【古代】日本で出土した貴重な「三角縁神獣鏡」、その精巧さと品質に「きっと中国製に違いない!」−中国メディア ★2 [樽悶★]
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
日本には中国の面影を残す文化や習慣、建築物などがたくさんあるが、その多くが唐の時代のものと言われている。しかしさらに昔の1700年以上前の中国由来と思われるものもあるそうだ。中国メディアの百家号はこのほど、日本から出土した鏡「三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)」について、中国製だとする説を紹介する記事を掲載した。
記事が紹介しているこの鏡は、鏡縁部の断面が三角形になっていて、鈕(つまみ)の周囲に神像と獣像が表現された青銅製の鏡で、日本の古墳から出土したものだ。古墳に副葬されたこうした鏡は、日本からも中国からも多く出土しているが、この三角縁神獣鏡は今のところ日本からしか発見されておらず、大変貴重なものになっている。
記事は、これが中国からはるばる海を越えて渡ってきたという説を紹介。中国には、魏(ぎ)の皇帝から邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)に銅鏡100面が贈られたという記述が残されているそうだが、出土した鏡の中にはその時代の魏の年号を記した銘文を持つものがあるからだ。当時の中国は近隣諸国と頻繁に行き来があり、貴重な品を贈り合うのは何も珍しいことではなかったため、三角縁神獣鏡が中国製だったとしてもおかしくはないとした。
日本で出土している三角縁神獣鏡は、いずれも非常に質が良いという。記事では写真も掲載しているが、非常に写りがよく現代の職人が作るものとそん色ないとその品質を称賛しつつ、その時代に「タイムスリップしたようだ」と当時の魏の国に思いをはせている。
ただ、日本で出土した三角縁神獣鏡の数は、魏の国から下賜されたという鏡の数を優に超えるほか、中国からは1面も出土していないことから、「中国製」とは断定できないようだ。記事は、中国の職人が日本へ渡って製造したとの説もあることを紹介し「いずれにしても中国製と言える」としている。とはいえ、古墳時代の銅鏡は日本製か中国製かに関わりなく、現代の私たちにロマンを与えてくれるものであることに変わりはないだろう。(編集担当:村山健二)
2020年9月11日 7時12分
https://news.livedoor.com/article/detail/18878792/
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/9/a/9a9b3_620_fbe37045_28af084d.jpg
★1:2020/09/14(月) 23:08:34.82
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1600092514/ >>1
何でも起源を主張するくせに、
【チャンコロナウイルスの起源】
だけは、頑なに否定する地球のがん細胞 ゆうとくけど兵馬俑はギリシャの職人が作った
それまでの支那の伝統にあの様式は一切ない 中国から鏡もらって誇らしい!
ネトウヨさんご唱和下さい
「ホルホルホルホル!」 >>8
それはそれでロマンあるな
始皇帝が西洋からスカウトした職人とか お前らの歴史は共産党の歴史であって中国の歴史ではないけどな 可能性としてはわかるけど、中国製と断言とか頭おかしいわ。
ごく一部でも当時の日本の職人でも作れない訳じゃないだろうし。 中国人も自虐ネタとかなかなかユーモアが育ってきたじゃないか >>1
犬
食
い
土
人
文
化
の起源はチューゴクwwwwwwww 前スレ>>988
988 名前:不要不急の名無しさん :2020/09/15(火) 12:14:15.27 ID:XPXUskyt0
最近、日本で中国の貨幣が大量に出てきたのは、
日本で剣を作る時の材料としての金属だったという説がある。
銅鏡も素材として大量に輸入した話が・・・
当時は剣としての輸入は、中国の武器輸出三原則 (外国に兵器を売らない) から輸入できなかったとの話がある
普通に考えろ。
なんで、支那の貨幣 が輸入になるんだ、
支那で買い物する時の外貨だろうよ。
ちなみに、銅は紀元前300年から日本でも精錬され、
山口に銅山があった。
そもそもジパング と言われたほど、日本は、
金、銀、銅 が当時世界一採れた国だぞ。 >記事は、中国の職人が日本へ渡って製造したとの説もあることを紹介し「いずれにしても中国製と言える」としている。
そうはならんやろ… >>15
何で今の中国、中国人みたいになっちゃったんだろうな
中国4,000年の歴史集大成が腐敗した中国共産党と土人とか >>14
日本の早稲田大学が共産主義と資本主義のハイブリッドを中国共産党創立者に教えたから今の中国がある。 日本で見つかるものは何でも中韓のものと思う人いるよね
仏像返せ! >>16
当時の最先端技術を保持した超大国と辺境の蛮族じ技術格差やべぇぞ
今のアメリカと戦国時代の日本比べるようなもん >>15
古代中国にはロマンがあるが
近代中国には不満しかない まあ当時の技術は全て大陸から来てるから
なんにせよ中国が関わってるのは間違いないが
別に中国のもんでは無い そんなどっかの国のトンデモ起源説じゃあるまいし
何かしら根拠があるならともかく願望だけでそんなこと言い出すと後で苦労しますよ
日本にもいましたよ、ゴッドハンドがね…
あの爪痕は大きかった >>1
これは分からんでもない
当時の魏は日本よりも文明が進んでいたからね
可能性としてはある
ただ、変な土人半島は無関係 それは紛れもない韓国製
当時の韓国は陸地の8割を支配していた
当然日本も韓国の舎弟国として保護下でした
韓国人鏡面士は壁語にも描かれています まぁ別に可能性を主張するぐらいは良いか
どこぞの国みたいに寄越せと言ってきたら問題だけど >>30
成長したのか?成長してるのか?
中国4,000年の歴史の集大成である中国人を見て思うことは一つ
まるで成長していない 中国から出土しないのは面白いな
いろいろ妄想できそう >>4
あいつら、いかにも言いそうだな(´・ω・`) 中国よ
衷心から忠告する
韓国人みたいなことは言うな >>8
まあ、奈良の大仏の開眼式にインドの僧侶が
来てたくらいだからな。
意外と交流あるんだな。 >>11
韓国とエベンキとか関係ないのに何言ってんの >>12
古代ユダヤの末裔、秦氏だよ
秦王朝の滅亡後、半島で辰韓を建国して、倭国に移ってきた
秦では兵馬俑を作り、倭国では仁徳天皇陵を作った >>36
土人半島は当時は中国王朝の直接支配下でありまた直接隣接してたから日本よりは技術的文化的に上だった可能性は大いにある
明らかに格差が開いたのは李氏朝鮮の愚民化政策による技術衰退が直接原因だからそれ以前にまで遡るのは無理筋 この時代に日本で作れたとは思えないし確証もないから
中国製なんだと思う
この頃の中国には文化的にも政治的にもお世話になった ちなみに、古代日本で作られた刀剣が
朝鮮半島で膨大に見つかっているが、
日本の支配下にあったのは事実なのに、
朝鮮人は認めない。
前方後円墳も一緒。 別に大陸製でもあの時代ならまぁそうだろうなって感想しかないわw >>42
無駄無駄。シナとチョンは同じ三国人で
シナチョン土人だよ ブツがないから起源を主張できないぐらいの理性はある模様 >>21
いや、日本は長らく中国から貨幣を輸入してたから
貨幣の輸入は何もおかしくないのだが 曹操の鏡が最初なんだよね
正確には魏曹、魏帝の鏡な 自分が中国人なら惨めな気持ちになる
元カノの自慢みたいなものだろ 三角縁神獣鏡って腐るほどの数、出土してるんだよな
それほどの数が渡来していたなら大陸でもゴミ扱いされてたはずなんだが未発見ということは大陸ルートではないのでは 中国でめっからんのやから日本に渡った渡来人がこさえたんやろ >>57
以前は、「前方後円墳の年代は、朝鮮半島のほうが古い! 起源ニダ!!」
って大声で言ってたんだぜ。
日本のほうが200年ほど早いのがはっきりしたら調査もしなくなったw >>65
中国の技師か中国で得た技術を利用して作られた国産品の可能性が高いかもね
まあそれも証拠がないけど 1700年前の日本って漢字すら伝わってないんじゃね 中国じゃなくて当時の大陸国家ね
現国家とは文化の連続性がない別の国家 起源説を主張するわりにその起源になる物が全く現存してないってネタは何なんだろうな
自分達は祖先の素晴らしい文化を後世に残せなかったダメ子孫ですって自虐か? Made in Chinaって彫られてあれば
間違いなく魏から贈られた逸品 >>12
始皇帝って金髪じゃないの
なんか白人の風貌だって記録があるって聞いたが まあ、どっかの国と違って中国に寄贈すべきだとならないだけちゃんとしてる >>74
なお後漢時代の鏡なんかは普通に現存しとる模様
この鏡"だけ"が残っていない 偽物だろwwwまあ日本人もその内いなくなるだろうしwww馬鹿な政治家のオナニーのせいでwwwどうでも良くなるよ土から出てきたから何なんだw日本人全滅で将来中国人住んでてもどうでも良いだろうw無能政治家がはしゃいでるうちはダメダな 中国のなかった昔を語るときは土地の名前である「支那」を使いましょう 中国製なわけないだろwww
そんな高品質なもん作れるかよwwwwww またネタですな
論拠が何もない
>>1
>記事は、中国の職人が日本へ渡って製造したとの説もあることを紹介し
>「いずれにしても中国製と言える」としている。
アホw 当時最先端の支那としては簡単すぎる気がする。当時の支那製なら、もっと複雑な青銅器になるんじゃないのか?
これじゃ支那人の技術指導を受けながら日本人が作りました、ってレベルのような気がする。 そういうば、こんなの内にあったな。
かなり古いものらしかったけど、何処へいったかしら >>13
うーん昔の中国はほんとに凄かったし日本の文化の源流だからなあ。
うんこしか取り柄の無い朝鮮とは違い過ぎる。 三角縁は中国鏡として外交的に下賜された
ものとしてはあり得ない粗雑な鏡。
他の魏鏡や漢鏡と比較にならない。
これは畿内説の阿呆学者が素人にこれだけ
見せて言わせてるだけ。 >>1
中共は歴史を自ら断ち切ったんだろ?
台湾こそが正統承継者 >>70
昔朝鮮半島に任那日本府があったから前方後円墳を
造ったの日本人だと思うよ 統治したら前の文化全否定する中国、あんたらの否定してきたオリジナルは日本に残ってる >>100
造っとらんからやないの 他の鏡は残っとるし >>94
もうそこまで来たら犯罪者じゃね?
藤村新一と何が違うの >>100
中国製じゃ無くてウソつき近畿パーが中国製だって言ってるだけだから >>13
日本だと
古代中国製と言われる→むしろ箔がついたと感じる
古代朝鮮製と言われる→穢された侮辱されたと感じる >>1
> ただ、日本で出土した三角縁神獣鏡の数は、魏の国から下賜されたという鏡の数を優に超えるほか、
>中国からは1面も出土していないことから、「中国製」とは断定できないようだ。)
中国製で無いと断定出来ます。
はい、論破w 中国で見つかった1枚の神獣鏡、あれは中国骨董屋のフェイクらしいからな かなり古い時代から中国と交流があったから
日本に文化を教えてあげたという韓国の主張は無理があるんだよね >>94
銅鏡の裏側の紐を通す所が有るんだが 三角縁神獣鏡の一部に制作時の粘土が詰まったママなのが出て来ている
日本で作られた証拠だし 仕上げて点検する前に使っているから埋葬時に入れる為だけに作られた証拠だよ
お葬式用に大量生産されたんじゃないかと思われる な?
中国人を見つけたらガソリンぶっかけて皆殺しにしたほうがいいだろ? 中国人連れてきて日本で作らせたから中国製だってよwwww
だから魏からの送りものなんだってよwww
はいはい近畿では鉄が溶けやすいですはいはい 現在に至るまで爆発したことがないので中国製ではない >>119
多鈕鏡の鋳型が国内で見つかったことにより、当時から日本に高い鋳造技術があったことが明らかになったそう。
春日市文化財専門委員で、考古学が専門の福岡大学の武末純一教授は「須玖遺跡が奴国の中心地となった
弥生時代中期前半には多鈕鏡が作られていたことを示すもので、当時、日本に高い鋳造技術があったことが明らかになった」
と話しています。 >>31
だから、支那(China)だってば。
中国は建国71年だよwwz >>120
本物は本物やろけど骨董屋が露店で売っとったブツな時点で出処不明つうか日本製でも何らおかしくないつうか そのうち中国が『漢那和王』志賀島金印も返還しろと言いそう >>102
> 三國志時代にああいう鏡を贈ることがらあったの?
その様な風習は史記には描かれていないな 銅製で高価なモノだが生活必需品だから市場で売られていたと思うよ 海外厨の利休は細川忠興に良いものは和物でも唐物と認定し、悪いものは唐物でも和物と見なせと言い切ってたな 中国からも同じような物が出土すればわかる事じゃない?
金印もそちらさんからの贈り物なんだから製法やデザインは中国製なんだろ
大事なのはその物が出土したって事
だってそちらさんの国からは出てないんでしょ? おかしいなあ
何で中国からは出ないんだろうなあwww >>126
銅鐸が造れたら銅鏡なんて簡単だよ 柔らかい石に彫り込んて銅を流し込むだけ
釣鐘様の銅鐸をどうやって作るかだが 薄くて外側には凸形の彫刻もあるんだよ 銅は冷めると縮むから薄いと割れやすいからな
銅鐸の型は各地から出土しているし >>21
コロンブスは黄金の国ジパングに行こうとしてアメリカに行っちゃったんだよな
コロンブスは死ぬまであそこはインドだと信じていたから原住民をインディアンて呼んだわけだ
ちなみにガリバー旅行記のガリバーも黄金の国ジパングに行こうとして小人の国や巨人の国等に迷い込んだ >>48
北海道の白滝産の3万年前の遺跡(15トンもの遺物)から出た黒曜石の鏃(やじり)と同じものが北米大陸や
シベリアの遺跡から大量に見付かってるからね。
古代の日本人がマンモス等を追いかけて、それだけ移動していたという証拠になる。 三角縁神獣鏡は中国の古代宗教の系譜から有り得ない鏡である、日本の神道以前の古代宗教の手がかりになる鏡だ
って論を以前見た記憶があるんだが、誰の本なのか忘れてしまったな made in China って思うとへぇ〜って価値が下がるな >>57
朝鮮半島南西の百済(4世紀~660年)と新羅は日本の属国だったという主張すらある。
朝鮮半島南西部には日本と同じ古墳が沢山ある。
あいつら韓国人は埋め潰して証拠隠滅しているけどwww
https://youtu.be/gQInIRlmlkA 三角縁の▼マークは九州の装飾古墳では定番の魔よけのマークだから、もしかすると・・・ 何枚もあるんだから、1枚だけでもちょびっと削って、不純物と調べたら、どこ産ってわかりそうなもんだが。 安本美典氏が国産だ呉鏡だといちゃもんつけて脅迫するからね >>149
生憎当時の日本に銅山ないんで原料調べても何処でこさえたかまではわからない 下記のリンク先を開いてお読み下さい
人権侵害弾圧魔・生活安全部解体、防犯協会解散しよう 2020/09/14 20:27
https://bakusai.com/thr_show/acode=8/bid=4209/tid=8849559/
https://bakusai.com/thr_res/ctgid=151/acode=8/bid=4209/tid=8849559/rrid=18-26/
正誤表)
誤 例の防犯協力の要請依頼をして回る警部補らの正体は、生活安全部の生活安全総務課の課付き警部であると考えられています。
正 例の防犯協力の要請依頼をして回る警部補らの正体は、生活安全部の生活安全総務課の課付き警部補であると考えられています。
誤 ストーカーでっち上げ行為を働き、冤罪事件を起こしているとの噂も立っていて、被害を受ける人達が何人も出ています。
正 ストーカーでっち上げ行為を働き、冤罪事件を起こしているとの噂も立っていて、被害を訴える人達が何人も出ています。
z 細かいところのつくりが粗いとか梱包が雑とか注文してから届くまで3月位かかるとか
調べればわかる事。 >>151
あるよ山口に。
紀元前300年には銅を精錬していたし。 >>108
藤村は物証をでっち上げた点で格が違う
やつのせいで全てが疑わしくなるレベル まあ曹操のところで作ったのを買ってきた可能性は、まあまあありえる。 ちょっと待って
銅鏡に関しては韓国が起源
その証拠に壁画には鏡を受け渡す男の姿が… 「鏡」といえば「三種の神器」の一つだけど、「三種の神器」の中で一番大事なのは「玉」だと思う。 中国でもいいけど中国人は優秀な国民(中国人)を選んで皆殺しレベルで殺して来たよね 貴重な書類も古代から棄て続けてるだろ >>158
「玉」は硬度が6以上と鉄より硬くて、
加工がめちゃくちゃ難しいらしいね。
アレに小さな穴を空ける技術が当時としては、とんでもないらしい。 中国製なら裏側にmade in chinaの刻印があるはずだ
無ければ偽物だろう 渡来職人が作ったという説はおおいにありうるけど、だから中国製だ!ってのは強弁が過ぎるだろw 魏と現代中国ってあの辺の土地にある国っていう共通点以外あるだけで完全に別の国だろ 文章変になってたわ
共通点以外あるだけで
↓
共通点あるだけで >>149
鏡に含まれる鉛同位体については複数の研究事例があって、新井さんという韓国の国立大の非常勤教員のかたが、
日本で出土した鏡などの鉛同位体を調べたうえで国産説を支持しているけどね
ただ、残念なことに中国全土で出た鏡などの同製品については調べられてないので、そのデータがないと、>>151の
言う疑問が解けない
>>150
あの人たちは素人だからね
しかも動機が不純で、自説(朝倉説)を証明したいだけのために埋蔵文化財を恣意的に利用しているだけ
だから、まともな歴史学者や考古学者からは相手にもされない 鏡の読み方、俺たちずっと
「さんかくぶちしんじゅうきょう」
と思ってた >>159
文化大革命な。
何にもわからない10代の紅衛兵を使って、手当り次第に
中国中の知識人やエリート狩りをした。犠牲者は6000万人から8000万人とも言われている。
それを丸っと真似たのが、カンボジアのポル・ポト政権 >>154
山口の鉱山なんて話の出処はどこや
現状オフィシャルでは7世紀のままやど >>21
唐銭、宋銭すら知らんのか
日本で貨幣の国産化がされるのは中世以降だよ 確かに中国製には違いないだろうけど、今のアンタらの祖先が作ったものじゃないから
何度ジェノサイドして入れ替わってることか どういうワケかわからんけど
目の分解能は人類平均0.2mmに対し日本人は平均0.02mm。
指の触覚は人類平均0.1mmに対し日本人は平均0.005mm。
手作業で支那が日本より精密なモノを作れるワケ無いの。 倭国は魏から下賜された銅鏡や反物を1年後には完全コピーして持って来るから魏の皇帝が驚いたって記述がなかったっけ?
確かあったよな? 中国の文明は立派だけど、政治的には3年ごとに皇帝殺すような真似をずっと続けてた野蛮人って思ってしまう >>172
だから、
日本の話はしてないだろw
支那で買い物する時に現地の硬貨が要るだろうよ。
頭沸いてるんか?w >>179
しかも直近で文化大革命なんてやらかしてるから
文明としての歴史は実質100年ほど
続いてるのは民族という名の血筋だけやね >>164
もちろんそうだけど、一番重要なのは「誰の命で作られたか?」なんだよ
陳寿著『魏書』にある倭人についての記述にあるように、卑弥呼に対して望んだ鏡を百枚を特別に与えると書かれている
そこでまで書いているのなら、当然魏の年号が刻まれた特別な鏡になる筈だ
何故か?
倭人の朝貢は西晋の祖である司馬懿の功績であって、その力で大月氏と同じく金印紫綬を与えた国への記念品であるわけだからな
しかし、当時はまだ蜀、呉との戦乱中で、魏の鏡そのものが少ないことからも、尚方(官立工房、工官)でも大量に作るのは難しかったと思われる
そこで鏡作り工人を集め、銅などの材料や必要工具類を集めさせて、日本、帯方郡、遼東あたりで作らせたのかもしれない
その場合でも一応魏の鏡になるわけだな
もちろん、当時の倭人が勝手に作ったものであれば中国鏡と言えないのは当たり前だけどね 中国に全然ないのなら日本製か
もしくは日本向けに特別にデザインした中国製かどっちかかな >>186
後はペルシア産とか
ペルシアとか西アジアの製品がシルクロードや海路を経由して日本に来てたからな 日本の貨幣は銅鏡や勾玉の流れをくんでるな
中心に穴を開けて携帯性を持たせるとかなかなか面白い
ユーロの貨幣はキャンパスに描かれた絵画の延長であって
貨幣の印象の違いを理解できたわ >>17
だよね
中国の方が先進国だったというのは誰も否定してないけど、
「いずれにしても」は意味不明 >>177
ポルトガル伝来の火縄銃も種子島の藩主種子島時堯が2丁4000両
現在価値でなんと4億円(1丁2億円)で購入したw
1丁は紀州の杉坊というお坊さんに託し、
1丁は手元に置いて訓練させたり、コピーさせる為に、
刀鍛冶に見せたが、時堯は分解を許さなかった為に、その刀鍛冶は娘をポルトガル人に嫁がせて技術を学んだというw
(孤島、種子島の地頭が4000両も持ってる金持ちなのも凄い)
思いのほか高く売れてホクホク顔のポルトガル人が、
火縄銃を大量に仕入れて3年後に戻って来たら、
日本中火縄銃だらけで、更に魔改造され高性能化していたとあるw
(現在、日本製の火縄銃は世界中の武器マニアの間で高額の取引がされている)
やがて戦国時代となり、
秀吉の朝鮮出兵の頃は5~8万丁の鉄砲をもち、
20~30%の装備率で日本は世界一の鉄砲大国になってたw 三角縁神獣鏡は日本製。シナ朝鮮での出土例が全く無い。 んな事言い出したら
中国で修行した日本人が作りましたとかでも通用しちゃうじゃん 日本にあるいい物の起源主張するのは
あそこの国と同じだな 魏鏡が中国製・・・卑弥呼やトヨが魏から輸入して畿内の豪族に大量配布した証拠
魏鏡が国産・・・質のいい鏡を大量生産して畿内の豪族に大量配布した証拠
どっちにしろ邪馬台国って畿内じゃん 魏と付き合いあるとこが態々魏の銅器鋳溶かしてパチもん量産しても意味ないやろ
魏と付き合いあったとこ攻め滅ぼしてそこの銅器鋳溶かしてこさえた鏡を使うて経歴ロンダ目論んだとしか >>80
「景初四年」問題な
鏡から単に型を取って複製したわけではなく、きちんと漢字の意味を分かっていたという貴重な資料。
それでも日本人が漢字を分かっていた証拠とはされずに、
中国から日本に渡った技術者が作ったのではないかとされているが。
張政が台与に「檄」を送った問題と並んで、
日本に漢字をもたらしたのが百済の聖明王でなければ困る人たちに
聖明王より早い時代に漢字が日本人の目に触れていては困る人たちに
黙殺されている 相変わらず盗人国家ジャップの猛々しいレスが並ぶなあ
中国のものらしいけどジャップの前は韓国にあったものなんだからさ
韓国に返すのがスジだろう 魏から日本に贈られた銅鏡の数、約100面
日本各地から出土した銅鏡の数、約900面
三角縁神獣鏡の形式の銅鏡は日本でのみ出土
三角縁神獣鏡だけで400面が出土
どう考えても日本製
大陸から職人を招いたとしても製作はこちら これは素直に日本産やろ
三角縁神獣鏡はそもそも、ほとんど日本でしか見つかってないし 職人は来てるんだろうな。
陳さんとか顔さんの名前が入ったのがある。 三角縁神獣鏡は日本製
卑弥呼が魏から貰ったのとは別物
近畿の大和がパクり魔改造して作って
邪馬台国ほか、地方を大和政権がマウウンティングするのに使われた >>206
国産のパチもんを「魏の国からの貴重な鏡」としてばらまいたってことかw 中国製と言っても過言ではない
日本製でもコピーだし作ったのは渡来人 今の強欲中国人は、過去に栄えた国々の者ではない、ただそこに住んでいるだけ
文革で知識層は根こそぎやられ、大朝鮮人だけが生き残ってる
東北出身者が、東京人気取って「田舎者のカッペは死ね」とほざいているのと大差ない
構わなければ良い 秦帝国の郡県制をはじめとする統治方法は、ペルシア帝国のまるまるコピーなんだってね >>51
技術を学んで日本流にアレンジして、今の伝統工芸があるんだろうね
思いを馳せるには楽しい >>208
朝鮮由来の大和政権がやりそうなことだろ 中国では三角縁神獣鏡のような大型鏡はあまり作られなかったから邪馬台国限定品かもな 天の岩戸の神話でも鏡作らせるんだよね、だから相当に古い銅製品製作技術が日本にはあった。三角縁神獣鏡ぐらい軽い軽い。 今の中華人民共和国は、1949年建国なのに
そんな素晴らしい国なのに
日本へ来なくてもいいのにぃー
祖国が一番よね 仮にそうだったとしても今の中国人には関係ないのにな。 糸島の大型鏡は、糸島の職人がちょっと暴走したものかも。
技術をマスターして独り立ちすると
ちょっとやらかしたくなるよね。 >>1
トンスルランドみたく起源主張しないから心配すんなw
どう考えても中国だ 三角縁ってどこが三角なんだよ
◁縁▷だと思ってたけどそうでもないみたいだし >>221
縁が三角なんだけど断面図見ないと分からないんよね 精巧さと品質
現代品なら間違いなく中国以外と答え出そうだな >>154
お前「紀元前300年には銅を精錬していた」のソースは? >>196
九州北部説が確定的な今頃、畿内説を言う頭のおかしい人に教えても無駄だろうけど、
畿内で銅鏡が製造できるようになったのは、古墳時代以降なんだぜ? >>200
わざわざ山賊やら出る荒地で道も食べ物もなく、
疫病とかある朝鮮なんか通らないから。
遣隋使も遣唐使も船で直接支那(中国)行ってるから。
頭悪いねw 大陸で勃興したいくつもの王朝の文化芸術風習は世界的に見ても大変素晴らしい
しかし大陸を纏めることができなかった中華民国、道徳が崩壊した中華人民共和国はダメダメだな >>225
弥生時代紀元前400年頃の日本の各地の遺跡から
青銅器の銅鐸とか、やじりとか出土しているんだが、
わざわざ支那とか朝鮮半島から貨幣を輸入して溶かす
とか面倒な事する訳ないだろアホかw
https://www.city.okayama.jp/kurashi/cmsfiles/contents/0000005/5385/000311137.pdf >>225
1,弥生の青銅器 舶載鏡、倭鏡のイメージもあり、国産の青銅器については非常に稚拙なイメージをもっている 方も多いと思いますが、
弥生時代から非常に高度な青銅器鋳造技術をもっていました。
弥生時代 には国内で銅剣、銅矛、銅戈、銅鏃などの武器、銅鐸、銅鏡などが生産されます。
最近では兵庫 県南あわじ市の松帆銅鐸の発見、岡山県では総社市神明遺跡の銅鐸の出土など大きな話題になり ました。
https://www.city.okayama.jp/kurashi/cmsfiles/contents/0000005/5385/000311137.pdf >>230
とりあえずお前、製錬と精錬の違いわかってるか? >>190
島一つ治めてるだけあって先見の明があるな 仏像みたいに盗んでまで偉そうにするどっかの国に似てるわ 飛鳥時代は半島から仏像輸入してたからな
飛鳥大仏は国産だろうが >>237
倭国で造られたよ。
記録は残ってないけど、邪馬台国は魏に滅ぼされた遼東の公孫氏と交流があったんだよ。
だから技術的な素地は持っていたと推測できる。 華北産の青銅ってことまではわかってるんじゃなかった?
銅と錫の同位体分析からわかったと。
当時(3世紀)の日本には、銅鉱も錫鉱もない。
青銅を半島経由で輸入していた。
あとは鋳造の場所がどこだったのか。
魏産と大和産の両方じゃないかな。
卑弥呼の朝貢で得た魏産をコピーする工房が大和付近からでるかもしれない。 仮に中国だとしても中共とは関係無いし今では無理だから >>1
本文にもあるんだけど、
中国には一枚も見つかってない上に、
日本ではやたらに量産されてる
だいたい淡路島産
中国から持ち帰った、なる話自体ほんとかよ?だし、
なにより魏志倭人伝の通りなら、
箸墓古墳は卑弥呼じゃない
鏡が一つも出てこない 原料の青銅の産地や年代が合致しとる言うことは魏から下賜された銅器やらを鋳溶かしてこさえたという事
魏と交流があるならわざわざやる必要のない事 >>244
純国産(非コピー)の可能性もあるんだよな。
景初四年とわざわざ魏の年号を鋳込んで、威信材として配った。
その場合、作る方はパチもんとわかるが、受け取った方はどうったのだろう。 >>243
シナ大陸性なら中国製に決まってんだろ
大日本帝国は日本じゃないのか?バカだろおまえ >>248
淡路から銅鏡の工房跡は出土したっけ?
銅鐸なら出た。 中国は中国でも北京のシナ人じゃなくて三国志の孫策や孫権の手下だがな。 >>249
んだと銅鐸文化の時にすでに青銅はあんのね?
あと銅剣も多数出てる
日本って和同開珎見つかる708年までは赤銅が取れなかった
それ見つけたのは高麗郡の朝鮮人。 >>249
銅鐸、銅剣、銅鏡は、それぞれ、錫や鉛の配合が違う。
銅鐸を鋳つぶしても銅鏡は作れない。 >>226
魏の年号を持つ鏡と同類の鏡は、古墳築造&祭祀(庄内式>布留式土器>埴輪など)とセットで4〜5世紀を中心とする全国の古墳等から出土していて、
考古学界では様々な根拠からその配布の中心は畿内だと考えられている
古墳時代初期(3世紀後半〜4世紀初頭頃築造)と福岡市役所により推測される那珂八幡古墳でも三角縁神獣鏡が出土しているし、庄内式か布留式
土器らしき土器片も出土している(いずれの土器であるかは明確ではない)
那珂八幡古墳が築造された時期には既に北部九州(少なくとも奴国周辺は)もヤマト王権の序列下にあったとも言えるわけで、この時期内であれば
三角縁神獣鏡がどこで作られたものであってもあまり意味はないわけだ
つまり、九州説を推す人たちにとっては、那珂八幡古墳の築造時期は諸刃の剣なわけだな
3世紀後半の築造だとすると、三角縁神獣鏡が卑弥呼がもらった鏡の一部である可能性が高まるし、逆に、祇園山古墳と同じく四世紀(福岡県職員の
発掘担当者が推定したもの)の築造だとすると、卑弥呼の墓候補がなくなってしまうわけだしね
あと、確定しているというのは九州説を推すアマチュア集団の中での話であって、学術的に確定しているわけでもなんでもないので、知らない人は信じないように(苦笑) >>255
てこた銅鏡鋳溶かしてこさえたて事か
魏と交流していた勢力潰して接収した銅鏡鋳溶かして いいよいいよ
中国のもの中国のもの
それでいいです >>256
ちょうどその辺で滅ぼされたんなら時期的にもドンピシャちゃうんか >>241
なんで記録に残ってない事をお前が知ってんだよw 中国製かもしれないけどおまえらの文明とは関係ないから。 >>258
その可能性もあるが、斧型の青銅インゴットが大和から出土するので、
銅鏡用の素材(青銅インゴット)を輸入していた可能性が高い。 たとえば創業100年の田中さんが作るお菓子を
そのとなりの山田さんが
田中のお菓子は山田が教えた、山田が田中より偉いなどと言い出したら
山田はあたまがおかしくなったと思われるだろう
そういう話、まったく関係ない、何も受け継いでいない、そんなやつが
いきなり自慢しだすという >>230
当時の日本では錫がとれなかった
少なくとも錫は半島経由で輸入したもの
青銅のかたちでも輸入してた可能性もある 良かったなぁ
朝鮮だったらクソベラにでもされて
跡形も残ってなかったろうな >>251
支那(China)は中華人民共和国ではありません。
中国は71年前に出来た新興国です。
中国で使われる西洋から入って来た新しい現代用語、
技術、法律、思想、概念、等は、
現在中国で使われる漢字のうちの70%の漢字が、
西洋からの物を、日本で漢字に意訳されました。
中国は日本の漢字を逆輸入して使っています。
ちなみに、中華人民共和国のうち、「人民共和国」←は日本が西洋の概念を漢字に意訳したもので、
それまで中国には字も概念もありませんでした。
毛沢東も日本の漢字が無ければ、「毛沢東思想」を
書くことすら出来ませんでした。 学校作ってハングル与えて教えたのも、
唐辛子与えて衛生的にキムチ作る方法教えたのも日本だけど
いちいち日本が起源主張なんかしないだろ?劣等土民国なんかどーでも良いからね。
けど連中は必死に起源捏造してエラそうに騒ぐ。
下等生物は高等生物に発情するってヤツかねw 精巧さで言えばコロナウィルスって芸術品だよな
あのイガイガは人に付着したら絶対離れない
な?そういう事だシナチク > 当時(3世紀)の日本には、銅鉱も錫鉱もない。
知られてないだけちゃうん? >>266
調べたら銅のインゴットも錫のインゴットも共に出土しとるな
てこた比率はこさえる側でいじれるな >>274
研究の過程で当然成分分析とかやっとる訳で >>268
日本はジパングと言われたほど、あらゆる鉱物の鉱脈が
あって、錫鉱山もある。
元寇(モンゴル)ですらマルコ・ポーロから
ジパングの話を聞いて2回も日本に攻めてきたんだが、
朝鮮から輸入したという、想像じゃなくてエビデンスをくれ。 三角縁については国産とするならそれでも大きな意味がある
三角縁はつまり畿内から全国に規格を揃えた鏡を配布するような意図的な政治意識を持つ中心がいたと言う事の証
三角縁は大体4世紀の古墳から出てくるから、この頃には畿内から全国に影響力を持つ勢力が成立している事になる
この勢力は突然現れたわけではなく、3世紀半ばから現れた古墳勢力の発展拡大の上にある
そう考えるとおのずからこの畿内勢力が3世紀半ばからそのまま順調に成長していった過程が読み取れる
3世紀半ばに畿内を中心とした九州から関東にまでいたる全国的な連合体が出現
↓
4世紀にはこの勢力が更に発展拡大してその中心である畿内が明確な核として成長する
という図式になる
魏鏡かどうかという話以前に畿内に出現した勢力の成長を見て取る重要な証拠と言えるわけだ >>275
うんうん。
当時から我が国は資源を輸入に頼り、貴重な資源を有効に使うべく加工技術を磨いたと考えると、なぜか泣けてくる。 大陸製で問題ないわけだが、ロストテクになって、日本が保存してたいう
いつものやつやで 三角縁神獣鏡
海獣葡萄鏡
方格規矩四神鏡
三大かっこいい鏡 けっきょく日本の歴史って魏の時代でもなにやってたかよく分からない、
というあたりが実際には短いことを物語ってるよね。 >>275
精錬する為のふいごが、
弥生時代後期(紀元後~300)の遺跡から出てるから、
ダウト 黒塚古墳の三角縁神獣鏡は棺の周りにずらーと33枚も並べてんのな。
国産コピーだろうが魏産だろうが、遺体のまわりに鏡を並べることに情熱を持っていたことはわかった。 >>285
青銅器こさえだしたんは紀元後どころか紀元前3世紀からやど 正倉院の宝物の殆どが国産で海外の宝物のコピー品だと知った時は驚いたな
まあ、そんな技術が進んでない昔のことだから、時間さえかければ少数を真似することはできるし、人がくれば尚更簡単かもな納得した >中国からは1面も出土していない
>いずれにしても中国製と言える
コロナとの差よ 中国で表面化して世界に広がったのは事実だが中国製とは一切認めない >>1
銅鐸の技術を考えたらに
鏡も日本製だろ。
チャイナから銅鐸は出ないよね。 中国の青銅器文化も中国発祥じゃないかろ
遊牧民経由だろう
日本には騎馬民族征服説は当てはまらないと思うが、中国経由でなく、北方からの直かも知れない >>285
フイゴは鋳造にも必要だから。
青銅を溶かす温度を出すにはフイゴがないとどうにもならない。
フイゴの存在は銅鉱や錫鉱が国内にあった証拠にはならない。 そりゃ中国製だろうよ
そのころの日本人は全身入れ墨にぼろ布まとってウッホウッホ言いながら呪いで政治やってたんだから 中国産だが、当時の魏の末裔は今の中共には残っていない
宋〜清の時代までにほぼ絶滅している
日本に残っているのは盗掘されてないから
大陸には古代から上流階級の墓荒らし専門の盗賊が各地にゴマンといて
青銅器も鉄器も金も銀も多くは高値で売買されて実用的に再利用された 返せと言わないだけ今回は大人しいな。自信無いんかな? >>300
それを心配するならむしろ日本は中国の属国の歴史があるんだから占領されてもいいだろとか言う理屈で来るんじゃねぇの >>283
魏とかたったの45年しか続かなかった王朝で、
日本に来て取材した訳でもない陳寿が書いたとされる
魏志倭人伝とか400字詰め原稿用紙5枚分しかない
短い漢文で、
中華以外は化外の地という、中華思想に基づき、
差別意識満々の穢れた思想にまみれ、
日本を属国に仕立てあげた改竄書物になんの意味があるんですか?
2000字なんか小学生でも書くよ?w
https://www.xhimiko.com/魏志倭人伝/各種論争/陳寿も改竄/
中華思想とは
中華思想は、中華の天子が天下 の中心であり、その文化・思想が神聖なものであると自負する考え方で、漢民族が古くから持った自民族中心主義の思想。
自らを夏、華夏、中国と美称し、王朝の庇護下とは異なる辺境の異民族を文化程度の低い夷狄 であるとして卑しむことから華夷思想とも称す。
https://i.imgur.com/d6fgBml.jpg 完全に日本製ならば、三角縁神獣鏡は卑弥呼が朝貢時に魏からたまわったものではないことに。
魏の元号は記さているが、デザインも鋳造も日本独自。
いったいなんのために?
当時の日本の王の名をデザインしなかったのはなんでだ。 >>263
あと精錬跡と鋳造窯跡も別物だからな
ちゃんと区別できていないソースはダメ
銅のインゴットや割れた銅鏡を鋳潰すための炉跡は精錬していた証拠にはならない
あくまでも鋳造開始時期が-2〜2世紀と言われているだけに過ぎない
せめてそこから鋳型が発見されれば何を作っていたかがわかるし大発見につながるかもしれないけど >>1 >中国からは1面も出土していない
でてるぞ 訂正して記事書き直せ
「中国で出土」の三角縁神獣鏡 日本と加工の痕跡共通
https://www.asahi.com/articles/ASHDS51W4HDSPTFC00P.html
中国・河南省の収集家の男性が入手し、
昨年、「魏の都だった洛陽で見つかった」と発表した。 >>8
Romanticだわぁ〜
あのへんの あの時期に いったい何されてたんだろう?中国は >>306
魏と交流していた勢力潰したんで後付けの経歴ロンダ >>310
でもそれ骨董屋が露店で売っとった奴で何処で出土したか不明なんよね 一枚ポッキリやし >>313
あっち(卑弥呼)は100枚しか魏鏡がないが、こっち(滅ぼした勢力)は何百枚だ!
魏の後ろ盾はこっちにあることは自明!
(実はそのころには魏は滅んでいることは内緒だ)
そういう世界? 銅鏡100枚は朝貢した翌年の240年に
魏の使い梯儁が倭国に届けた
正始元年 太守弓遵 遣建中校尉梯儁等
奉詔書印綬詣倭国 拝仮倭王
并齎詔 賜金帛錦?刀鏡采物
期間があいているので既存の銅鏡じゃなくて
倭国贈答用の特別デザインとして三角縁神獣鏡を作った可能性ありそうじゃね
象、ラクダとか倭人が知らなさそうなのをデザインしたんじゃないか
魏の権威を示しつつ属国に特別なものを渡した
曹芳が皇帝になって最初の使者だったってのもありそうだけど >>317
それやと後の時代に三角縁用いたバリエーション的な鏡が出土してもよさそうなもんやがそれもないんよね >>317
魏からの原型オリジナルも、魏産の青銅をつかって日本でコピー製造された鏡も両方あったんじゃないのかなあ。
出土の枚数が多すぎるから。
同位体を分析しても青銅の産地が同じだから現代人には区別がつかず、加工技術で比べようにも、
これといった手がかりがない。 >>319
オリジナルは魏でつくられたはずなんだよ。
何を言っているのかわからん。 >>250
中国には魏呉蜀と三国があり、魏はわずか50年で滅びた王朝。その後西晋という国が中国を
統一した。
なぜ、中国に三つある王朝の一つでわずか50年しかなかった国の鏡をありがたがる必然性が?
しかも卑弥呼が使いを送った翌年の年号だよ。 外国から銃を2丁だけ買って魔改造して大量生産しちゃうような民族だぞ
銅鏡作るのくらい余裕でやるだろ >>322
文明の中心とつながっている印だろうね。
国内の抗争を打ち勝つために必要だった権威。 まぁ前提の話として
@中国では鏡を殊更配って階層を示すような文化は無い
A当時の魏は銅が不足している
B魏は銅鏡技術が廃れていてもっぱら銅鏡の先進地域は呉の領域
C魏は呉の工房から鏡を仕入れている
D三角縁はその形状から日用品としての機能が低い
という事が挙げられる
なので呉領域の工房において日本用の鏡を特注して作らせたという想定が成り立つ
中国側に無いというのは別におかしな話ではない事になる >>321
中国から三角縁用いた鏡が出土しとらん以上オリジナルが在るかは疑問
そもそも三角縁な時点でコピーとはいえないかと >>327
三角縁神獣鏡には景初や正始などの魏の年号と
銅出徐州 師出洛陽と書いてるよ そもそも今のチャンコロも当時の中国とは
人種自体が違うし >>327
なるほど。
大胆に推測すると、三角縁神獣鏡の出る地域は、魏と対立する呉との交流があった。
黒塚の大和も呉と結んだ勢力であり、魏と結んだ卑弥呼の勢力と対立していた。
卑弥呼の魏への朝貢は中国側に記録が残ったが、呉に朝貢した勢力については記録が残らなかった。 > 日本には中国の面影を残す文化や習慣
完成度が全然違うべwシナ製とはw大昔からw しかし鏡100枚とか気前よすぎるよね、1枚いくらぐらいの勘定になるのかわからないけど相当高価な商品だろうし、いくら遠い地からきた客人に見栄張るにしても気前よすぎる、10枚とかならまだわかるけどね。 >>327
それやとそれ以降の時代に三角縁用いたデザインの鏡が中国に存在して然るべきやろ
ないやろ Made in Chinaとか100均じゃあるまいし。 紀年銘のある三角縁神獣鏡
景初三年(239年)、正始元年(240年)陳是作
青龍元年(233年)顔氏作
景初四年(景初は三年で終わったので存在しない)陳是作
景初三年と正始元年が卑弥呼が魏からもらったやつで
青龍元年と景初四年は倭人が作った模造品? 日本側の事情で言うなら
@魏との外交の年号を示している。仮に三角縁配布が邪馬台国と別王朝なら新たに使節を送ればいいのに邪馬台国の外交の年号を掲げている
Aそれまでになかった三角縁の規格を畿内が中心となって広めている
B地方ほど三角縁を丁重に扱う傾向が見える
特に@の状況から邪馬台国の外交の年号を殊更に掲げる事から同一王朝、もしくは後継の可能性が高い
新王朝なら改めて使節を送って、自らの功を誇れば良いだけの事なのにそれをしてない点は注目される
魏との外交の記念のレプリカを大量生産して日本の中心として意図的に配布していた事になる >>330
いきなり国産で魏製っぽいデザインの鏡を製造したってことかなあ。
わざわざコピーライト@魏をつけて。 >>339
鋳溶かす前の魏鏡に刻まれとったんをパクったんとちゃうんか >>242
なんで「半島経由で」ってわざわざ付けるん?
魏とか呉とか北越とかからの輸入なら
浙江省あたりの水郷地帯から水運船で運んだ方が楽だろうよ
北回りであの半島に向かうと荒れ地ばかりで道行きが大変だわ 景初四年も実際は半年くらい使われていたらしい
晋書天文志という書に景初四年の出来事が書かれている 入朝しにきた使節団への手土産なら、中国より外国で発見されることに説明つくじゃん。 今どきの5chでクダ巻いてる五毛と違って、昔の大陸人は大したモンだな。 >>311
出土してるんじゃなくて露天商から買ったいわく付き銅鏡だろw
どうしても畿内の古墳年代を古くしたい畿内のゴッドハンドが密輸出したのかもなw >>347
当時は魏の領土だった楽浪群でも数枚見つかってる >>345
ならば何故三角縁のデザインが後の時代の鏡に使われていないのか 日教組が嘘八百吐きまくってたからな
縄文文明は世界最古の可能性が高い 三角縁神獣鏡は中国の魏に相当する地域と倭つまり日本でしか出土が見られない >>348
現物は見つかっとらんやろ三角縁神獣鏡のデザインに楽浪郡との共通性を示唆する物が含まれているて話で >>358
デザインの一部が共通するブツはあっても三角縁の現物は出土しとらんやろ? 百済が滅びた時多くの半島人が倭国に渡ってきて倭猿を支配したんさ
天皇にチョン顔が多いのはこのせい
ちなみに朴秀吉もチョン >>355
中国とは現在の西安を中心とする広大な地域の名であって、王朝名にあらず、中華人民共和国の略称にもあらず。
確認できる初出は、紀元前6世紀の『書経』である。
中原とほぼ同じ意味で、日本語の中つ国が近い。
中国と呼ばれる地域で民族の交代があったか否かの議論は、民族の定義次第で動く。 >>8
ヘレニズム時代だな
ギリシャというよりアレキサンドロスによって拡大されたヘレニズム文化
ガンダーラの仏像など、その時代に新たなステージに入ってる
必ずしもギリシャ人とは限らないけど
良い視点の話ではある 奈良周辺から三角縁神獣鏡のコピー製造工房が出土すれば、邪馬台国は奈良でいいと思う。 >>45
>>79
まーた白人崇拝のイエローモンキーが何か言ってる >>45
秦氏は始皇帝に背乗りした朝鮮族だと思うわ 当時で考えるなら日本の文化が中国を上回ることはあり得ないんだからどんと構えとけよ。 >>242
遣隋使も遣隋使も船旅だろ。
それだけで朝鮮が遠回りで危険な場所ってわかるわ。
あと琉球がアジア流通の一大中継地点だしな。 >>47
技術的文化的に半島が上だった時代はないだろ。
国力的にも温暖な日本が遥かに上
しいていえば、国力的に空襲でボロボロになってた終戦直後の数年くらいじゃないの? 朝貢してきた国にやる用ってことは考えられるから中国製でもおかしくはないが
材料を分析すれば一発で分かるだろう。 三国時代の混乱を避けて、日本に移住した人が作ったのなら
日本製じゃねえのか?
縄文人の故地は四川方面、弥生人の故地は長江流域から山東半島とするなら
日本人のルーツも中国であるんだし >>370
支那だろ。
中国は建国71年の新興国だw
周は異民族国家で、
その後の春秋・戦国時代を経て、秦・漢・三国・晋・五胡十六国・南北朝・隋・唐・五代十国・宋・遼・金・元・明・清の皇帝のうち、れっきとした漢民族王朝は、
漢・唐・宋・明だけだwww
中国になって、文化大革命で自国民8000万人を粛清し、
全て失ったwww
唯一の漢民族のシンボルである、漢字すら
簡体字にして漢字の意味を不明にして文化を失ってるよ。 残念だけど、畿内の鏡は国産だってもう分かっちゃってるんだよね
出土古墳ごとに鏡の最終仕上げ工程の跡が揃っていることが判明しちゃったから
異なる種類の鏡であっても同じ古墳から出てくる鏡は同じ仕上げがされている
中国で作ったなら埋納古墳ごとに仕上げが揃うなんてことはあり得ない
日本で古墳に埋めるために作った鏡だからそのような現象が起きている
今どきの歴史:三角縁神獣鏡、製作地論争 画期的「国産説」の登場
http://mainichi.jp/articles/20180118/dde/018/040/020000c?inb=ra
> 一方の国産説も決め手に欠けたが、1年前、画期的な新説が現れた。昨年この欄で紹介した「国宝・金印論争」にも登場願った鈴木勉・工芸文化研究所所長の著書
> 「三角縁神獣鏡・同笵(どうはん)(型)鏡論の向こうに」(雄山閣)である。
> 鈴木氏は金工や金石学が専門。物の形や文様の変化を追う考古学とは違い、実験が裏付ける製作技術の観点から製作地に迫った。
>
> 着目したのは、鋳造後の仕上げ作業。三角縁神獣鏡の文様には、三角形が連続する「鋸歯文(きょしもん)」がある。
> 鋸歯文を拡大画像で比較すると、ヤスリや砥石(といし)で磨かれるなど、種々の異なる加工痕が残っていた。
> 加工痕の違いは工房や工人、工具の違いを示すものという。
>
> そこで、黒塚古墳(奈良県天理市・33面出土)など、三角縁神獣鏡が出土した10以上の古墳を対象に加工痕を比較した。
> 結果は簡明。仕上げ加工痕は出土古墳ごとに見事にまとまっていた。
>
> 三角縁神獣鏡では同じ型の鏡が複数存在する。同笵(型)鏡と言い、別々の古墳からも見つかるが、同型同士でも加工痕は古墳によってさまざまだ。
> 一方、出土古墳が同じなら、異なる型の鏡にも同じ仕上げが施されている。つまり加工痕は鏡の型ではなく、出土古墳に規定されているのだ。
>
> 鋳造の最終工程で施される仕上げのまとまり具合から導かれる事実は明らかだ。鏡の製作地は、日本列島内の出土古墳近くということになる。
>
> その上で鈴木氏は見つかる鏡の少なさなどから、工人が各地の出土古墳近くに定住しているのではなく、大和地域に本拠を置く複数の移動型の工人集団が
> 各地の依頼で現地に出向いて製作する「出吹(でぶ)き」を想定した。 >>47
2000年支那の属国が偉そうにw
あと、現在韓国の地域、
百済と新羅は日本の属国だろwww
百済の皇族は日本に留学に来ていたのが、
百済と日本の歴史書に書かれているよwww >>376
なんだよ100%国産じゃねーか
解散解散 >>361
朝鮮人皆殺しにした秀吉が朝鮮人とか
馬鹿チョンコ
半島から支配したとか馬鹿か
古代でも日本が半島の一部をしてたんだよ馬鹿チョンコ >>375
文化大革命か。
中国3千年の歴史の中でも平均未満の文明レベルだった時代かもな。 >>369
火焔型縄文土器が出現するのは縄文中期(紀元前2000年)。
素焼きであそこまで技巧を追求した縄文時代は素晴らしいと思う。
同時代の中国では素焼きの装飾はほとんど見られないが、このことが中国より日本の装飾技術が上であることは意味しない。
同じ時代の中国はすでに青銅器文化に移行しており、豪奢な装飾をほどこした青銅祭器が出土する時代にあたる。
青銅器の方が加工しやすかっただけのこと。
二頭里時代の青銅加工技術は、殷周秦漢を経て、魏にも引き継がれている。
ちなみに縄文土器が出現するのは、中国内陸部が日本より先。 >>45
古代ユダヤの末裔ってより、災害で日本から逃げ出したスサノオ系だろうんw 車のイメージセンサ以外すべて中国に抜き返されたからな
その車もEVで青色吐息、センサーものエヌヴィディアに周回遅れ
そら俺たちのほうが上と思われても仕方がない。 実際は鋳造が荒くてバリまで残ってるようなのが結構あるよ
とても中国の皇帝が威信をかけて作って卑弥呼に与えた銅鏡とは思えない
こんなのを朝貢に来た使者に与えたら中華皇帝の恥さらしになるw >>367
けど結構面白いんだよな・・・
キリストの墓はほっといて、かなり合致してる点あるし。 三角縁神獣鏡は国内製
しかも卑弥呼の時代という訳でもない
ヤマト王権が関東まで支配する段階で
各地の王に威信材として配った >>376
あとは加工工房跡が発掘されるのを待つだけだな。
しかし、魏から卑弥呼にわたった鏡の謎がふりだしに戻る。
三角縁神獣鏡じゃないなら、どれ?それによって邪馬台国の位置も変わるなあ、という。 >>376
こりゃ決定的だな
畿内の学者はゴッドハンド癖をどうにかしろよw >>375
唐は漢民族の王朝では無い
そんな不確かな知識で歴史を語るのは危険 中国は自国の文明を、全て破壊してるからな。
日本には破壊を免れた、中国の文化遺産が多いんだぜ。
中国人の金持ちが買っていくわw >>389
後漢の時代の青銅鏡の出土数は圧倒的に北部九州だよ
倭国大乱は九州での南北戦争の話で邪馬台国の女王卑弥呼は
魏の皇帝からもらった青銅鏡を自陣営や寝返りそうな狗奴国陣営の国に配ったんだろうな >>382
できたての10円玉が青銅ね
あのくらいピカピカしてる
んで錆びるとくすんでくる
たまーに緑青もでるが、これがブロンズ像の色 纏向遺跡の近くに鏡工房の遺跡あるがな
ご丁寧に鏡の神社まであるしw
纏向は4世紀の遺跡(炭素年代法で3世紀と言い張ってる奴らは捏造だから)だからすべて腑に落ちる >>21
古代中国の貨幣を輸入して流通させてたのをしらんのか >>47
李氏朝鮮の愚民化政策つうのもちょっと違うんだけどな
明代には海禁政策してたから、中国からの文物は大陸経由しかなかった。清になって解禁
なもんで、従わなかった李氏朝鮮が衰退したのはこの清の時代に八旗軍に三跪九叩頭させられてから。
ちなみに李氏朝鮮から対馬通じて文物入ってきてるので、
レベルは日本と大して変わらんよ
アホが車がない、染め物がない、針がないとかいうけど、
あれは中国製の方が質がよかったからなだけ
正しく知らないと負けかねないので、バカは死んでみよう >>389
九州南北戦争で邪馬台国に協力した国々に散らばったんじゃね? >>396
箸墓古墳は箸墓で、
纏向は纏向で意味あるが、
魏志倭人伝にしか書いてないヤマタイだけはありえない >>360
日本で見つかるものと寸分違わず全く同じものが出ている >>394
北九州の後漢の鏡は、国産コピーではないとはっきりしているんだよな?
>>396
田原本の鏡神社は非常に怪しい! >>260
地図にはあるけどな
ごめんな、バカには見えなくて。
NG >>373
参加kぶち神獣鏡の剤労を分析したら魏鏡と同じものと出た 人間の心理的にも
日の沈む方向に行くより日が昇る方向に移動するだろうな >>401
中国で見つかった三角縁はどこかの墓で見つかったというものではなく
素性がわからないものだよ
幕末から明治にかけて外国人が仁徳天皇陵に入って青銅鏡なんかを持ち出した話があるし
同じような経緯で日本から持ち出されたと考えるのが妥当 >>401
どこで? 言及しとるソース見付からんのやけど情報出してくれんかの >>394
魏の時代の中国鏡は畿内の古墳からからよく出土する >>403
国宝三角縁神獣鏡なら中国製
近畿で見つかるもの、
特に箸墓古墳のは「つくりかけ」(!)も含めて国産
別に嘆かなくていい
纏向遺跡では自作できる段階にまで技術上がってるわけで、
ヤマト王権の技術が渡来人によってレベルアップしてる文明が生まれつつあったってこと。
魏志倭人伝が北九州だとしても、
近畿は嘆くことはない。
息するように嘘つくんだねって言われて終わる >>408
まあそもそも三角縁神獣鏡は魏の年号が入っているので
国産か中国製かに関わらずよく見つかる畿内が魏と交流していた証になるんだけどね 三角縁神獣鏡は支那で出土してないの?
数年前に出土した話がなかった? >>403
同じ様式の鏡が中国でも出土しとるしそもそもコピーの必要性はあるんかて話やし >>410
いいのか?ソース要求して
魏の楽浪から三角縁神獣鏡が見つかってるソースを出されたら困るんじゃないのか? >>416
出てるよ
九州説はないないと泣き喚いてるけど >>270
>支那(China)は中華人民共和国ではありません。
当然だよ、シナ=秦は紀元前に存在した国の名、中華人民共和国は現在の国名。
>中国は71年前に出来た新興国です。
中国とは地域名で、地域に新興もなにもない。
中国という地域に、夏から中華人民共和国まで、さまざまの王朝や国が交代していった。 >>411
それがこのスレのネタになっとる中国で出土しない日本製の魏鏡ですがな >>412
銅鐸作ってたんだから銅鏡くらい余裕っしょ。
大和政権が誕生して需要と供給の関係が構築されたってことじゃね? >>416
あった
> 一方で2015年(平成27年)には中国の骨董市で三角縁神獣鏡が発見されたという報告がなされたが、その出自は不明である[29]。
その西川寿勝の調査により、少なくともこの鏡は贋作ではないとされるが、これ以外に中国で三角縁神獣鏡は1面も見つかっていない[30]。 >>421
中国でも出てるよ
そして三角縁神獣鏡だけでなくて畿内では景初三年の魏の年号の入った
中国鏡の画文帯神獣鏡も見つかっている >>422
余裕だよ
だから国産で増やしたんだと思われてる
日本の神社を増やすのと同じ、形代という形式とるならそうだろう
> これとは別に、泉屋博古館が久津川車塚古墳(京都府城陽市)出土の三角縁神獣鏡に、
SPring-8を使った蛍光X線分析を行い中国製との結果を得ていたが、
2018年、黒塚古墳(奈良県天理市)出土の33面の三角縁神獣鏡にも同様の調査を行い、
鏡の材質が前漢の後期から三国時代に制作された古代中国鏡と組成とほぼ一致するとの結論を得て、橿原考古学研究所は、
調査報告書に「黒塚古墳の研究」と題してとりあげた。[15]。
科学的には中国銅もあるが、
そもそも銅銭輸入してた国だからなんとも言えない 魏の年号を記したのって330枚中たったの2枚なんだろ?
むしろ日本から魏への輸出用って考えた方が自然だろ。 ここ見ればわかるが、
ヤマト王権に属している、
筑紫、吉備、大和、熊野、毛野、越でよくみられるから、
確実にヤマト王権に服属させた支配権の神器だろうね
https://blog.goo.ne.jp/39268901rekisikennkyuukai/e/e8976c36d0b396e7963e922e70f7df38
だから銅鐸縄文文化を銅鏡文化と前方後円墳が塗り替えていったことになる >>425
ほういい度胸だ
旧楽浪郡出土三角縁神獣鏡
http://www.ne.jp/asahi/isshun/original/mater10.html
三角縁二神二獣鏡
三角縁半肉彫神獣鏡
三角縁獣文縁龍虎鏡(盤龍鏡)
が出土
三角縁神獣鏡が造られたころの楽浪は魏の領土 >>421
嘆かないが、事実が知りたいだけ。
唐古で国産がはじめて出現したなら、それ自体が重大な歴史的事実だと思う。
しかし箸墓って発掘されたの? >>417
いや、北九州=輸入、大和=コピー製造、が事実なら面白いと思った。 >>431
※『古鏡銘文集成』の「三角縁」とされる鏡の中には、現在「斜縁」に分類されている鏡が含まれていることがわかった(私の勉強不足)。日本出土鏡の一部も該当するが、それらは確認できたので訂正した。そのほかの鏡については確実な資料がないのでまだ訂正していないが、紹興出土鏡の一部と洛陽出土鏡、旧楽浪郡出土鏡の「三角縁」は「斜縁」のことだと考えていただければよいのではないかと思う。2009.04.16
この備考はなんや >>383
諏訪前遺跡 縄文土器
紀元前3000年前だぞ。 1000年後に世界中にある中国製のものを返せと言ってくるんですね
わかります
なお、1000年後にチャイナが存在してるかは >>437
そうだったな、すまん。
1000年ズレた。
同時代の中国は彩陶だ。 >>398
は?
李氏朝鮮が500年時間が止まってる間に、
日本は軍艦乗り回して日清日露戦争で勝利し、
台湾、朝鮮半島の権益てにいれて、西洋が捨てた
朝鮮半島を、立派なアジア人なら朝鮮を立て直して
みろと言われ、嫌々併合させられて、めちゃくちゃ金
掛けて朝鮮(韓国)土人を近代化してやったんだが?w >>1
じゃあ、卑弥呼が魏から貰った三角縁神獣鏡は何処を掘れば見つかるの? >>420
中国の地域名は、日本の中国地方です。
中国人民共和国 って 地域名なんだw
国の体をなしてないって認めてるのかこの無毛はwww 三角縁神獣鏡の鋳型が日本で見つかれば一発解決。鋳型が同じならば、という発想による緻密な研究があったような気がする。 >>444
中国という呼び名は、中華人民共和国の発祥とともにその略称として生まれたのではなく、周時代から続く地域名。
『詩経』民亦勞止汔可小康惠此中國以綏四方(周時代)
『書経』皇天既付中國民越厥疆土于先王(戦国時代)
秦(シナ、チャイナ)は、紀元前221年〜206年の間、中国を統一していた王朝の名。
中華人民共和国は、中国を現在統一している国の名。共和国の名のとおり王をいだかない体制の国。
シナ(秦)というように、かつての王朝の名で中国を呼ぶことは間違っていないと思う。
しかし、中国を中華人民共和国の略称であると勘違いすることから発して、中国を新興国と断じるのは単に無知をさらすだけ。 >>380
都合が悪くなるとすぐ話をすり替える背乗りチョン
鶏やるから出てけよ >>435
そもそも三角縁神獣鏡も斜縁神獣鏡の一形態よ
分類的には同じもの 日本なんてファンタジーな古事記や日本書紀以前の資料なんて無いも同然の呆れた国 >>361
明治天皇とか顔濃いんだよな〜
今の天皇家の顔は島津から嫁いだ皇后の血が強すぎた結果なんだよな 数千点も出土してるのに全部中国から輸入したとは考え難い
当時もお高いんでしょ、どうせ どちらにしろ先人の威を借りてドヤ顔してる事には変わらないんだけどね 完成品を買い求めるのと、素材を輸入し鋳造するのと、どのくらいの価格差だったのだろう。 >>376
なんだ、もう国産で結論出てるじゃん
畿内の連中がいくらこじつけようとしてもこれは誤魔化しようがない >>448
それはダウトやろ 言うに事欠いてなに口走っとんねんそれまでの研究に泥塗るなや >>454
半製品を仕入れて、使う時にまとめて仕上げしていた可能性は無いの? > 立派なアジア人なら朝鮮を立て直して
> みろと言われ
誰に? >>451
糞ゴミチョンコ死ねやボケ
日本から出ていけゴミ >>376
今度うちに古墳作ることになったので三角縁神獣鏡10枚発注しますー
みたいなもんか >>458
それが日本各地から出てるってことは大和が支配していた証拠 >>376
おもしろい
NHKスペシャルでやってくんないかな >>460
とどのつまりは魏と実際に交流していた勢力を大和が攻め滅ぼしましたよと >>455
斜縁神獣鏡と三角縁神獣鏡は文様が違うだけで
造られた場所と形状は同じなので厳密言えば分類上は同じ鏡になるよ
それに日本国内でも斜縁神獣鏡も見つかっている >>463
それやと中国では出土していないてのが覆るんやが >>463
つうか斜縁と三角縁は形状による分類やろがい 昔の人は気前良かったのかもしれないけど
今のはコロナばら撒くだけだからな >>464
中国で三角縁神獣鏡は出土してるよ
>>465
斜縁神獣鏡と三角縁神獣鏡の形状は一緒
文様が違うけどどっちとも取れるものも存在する >>467
どれや 骨董屋の露店で売られとった奴は出土の証拠にゃならんぞ >>467
三角縁の方が楽浪郡では出土しとらんのは事実やろが 一緒くたにしたらそれこそ二三枚どころの数やなくなる >>444
まーだこの屁理屈いってるアホいるのか
地域に対する呼称と地域に発生した歴代国家に対する通称と特定の国家に対する略称の区別もつかないしつけれないとか日本人じゃねぇだろ 日本で作ったに決まってるだろ
景初四年の説明が付かない >>469
>>470
中国のは洛陽近くの畑から出土したのが骨董として売られていたもの
それにそれ以外にもちょくちょく見つかるとも聞く
九州説はいまだに1面も見つかっていないと大声で喚いてるけど
それで楽浪でも三角縁神獣鏡は出土してる
楽浪は当時は帯方といって魏の領土だった
三角縁神獣鏡が見つかるのは魏と倭のみ >>477
完全に話ループしとるやないかい証拠出せんなら話ならんわ >>478
三角縁神獣鏡を蛍光分析機という機械にかけて成分を分析したら
魏の鏡と同じ銅が使われているという結果が出たよ >>442
インフラは整備できたが乞食根性が染み込んだ連中の精神までは変える事は出来なくて、
今でも日本に絶賛乞食根性を発揮中。
乞食は三日やるとやめられない、らしいから永久に無理だろ。 >>422
銅鏡には鏡面仕上げする研磨の技術が別に必要になる >>15
ゴダイゴのガンダーラ流しながら中国のでかい仏像とか見ると涙出そうになるからな >>446
ちゅうごく【中国】
@国の中央。王城付近の地。歴代の皇居が置かれた地。畿内。
A →中国地方に同じ。(日本の中国地方)
B 古くは山陽道の称。後世は山陰道・山陽道の総称。
C〔「ちゅうこく」とも〕律令制で、国を面積や人口などで四等に分けたうち第三等の国。延喜式では、安房・若狭など十余か国。→大国・上国・下国
ちゅうごく【中国】
@国の中央。王城付近の地。歴代の皇居が置かれた地。畿内 ←つま
国の真ん中 首都 という意味だけで、
中 (華人民共和)国 の略語 の中国ではありませんね。
そもそも、中華人民共和国 なんか 周時代に存在しませんから。
『中国』という語が、固有名詞として使われ始めたのは、
19世紀半ば以降で、
清末の清朝の外交用語として、
自国を『中国』と称したとされます。
1842年阿片戦争の敗北で中国清朝がイギリスと結んだ南京条約で、
漢文の「中国」が使われた事例が最初であるとされている。
1869年に調印されたネルチンスク条約では、
清朝の外交使臣が自らの身分を称する時に、
「中国」という用語を満州語で使ったとされている。
日本で「中国」という用語が
主権国家を指す意味で使用され始めたのは、
中華民国政府の要求で(中国国民党で共産党ではない)
外交文書の中に登場した1930年から。
つまり、日本では、1930年以前の事を 中国 と呼ぶのは、
時代錯誤させ、誤認や混乱を来たす可能性が高過ぎるので、これからも、現在の英文と同じ呼び方の「支那」(China)と呼びます。
清朝以前の支那を中国と呼ばないのは、
江戸時代の江戸を東京と呼ばないのと同じです。 >>475
当時から漢字を完全に理解してた証拠にもなるな 古代と現代で人種が全然違う土地だから今の中国人が誇るのは無知を晒してるようなもんだけどな
黒人の皇帝がいたくらい多人種国家やったし >>482
そんなもん小学生にだって余裕でできる技術やん。
銅鐸とは比べもんにならん。 >>484
中国って九州と近畿に挟まれた間にある中の国って意味だと思ってた。 まあ当時の中国なのかもしれないけど、今の中華人民共和国とは国も民族も別だからねぇ 中国の三角縁神獣鏡は
2015年に落葉の骨董市で発見された。 >>490
ありゃ
中国の三角縁神獣鏡は
2015年に洛陽の骨董市で発見された。 >>489
当時は今でいうところのイスラム圏の方が発展してた可能性が高いと思うけどな。
世界の中心的存在になったのは唐後半くらいだと推測するけどな。 >>487
手作業で当時の小さい砥石で画像が歪まないように平面出すのって不可能に近いぞ 魏の水銀朱が使われた萩原古墳群出土の画文帯神獣鏡
同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群出土の斜縁二神二獣鏡
この画文帯神獣鏡か斜縁二神二獣鏡 このどちらかだろうね 魏から下賜された鏡は。 @阿波 >>493
どの程度の話を言ってるんか知らんけど、
ちょっとくらい歪んでも別にいいじゃん。
実用として全く問題ないレベルだとは思うけど。 >>495 の続き
それから、粗削りには砥石じゃなく弥生土器使ってると思ってるからね。 平面は鋳型の方で大体出すやろし仕上げはベンガラなんかの磨き粉のあとクエン酸やろし 弥生土器で水研ぎした時できる泥水で鏡面仕上げしたんだろうな、たぶん。 >>498 の続き
こんな感じかな。
大体、裏面の文様の凹凸の影響で大なり小なり鏡面は歪むやろしな。 >洛陽近郊の畑から三角縁神獣鏡が1面見つかっているよ
>しかも朝日新聞によれば国産の三角縁の特徴を備えているんですがwww
その洛陽近郊の畑から発見された「三角縁神獣鏡」 と 徳島・宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作である。
また、群馬・川井稲荷山古墳の「三角縁神獣鏡」 と、同じく徳島・宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とも、神像表現が同じであり、同じ工人作なのである。
これは取りも直さず、その同じ工人が、徳島・宮谷古墳付近に暮らし、「三角縁神獣鏡」を仿製していたことを示している。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>479
どの魏の鏡?
魏の領内に銅山がなく魏では鉄鏡しか作られてなかったはずだが? 「三角縁神獣鏡は倭国(阿波)で作られた仿製鏡で、全国へ配られている可能性が高い」
根拠:気延山古墳群の宮谷古墳から特異な異種3面もの「三角縁神獣鏡」が出土しているが、
その異種3面の「三角縁神獣鏡」と同笵鏡が、
それぞれ大分(赤塚古墳)・岡山(鶴山丸山古墳)・京都(内里古墳・椿井大塚山古墳)
・奈良(黒塚古墳)・群馬(前橋天神山古墳)・富山(富雄丸山古墳)で出土している。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 鏡面仕上げ実演してるYoutubeリンク貼ろうとしたけど、できんな。 >>504
結論に国産ですべて4~5世紀の古墳から出ていると書いてあるね >>504
> 650 :名無しさん@1周年 :2019/06/08(土) 14:37:02.32 ID:vlUn2Ajg0
> >>618
> >そもそも黒塚古墳の三角縁神獣鏡は成分分析の結果、後漢鏡と同じ成分だと判明している
>
> あいにくだが、それは完全な誤りだと金属分析の専門家からとっくの昔に指摘されてるんだ
> しかも平成十六年には既に指摘されていたのに平成三十年になって同じ過ちを繰り返している悪質なゴッドハンド
>
> http://arai-hist.jp/thesis/archeaology/yamataikoku/100.pdf
> > 平成十六年五月、マスコミが一斉に泉屋博古館の発表をもとにして「卑弥呼の鏡、中国鏡と成分一致、製作地論争に新展開」と報じた。
> > 興味ある内容であり、さっそく関連する詳細な報告書「Spring-8を利用した古代青銅鏡の放射光蛍光分析」1)を入手し一読して驚いた。
> > すくなくとも、金属考古学を多少でも知る者にとっては、とても容認しがたい議論が展開されていた。
> > すなわち、微量成分のアンチモンが錫原料からもたらされたと言う前提そのものが完全に間違っており、
> > 当然のことながら、その前提から導かれた「三角縁神獣鏡は魏鏡」との結論も無意味のものであった。
> 中略
> > たまたま、泉屋博古館の続報論文について、金属製錬史分野の第一人者である植田晃一氏とお話する機会があったが、
> > 植田氏も泉屋博古館の主張について「実際を知らない愚論で、……こんな幼稚な論文が罷り通ったのでは、日本考古学の将来は真っ暗」
> > とまで述べておられた。 朝鮮半島出土の同向式神獣鏡(伝楽浪大同江面) と 徳島県鳴門市萩原1号墳の画文帯神獣鏡 とは、同笵鏡である。 @阿波
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 そもそも
中国の資源も文物作る工房も広い範囲に分布しているからな
日本もその一部に含まれると言っても間違いじゃない 原材料の青銅は中国産だと明らかになってるんだっけ
当時の日本は銅も錫も産出しなかったから当然だけど ここは双方の言い分の間をとって韓国が所有するのはどうニカ? >>512
当時は国産の鏡も原材料の青銅は中国産なんだよな。 >>503
刻まれとる文字には徐州てあるけど日本で銅が産出しとらん以上どこでこさえたかとは関係あらへんのよね >>503
大陸での出土が確実なところでは魏の年号である黄初二年(221年)半円方格重列神獣鏡が湖北省鄂州市と湖南省株洲市から出ているので、
必ずしも鉄鏡しか出ていないわけでもない
魏の年号を持つ鏡も日本国出土分を除くと数が限られており、発行されたとされる五銖銭も特定されていないので、もともと銅生産そのものが
少なかったことは確かだろう
銅山がまったくなかったわけではないので、五銖銭や銅印や銅人(銅製の人形)などは限られた原料を使って尚方で作ったとしても、鏡は銅と工
人が豊富にある呉域内の工房にオーダーしていた可能性が高いのではないかと思う(上記の二枚の出土場所も呉の領域内である)
ゆえに、この二枚が呉の銅で作られたのなら、三角縁神獣鏡が呉工人たちによって呉の銅を使って作られたものであるのなら同じ成分でもなんら
不思議ではないわけだな
とはいえ、そんな酷い状態なのに、いくら実力者司馬懿の命とはいえ、初めて朝貢してきた異国の王に銅鏡百枚を送るという異常性が浮き上がってくるね
もし魏代に鉄鏡(色んな条件が重ならないと土中では残りにくい)が大量に生産されていたとすれば、倭人条における記事は鉄鏡だっただろうしな 地下資源が豊富なはずの日本で、何世紀もの間銅が産出できへんとか信じがたいけどな。 日本の銅鉱石が発見されたのは
奈良時代だからね。
それを記念して和銅年号が制定された。 >>423
> >>416
> あった
> > 一方で2015年(平成27年)には中国の骨董市で三角縁神獣鏡が発見されたという報告がなされたが、その出自は不明である[29]。
> その西川寿勝の調査により、少なくともこの鏡は贋作ではないとされるが、これ以外に中国で三角縁神獣鏡は1面も見つかっていない[30]。
骨董市かよ! 出土品じゃないんかーい!(髭男爵)
上のレス(>408)で誰かが言ってたように幕末や明治に欧州人の学者が仁徳天皇陵から持ち出したやつみたいな
海外流出品が転売を重ねてガラクタ市に流れ着いたってオチじゃねぇか? これ >>521
少なくとも硫化水銀の鉱脈探したりしてるはずなんだから、
その時たまたま銅鉱脈発見するとかあるはずだと思うんだけどな。
需要がなかったならともかく、需要があった状態で何世紀も産出しないのは
いまいち納得いかんかな。
中国より豊富に出ても不思議じゃないのに。 地下資源の鉱脈を見つけても、独占するため公開してなかっただけだと思うけどな。 三角縁鏡は全て良く見るとmade in chinaと書いて有る。 あの糞の役にも立たないでかい銅鐸は、
はたして当時中国で作れたかどうかは非常に疑問である。 マジになると精錬技術が未発達の頃は酸化銅鉱物しか利用出来なかった。戦国時代以降は豊富な硫化銅鉱物が利用できた。その上粗銅から金銀が回収出来た。
これで銅鉱山の開発動機が出来た。 精錬とかも紀伊山地の山奥とかで修験道とかほら吹きながら
こっそりやってたんじゃないかと思うかな。 奈良出土の三角縁神獣鏡は中国製か 蛍光X線で分析
https://www.sankei.com/west/news/181013/wst1810130014-n1.html
奈良県天理市の黒塚古墳(3世紀後半)から出土した
33面の三角縁神獣鏡について、京都市の泉屋博古館(せんおくはっこかん)が
大型放射光施設「スプリング8」(兵庫県佐用町)で蛍光(けいこう)X線分析したところ、
鏡に含まれる銀などの微量元素の割合が、古代中国鏡とほぼ一致することが分かった。
黒塚古墳からは絹繊維が付着したU字形鉄製品がでてる
レプリカ左下
https://img-cdn.guide.travel.co.jp/article/132/20130909163058/A633805E4EF34C8896865A8A412B5D90_LL.jpg
魏の皇帝に会った使者の難升米の黄幢か
>其の六年、詔して倭、難升米に黄幢を賜い、郡に付して仮授す。
>其の八年(略)
>塞曹掾史、張政等を遣わし、
>因って詔書、黄幢を齎し、難升米に拝仮し、
>檄を為(つく)りて之を告諭す。 倭人伝には記されてないが、
むしろ銅などの地下資源は邪馬台国が魏に献上してても不思議はないように思う。
この秘密がばれると大陸から一斉に日本列島に攻め込んでくるかもしれないので、
オフレコで献上したとかあったかも。 中国ならまあありえるけど
半島製なら即ないないwと思うねw 粗銅の生産地は中国だから素性分析をしても中国になる。これは国内の銅鉱山がまだ稼働していないと言う証明でしか無い。
製造場所の検証は鋳型の発掘以外無い。鋳型とその製造品のペアが出土するのが最も良い。 物理的武力の九州、経済的パワーの出雲、芸能に長けた騙しの四国によって
日本列島は大陸から守られてたんかもな。 >>531
これ3Kは3世紀後半書いとるけど天理市オフィシャルやと4世紀初頭から前半になっとるやんけ 不純物の含有率とかで歴史を遡るほど少ないとか、
むしろ時代とともに添加するようになったとか、
再利用時に混ざってしまうとか、銅の産地と関係ないように思うけどな。
含有率が錫との比で表されてるグラフとか何言いたいのかさっぱり分からんし。 当時の日本は何にもなくて土人のような暮らしをしていた。
で、朝鮮人の天皇が文化を持って渡来してきて日本人はスゲービックリてなことで
天皇は図々しくも神と名乗り、日本に居座ることに。 >>28
朝鮮大陸とかいうパワーワード
初めて目にしたわ >>535 今後纏向編年は訂正が入ると思うよ
纏向編年を作った橿原考古学研究所が
邪馬台国は橿原市てのをあきらめたからね
将来その歪みが正されて年代が変わるのが確実な状況だよ >>531
なるほど、古代中国鏡も日本製だったわけか >>542
邪馬台国をあきらめたのか、紀元前660年建国をあきらめたのか。 良質な粘土があり⇒縄文式土器
良質な貴金属があり⇒銅鐸、鏡
豊富な天然資源があり⇒ >>540
お前は知らないと思うけど当時の半島に居たのは倭人 錫は自給できるようになったのは江戸時代だよね
薩摩で錫の大鉱脈が見つかった
それ以前は輸入するしかなかった
銭だって輸入していた
幕府が銭を発行するようになったのは錫が自給できるようになったことが大きいんじゃないの 複製品だとしても、それは日本人のコピー技術が優秀なことの証明だろ >>547
飛鳥時代末期になると我が国においても錫鉱石が採掘されるようになった。
『続日本紀』には「文武四年(700)二月戊子 令丹羽国献錫」という記載があり、
すでに奈良時代以前に丹波(京都)で錫が産出されていたことがうかがえる。 >>548
最初はマネから始めてもいいんだよ。
そこから極めていってオリジナルを超えていくのが日本流なんかもな。 福岡県春日市須玖南の須玖タカウタ遺跡から国内最古となる紀元前2世紀ごろ(弥生時代中期前半)の鏡鋳型が出土している
500年前くらいから日本国内でも鏡の製造が行われていたから3世紀には技術も向上していたろうな。 マネだけしても本質が理解できず基礎技術をないがしろにしてズッコケてるのが隣国 景初二年かそれとも三年かが重要なのに
そこは中国では問題になってないんだな そもそも鏡も剣も元々は大陸の信仰
初期道教は鏡、剣、玉璽で三種の神器 >>556
そらま海の向こうの東夷やし最上級て訳にゃいきまへんやろ 何せ"倭奴"国や >>556
つまり貴重な順番にならべると、玉金ってこと? >>560
曹操は皇帝になってない
皇帝になったのは曹操の息子から 昔も今も中国は世界の奴隷
世界は中国奴隷に安く生産させた商品を売り稼ぐ >>561
実際は司馬氏の国だったけどな
中国って2代目がバカボン多いよな
偉大な人が子育ては失敗しとる >>559
玉璽、金璽、銀璽、銅璽ってことになってるな この手の輩は記憶喪失してるんだろうな
> そもそも鏡も剣も元々は大陸の信仰
> そらま海の向こうの東夷やし最上級て訳にゃいきまへんやろ 何せ"倭奴"国や >>566
日本に渡したんは金印で玉ちゃうやろ なんかおかしいんか 【ニュージーランド】中国出身のNZ議員が政界引退 中国人スパイに英語教えた過去 2020/7/11 【サイレントインベーション】
■中国出身の楊氏はニュージーランドの国民党に9年間所属していた
■人民解放軍スパイ育成機関で英語教育担当
中国人スパイの英語教師を務めた経歴のあるニュージーランド議会の楊健(ヤン・ジャン)議員が再選を目指さない考えを明らかにした。楊氏は中国出身で、ニュージーランドの国民党には9年間所属している。
中国政府が香港国家安全維持法を施行したことを受け、対中政策の再考に動く国が増えている。ニュージーランドは9日、犯罪人引き渡し条約や戦略物資の輸出管理などを含め、香港との関係を見直すことを明らかにした。
同国カンタベリー大学の政治学教授で中国問題に詳しいアンマリー・ブレイディ氏は楊氏を「国家的・国際的スキャンダル」「政治的な重荷」と形容し「国民党の現在の指導部がもはや無視できない」存在になったと指摘した。 【中国】中国が豪政治の「乗っ取り」企図、保安機関元トップが警告 11/28 【中国スパイ】
■欧米日本にも浸食 中国スパイの驚異!
■サイレントインベーション
中国が水面下で狡猾に組織的なスパイ活動と利益誘導を駆使してオーストラリア政治体制の「乗っ取り」を企てていると、オーストラリア保安情報機構(ASIO)の元トップが豪紙とのインタビューで警告した。
このインタビューは、今年9月までの5年間ASIOの長官を務めていたダンカン・ルイス(Duncan Lewis)氏のもので、22日付の豪紙シドニー・モーニング・ヘラルド(Sydney Morning Herald)に
掲載された。ルイス氏がASIO長官退任後にメディアのインタビューに応じるのは初めてだ。
ルイス氏はシドニー・モーニング・ヘラルド紙外信部長とのインタビューで、豪政治関係者は誰もが中国諜報活動の標的となる可能性があり、何年間も気付かれないままにその影響が及び続ける恐れがあると警鐘を鳴らした。
「(中国の)スパイ活動や内政干渉は水面下で狡猾に行われている。その影響が表面化するのは何十年後かもしれないが、その時は既に手遅れに
なっているだろう。ある日、目を覚ましたら、わが国の政府がわが国にとって有益でない決断を下していたということになりかねない」
さらにルイス氏は、中国による乗っ取りは政界にとどまらず、地域社会や財界にも及んでいると指摘。基本的に活動の指令はオーストラリア国外から出ているという。
中国による大規模な利益誘導作戦の例としてルイス氏は、豪政党に多額の献金をしている中国人工作員の存在を挙げ、メディアや大学も標的と
なっていると警告。「疑心暗鬼を引き起こすつもりはないが、賢明に認識しておく必要がある」と訴えた。 >>558
鏡は朝貢してきた国に皇帝が下げ渡すもの。
国内から数百枚出土の三角縁神獣鏡が中国製か日本製かで大和の政治的な位置がかわる。
すべて中国製なら、邪馬台国の王が魏に朝貢して魏に鏡を下賜され(100枚)、
そのほかの数百枚の鏡は魏から輸入した。邪馬台国の王がどの程度国内を支配していたのか不明。
すべて日本製なら、大和の大王が魏作成風の鏡数百枚を鋳造した。
レプリカ製作の王はそもそも朝貢していない? 日本各地の王に朝貢させてこの鏡を下賜した?
魏の製造の鏡と日本の製造の鏡が混じっているなら、邪馬台国の王が魏に朝貢し下賜された鏡100枚と、
大和で鋳造された魏の鏡のレプリカ数百枚が存在した。
魏に朝貢した王とレプリカの王は同じ?別?邪馬台国による鏡水増しか、乗っ取りか? >>540
4世紀くらいに神功皇后が三韓征伐で服従させた三韓人に土木工事させたんだよ
韓人池(唐古池)とかがそのはしり
4世紀造営の黒塚古墳の副葬品が豪華になり始めたのもその影響だろ >>15
古代中国が存在しなければ、日本という国も文化もなかっただろうからな。
もっといえば、天皇も存在しなかっただろう。
一方、現代中国が存在しなくても、今の日本・日本人は困らない。 >>8
鍼灸もシナ発祥じゃなくて、アイスマンが生活していた北ヨーロッパで紀元前に既に行われてたしな
シナ発祥は大嘘 >>1
中国人も朝鮮人みたいになってきてないか?w 日本人は物を大事にするから日本だけに残ったのかもしれないな
曜変天目とかも日本にしか無いんだろ おいおい三角縁神獣鏡が中国製じゃ無いと困るのは邪馬台国畿内論者だぞ。これは皇位が続く物証とされている。 その時代に中国なんて国はないのに何を言ってんだろうか支那畜は >>576
他の鏡は出土しとんのにこれだけ無いておかしくね? >>579
楽浪郡のあったところから出土してるけど 朝鮮人がそんな立派な民族なら、併合されてないわなw >>8
運慶のもそれまでの日本に見られない写実的なものだから外国人だったみたいなことか >>523
魏では銅が不足していたから、
日本に貨幣持ってきただのなんだのは、
こじつけにしか思えないし、貨幣は価値のあるお金なので、
それを溶かして再び鋳造するとか考えられないし、
魏からそもそも船で運ぶにしても危険過ぎるし、
当時重い銅を運ぶとか普通に考えて、コストが掛かりすぎるんだよな。
魏では曹操が後漢の丞相であった208年に董卓以前の五銖銭に戻す政策を行い、後を継いだ曹丕も魏王朝成立後に221年に引き続き五銖銭を正式の通貨とするが、
経済的な疲弊からこれを維持することが出来ず、その年のうちに穀帛の実物による代用貨幣を行った。
だが、質の悪い穀帛が貨幣として用いられる事が増えたために227年に五銖銭を実施した。
ただし、『三国志』には「五銖銭を行った」(「魏書」明帝紀)、『晋書』には「更めて五銖銭を立てる」(食貨志)とあり、漢の五銖銭だったのか、新しい五銖銭を作ったのかが問題とされていたが、
考古学による三国時代の墓地の発掘で漢のものより小型で粗雑な「曹魏五銖」と呼ぶべき貨幣が見つかっており、新たな五銖銭を鋳造したことが判明した。
経済的な疲弊に加えて、剪輪銭などの質の悪い貨幣の通行によって漢と同様の五銖銭の鋳造が不可能になった状況を反映していると考えられている。
魏では銭納の従来の制度から布帛納の戸調制に代わっていたが、民間における五銖銭の需要は依然として高く、国家的決済手段=布帛と経済的流通手段=五銖銭に分離していたと考えられている[2]。
青銅の貨幣を持ってきて溶かして、
鋳造言っ出るやつは全く一次資料も
ソースも出してないからね。 >>534
結論ありきに肉付けするこの話し方が五毛。
歴史を改変しまくった中華思想そのもので、
思考停止してるんだよ。
一次資料もエビデンスも全く証明しないから。 >>575
支那(中国)が中華思想
朝鮮が小中華思想 >>588
現物と素材が手にはいればコピーはさほど難しくない。
銅鐸を鋳造する技術はすでにあるので、粘土で型をとってレプリカなり、デザインを少し改造した鏡は作れる。
上で指摘があるが、鋳型が出れば国産確定だ。 >>590
いずれにせよ中国のパクリってことには変わりないよな これに関しては別に可能性としてはあるかもしれんと思うわ
ただそれを証拠もない時点で断定して必死になってる中国人のケツの穴の小ささに失笑レベル >>591
古墳時代から奈良時代までは、中国の模倣の時代だ。
パクった技術や知恵をローカライズし、日本独自の文化が花開くのは平安時代以降のこと。 >>593
ということは日本独自の文化だと誇ってるものも中国のパクリでしかないということなのか 昔の中国は超先進国だったからな
唐とか隋位まではな >>592
必死ではないだろう。
博物館に周代から唐代までの銅鏡がズラリと並び、鋳造装飾技術の進化や好みの変遷が見渡せるのに、
日本でしか出土しない銅鏡が一種存在し、それも魏の年号が鋳込まれたものだとしたら、誰だって興味を惹かれるだろう。 日本人が自分達だけじゃ何も新しいものを生み出せないってのは事実だからなあ >>594
文明の発祥地は世界に何か所もないので、日本に発祥しなかったからといって卑下することもない。
事実関係を捏造してまで誇ることもなし。 >>1
作ったのは今のお前らじゃねーよ
王朝が変わるたびに文化破壊と民族浄化してきたお前らは、まだ半世紀しか歴史はねぇよ >>596
今の中国とは歴史が繋がらん人々だけどな >>603
まだ半世紀しか歴史のない国に手も足も出ない日本(笑)
今まで何やってたの? だとしてもだから何?で終わる話だな
ていうか中国人、遺物壊しすぎだろ
あの文明レベルだったのが台無し 今の中国は99%の土人と
すんごい秀才と中国共産党員しかいません。 >>586
長々と書いた割に的はずれなことしか言ってないな
日本で見つかっている銅鐸の総重量は10t未満
そこから推定して他の青銅器も含めた弥生期の銅の輸入量は40t未満
それに比して、前漢までに中国で精製された青銅は、スラグの量40万tから推定して10万t以上と言われている
たかだか40tの積載量の船なんて小舟
当時の中国の大型船なら1度の航海で運べる量、たかが知れてる
確か銅銭を大和に普及させるために国産銅銭を鋳造すべく輸入した銅の総量も50t程度 >>607
だからこそ発展成長出来たんだろうな
20年以上経済成長ゼロの日本と違って どうせコッソリ穴掘って埋めたんだろ
考古学の捏造事件NHKでやってたぞ
考古学者 = 詐欺師だから >>540
エベンキってこういう嘘の歴史ばっかり言ってるな韓国でも
チョンコは嘘しかつかない >>612
日本人は何も主張出来ず衰退まっしぐら(笑) >>607
今の中国人と古代中国人は民族が違う。
まるっと入れ替わってる
征服からの大虐殺、民族浄化を繰り返すのが大陸国の習性なんだよ。
何故か? それは、復讐を恐れているから。 古代から半島なんか日本の植民地だったんだよ糞チョンコ パクリの中国が精巧な鏡を作れるわけない。
中国は、漢字も発明したと捏造している。最新の研究では古代日本の文字をパクって中国が漢字をつくったと判明している。
鏡も当時の日本の職人が中国に教えてあげたのは研究であきらかにされた。 今の技術力の差が全てを物語ってるよな
世界をリードする中国韓国に対して日本はただパクるだけ
日本人は1000年以上経っても何も成長してなかったわけだ >>622
パクリまくってるのはおまエラシナチョンだろが日本から出ていけゴミ >>610
発展って…中国独自の技術ってあるの??
全部他国から盗んだ技術でしょ
あぁチベットの無法な児童労働で綿花栽培したので日本のユニクロが衣服作ってたからある意味、日本も無法な児童労働の搾取側だったなw >>623
お前らの頭の中では日本は世界一の技術大国だもんな(笑) >>622
大腸菌に耐性のある唯一の種族が韓国人だよな
ある意味人類を超越してる。 >>617
今の中国はモンゴルや女真に蹂躙されまくった残りカスみたいなもんだからな
まともなのは蘭渓道隆然り鎌倉時代までに日本に亡命してる >>617
王朝の交代で民族浄化が起きたことはないと認識しているが、どの時代を指して言っているのか。
王朝の交代で典型的に起きたのは、旧支配層の皆殺しand/or追放。
百姓や技術者には虐殺は及ばず、技術や食料生産は連続性が保たれた。
支配の過程で典型的に起きたのは、その時代の少数民族の弾圧や、新王朝の権威に異を唱える可能性のある思想や宗教の弾圧。
言語や美術や生活様式には弾圧は及ばず、文化的連続性が保たれた。 日本人の中国韓国に対する劣等感はいつまで続くのやら 曹操のあとを継いだ曹丕は自身の権威を大きくするために曹操が北征した烏丸と同等かそれ以上の国家として倭を評価して贈り物も豪華にしたって説があったな。 普通に中国製の可能性高い
古代中国と古代日本じゃ先進国と蛮族よ >>626
中国人はとりあえずトイレでウンコする習慣をつけた方が良いぞ
今は閉鎖されたけど、香港タイガーバーム公園の人糞臭い通路はやばかったw
中国人観光客と乞食が通路横の繁みや草むら、花壇の影で普通にウンコしてたぞ
駐車場でバスから降りた瞬間からウンコ臭かったけど、人のウンコを見に行ったウンコツアーは後にも先にも無いな >>635
どうした?ウンコの話ばかりして
発作か? >>634
蛮族も模倣技術から出発して、長い時間をかけて独自技術に至る。
三角縁神獣鏡は、記念すべき模倣の第一歩だったのでは? ムラなのかクニなのか分からんけど古代日本なら
箔付けになるのは中国から下賜された祭具だろうし国産では無いだろ >>637
くだらないパクリでも日本人にとって大きな一歩だったんだろうな(笑) >>639
くだらなくはない。
完成品を輸入しかない時代と、模倣品なら自作できる時代とでは、別世界だ。
パクりから出発し、いずれオリジナルが生まれるのが、人類の文化史の本質。
周以降の中国の青銅製品は非常に見事だが、その前は西方文化の模倣だった。 >>640
でも1000年以上経っても日本はオリジナルを生み出せず模倣にとどまってるよね >>15
中国が言うと「そうかもね」と思うけど
韓国が言うと「また始まったよ」と思う >>641
青銅の装飾に関しては殷周の完成度が高すぎて、オリジナルで凌駕するのは無理だな。
さっき周以降は見事といったが、殷もすごいね。 中国で見つかってないなら日本製なんじゃないの?
パクリは日本の国技 >>635
昭和時代の香港ツアーの印象で、古代から現代の中国文化を断罪するおじいさんか。 >>635
すまん、おばさんだね。
おじいさんと呼んでしまった。 >>631
今のモンゴルやウイグルへ行なっている断種政策の先がいまの台湾の原住民の人口比率に繋がるぞ。
お前らは徹底した格差社会、階級社会を民族別に作るから、戦争で負けて抑圧される民族をかならず滅ぼしてきたんだよ。何年かけても滅ぼしてきたんだよ。
日本と仲良しと言いつつも、台湾の原住民の仕事は清掃員や土木関係しか無い。そして、低賃金な雇用環境から結婚、子育てを行い難い状況になってる。
大規模な征服戦争を繰り返してきた中国大陸の民族別の階層社会で、旧住民の文化の連続性なんてあるはずもない。
しれっと嘘をつくのが中国人の特徴だな 中国の技術を学んだ日本人が作ったという可能性もあるけどな >>631
前漢末、6000万人近かった戸籍登録人口は(西暦8−23年)激減した。この動乱を収束し、後漢王朝を開いた光武帝の治世末期の中元2年(西暦57年)の戸籍登録人口は、わずか2100万人にすぎなかった。
6000万から2000万へ、政府の戸籍把握力の低下を考慮に入れても、戦慄すべき減少ぶりである。
現代の中国の人口学者たちは、両漢交代期の人口崩壊によってわずか一世代の間に人口が半減したと見積もっている。
後漢末の永寿3年(西暦157年)、戸籍登録人口は前漢末に近い、5600万人にまで回復した。
しかし、当時の中国の可耕地面積と農業技術では、戸籍登録人口6000万という数字が一つの限界であった。
一人あたりの食糧供給量が低下し、社会不安が広まった結果、中国史上屈指の規模の農民反乱である黄巾の乱が起きた。
(西暦184年)、いわゆる「三国志」の英雄豪傑が地方に群雄割拠する動乱期となり、後漢は滅亡した(西暦220年)。中国は魏・呉・蜀の三国に分裂したが、それぞれの戸籍登録人口は
蜀が940,000人(西暦263年)、
魏が4,432,881(西暦263年)、
呉が2,300,000人(西暦280年)に過ぎなかった。
三国合計でも戸籍登録人口は1000万人に届かなかった訳である。
実人口の減少はこれほどではなかったと推定されるが、西暦3世紀が中国史上、空前絶後の人口崩壊期であったことは確実視されている。
現に、中国の人口崩壊に乗じて北方の遊牧民族が南進し、次の4世紀には「五胡十六国」時代(西暦304−439年)がはじまる。統一王朝が現れなかったのは人口崩壊で地域の国力がなかったからだと思われる。
そして隋の戸籍登録人口は
46,019,956人(西暦609年)、
唐の玄宗皇帝の天宝14年の戸籍登録人口は
52,919,309人である。
長いから間を省くが王朝交代の度に大規模な人口崩壊と統一後の人口爆発が繰り返されるのが中国人口の特徴で清の時代、人口が1億を超えたあたりで爆発的に増えた。
というわけで現代の中国人と古代の中国人が別民族というのはあながち間違っていないかもしれない。 日本って、1人頭のGDPで韓国に抜かれたんだよね
もう土人国家だよ >>651
動乱期前後の戸籍登録人口の比較と、王朝が交代するたびに民族浄化は、
まったく違う事象だ。
中国の少数民族弾圧や庶民無視の覇権争いは惨いものだ。あってはならない。
しかし王朝が交代するたびに民族浄化が起きたとの言説は正しくないのも事実だ。 >>648
前提が中国人は民族浄化を行うはず
事例として台湾のアボリジナルの人口減少
結論が中国は王朝の交代のたびに民族浄化をおこなってきた
かように前提と結論が一体化したロジックで誰が納得できるのというのか。 >>21
中国の貨幣を使ってたの知らないのか?
だから留学僧を使って貿易もしてた寺が勢力もってて焼き討ちされるんじゃん。 >>653
国家が把握していない人口は国家の保護が無かった人口でしょう。動乱期に国家の軍事力の後ろ盾がない人口が生き残れたとは考えづらい。 >>658
戸籍は国家の納税者名簿でもある。
戸籍登録人口の急減は、動乱や虐殺や起因する死亡急増なのかもしれない。
権力が弱まり、納税を拒否した郷が増えた結果かもしれない。
あるいは因果は逆で、人口減が起きるような天候不順や疫病が起き、王朝の崩壊の引き金となったのかもしれない。
いまとなっては古代の出来事はわからないことも多いが、支配地の百姓や職人を皆殺しにする支配者はいるだろうか。
王朝の交代で、新たな支配者が支配地の百姓や職人を皆殺しにする理由はなんだろう。 古来中国は屠城という日本にはない風習があるからな
都市の住民まるごと皆殺しという >>660
いや自分は大規模な人口崩壊と人口爆発が繰り返さられたのは数字を見る限り明らかで中国の人口研究をしている学者も認めていると言っただけ。
殺害による民族浄化があったとは言っていない。
ただ6000万という数字を限界にして1000万人になり異民族が乱入後6000万に戻り
3300万人になり異民族国家成立で6000万になり
異民族国家で4400万でまた6000万ということが繰り返されたら古代の中国人のエキスは薄まって別のエキス注入薄まって別のエキス注入という感じで計算上1%以下になるだろうというだけ。 >>662
それは失礼した。
各王朝の衰退期の人口減にはすさまじいものがある。
私は気象変動による飢餓であり、人口減が王朝の崩壊原因だったと思っているが証明はできない。
エキスが何を指すのかが問題であるが、言語であるならば連続性はすでに証明されている。
遺伝子を指すのであれば、DNA分析はスタートしたばかりで結果待ちだ。
殷以前から現在に至るまで、資料としての骨はすでに収集されている。 >>662
それから中国の王朝に国民の保護という概念はなかったと思う。
戸籍に登録された国民は、穀物をつくり、使役を行い、従軍する王の資産だ。
と同時に、いったん反乱が広がれば、王を倒すことも歴史上めずらしくはない恐怖の対象でもあった。
と思っている。
現在の中華人民共和国にしても同じであるとも思う。 そらそうだろう、遣隋使とか遣唐使とかで東大や京大出た人間が
毎年行ってたんだから 春秋戦国時代や、秦や漢、三国志などの古代中国の良さをよく勉強して受け継いでるのは、中共の中華人民共和国ではなく、今の日本だからな。
中共はむしろ古代中国のよさを否定するところから始まっているのに、都合のいいところだけナショナリズムに利用するのは盗っ人猛々しい。 自分のところでほとんどは造れず、中国国内で出土する魏の鏡は非常に少ないことがわかっている
なのに、当時の魏政府はどんな鏡をどうやって百枚も集めて贈ったのだろうね?
司馬懿の公孫氏制圧の大功績をアピールする絶好の場に連れて来られた遠来の朝貢客の主が強
く望んだものなのに、臣下となった記念の朝貢の年とは年号が異なるような鏡や、前王朝や他国の
鏡や、寄せ集めを果たして贈るものだろうか?
わざわざ正史に、国民に示せと記載されるほどの重要な贈り物の一つであるのにだ(ちなみに、銅鏡
という言葉は三国志の中でもここでしか使われない)
三角縁神獣鏡がその鏡でないというのなら、一体どんな鏡がその百枚だと想定されているのだろうか?
そしてその鏡はどのような遺構から出土し、どこを中心として配布されたものなのだろうか? >>668
梁書や日本書紀、太平御覧には卑弥呼が魏に使いを出した年は景初三年と書いてある
これが景初二年になってるのは12世紀くらいに復刻された魏志倭人伝
それ以前の史書の倭人伝では景初三年になってるので
三角縁神獣鏡に入ってる魏年号は卑弥呼が魏に使いを出した年で合ってる >>668
中国では文字記録でどの鏡がどのあたりの時代かはっきりしている
その中国の銅鏡研究者の見解では九州北部が出土の中心である鏡が魏やその後の西晋の鏡
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku366.htm
>■徐苹芳氏の意見
>中国社会科学院考古学研究所の所長をされた考古学者、徐苹芳氏はのべる。
>「考古学的には、魏および西晋の時代、中国の北方で流行した銅鏡は明らかに、方格規矩鏡・内行花文鏡・獣首鏡、夔鳳(きほう)鏡・盤竜鏡・
>双頭竜鳳文鏡・位至三公鏡・鳥文鏡などです。
>従って、邪馬台国が魏と西晋から獲得した銅鏡は、いま挙げた一連の銅鏡の範囲を越えるものではなかったと言えます。
>とりわけ方格規矩鏡・内行花文鏡・夔鳳鏡・獣首鏡・位至三公鏡、以上の五種類のものである可能性が強いのです。
>至位三公鏡は、魏の時代(220〜265)に北方地域で新しく起こったものでして、西晋時代(265〜316)に大層流行しましたが、
>呉と西晋時代の南方においては、さほど流行してはいなかったのです。
>日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、
>これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸入できなかったものと考えられます。」
中国社会科学院考古学研究所所長・徐苹芳氏が挙げている銅鏡はいずれも北部九州からの出土が多数
http://yamatai.cside.com/katudou/image3/366-16L.gif >>633
岡田英弘先生だな。
曹丕じゃなくて司馬懿。烏丸じゃなくて大月氏だけど。 本土で出土してないってのは興味深い
近畿で多く出土且つ文字を彫り込んだものが皆無という事は
日本製でもおかしくないな まぁそういう流れもあるだろうね
今のお前ら(中国)には関係ないけど >>672
おもしろいな。
黒塚から大量に出た三角縁神獣鏡は、魏や西晋とは無関係に近畿で作成されたのか。
または、北方の魏や西晋への朝貢とは別に、南方の呉に近畿が朝貢した可能性はないか。 >>670
それを言ったら日本も戦後にできた国だわ
天皇家が何代も続いてるのが違うだけで 贈答用以外のヤツは、よく見ると浮きがあったり造形が浅い
銅鏡の鋳写しなんてのは、普通にやってるよ
持ち帰っても、欲しがる連中全部に配れないから、鋳写しすんの 精査した上で結論すればいいだろ。
一瞥しただけで決めつけるのは素人のすることだ。 >>39
国変わる度前の文化全部なくしてるんだから成長しようがない >>678
棺の周り囲うように並べてあった奴やからな それ用にこさえた言われても特に違和感無いつうか >>678
呉と近畿に関わりがあったセツヲ言う人いるね
三国志孫権伝に出てくる壇州って言うのが丹波の国じゃないのか?っていう まぁこれくらいの時代ならあながち嘘でもないから別にいいわ 三角縁神獣鏡は中国でも見つかってるし
朝鮮半島の帯方というかつて魏の領土だった場所でも見つかってるよ >>690
国産だと畿内と魏の繋がりがより強くなる
遠くから運ばれただけでなく魏と畿内の関係が強い意味を持っていた >>691
魏って3世紀に45年続いただけの王朝な
三角縁神獣鏡は、古くても5世紀に国産で作られたので
魏との絡みは一切なく、せいぜい三韓からの難民の中に技術者がいたか?程度 魏と交流あったら態々こんなパチもんこさえる必要ないわな
材質から見ても魏と交流しとった勢力潰して奪った銅器片っ端から鋳溶かしてこさえたんじゃねえの >>689
帯方では三角縁二神二獣鏡と三角縁四神二獣鏡と三角縁半肉彫神獣鏡が出てる
中国でも魏の洛陽に相当する地域で三角縁神獣鏡が畑から出ている そもそも三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏と交流したと魏志倭人伝に書いている
景初や正始という魏の年号が入っている
そして畿内からは三角縁神獣鏡だけではなくて
景初三年と入った画文帯神獣鏡も見つかっている >>699
帯方郡のは斜縁やろが 大昔の研究初期に三角縁と斜縁まとめて三角縁扱いしとった頃の記述持ち出しても無駄やど >>698
中国産の方が邪馬台国畿内説には有利になるが
成分分析から富山県?の神尾銅山の銅で作られているらしいので不思議なことがあるもんだね、というファンタジーになる >>700
静岡や兵庫でも帯方と同じの三角縁二神二獣鏡や三角縁四神二獣鏡が出てるよ? >>702
斜縁が日本で出土したかて何もおかしないやろ
日本でこさえたバチもの劣化斜縁が三角縁 日本にはあっても楽浪帯方じゃ出土例なしや そもそも神獣鏡が呉の文化なので、敵対している「魏」が「呉鏡」を下賜するというのが不自然すぎる
ゴッドハンドの浅はかな策謀なのかと >>162
「鏡」と「剣」は複製らしいから、本物は「玉」だけだと思う。 >>8
まあ、確かに、あれは中東から地中海にかけての様式に見えるね。
実際はどうなのかなあ。
ソ連時代の考古学者など支配下での広域調査が出来たが、今は専制主義的時代ではないから、逆の意味での情報囲い込みの制限があるために、分からないことが増えているんだろうね。
美術と歴史の角逐、だね。どちらも大変魅力的な分野ですがね。 他国を真似てより良い物に昇華させるのは昔から日本のお家芸
魏から贈られた鏡を改良したものだろう >>696
年号の入った鏡は中国では出土例がないんだよな。 精巧さと品質で判断するか
その発想はなかったな
そうでもない? >>708
というか数百枚に及ぶ三角縁神獣鏡の内魏の年号が刻まれているのは景初三年一枚に正始元年三枚おまけで景初四年一枚 こんだけ >>214
朝鮮王朝なんてファンタジー。
両班だけが良い暮らし。 この鏡に刻まれた銘文に関しても既に後漢鏡の時点で七言詩の体裁が整っているのに対して建安文学を創始し詩神曹植を輩出した一族の時代である筈の三角縁神獣鏡は四言に最後だけ五言と雑な構成でまともに韻すら踏んでいない >>1
今さらな記事だな
宗像大社に中国から贈られた多数の宝物が展示してあるし、誰も国産品なんて言っていない
法隆寺にはその先の中東からの贈り物も収蔵されている >>712
現代の訳わからん英語のTシャツと同じ感覚かもよ。 >>92
曜変天目の場合、破片は中国で出土しているから、中国で焼かれたのは間違いない
滅多に出来ないのと、日本の方が高値で買ってくれるので、皆日本に渡った >>704
後漢代でも神獣鏡は多く出ている
つまり、神獣鏡が流行った後漢〜三国時代は呉の地域での製作が盛んだったということだろう
魏代でもまともな鏡は曹操される墓から出た鉄鏡くらいしかなく、中国で出土する魏の紀年鏡
も神獣鏡であることから、魏の官製工房では作れないので、呉域の工房にオーダーするしかな
かったのと考えれば不自然でもないけどね >>703
楽浪帯方でも日本のと同じ三角縁二神二獣鏡や三角縁四神二獣鏡が出てるよ
書いてある漢字の銘文も日本のと全く一緒 >>708
中国でも中平六年や正始五年と年号の入った鏡が出ている >>1
中国製でも、自分たちが作ったと騒いでいる漢民族製では無いからな >>723
ほーん
で 文中のこれはなんや
※『古鏡銘文集成』の「三角縁」とされる鏡の中には、現在「斜縁」に分類されている鏡が含まれていることがわかった(私の勉強不足)。日本出土鏡の一部も該当するが、それらは確認できたので訂正した。そのほかの鏡については確実な資料がないのでまだ訂正していないが、紹興出土鏡の一部と洛陽出土鏡、旧楽浪郡出土鏡の「三角縁」は「斜縁」のことだと考えていただければよいのではないかと思う。2009.04.16 三角縁神獣鏡が中国製であれば、大和政権が「中華」の冊封下にあったという証明になるので
現在の「中華人民共和国の政策」にとっても都合がいい
日本人に対してマウントできるわけだから、中国人側のゴッドハンドが「中国・洛陽で出土した」と嘘を言う可能性も高い
実際は、「唐製品」が珍重されていた古墳時代に大和臣下に下賜するために作られたご褒美的なものだと思うけどね
発掘調査させてもらえないこの時代の天皇陵からも三角縁神獣鏡が出土すれば、この仮説は否定されてしまうけどね 福知山かどこかで存在しない年号の鏡が出てんだからふつうに日本製だろ >>726
三角縁神獣鏡が中国産だとしても、大和政権が中国の冊封下にあった証明にはならん。
マウントしたいなら、日本側にも資料が残る室町時代でやったほうが、考古学でゴットハンドをやるより確実だわな。
足利義光は明帝より「日本国王」に封じられた。 やっぱ決め手になるんは親魏倭王の金印やろうね 一体何処にあるのやら いやいや仮に中国の職人が日本へ渡って製造したら、それは日本製だからw
韓国みたいなこという必要ないやろw >>727
自演して中国から認められてると嘘ついてまで事大して他をひれ伏させたのが今の日本の始まり
これが日本の歴史の事実w
ねぇどんな気持ち? 三角縁神獣鏡って300枚ぐらい日本にあるんだっけ
チャイナには1枚もないもんなw あれ?少し前に中国でも三角縁神獣鏡が見つかったって話題になったはずだが、どうなったんだ?
骨董市で見つけてきたってオチで全員ずっこけたやつ
さすがに中国も、あれを数にいれちゃダメだとわきまえるくらいの恥は知ってたのかw >>714
昔は土産物外交がどこも大変だったんだろうな >>734
こいつ等は継体天皇の一族に滅ぼされ乗っ取られたと考えればワンチャン 3世紀頃だと、製鉄始まってるから日本でもできるっしょ。 まあ鏡は太陽信仰に欠かせない道具だったし
で、チャイナは鏡を何に使っていたのかな? >>735
でも、当時にこんな鏡を作る技術が日本にあるなら、作ったところが邪馬台国でいいのでは?
邪馬台国でない国がこんな技術で鏡作れないだろうし。 >>725
旧楽浪でも兵庫や静岡でも同じものが出てるんだよ
旧楽浪のものが斜縁神獣鏡と言うのなら兵庫のもそうだし
兵庫のは三角縁神獣鏡と言うなら旧楽浪で出てるのも三角縁神獣鏡
そもそも三角縁神獣鏡は斜縁神獣鏡の一形態とも捉えられるし
両方とも全くの別物という事ではない あと三角縁神獣鏡が仮に国産品でも
魏の年号が入ってるから畿内と魏が交流していた証拠という事になる
それと畿内からは三角縁神獣鏡だけではなくて
同じく景初三年と魏の年号が入ってる画文帯神獣鏡も見つかっている >>688
中国で見つかったってのさ
出土したんじゃなく露店の骨董市で売られてたのが見つかったんだよな?
幕末・明治に欧州人の学者が天皇陵に侵入して副葬品の銅鏡を持ち出してたようだから
そういう日本から海外流出したやつが転売で流れ流れてってのが真相なんじゃ?
いずれ露店の骨董市で見つかったような状況じゃ中国製の証拠にならない >>742
斜縁や他の鏡は大陸と日本両方で見つかる
三角縁神獣鏡は日本にしかない
シンプルな話や 魏と交流しとった勢力なら魏の時代の大陸産銅器鋳溶かして態々パチモンこさえる必要なんてあらへんし リーバイスに憧れてエドウィン作ったつもりなんだろうけど
景初4年
ノレイヴィトンと同じ類いのパチもんやないか 骨董の偽物も多くて
専門家でも騙される高度なものもあるらしい。 >>744
景初四年は晋書天文誌に出てくる
当時は使われていたらしい
>>745
洛陽の白馬寺近くの畑から出土したとわかっている
>>746
三角縁神獣鏡は楽浪や中国からも出てるよ
あと魏の年号の入った画文帯神獣鏡も見つかっている
畿内が魏から鏡を貰っていた事は明らか >>747
昨日だったかのスレに書き込みあったけど
古代の銅製品の原料は全て輸入モノらしいぞ 和製パチモン貰って喜んでた畿内は相変わらずのカッペちゃん >>750
改元の予定わかってて調整用の閏十二月の一ヶ月を書類上景初四年と記しただけやど
オフィシャルで鏡こさえる奴がそれ知らんと思うか? >>751
付き合いあるなら貰うたもんそんまま配りゃええ訳で態々パチモンこさえる必要あらへん >>753
晋書天文志に書いている年月日は景初四年「三月」
晋書天文志によるなら景初四年は三月までは使われていた
そして三角縁神獣鏡には景初四年五月丙午に鏡を作るといった銘が入っている
これによるなら景初四年は五月までは使われていた事になる >>367
古代ユダヤは、民族的には今のパレスチナ人が一番近く、イエス・キリストも有色人種だよ >>744 > 景初4年鏡が出てずっこけたね//
だったら景初は4年まであったんじゃないの?
無論、曹爽は新年号を立てたが、司馬仲達はそれを認めず、
景初を維持してたとかさ。
魏の明帝が一月一日に物故って、不自然すぎでしょ。
また、次の少帝芳って、出自もはっきりしないみたいだし。
景初3年後12月って何? 閏月の入るタイミングじゃないそうだし。
政争の存在を考えざるを得ないのだが。
>>750
> 景初四年は晋書天文誌に出てくる 当時は使われていたらしい//
それは初耳なのだが、興味深いね。
>>746 > 三角縁神獣鏡は日本にしかない//
邪馬台国向けの特注だったんじゃないかな。
魔鏡なんて、凝った造りだったと聞き及ぶし。 >>744
なんでずっこけるの?卑弥呼が遣使したのは景初三年。翌年に鏡は贈られた。
前年から作ってれば景初四年があってもおかしくない。 新型コロナウィルスの起源についても認めたらどうですか >>758 > 前年から作ってれば景初四年があってもおかしくない//
その見解は捨てました、>>757 に書いた様な次第で。 オレも平成34年まで有効の免許証もってるから、景初4年の鏡があってもおかしくない。 「さんかくぶちしんじゅうきょう」が一般的な読みだよな >>761 > オレも平成34年まで有効の免許証もってるから//
紀年鏡があまりないというのは、年号なんていつ変わるか知れたものでない、
というのがあったからじゃないか、と思う。 年号など多少の問題があろうと、大陸で作ったものか、大陸の技術が使われたものでは間違いない。
「日本人が独自にあみ出した匠の技で作った」みたいな結論には絶対にならないし、そういう韓国人みたいな物言いはカッコ悪い。 三角縁神獣鏡を魏から贈られた鏡と言ってる方たちのレスを呼んだ感想
みんなも同じような感じなのかな >>763
三百枚越える枚数あって紀年鏡は五枚とかやろ >>764
渡来人がこさえた言う奴はおっても日本人が独自に編み出したとか言う奴は基本おらんのとちゃうかちょっとでも調べた事あるなら そもそも竜とかは中国の想像上の動物で日本であんな図案が描けるわけない >>753
魏朝内部で暦の混乱が生じていたのなら尚方製作時でも起こりうるし、呉域内の工房がオーダーを受けいたとすれば、
あるいは帯方郡などの遠隔地で作っていたとすれば情報が届くのが遅くなったたしてもとくに不思議でもない
景初三年十二月 詔曰 『烈祖明皇帝以正月棄背天下 臣子永惟忌日之哀 其復用夏正 雖違先帝通三統之義
斯亦禮制所由變改也
又夏正於數為得天正 其以建寅之月為正始元年正月 以建丑月為後十二月』
要は、「明帝は誤った暦(殷正)を用いた。また「夏正」に戻して、寅之月(殷正では二月)を正始元年正月とするわ。
だから丑月(殷正では正月)を、(景初四年正月とはせず)景初三年の後十二月としまっせ」というお触れを出したわけだ
ゆえに、正史元年は夏正を用い、寅之月である二月からになっている
これが混乱を招いたとしてもとくに不思議でもない >>734
単純な脳みそしてて生きるのが辛そうなやつだなって思ってるよ 魏鏡が中国産→畿内に魏の威光を振りかざす大勢力がいた
鏡が国産→畿内に魏の鏡を量産して威光を振りかざす大勢力がいた
どっちにしろあまり変わらん >>766 > 三百枚越える枚数あって//
何で三百枚あったらいかんのかね。
あの鏡欲しい、と思ったらどうするの? トヨたんに土下座するのか?
魏に買いに行けばいいんじゃないのか? 鏡下賜って、引き札みたいなモンでしょ。
100枚呉れてやるのは、千枚売り付けるためじゃないのか?
魏にしたって、製造業の保護育成を考えたって、不思議では無かろうに。
> 紀年鏡は五枚とかやろ//
紀年鏡が少ない事については、普通にレス元で書きましたが。
>>769 > (景初四年正月とはせず)景初三年の後十二月としまっせ//
正月行事、それも改元に伴うそれを、12月のことだった、としちゃった訳ですよ。
閏月の入る様なタイミングではなかったんだしさ。 >>772
売るほどある交易で買ったブツなら向こうでも出土するんとちゃうか 画文帯神獣鏡みたく まるで挑戦。 まっ、殆ど80-90 ほんの一部に上が115の低能民族。 >>773 > 売るほどある交易で買ったブツなら//
特注だったんじゃないのかな、>>757 末尾で書いたんだが。
> 向こうでも出土するんとちゃうか 画文帯神獣鏡みたく//
三角縁は本国では受けなかったんじゃないのかな。
魔鏡といったって、何だか子供だましの様にも見えるしさ。 >>775
朝貢ならともかく商売でそんなまどろっこしい事するんか往復すんのも命懸けやのに >>776 > 朝貢ならともかく商売でそんなまどろっこしい事するんか//
普通にするでしょ、商売ってそんなもんだよ。
> 往復すんのも命懸けやのに//
アンタさ、曹操に斬られちゃうよ、そんな覚悟ではさ。
まぁ、彼の直参になれる様な器量は、ちょっとなさそうだけどもね。 古代中国は日本にとって教えの場、教室であった
しかし何故か廊下が偉そうに、兄だの、起源だの どっちが作ってようがどうでもいいだろ
自分で作ったんじゃあるまいし 卑弥呼の使者が来たのが景初2年
その頃に景初4年の鏡を作り貯めしとく
可能性は無いよ。 >>750
>景初四年は晋書天文誌に出てくる
出てきません
君の勘違いです
528 :日本@名無史さん :2019/09/28(土) 19:36:39.82
>>205
晋書天文志
「魏明帝太和五年十二月甲辰,月犯填星。
青龍二年十月乙丑,月又犯填星。占同上。 戊寅,月犯太白。占曰:「人君死,又為兵。」
景初元年七月,公孫文懿叛。二年正月,遣宣帝討之。三年正月,天子崩。
四年三月己巳,太白與月?加景晝見,月犯太白。占同上。
景初元年十月丁未,月犯?惑。占曰:「貴人死。」二年四月,司徒韓?薨。」
これは訳すと、
「青龍二年十月乙丑に月が土星に接近し、また、戊寅には金星に接近した。これを占うと「人君が死に、戦と成る」ということであった。その占い通り、景初元年七月に公孫文懿が反乱を起こし、
(景初)二年正月に宣帝がこれを征伐したが、(景初)三年正月には明帝が崩御した。
(青龍四年)三月己巳に金星が月と共に光を増して日中でも見え、月が金星に接近したので、また占った。
景初元年十月丁未に月が火星(?惑けいこく)に接近した。占ったところ「貴人が死ぬとあり」(景初)二年四月に司徒の韓?が死んだ。」
田舎の大学教授が青龍二年に行われた占いにある「四年三月己巳」を「景初四年」と勘違いしちゃったんだね
次に来る四年は景初じゃなくて青龍四年なんだな
青龍二年、青龍四年、景初元年の占いが時系列で記述されているということ
佩文韻府も同じ間違い むつかし過ぎてあんまり興味が無かったのだが、三角縁神獣鏡はよくよく考えるとかなり深い謎だな。中国での出土無し、日本製か中国製か、邪馬台国は九州か大和か、三角縁神獣鏡が埋納された古墳の年代、多すぎる三角縁神獣鏡、そして景初正始の紀年鏡。複雑過ぎるパズルであり議論が終わらないのはもっともだ。 >>781
倭人伝は明らかに誤写がそのまま印刷化されており、二年は三年の誤り
司馬懿が景初二年の八月に公孫氏を倒して、帯方郡を直轄して魏の役人を置いたのに、その二ヶ月も前に魏皇帝への面会を求めるのは不可能
『三国志東夷伝』の前文にも「景初中 大興師旅 誅淵 又潛軍浮海 收樂浪 帶方之郡 而後海表謐然 東夷屈服」と書かれており、
また、誤写される前の魏書を見ながら書いたとみられる北史でも「魏景初三年 公孫文懿誅後 卑彌呼始遣使朝貢」となっているので、倭人による
魏への朝貢が司馬懿が公孫氏を滅亡させて以降なのは議論するまでもなく明らか
何月かはわからないが、倭国の使者が洛陽にやってきて、歓迎式典等をおこなったあとの景初三年の十二月に倭の使者に詔を出しているので、
その頃に魏の尚方以外のどこかで鏡を作らせている以上、景初四年銘鏡を作っていた可能性はじゅうぶんありえるし、その場所が洛陽から遠け
れば遠いほど情報が遅れるのもの当たり前 >>786
>景初三年の十二月に倭の使者に詔を出しているので、その頃に魏の尚方以外のどこかで鏡を作らせている以上、
>景初四年銘鏡を作っていた可能性はじゅうぶんありえるし、
景初三年の元日に明帝が崩御してるんだから、景初が三年で終わるのはほぼ一年前から織り込み済み
あり得ません >>788
政権内部で織り込み済みではあっても、十二月に詔書が出されて伝達されるまでは工房側はわからんからなあ
そもそも紀年銘が魏の要望か、工房が自決事項なのかもわからんのだし
魏朝側の要望ならもっと多く出土しても不思議ではないと思うがな すげえな。景初四年が国産鏡だとすると畿内には漢字や年号まで理解して鏡制作できる技術者がいたんだ それぞれの国に渡来人のウェーブが割と大規模にやってきてたんだろうと想像できる話しだね
いろいろな集団が来てたとなると中国人てなにかね?という疑問もわいてくる >>791
マジでそうだな。
日本人とは何かという疑問も。
阿倍仲麻呂や鑑真的な人生が、もっと昔から大規模にあったのやもしらん。 >>783
晋書天文志はかいつまんで書くと
景初元年 公孫氏反乱
二年 皇帝これを討つ
三年 皇帝崩御
四年 月が金星を覆う。(人君の死、または兵乱という)占い通り
という書き方なわけよ
この中で四年のは実は景初じゃなくて青竜というのはちょっと苦しいね そらまぁこの時代のモノに中国から来たものはたくさんあるだろうよ
こまかく調べたら由来はわかると思う
青銅がドコ産なのかとか
わざわざ中国産の青銅を輸入してまで日本で作らんだろうし(完成品持ち込んだ方がはやい)
ただそこまでして産地特定させる意味がないからやらないんじゃ 銅鏡のオモテは文様が刻まれてる方ではなく、ピカピカに磨いてモノが映るようになってる方
文様のある面はウラ >>795
畿内から大量の魏鏡が出てる時点で反論のしようがないというw 偽奈良市や偽御所市があるんだなあ、シベリアかな ロシアかな 日本が朝鮮その他に文明を齎したことが日本神話と朝鮮神話で整合している
日本神話=スサノオが朝鮮に渡った
朝鮮神話=桓因が朝鮮の祖
檀君の祖父である桓因はインドラ
スサノオは牛頭天王
牛頭天王はインドラの別名
檀君は紀元前2333年に檀君朝鮮を作ったとされている
すなわち、紀元前2333年より前にスサノオが日本から朝鮮に渡って文明を齎したということになる
これは7300年前の鬼界カルデラ大噴火によって、日本から離散した日本人が世界中に文明の種を授けたことを示している
中国では伝承三皇の伏羲・女禍を紀元前3350年〜紀元前3040年の人物とし、縄の発明者であるともしている
世界最古の縄は、16500年前の日本の縄文土器作成時の縄
縄の発祥が日本なのだから、中国で縄の発明者とされている伏羲・女禍は日本から渡ったイザナギ・イザナミとなり
神農が医学と農業を伝えた
これも同様に、7300年前の大噴火によって、日本から離散した日本人が世界中に文明の種を授けたことを示している 天孫紀元1795153年(人類初の火の利用)
日本最古の遺跡 120000年前(デニソワ系旧人)
日本に最初にたどり着いた新人(ホモサピエンス)集団(Y-D1b系) 38000年前に日本に到達、世界最古の磨製石器を38000年前に日本で作成(世界初の石工技術)
最終氷河期70000年前〜10000年前は海面が130m低い状態
世界初の石工技術を用いて海岸線に巨大石器文明遺跡建設
世界初の石工技術を用いて世界最古の文字である縄文絵文字を開発
世界最古の土器 17000年前の日本で作成
12000年前、氷河期終了、海面上昇、日本列島が大陸から切り離され、海岸線の巨大石器文明遺跡が海底遺跡化
世界最古の農業(稲作) 12000年前に日本で開始
世界最古の船 9000年前の日本で作成、世界中に航海して日本から世界各地に縄文文明を携えて世界中に文明の種を蒔き、縄文絵文字の石板を作成(ペトログリフ)
7300年前、世界最大規模の鬼界カルデラ大噴火、九州〜南東北まで火山雲に数か月間覆われ、日本列島から日本人がさらに世界中に拡散して文明の種を蒔いた
この時、火山雲のせいで太陽が出てこなくなり、作物が育たず、疫病が蔓延り、地獄絵図となったことが、天岩戸神話の元
6000年前、三内丸山遺跡建設、日本列島に残った集団は対馬海流に乗り日本海側を北上して、太陽が出る東北を拠点化、北海道まで北上した集団も有り
3000年前、北海道で繁栄した集団が本州に対して侵攻、親潮に乗り太平洋側を南下し日立に上陸して東日本を制圧、西日本に対して国譲りを迫る
国譲り成立後、四国を経由して日向に到達、山幸彦が沖縄に長期滞在
2680年前、神武東征で畿内を拠点とし、日本統一して日本建国 38000年前に日本で世界最古の磨製石器を開発(世界最古の石工技術)
12000年前までに石工技術を用いて岩に掘る絵文字を開発(日本近海海底遺跡に現存)
氷河期の海面は今より130m以上低いので陸続き
https://i.imgur.com/PzDIWPH.png
12000年前に氷河期が終了して海面130m上昇して
世界最古の石工技術を継承して作り上げていた石造遺跡や絵文字が沈没
12000年前頃に石工技術と絵文字を携えて日本から世界中に拡散
6000年前頃までに世界中の岩に同一体系の絵文字を書き残した(ペトログリフ)
最初の世界共通文字は日本発の絵文字(表意文字)
これに反旗を翻したのがシュメールの粘土板に掘られた表音文字(アルファベットの元)
表意文字は言語が違っても通じるが
表音文字は言語が違うと通じない
これが世界共通文字の破壊と選民思想の始まり→シュメールの粘土板で創作→今の聖書へ受け継がれてる 昔の中国は質がよかったのに、コピー品ばかり作る犯罪国になるとは昔の人思いもしなかっただろうなw 三角縁神獣鏡が粗悪な模造品とか言ってたヤツがそっ閉じするスレ。(笑) >>793
この文は月蝕(対象は五緯=火星、水星、木星、金星、土星)があると国が潰れたり、戦争になるなどろくなことがねーことを説明したもので、
まず、太和五年の土星への月蝕に続いて、青龍二年の二度の月蝕があり、「皇帝が死んで戦になるよ」との占いが出たことを説明し、
その景初元年の火星への月蝕から三年の天子崩御までを実例として挙げている
ところが、連続で一、二、三、四と並ぶので、次ぎの四年三月己巳は一見景初のことと思いがちになるけど、これは文章を実例から元に戻し
たもので、青龍四年に同様なことが起き、同じ占いが出たと書かれているわけだ
青龍二年十月乙丑と同じく、三月己巳と日付けまで書かれているので、その前の実例である一、二、三年とは書き方が異なることが理解できる
そして次は景初に移って、元年と二年に起きた月蝕と占いの結果である司徒韓?の死亡を説明しているわけだな 晋書天文志に景初四年の記述ありてのはガセで青龍四年の事やったと >>809
紛らわしい書き方なので、詳しくない人が間違えても仕方がないよ
でも、専門外なのかもしれないが、大学教授ともあろう人がこれ読めないのはさすがに恥ずかしいな
そもそも景初四年銘鏡は日本側でも魏朝側でも作る意味はなく、単純に型工人の陳さんグループが彫り間違えただけなのかもしれない
このグループの彫る銘文は漢文漢字に詳しくないのか結構杜撰で、もし帯方郡の役人が現代製造業のような厳密な検品をしていたら
間違いなくはねられるレベル
まあ、発注主も杜撰というか、些細にはこだわらないおおらかな時代だっただろうとは思うが
いずれにしてもたった一枚しか出てないから類例を待つしかないね 晋書天文志の四年の記事が青龍四年のものというのはガセ
書いてる事の意味が通らなくなるだろ >>811
せやかて>>783読んだ限り意味通らんの景初四年の方やないんか >>812
んな事あない
晋書天文志の景初四年の記事を青龍四年とすると意味が通らんよ つーか、今の中国と千年前の王朝は違う(-д- 三 -д-) >>813
中身これやど
>>783
> >>750
> >景初四年は晋書天文誌に出てくる
> 出てきません
> 君の勘違いです
>
>
> 528 :日本@名無史さん :2019/09/28(土) 19:36:39.82
> >>205
>
> 晋書天文志
>
> 「魏明帝太和五年十二月甲辰,月犯填星。
> 青龍二年十月乙丑,月又犯填星。占同上。 戊寅,月犯太白。占曰:「人君死,又為兵。」
> 景初元年七月,公孫文懿叛。二年正月,遣宣帝討之。三年正月,天子崩。
>
> 四年三月己巳,太白與月?加景晝見,月犯太白。占同上。
>
> 景初元年十月丁未,月犯?惑。占曰:「貴人死。」二年四月,司徒韓?薨。」
>
> これは訳すと、
> 「青龍二年十月乙丑に月が土星に接近し、また、戊寅には金星に接近した。これを占うと「人君が死に、戦と成る」ということであった。その占い通り、景初元年七月に公孫文懿が反乱を起こし、
> (景初)二年正月に宣帝がこれを征伐したが、(景初)三年正月には明帝が崩御した。
> (青龍四年)三月己巳に金星が月と共に光を増して日中でも見え、月が金星に接近したので、また占った。
> 景初元年十月丁未に月が火星(?惑けいこく)に接近した。占ったところ「貴人が死ぬとあり」(景初)二年四月に司徒の韓?が死んだ。」
>
> 田舎の大学教授が青龍二年に行われた占いにある「四年三月己巳」を「景初四年」と勘違いしちゃったんだね
> 次に来る四年は景初じゃなくて青龍四年なんだな
> 青龍二年、青龍四年、景初元年の占いが時系列で記述されているということ
>
> 佩文韻府も同じ間違い >中国からは1面も出土していないことから
よくこれで中国製だって言えるなw 中国は色々と凄いな集団ストーカーとかの思考盗聴まで有るからな
「24時間、人の声が聞こえる」中国当局によるエレクトロニック・ハラスメントの恐怖
日本では「エレクトロニック・ハラスメント」は馴染みのない言葉だ。しかし、中国当局は、幹部らの汚職行為を告発した一般市民への報復措置として、これらの非致死性兵器を使って精神的な苦痛を与えている。
エレクトロニック・ハラスメントとは、電磁波や超音波などを使い、対象者に内部障害、精神疾患と同様の症状を発病させる非致死性兵器の一種とされる。電磁波攻撃、マイクロ波聴覚効果、聴覚を介さないボイス・トゥ・スカル(V2K、脳内音声)技術などが使用される。
中国江西省に住む汪海榜さんは、08年以降、毎日24時間マイクロ波聴覚効果技術による脳内音声送信に悩まされている。汪さんは15年から北京市の中央政府に陳情活動を行った。19年、公安部(省)陳情窓口担当者は汪さんに対して、全国の県レベルの警察機関であれば、人間の脳を観察し、その思考を盗聴する設備を配置でき、マイクロ波を対象者に照射して脳内音声を送信できると返答した。
https://www.epochtimes.jp/2020/09/62127.html
警察機関であれば、人間の脳を観察し、その思考を盗聴する設備を配置でき、?
警察機関であれば、人間の脳を観察し、その思考を盗聴する設備を配置でき、!?
警察機関であれば、人間の脳を観察し、その思考を盗聴する設備を配置でき、!?? >>811
まったく逆だな
「占同上」とは占いの結果が上の文章と同じですよという意味以外には取れない
景初四年には公孫淵も明帝もとっくに死んでいるんだから人君死も又為兵も既に起きた後になる
その占いの結果が青龍二年の占曰:「人君死,又為兵。」と「占同上」なわけがない
景初元年の公孫淵叛乱より前の青龍四年でなければ意味の通らない文章である
そもそも四年の占いの結果が書かれた記事の次に景初元年の占いの結果が書かれているのだから
時系列で見ても四年は青龍でなければおかしい >>819
どうかな?
少なくとも晋書天文志の著者は明らかに景初四年の記事のつもりで書いてるね
但し宋書天文志の方では
同じ内容の記事が青龍四年の出来事として書かれている
一体どっちが正しいのかねえ
まあ景初四年が実際には半年ぐらい使われていた根拠は他にもあるんだけれど >>820
>少なくとも晋書天文志の著者は明らかに景初四年の記事のつもりで書いてるね
書いてませんね
妄想おつ
「占同上」であるためには公孫淵と明帝が生きてるうちでなければ駄目
>まあ景初四年が実際には半年ぐらい使われていた根拠は他にもあるんだけれど
妄想は要らないソース出せ >>820
蝕の発生と占ったこと(結果)を元号ごとに時系列で書いているのだから
『景初元年十月丁未 月犯?惑 占曰「貴人死 」二年四月 司徒韓?薨
四年三月己巳 太白與月?加景晝見 月犯太白 占同上』
の順でないとおかしいのを何故理解できないのか不思議でしかたがないわ
『景初元年七月 公孫文懿叛 二年正月 遣宣帝討之 三年正月 天子崩』は青龍二年の占いの結果どおりに起きた事件を書いているだけ
のことで、景初暦における蝕の発生と占った結果は、『景初元年十月丁未』で始めて、その一行で終わっている
ゆえに、『四年三月己巳』が景初四年のことであるのなら、『景初元年十月丁未』の後にこないと時系列が逆になって意味不明になる
よって、『四年三月己巳』は青龍四年のことであるのは明らか
ところで他の根拠とは? シナ製な。
そのころ悪名高き中国製はまだないし、そもそも中国製なら1000年後まで
残ってないでよ。 >>821
晋書天文志は大まかに描くと
青龍二年 月が金星と重なったので占う
景初元年 公孫氏反乱
二年 皇帝これを討つ
三年 皇帝崩御
四年 月が金星と重なったので占う
景初元年 月が火星と重なる
こういう書き方さ
この四年が本当は青龍の出来事だったとしても
晋書天文志の著者は明らかに景初四年の出来事として記載している
でなければ年号を省略しないで青龍四年とはっきり書いたはず >>822
景初四年のあった他の根拠とは魏志の
正始元年春二月乙丑、加侍中中書監劉放、侍中中書令孫資為左右光祿大夫
という記事の日付
正始元年二月に乙丑という干支は存在しないそうだ
これが景初四年二月ならば乙丑という干支が存在する
つまり元々は景初四年二月乙丑となっていた記事を
単純に正始元年二月乙丑としたとすれば辻褄が合う そもそも論は三角縁神獣鏡は卑弥呼の下賜品100枚説だろ。中国製じゃなきゃ困るのは邪馬台国が纏向で三角縁神獣鏡を地方支配の道具に使ったから前方後円墳の規模に現れたと言う世迷言ジャン。
中国製説大歓迎じゃなきゃ。 >>824
何度も同じウソを書くなよ
四年の占いの結果が「占同上」であるためには公孫淵と明帝が生きてるうちでなければ駄目
青龍四年でなければ成立しない
>晋書天文志の著者は明らかに景初四年の出来事として記載している
>でなければ年号を省略しないで青龍四年とはっきり書いたはず
全く逆
青龍の元号は二年の記事で既に出てきたから省略されているのだ
次の記事の景初元年で景初が省略されていないのは占いの結果としては景初の元号は初出だからだ
こうやってウソばかり並べて世間を騙し続けてきたのが畿内説の正体 イラッとくるのは確かだけど、その時代の中国は超先進国だったし言わせておくしかない >>825
>正始元年二月に乙丑という干支は存在しないそうだ
ソース無し
妄想おつ
正始元年春二月の時点で景初四年が半年使われてたとかいう>>820の妄想が誤りであることを
自ら認めてるアホw
そもそもその正始元年の記事は景初三年記事の次に書かれている
景初四年が存在しなかった何よりの証拠だ >>827
そんなの晋書天文志の四年の記事が
青龍二年 月が金星と重なったので占う
景初元年 公孫氏反乱
二年 皇帝これを討つ
三年 皇帝崩御
四年 月が金星と重なったので占う
景初元年 月が火星と重なる
と明らかに景初四年の出来事の書き方になっているからしょうがないだろ
俺を嘘つき呼ばわりされても困る >>829
落ち着け
始元年春二月の時点で景初四年が半年使われてたなんて書いてないから
そして正始元年二月に乙丑という干支は存在しないというのは本当だからね
乙丑などの干支は60日で一周だから
一ヵ月ズレる景初四年なら乙丑という干支が存在するというのは
他の資料を統合して確かめられている >>100
曜変天目なんかも日本にあるのに
中国でなかなか見つからない 普通に考えたら中国から日本に来た人が日本で作った
これ以外だと無理が出てしまう >>830
だからなってないっての
晋書天文志の四年の記事
青龍二年 月が金星と重なったので占う → 占いの結果は「人君が死に、戦と成る」
→景初元年に公孫淵の乱、景初二年に司馬懿を派遣してこれを討伐 景初三年に明帝崩御で当たり
青龍四年 月が金星と重なったので占う → 占いの結果は青龍二年と同じ
景初元年 月が火星と重なったので占う → 占いの結果は「貴人が死ぬ」 →景初二年四月に司徒の韓?が死んだので当たり
と書かれてるんだよアホ
何かあって占う → 占いの結果 → 実際に起きた出来事
でワンセットの文章だ >>831
>そして正始元年二月に乙丑という干支は存在しないというのは本当だからね
だからそのソースを出せと言っているわけだが
お前が落ち着いてソース出せアホ たしかに日本は3流国だった時期があり
中国から来たものをパクって技術を磨いていた
多分チャイナ製だな
1700年前に高度な文明は無かった >>824
手元に晋書があるのなら読んでみればよいが、嘉平の次の太安三年は元号が略されているよね?
太興三年、咸康四年も同じく略されているように、同一説明文の中の次の年の元号は軒並み略されている
つまり、同一説明文の中で同じ年号(熟語)を使うと煩雑になるから、略しているのであって、これは現代日本でも論文や企業団体の文書等でも略すのが当たり前
青龍暦の説明の段で、青龍二年と書いてあるのだから、同一説明文の中にある四年の元号を略するのは極々当たり前
そもそも、元号別に時系列で説明しているのだから、景初暦の説明の段を『景初元年七月』からその説明を始めているのであれば、そこに蝕の説明がないのはお
かしいし、先に書いたように、四年の後に再び元年の蝕を説明しているものおかしいわな
あと、正始元年春二月乙丑は乙酉の誤りの可能性が高く、それだけをもってして景色四年だとするのは強弁に過ぎる
陳寿ともあろう人間が日付ならともかく、年号を誤るというのは誤写でもない限りまずありえないだろう
漢文を読む能力がないのか、理解する能力がそもそもないのだろうね
なら、仕方がない まさか現物前にしてなお景初四年を強弁するとは思わなんだ >>1
5年ぐらい前に三角縁神獣鏡が洛陽で発見されたよね >>834
四年が景初か青龍かはともかくとして
晋書天文志の書き方としては
青龍二年 月が金星と重なったので占う
景初元年 公孫氏反乱
二年 皇帝これを討つ
三年 皇帝崩御
四年 月が金星と重なったので占う
景初元年 月が火星と重なる
こうだろ?
四年を青龍四年と断じるのは嘘だろ >>839
骨董屋の露店で一枚だけな 要するに出処不明や >>837
強弁でもないんだけどね
状況的には正始元年春二月乙丑は景初四年春二月乙丑とすれば干支は合う
まあそもそも魏志に明帝が景初三年1月1日に死亡して
当時皇帝の死後は1年間元の元号を使い続ける踰年(ゆねん)改元という習慣に基づき
ただしそのままだと翌年の1月1日は正月と皇帝の一周忌が重なってしまうので
1ヵ月空けて本来の2月1日を正始元年1月1日としたという記事から
景初四年は存在しなかったとされているけれど
これが本当の事を書いてなくて景初四年は実はあった可能性が十分ある >>840
> 青龍二年 月が金星と重なったので占う
> 景初元年 公孫氏反乱
> 二年 皇帝これを討つ
> 三年 皇帝崩御
> 四年 月が金星と重なったので占う
> 景初元年 月が火星と重なる
都合よくはしょるなや
青龍二年十月乙丑 月が金星と重なったので占う
景初元年 公孫氏反乱
二年 皇帝これを討つ
三年 皇帝崩御
四年三月己巳 月が金星と重なったので占う
景初元年十月丁未 月が火星と重なったので占う
二年 司徒韓?死す
年号表記の法則通りに読めや >>843
都合よくはしょるなや
という言いがかりをつけるなや
一体何をそんなに必死になってるの? 魏志の記事にある明帝が景初三年1月1日に死亡というのは本当かな?
ピッタリ過ぎるし実は7月ぐらいまで生きていたのではないかな?
そうなると当時皇帝の死後1年は元の元号を使い続ける踰年(ゆねん)改元制度によって
景初四年は7月くらいまで存在した可能性がある
色んな記事に景初四年は7月くらいまでの記載があったりする >>820
三角縁魏鏡説=邪馬台国畿内説ってやばいな >>846
何捻じ曲げた仮定を基礎に論を組み立ててんの? >>848
というか三角縁魏鏡説はもう定説でまともな学者なら誰も異論を言わないよ 中国で1枚も出てないのに中国のものにしようとする中国人w まぁ畿内から魏鏡がわんさか出てる事実だけは曲げられないわけでひっくり返しようがない >>852
>生きていたのではないかな?
このへん >>854
この記事のどこに三角縁神獣鏡が魏鏡と書いてあるか説明してくれないか? >>1
応神天皇が半島から受け入れた百済人の中に銅鏡の職工がいて三角縁神獣鏡を作ったのなら
三角縁神獣鏡は韓国製になるという記事だな >>25
孟子孔子は、支那の畜生ぶりを見て、論語なりの儒教を、説いた。
人皆禽獣に同じ、と言った。 わいが一番知りたいのは、鏡って言うからには、鏡の用途があったのかっていうこと
卑弥呼だっておたふくみたいなブサ女だったんだろう
そんなのがふとしたときに顔を映して乙女のように軽く髪を整えたりしてたのかね いや、まあ中国製じゃなかったら卑弥呼の鏡じゃなくなるから大変 >>861
多分太陽の光を反射させる祭器として使ったんだと思う >>861
卑弥呼は魏から送られた鏡で自分の顔を見たショックで引きこもりになって
引きこもった御所の外で祭りを催したときにだけ顔を出した
これが日本書紀の天照の記述につながる >>854
そんな事実あったら邪馬台国がどこにあったのかについて、もう論争の余地もないw >>870
破片が割りとよく見つかるのだったかな?
俗に言う美品は見つからない
普段使いして使い潰したのか、別の物に作り替えられたか >>872
"魏鏡"は出るがスレの話題にされとる三角縁神獣鏡は皆無や >>1
そうなのです
精巧さは昔の中国にはかないません
嫌中派といえども正倉院の宝物が日本製でかなり粗い作りであることからも昔の中国製であることは認めざるを得ません
昔の中国は立派だった
ところで今の中国共産党の幹部連中は漢民族じゃないだろ >>871
中国浙江省紹興市で三角縁車馬神人画像鏡が
6枚くらい見つかってるなあ >>875
古代史スレは息を吐くようにうそをつく九州説論者が昔から常駐してるから気をつけてw >>877
三角縁獣帯神人龍虎画像鏡も見つかっている >>879
それ一枚だけ骨董屋の露店で売られとった奴やんけ どこで出土したかとか全く不明の奴やろが >>880
いやこれは浙江省で見つかってるやつ
畑で出土したのが売られてたのは洛陽の近くで発見されたもの 当時の鏡ってどう磨いていたんだ?
ピカールかな?
でも、すぐ曇るでしょ。 >>881
結局神獣鏡やのうて画像鏡やんけ 意味ないわ てか浙江省出土て完全無欠な呉鏡やんけ どうやって魏と結び付けるんや 現状曹操の墓から出土した鏡と同型の鏡が出土した大分の方が有力だわな 魏の水銀朱が使われた萩原古墳群出土の画文帯神獣鏡
同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群出土の斜縁二神二獣鏡
この画文帯神獣鏡か斜縁二神二獣鏡 このどちらかだろうね 魏から下賜された鏡は。 @阿波 実際、三種の神器の鏡と全く同じものの現物は、佐賀県寄りの福岡西部からしか出土してない。 >>861
三国志展に行ったとき女性の
化粧パレットみたいなものも
展示していたので普通に鏡で化粧していたのだと
思う。 >>846とか見れば分かるように、畿内説ってのはウソも100回言えば真実になると信じているクズなんだよね
それを素人だけじゃなく学者を名乗る人間までやっちゃってる救いがたい状態
行動パターンが完全に朝鮮人と同じ
纒向遺跡を30年掘った結果ここは邪馬台国じゃないと結論した関川氏のように、良心のある人間は畿内説から離れていく もう近畿派も三角縁神獣鏡が魏の物だって主張は諦めたんかな
そんで新たな拠り所が画紋帯神獣鏡とかなんだろうけどその辺は呉がルーツっぽいから苦しいね ねらーがデタラメこくのはいつものことだからいいとして学者が今も畿内説唱えてんのはヤバイよな
結論ありきで正しい検証をしようとしない学者って存在価値ない >>897
画文帯神獣鏡は呉鏡で間違いないね
洛陽でもごくわずかに出土していて皆無ではないが長江流域に比べると著しく少ない
http://yamatai.cside.com/katudou/image3/366-26.gif
そもそも神獣鏡という様式自体が南方のもの
北方で好まれるのは左右対称や鈕中心の点対称に作られたものなんだよな コピー用品いっぱい作っちゃうのは
先祖が織田信長の家系図作っちゃうのと似たものを感じる >>903
最初は近畿勢だけがコピーを製造していたのが、何年もせずに東海や関東や出雲も各自工房をもってコピーしまくるようになっていたら笑う。
コピーのせいで三角縁神獣鏡の価値は暴落し、欲しがる人がいなくなった。 >>888
三角縁神獣鏡は鋸歯文があって笠松文様がある事が特徴だけれど? >>896
嘘なんて言ってないが?
魏志に明帝の死が景初三年1月1日とある事と
皇帝の死後1年は元の元号を使い続ける踰年(ゆねん)改元という制度があった事は本当
どうしてそんなに必死になって事実を否定する?
何か都合が悪いの? 宋書礼志
三年正月,帝崩,齊王即位。是年十二月,尚書盧毓奏:「烈祖明皇帝以今年正日棄離萬國,禮,忌日不樂,甲乙之謂也。烈祖明皇帝建丑之月棄天下,臣妾之情,於此正日,有甚甲乙。今若以建丑正朝四方,會羣臣,設盛樂,不合於禮。」博士樂祥議:「正日旦受朝貢,羣臣奉贄;後五日,乃大宴會作樂。」太尉屬朱誕議:「今因宜改之際,還修舊則,元首建寅,於制為便。」大將軍屬劉肇議:「宜過正一日乃朝賀大會,明令天下,知崩亡之日不朝也。」詔曰:「省奏事,五內斷絕,奈何奈何!烈祖明皇帝以正日棄天下,[6]每與皇太后念此日至,心有剝裂。不可以此日朝羣辟,受慶賀也。月二日會,又非故也。聽當還夏正月。雖違先帝通三統之義,斯亦子孫哀慘永懷。又夏正朔得天數者,其以建寅之月為歲首。」
建寅之月為歲首とは夏正に戻すと言う意味。色々理屈をつけているが建丑の正月なんぞごめん被るから建寅に戻して大宴会やるぞとなりました。ちなみに殷正なんぞやったのは王莽だけで明帝も同類扱いです。 >>900
やっぱり畿内で出る鏡は呉の影響が強そうだな >洛陽近郊の畑から三角縁神獣鏡が1面見つかっているよ
>しかも朝日新聞によれば国産の三角縁の特徴を備えているんですがwww
その洛陽近郊の畑から発見された「三角縁神獣鏡」 と 徳島・宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とは、神像表現が同じであり、同じ工人作である。
また、群馬・川井稲荷山古墳の「三角縁神獣鏡」 と、同じく徳島・宮谷古墳の「三角縁神獣鏡」 とも、神像表現が同じであり、同じ工人作なのである。
これは取りも直さず、その同じ工人が、徳島・宮谷古墳付近に暮らし、「三角縁神獣鏡」を仿製していたことを示している。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>909
その理屈だと
群馬・川井稲荷山古墳の「三角縁神獣鏡」に暮らし、「三角縁神獣鏡」を仿製していたことを示している。
とも言えるのでは? >>910
言えない。
朝鮮半島出土の同向式神獣鏡(伝楽浪大同江面) と 徳島県鳴門市萩原1号墳の画文帯神獣鏡 とは、同笵鏡である。 @阿波
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 仮に中国製だったとするなら少しは見習えよ
今の中国が >>911
なんでそんな断言できるんだかよく理解できないんだけど
バカチョンの必死なの? おんなじおんなじ〜だけじゃ、どっちも同じとしても
生産拠点は分からんよな
恐らく、あははのクニじゃなくて関東のアワのクニかもしれんなw >>913
>なんでそんな断言できるんだかよく理解できないんだけど
島根大学の岩本崇氏に聞いてごらん。 @阿波 頓珍漢の感想を吐き出したくせに、論理がおかしいと指摘すると権威にすがる
まるでどっかの空ろな人種か、或いはキッズ脳の駄々っ子みたいなもんだな 例えるな推しメン推したがるブサ面も同じか
ドルヲタやヲタ思考で騙られると、特に興味な素人や、はたから見ると薄ら気持ち悪いものだな 日ノ本をトリモロ()そうとしたモノからすると
義経バカヤロウコノヤロウと思い立った頼朝、或いは信長なんかの気持ちも
オイコラ馬鹿野郎偽日御子と同じか?w >>908
わかってないな
後漢〜三国時代は神獣鏡大流行の時代で、どこの王朝が造っても呉の地域の工房で製作されていた
魏王朝の工房では銅が少ないうえに専門の工人がいなかったためか、銅鏡を造れないに等しく、魏の
紀年銘鏡(大陸出土分)もすべて神獣鏡なので、呉域の工房にオーダーしていたことがわかるわけだ
だから魏王朝が卑弥呼のための鏡百枚をオーダーしたとしても、どこで造ったとしてもすべて神獣鏡に
なっているわけだ
ゆえに画文帯が呉王朝の鏡だとか、三角縁神獣鏡は呉王朝の影響だとかはまったくあたらない 呉の銅鏡が魏に渡る事は無い。理由は自分で書いているが魏には銅が少なかった。弩機は青銅製で正始二年造のものが有る。矢尻も三角鏃と言う青銅製の物だった。これは重量が有る方が運動エネルギーが大きいから。
青銅は軍事用の戦略物質なので簡単には敵国に渡せません。 >>922
魏には徐州という銅の産出地があった
そして三角縁神獣鏡には銅出徐州と銘が彫ってある 明帝の曹銭は質が悪くて不評だった。魏では布を税金にしていた。徐州の銅山県に銅山は無い。蜀や呉には銅の大鉱山が有った。 >>924
徐州の銅山県と自分で書いてるだろ
それは何だ? そりゃ当時のジャップなんてどんぐりうめーしてた頃だしな >>923
残念でした
徐州刺史部で銅山があったのは徐州最南端の江都や儀徴のみで三国時代は呉の領土だ
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku365.htm
> 三国時代の、魏の領域になっている徐州に、銅を産出する地域は、ふくまれていたのか。西晋時代、東晋時代の徐州は、どの範囲をさすのか。
> すでに、1992年に、中国の考古学者、王仲殊氏は、参考文献を示し、かなりくわしく論じている。
中略
> 要するに、上にのべたように、三国時代には、彭城およびその付近では決して銅を産することはなかった。
> しかし、もし『銅出徐州』の銘文中の徐州が、いまの江蘇省の長江以北と山東省東南部の広大な地区をさしているならば、いまの揚州市付近の江都、
> 儀徴一帯には、古く銅鉱があり、漢代の初めに呉王の劉?が鋳銭したところと伝えられている
> 〔呉王劉?は漢高祖劉邦の兄の子で、呉地方に封建され、王国内の予章郡で銅山を開発して、銅銭を鋳造した。
http://yamatai.cside.com/katudou/image3/365-17.gif
> 王仲殊氏の文章中にみえる「江都」「儀徴」などは、後漢の時代、「徐州剌史部」の監督する地域内にはいっていた。
> この江都、儀徴には、古く銅鉱があった。
> 三国時代には、「江都」「儀徴」などの地域は、呉の領域内にあった。 三国志では曹操による徐州大虐殺がクローズアップされているので徐州全土が魏の領土だと勘違いしている人が多いが
実際には南端の長江北岸一帯は呉の領土である
徐州(じょしゅう)の領郡地図
https://three-kingdoms.net/wp-content/uploads/2019/01/190108_2.png
見ての通り、本来徐州の南端は長江に接しているが、三国時代には長江の北岸一体は全て呉の領土である
https://www.y-history.net/map/0301/china_sangoku.gif
徐州の銅を使えたのは呉か西晋であって魏ではない >>928
それなら何で魏の年号の入っている鏡に銅出徐州と書いてあるんだろうね
徐州は徐州の戦いで魏の領地になって
銅の産出する地域も魏の領地だったという他に考えようがない こんなこと書いてるサイトがあった
>三角縁神獣鏡には「銅出徐州、師出洛陽」の銘を持つのが約10枚ある。が、これ
>は一種の吉祥文字で、これをもって中国製と即断するのは危険である。中国でこの
>銘を持つ鏡は、遼寧省の魏晋墓から出土した方格規矩鏡ただ1枚で銘は単に「銅出
>徐州」となっている。しかし、三国時代の魏晋朝領域の徐州では銅は産出していな
>い。徐州が銅の産出地として知られていたのは前漢・新・後漢時代のことである。
>漢時代の徐州の地域は三国時代よりも広く、 銅の産出地は三国時代では呉王朝の
>領域で首都・建業(南京)付近の「丹陽」「江都」「儀徴」である。後の東晋時代
>(318年〜)になると、銅の産出地の「江都」「儀徴」は再び徐州に組み入れら
>れた。従って、三国時代の魏晋朝の領域の徐州からは銅は産出せず、東晋時代の徐
>州からは銅が産出したので、三角縁神獣鏡の「銅出徐州、師出洛陽」は後世のにせ
>もの=偽ブランド(具体的には東晋時代に日本に渡来した呉の鏡職人の作品)とい
>うことになる。 >>931
徐州には銅山県と呼ばれた地域があって
普通に銅が採れてた事を伺わせる >>928
また例のインチキサイトからコピペ貼ってるな
三国時代の銅山はまだ特定されていない
中国人学者が言ってることを要約
・江都、儀徴一帯には、古く銅鉱があり、漢代の初めに鋳銭した
・その地は長江に近く、徐州にあたるかどうかは肯定しがたい
江都、儀徴一帯で三国時代に銅を産出したと言ってないし、そこが徐州だとも言ってない
そして前漢鏡と後漢鏡(魏鏡も含む)は成分が違うので、魏代の銅山は漢代の初めとは違う銅山になる >>932
銅山区(銅山県)は1733年、清朝にて設置されたってなってるで >>928
三国時代の銅山を特定したと言い張るなら、中国の学会に行って発表してこいよ
中国人学者でも誰も特定できなかったことをやってのけたんだろ? >>934
宋代でもそこの銅で銅銭を作っていた
つまり魏の時代が過ぎた後でも徐州の銅山県では銅が採れたんだろう 3Dプリンタで作られた三角縁神獣鏡。鏡としても機能し光を反射すると文様が浮かび上がる
古代青銅鏡は魔鏡
https://youtu.be/wfCDXymofXk 徐州の銅山県は清朝に設置された。銅山は地名で金山などと言う地名は幾らも有るが多くは別に金鉱山では無い。
徐州一帯は沖積平野で河川の泥で出来ていて鉱床の発達など期待出来ない。事実銅山県一帯に銅山は無い。
古代の銅鉱石は酸化銅系の物だった。緑銅山が名高いが雲南の東川市等も漢代から利用され今でも露天掘り鉱区が有る。中国の南部は中世代に峨眉山トラップと言う大噴火が有り、浅い海で大規模な熱水鉱床が出来た。 >>889
漢委奴国王印と同様の出土の経緯(いきさつ)がいかがわしい。 チャイナ製ならチャイナでも大量に出土すると思うけど? >景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡 求詣天子朝獻
正しくは景初三年(239年)といわれてるよ おそらく写し間違い
>正始元年 太守弓遵 遣建中校尉梯儁等
>奉詔書印綬詣倭国 拝仮倭王
>并齎詔 賜金帛錦?刀鏡采物
正始元年(240年)、太守、弓遵は建中校尉、梯儁等を遣わし、
詔書、印綬を奉じて倭国に詣り、倭王に拝仮す。
並びに詔を齎(もたら)し、金、帛、錦、?、刀、鏡、采物を賜う。
景初三年(239年)に朝貢して
翌年魏の使い梯儁らが福岡県の伊都国に来て親魏倭王の詔書と印
それから金、帛、錦、?、刀、鏡、采物を持ってきたよ 鏡入ってるだろ
景初三年と正始元年の鏡は魏が倭国のために新造した可能性がある 景初三年と正始元年の鏡はまさに卑弥呼専用の鏡といえる
大陸の国なら珍しくないけど極東の島国の倭国にはない
象やらくだや仏をデザインした三角縁神獣鏡は
魏の権威を示すとともに
おまえら土人はこんなん知らんやろ てこと その専用の特注品の銘文が他の日中双方で出土している鏡と違ってえらく雑な件について ブッチとかショネルみたいな偽ブランドの類なんだろ
古代人も現代人もやってることは一緒だな 中国の考察は、きちんと実証的に行われるので信頼もできる
韓国の考察は、徹頭徹尾韓国のロマンに溢れているので、韓国人だけが信頼している >>946
日本の考察は、フェアに捉えるべき事項でまでも己が推す邪馬台国の位置に都合が良いように大きく偏るので、韓国と大差がなく、本人だけが信頼し、満足している >>931
>銅出徐州、師出洛陽
中国人は対句が好き
現代でも正月に対句を書いた對聯を家の入口の左右に貼ったりする これが漢鏡なら普通に意味通るんやが魏鏡となるといやその時代にそれはないてなる 古代長登銅山跡の発見
長登採銅所の銅・鉛生産
粘土と木炭
>金属の製錬には、いろいろな材料を必要とするが、炉の構築や羽口の作成に粘土は不可欠である。
>古代の木炭は、黒炭と白炭があったことが知れ、それぞれの窯跡が全国で多く発掘されている。
>特に、白炭窯は横長を呈し炭の掻きだし口が数箇所敷設してあるので明瞭で、古代製鉄遺跡に多く
>みられる。硬い生焼けの炭が、焼成度も高く持続力に優れた炭であったことが窺われる。 >>927
縄文馬鹿にしてるけど、当時の世界情勢じゃ
進んだ社会だったのが日本の縄文時代 だよなー でも、今は完全に水を開けられてるな。なぜ? 日本人は優秀だから学習と成長は早いし。 >>951
硬い生焼けの炭、ってなんちゅう表現だ。 長登銅山て七世紀末か八世紀初頭辺りに採鉱始めた銅山やろ このスレとどう関係するんや >>952
なおさら中国の先進性に驚くばかりなわけで >>948
>>949
>銅出徐州、師出洛陽
意味を無視して漢代の鏡を見て真似したんだろうな。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。