同上。
>
> 景初元年十月丁未,月犯?惑。占曰:「貴人死。」二年四月,司徒韓?薨。」
>
> これは訳すと、
> 「青龍二年十月乙丑に月が土星に接近し、また、戊寅には金星に接近した。これを占うと「人君が死に、戦と成る」ということであった。その占い通り、景初元年七月に公孫文懿が反乱を起こし、
> (景初)二年正月に宣帝がこれを征伐したが、(景初)三年正月には明帝が崩御した。
> (青龍四年)三月己巳に金星が月と共に光を増して日中でも見え、月が金星に接近したので、また占った。
> 景初元年十月丁未に月が火星(?惑けいこく)に接近した。占ったところ「貴人が死ぬとあり」(景初)二年四月に司徒の韓?が死んだ。」
>
> 田舎の大学教授が青龍二年に行われた占いにある「四年三月己巳」を「景初四年」と勘違いしちゃったんだね
> 次に来る四年は景初じゃなくて青龍四年なんだな
> 青龍二年、青龍四年、景初元年の占いが時系列で記述されているということ
>
> 佩文韻府も同じ間違い >中国からは1面も出土していないことから
よくこれで中国製だって言えるなw 中国は色々と凄いな集団ストーカーとかの思考盗聴まで有るからな
「24時間、人の声が聞こえる」中国当局によるエレクトロニック・ハラスメントの恐怖
日本では「エレクトロニック・ハラスメント」は馴染みのない言葉だ。しかし、中国当局は、幹部らの汚職行為を告発した一般市民への報復措置として、これらの非致死性兵器を使って精神的な苦痛を与えている。
エレクトロニック・ハラスメントとは、電磁波や超音波などを使い、対象者に内部障害、精神疾患と同様の症状を発病させる非致死性兵器の一種とされる。電磁波攻撃、マイクロ波聴覚効果、聴覚を介さないボイス・トゥ・スカル(V2K、脳内音声)技術などが使用される。
中国江西省に住む汪海榜さんは、08年以降、毎日24時間マイクロ波聴覚効果技術による脳内音声送信に悩まされている。汪さんは15年から北京市の中央政府に陳情活動を行った。19年、公安部(省)陳情窓口担当者は汪さんに対して、全国の県レベルの警察機関であれば、人間の脳を観察し、その思考を盗聴する設備を配置でき、マイクロ波を対象者に照射して脳内音声を送信できると返答した。
https://www.epochtimes.jp/2020/09/62127.html
警察機関であれば、人間の脳を観察し、その思考を盗聴する設備を配置でき、?
警察機関であれば、人間の脳を観察し、その思考を盗聴する設備を配置でき、!?
警察機関であれば、人間の脳を観察し、その思考を盗聴する設備を配置でき、!?? >>811
まったく逆だな
「占同上」とは占いの結果が上の文章と同じですよという意味以外には取れない
景初四年には公孫淵も明帝もとっくに死んでいるんだから人君死も又為兵も既に起きた後になる
その占いの結果が青龍二年の占曰:「人君死,又為兵。」と「占同上」なわけがない
景初元年の公孫淵叛乱より前の青龍四年でなければ意味の通らない文章である
そもそも四年の占いの結果が書かれた記事の次に景初元年の占いの結果が書かれているのだから
時系列で見ても四年は青龍でなければおかしい >>819
どうかな?
少なくとも晋書天文志の著者は明らかに景初四年の記事のつもりで書いてるね
但し宋書天文志の方では
同じ内容の記事が青龍四年の出来事として書かれている
一体どっちが正しいのかねえ
まあ景初四年が実際には半年ぐらい使われていた根拠は他にもあるんだけれど >>820
>少なくとも晋書天文志の著者は明らかに景初四年の記事のつもりで書いてるね
書いてませんね
妄想おつ
「占同上」であるためには公孫淵と明帝が生きてるうちでなければ駄目
>まあ景初四年が実際には半年ぐらい使われていた根拠は他にもあるんだけれど
妄想は要らないソース出せ >>820
蝕の発生と占ったこと(結果)を元号ごとに時系列で書いているのだから
『景初元年十月丁未 月犯?惑 占曰「貴人死 」二年四月 司徒韓?薨
四年三月己巳 太白與月?加景晝見 月犯太白 占同上』
の順でないとおかしいのを何故理解できないのか不思議でしかたがないわ
『景初元年七月 公孫文懿叛 二年正月 遣宣帝討之 三年正月 天子崩』は青龍二年の占いの結果どおりに起きた事件を書いているだけ
のことで、景初暦における蝕の発生と占った結果は、『景初元年十月丁未』で始めて、その一行で終わっている
ゆえに、『四年三月己巳』が景初四年のことであるのなら、『景初元年十月丁未』の後にこないと時系列が逆になって意味不明になる
よって、『四年三月己巳』は青龍四年のことであるのは明らか
ところで他の根拠とは? シナ製な。
そのころ悪名高き中国製はまだないし、そもそも中国製なら1000年後まで
残ってないでよ。 >>821
晋書天文志は大まかに描くと
青龍二年 月が金星と重なったので占う
景初元年 公孫氏反乱
二年 皇帝これを討つ
三年 皇帝崩御
四年 月が金星と重なったので占う
景初元年 月が火星と重なる
こういう書き方さ
この四年が本当は青龍の出来事だったとしても
晋書天文志の著者は明らかに景初四年の出来事として記載している
でなければ年号を省略しないで青龍四年とはっきり書いたはず >>822
景初四年のあった他の根拠とは魏志の
正始元年春二月乙丑、加侍中中書監劉放、侍中中書令孫資為左右光祿大夫
という記事の日付
正始元年二月に乙丑という干支は存在しないそうだ
これが景初四年二月ならば乙丑という干支が存在する
つまり元々は景初四年二月乙丑となっていた記事を
単純に正始元年二月乙丑としたとすれば辻褄が合う そもそも論は三角縁神獣鏡は卑弥呼の下賜品100枚説だろ。中国製じゃなきゃ困るのは邪馬台国が纏向で三角縁神獣鏡を地方支配の道具に使ったから前方後円墳の規模に現れたと言う世迷言ジャン。
中国製説大歓迎じゃなきゃ。 >>824
何度も同じウソを書くなよ
四年の占いの結果が「占同上」であるためには公孫淵と明帝が生きてるうちでなければ駄目
青龍四年でなければ成立しない
>晋書天文志の著者は明らかに景初四年の出来事として記載している
>でなければ年号を省略しないで青龍四年とはっきり書いたはず
全く逆
青龍の元号は二年の記事で既に出てきたから省略されているのだ
次の記事の景初元年で景初が省略されていないのは占いの結果としては景初の元号は初出だからだ
こうやってウソばかり並べて世間を騙し続けてきたのが畿内説の正体 イラッとくるのは確かだけど、その時代の中国は超先進国だったし言わせておくしかない >>825
>正始元年二月に乙丑という干支は存在しないそうだ
ソース無し
妄想おつ
正始元年春二月の時点で景初四年が半年使われてたとかいう>>820の妄想が誤りであることを
自ら認めてるアホw
そもそもその正始元年の記事は景初三年記事の次に書かれている
景初四年が存在しなかった何よりの証拠だ >>827
そんなの晋書天文志の四年の記事が
青龍二年 月が金星と重なったので占う
景初元年 公孫氏反乱
二年 皇帝これを討つ
三年 皇帝崩御
四年 月が金星と重なったので占う
景初元年 月が火星と重なる
と明らかに景初四年の出来事の書き方になっているからしょうがないだろ
俺を嘘つき呼ばわりされても困る >>829
落ち着け
始元年春二月の時点で景初四年が半年使われてたなんて書いてないから
そして正始元年二月に乙丑という干支は存在しないというのは本当だからね
乙丑などの干支は60日で一周だから
一ヵ月ズレる景初四年なら乙丑という干支が存在するというのは
他の資料を統合して確かめられている >>100
曜変天目なんかも日本にあるのに
中国でなかなか見つからない 普通に考えたら中国から日本に来た人が日本で作った
これ以外だと無理が出てしまう >>830
だからなってないっての
晋書天文志の四年の記事
青龍二年 月が金星と重なったので占う → 占いの結果は「人君が死に、戦と成る」
→景初元年に公孫淵の乱、景初二年に司馬懿を派遣してこれを討伐 景初三年に明帝崩御で当たり
青龍四年 月が金星と重なったので占う → 占いの結果は青龍二年と同じ
景初元年 月が火星と重なったので占う → 占いの結果は「貴人が死ぬ」 →景初二年四月に司徒の韓?が死んだので当たり
と書かれてるんだよアホ
何かあって占う → 占いの結果 → 実際に起きた出来事
でワンセットの文章だ >>831
>そして正始元年二月に乙丑という干支は存在しないというのは本当だからね
だからそのソースを出せと言っているわけだが
お前が落ち着いてソース出せアホ たしかに日本は3流国だった時期があり
中国から来たものをパクって技術を磨いていた
多分チャイナ製だな
1700年前に高度な文明は無かった >>824
手元に晋書があるのなら読んでみればよいが、嘉平の次の太安三年は元号が略されているよね?
太興三年、咸康四年も同じく略されているように、同一説明文の中の次の年の元号は軒並み略されている
つまり、同一説明文の中で同じ年号(熟語)を使うと煩雑になるから、略しているのであって、これは現代日本でも論文や企業団体の文書等でも略すのが当たり前
青龍暦の説明の段で、青龍二年と書いてあるのだから、同一説明文の中にある四年の元号を略するのは極々当たり前
そもそも、元号別に時系列で説明しているのだから、景初暦の説明の段を『景初元年七月』からその説明を始めているのであれば、そこに蝕の説明がないのはお
かしいし、先に書いたように、四年の後に再び元年の蝕を説明しているものおかしいわな
あと、正始元年春二月乙丑は乙酉の誤りの可能性が高く、それだけをもってして景色四年だとするのは強弁に過ぎる
陳寿ともあろう人間が日付ならともかく、年号を誤るというのは誤写でもない限りまずありえないだろう
漢文を読む能力がないのか、理解する能力がそもそもないのだろうね
なら、仕方がない まさか現物前にしてなお景初四年を強弁するとは思わなんだ >>1
5年ぐらい前に三角縁神獣鏡が洛陽で発見されたよね >>834
四年が景初か青龍かはともかくとして
晋書天文志の書き方としては
青龍二年 月が金星と重なったので占う
景初元年 公孫氏反乱
二年 皇帝これを討つ
三年 皇帝崩御
四年 月が金星と重なったので占う
景初元年 月が火星と重なる
こうだろ?
四年を青龍四年と断じるのは嘘だろ >>839
骨董屋の露店で一枚だけな 要するに出処不明や >>837
強弁でもないんだけどね
状況的には正始元年春二月乙丑は景初四年春二月乙丑とすれば干支は合う
まあそもそも魏志に明帝が景初三年1月1日に死亡して
当時皇帝の死後は1年間元の元号を使い続ける踰年(ゆねん)改元という習慣に基づき
ただしそのままだと翌年の1月1日は正月と皇帝の一周忌が重なってしまうので
1ヵ月空けて本来の2月1日を正始元年1月1日としたという記事から
景初四年は存在しなかったとされているけれど
これが本当の事を書いてなくて景初四年は実はあった可能性が十分ある >>840
> 青龍二年 月が金星と重なったので占う
> 景初元年 公孫氏反乱
> 二年 皇帝これを討つ
> 三年 皇帝崩御
> 四年 月が金星と重なったので占う
> 景初元年 月が火星と重なる
都合よくはしょるなや
青龍二年十月乙丑 月が金星と重なったので占う
景初元年 公孫氏反乱
二年 皇帝これを討つ
三年 皇帝崩御
四年三月己巳 月が金星と重なったので占う
景初元年十月丁未 月が火星と重なったので占う
二年 司徒韓?死す
年号表記の法則通りに読めや >>843
都合よくはしょるなや
という言いがかりをつけるなや
一体何をそんなに必死になってるの? 魏志の記事にある明帝が景初三年1月1日に死亡というのは本当かな?
ピッタリ過ぎるし実は7月ぐらいまで生きていたのではないかな?
そうなると当時皇帝の死後1年は元の元号を使い続ける踰年(ゆねん)改元制度によって
景初四年は7月くらいまで存在した可能性がある
色んな記事に景初四年は7月くらいまでの記載があったりする >>820
三角縁魏鏡説=邪馬台国畿内説ってやばいな >>846
何捻じ曲げた仮定を基礎に論を組み立ててんの? >>848
というか三角縁魏鏡説はもう定説でまともな学者なら誰も異論を言わないよ 中国で1枚も出てないのに中国のものにしようとする中国人w まぁ畿内から魏鏡がわんさか出てる事実だけは曲げられないわけでひっくり返しようがない >>852
>生きていたのではないかな?
このへん >>854
この記事のどこに三角縁神獣鏡が魏鏡と書いてあるか説明してくれないか? >>1
応神天皇が半島から受け入れた百済人の中に銅鏡の職工がいて三角縁神獣鏡を作ったのなら
三角縁神獣鏡は韓国製になるという記事だな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています