ノモンハン事件、第2次大戦の「着火点」 欧米に新視点(朝日) [蚤の市★]
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第2次世界大戦は、欧州ではなく極東アジア・モンゴルの草原で始まった――。日本と旧ソ連が衝突した1939年の“ノモンハン事件”について、こうした新たな見方が欧米で広がりつつある。歴史家らは、そこにソ連の独裁者、スターリンの思惑を見る。
「ノモンハン事件は、規模としては主要な戦いとは言えない。しかしその影響は絶大だった」
こう指摘する英国の著名な歴史作家、アントニー・ビーヴァー氏は、文筆活動の集大成といえる第2次大戦の通史を、ノモンハン事件から書き起こした。「それは、ユーラシア大陸の東と西を初めて結びつけた戦いだった。そして欧州戦線の分岐点となった独ソ戦の行方も左右した」と語る。
モンゴル東部を流れるハルハ河の一帯には、80年余が過ぎた今も“大戦の発火点”と呼ぶべき跡が生々しく残されている。
規則正しく並ぶ円形の壕(ごう)は、39年8月20日早朝、ソ連軍が日本の関東軍に総攻撃を仕掛ける際に物資を蓄えた拠点の跡だ。国境に近いこの周辺は現在も航空機の接近が禁じられているが、一帯の戦跡を継続的に調べている「ノモンハン事件日蒙共同調査団」(岡崎久弥団長)に対して2019年、ドローンによる撮影が認められた。
欧州では当時、ポーランドに領土の割譲を求めるドイツのヒトラーと、対抗する英仏とが、それぞれソ連を味方にしようと激しい外交戦を繰り広げていた。その矢先、関東軍は東京・参謀本部の制止を振り切り、満州国軍警備隊とモンゴル軍騎兵部隊の国境をめぐる小競り合いを、モンゴルに駐留するソ連・機械化部隊との局地戦に広げた。
スターリンは、欧州の戦乱から自国を当面は局外に置くためドイツと手を結ぶ一方、“背後の敵”日本をたたく決断を下す。それによりドイツは英仏と戦い、ソ連はドイツと日本からの挟み撃ちを回避できるという思惑に基づいていた。
ソ連・モンゴル連合軍の司令官はゲオルギー・ジューコフ将軍。スターリンの指令を受け、周到な準備のもとで日本軍と満州国軍を圧倒的な物量で包囲し、壊滅的な打撃を加えた。1939年8月20日の総攻撃は2日間で大勢が決する。同23日に独ソは不可侵条約を締結。これには両国でポーランドを分割する密約があった。
そしてドイツは9月1日、ポーランドへ侵攻。これが一般的な第2次大戦の始まりとされるが、ノモンハン事件はそこに至るまでの“流れ”の中にある。英仏は同3日、ドイツに宣戦布告。一方、ソ連もノモンハンで16日に日本と停戦を成立させると、17日にポーランドへ侵攻した。
後に独ソ戦を勝利に導いて英雄となるジューコフが、最初に指揮した大規模な戦闘がノモンハン事件だった。8月20日の関東軍総攻撃の作戦図は、スターリングラード攻防戦で彼がドイツ軍を包囲・殲滅(せんめつ)した“天王星作戦”と酷似する。
米国の歴史研究者で「ノモンハン 1939」の著者、スチュアート・ゴールドマン氏は「『第2次大戦の起源』という複雑なジグソーパズルで、ノモンハン事件は小さくはあるが、大切なピース。そのピースをはめると、全体の図柄が非常にわかりやすく見えてくる」と評した。
関東軍はそうと知らずに第2次大戦のスイッチを押してしまったのか――。この問いにゴールドマン氏は「その通り」と答えた。「彼らは、4千マイルも離れた欧州の外交と自分たちがモンゴル国境でやっていることに関連があるとは思いもしなかったでしょう。しかし結果は重大でした」(天野みすず、編集委員・永井靖二)
朝日新聞 2020年9月15日 15時00分
https://www.asahi.com/articles/ASN9H2DZ2N99PLZU001.html >>93
日本の兵力はたった2万だったぞ
対するソ連は20万
いくら当時の日本が小国とはいえ、10万以上の兵力を注ぎ込むのは容易いことだった。
そしてそれさえすれば、ソ連軍は壊滅した。 >>69
宣戦布告してないから戦争ではなく事件ね
国境紛争の扱い。 オマエら便所コオロギと違って俺様は「手だと思います。」のオッサンが
ファインモールドのシャッチョーサンだと声だけで気付いた。
これぐらい余裕でないと一人陸軍中野学校は務まらない。 塹壕に隠れた歩兵が小銃に銃剣装着して、一斉に喊声(鬨の声)上げる。それを聞いた敵兵は腰を抜かして身動きできなくなる代わりに、声が聞こえた所に重機関銃浴びせ撃ちするとまるでシャワー浴びせたように声がしなくなったと生き残った兵士の証言読んだ事が有る。これをガダルカナルの密林でもやっている。足音立てないで忍び寄る(これをストーキングと言って、立派な戦法の一つになって居る)米兵に向かって喊声上げたら…やっぱりバタバタ倒されてしまった。問題はその後。日本語の文字が書いて有った物は全て米国に送られた。敵性言語として英語を禁止していた日本との違いがまざまざと浮かび上がる。相手を己を知ると言う事は非常に重要で、そういう意味で自分らももっと戦争とか兵器とかに知見を拡げなければ、戦う前に敗れてたなんて事に成りかねない。 >>93
ソ連の極東軍団はたった50万
全面戦争になっても日本有利
スターリンは決死の牽制をした >>1
最近の研究ではノモンハン事件でのソ連軍の損害は日本軍のそれを
大きく上回っていたいたことが明らかになっているけどね
まあソ連は人命の価値が無いも同然なので損害と認識してないのかもしれないが 最近新聞下段にある本の広告で
このノモンハンを扱った本が宣伝されてる
ノモンハンとはいったいどこなんだ、だれも答えられるものはいなかった
というレベルだったんだって日本軍って >>101
南京攻略後に散った大陸遠征軍を全部ノモンハンに集結させるのに何か月かけるつもりだ?
輸送機どころかトラックすらろくにない時代だぞ >>74
長年かけてそう言う体質になってる
例えば参謀が作戦を立てても現場が独断専行で勝手に動いて、それでいて戦果を挙げて褒め称えられるってことが結構あった
それを咎めずにいると、そう言った行動が英雄的なものとして見なされるし、自分が指揮官になった時の憧れるシチュエーションになってしまう
そこを軍上層部も汲んじゃうもんだから、強い抑止力がない
本来なら政治家が上に立って統制するべきだが、彼らはクーデターを起こされたときに権限を取り返しきれなかったし、そもそも国民の政治不信が強く軍の方が支持されていた
統帥干犯というシステムがそれらを正す機会を奪う紋所になってしまっていたので、そう言う組織が出来上がってしまった >>101
政府も陸軍中央もソ連との戦争には否定的だったんだよ
関東軍が暴走して勝手に戦闘を始めてしまった
こんな戦いは勝てるはずがないな。 >>79
誰も勝敗をひっくり返そうとして言ってるんじゃない
ノモンハンは日本がソ連の機甲兵団に圧殺されたかのように流布されているから、実体はそうではなかったという話をしているだけ >>112
関東軍の暴走はない。
あくまでもソ連が大軍で攻めてきただけの事だ。 簡単な話
関東軍が「戦いさえ」すれば、当時のソ連極東軍団には楽に勝てた。
日本の運命も大きく変わった。
ソ連を自虐史観の左翼にかかるとソ連にも勝てなかった!日本は惨めだった!
ということになってしまうが、とんでもない!
戦うべきときに戦い、戦ってはいけない時は戦わない。
当時の日本に欠けていたのはこの判断力とそれを支える情報力 >>107
損害は隠してるからね
ソ連の宣伝戦の巧みさだと思うよ ノモンハン事件は日本の部隊は大きな打撃を受けたが
ソ連側も打撃は大きかった
単純に損害で言えばソ連の方が大きかったのだからな
このノモンハンの勝利というより、痛み分けというべきだろうが
これがあったから日ソ不可侵条約に繋がったのだ
そういう意味で意義があったがな
まあ、本来ならドイツが侵攻した時点でソ連を攻めて挟撃して落とすべきだったかも知れないが
当時の日本は南の資源が欲しくて仕方がなかった つまりノモンハンを主導した辻政信は大罪人って事?
でもこいつ戦後は議員になってるよな
こういうの見ると日本ってノモンハンから太平洋戦争までの総括が全く出来てないよね >>53
屁理屈はお前だよ
ソ連が緩衝地帯としてポーランド分割を望むのならノモンハンに関係なく分割を望む
お前は都合のいいところを持ち出して都合のいい解釈しかしていない 少なくとも7月攻勢では旭川第七師団を全部投入すべきだったな
第二三師団は申し訳ないがやっぱり弱い。
8月下旬には日本軍の損害が大きく、ソ連としては日本が停戦交渉に
出てくるものと思っていたが、日本はおくびにも出さないでいた。
平沼内閣を吹っ飛ばした独ソ不可侵条約(8月23日)の秘密議定書で
ソ連は9月にはドイツとポーランドを分割支配することになっていたので
早々にノモンハンを片付けて西部戦線に集約したがっていた
日本が停戦交渉もせずに軍備増強の臭いまであるとなると、ソ連は望まない
二正面作戦を強いられるのでは・・・という疑心暗鬼がスターリンを
おびえさせていた。ノモンハン停戦における日本の外交交渉術は悪くない
粘りを見せていた。今の害務省外交とは雲泥の差があったのは事実 >>73
いまだに小説を鵜呑みにしてるバカがいるからな
兵力差考慮したらむしろ大善戦だったのにな >>112
そんな史実はない。
むしろ関東軍は「不拡大主義」を取り、現場の1個師団を見捨てた。
関東軍がまともに兵力を投入していれば、楽に勝てた。
どこまで昔の大間違いの認識を引きずってるんだよ老害 >>121
あまりに政治から切り離せないから、総括したところでかなり偏向したものになって、それはそれで誤った結論と行動に繋がりかねないとも思うわ >>111
石原が悪い。いくら天才でも自分が言った通りに満州事変後に板垣と一緒に腹を切れば
よかったんだよ
無能の癖に自称天才で石原のマネしようとした辻のクソ野郎が企てたノモンハンはなかった
>>114 >>121
最後までクソ野郎だったよな。ほんとこうやって他人に責任をなすりつけて上り詰めていく奴は
タチが悪い >>111
独断専行はそもそもドクトリンのうちの一つだが
まあ満州事変のやつとかとは事情が違うけどな ノモンハン事件は、
尾崎の満州諜報活動後に行われている。
そういう準備をして、
日本に攻めかかったのだよ。 おまえらごときが どうこういう話じゃないwww これは。
愛新覚羅溥儀 ラストエンペラーのご意向が国境に関してはあったわけでしょ。
以前から清国が不利におかれていてその国境を押し戻しただけでしょ
日本はよく防衛につとめていたということでもある。
ロシアは領土拡大という野心むき出し 話し合いすれば良かっただけの話。
てか いきなり発砲は野蛮人の所作。
そのくせは漁船拿捕などの現在の殺傷事件と同様。 ロシアは改善する必要があるよw
そうプーチンにいっておきなさいwwww
わたしからは以上だな ミカエル(悟ったもの)より。
>>76
>>102
事件の呼称
モンゴル国は、人民共和国時代からこの衝突を「戦争」と称している
日本および満洲国は「ノモンハン事件」、
ソ連は「ハルハ河の戦闘と呼び
モンゴル人民共和国及び中華人民共和国は「ハルハ河戦争(戦役)」と称している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ノモンハン事件 >>121
はい?
ソ連による侵略なのに、なんで辻が主導したことになるんですかね?
辻の「救援」がなければ、それこそ現場の師団は全滅していた。 >>129
まあ辻に限らずたくさんそう言うのは現れたし信奉者も多くて歪みをもたらしたね 最近の研究ではソ連側の死傷者も日本側と同じくらいだった。でも作戦は陳腐で装備は段違いだった
つまり、日本の指導層の愚かさと、日本兵の強さを示した象徴的な戦い >>5
あほらしい
日露戦争後に協定通りにアメリカと満鉄共同経営すればいいだけだぞ
アメリカを仮想敵国にしたのは「俺たちも東郷提督みたいになりたい!!」って妄想した海軍のガキども
それが国際法違反すら平気で犯す精神に繋がって真珠湾をやらかし
最後は国を滅ぼした まずキチガイ左翼の一部はこれはソ連が仕掛けた紛争だということを理解しろ。
関東軍が暴走とか関係ないわ。
むしろ関東軍の対応は抑制的すぎた。
きちんと数十万の兵力を送り込んでソ連軍を包囲殲滅すべきだった。
逆に言うと、日本軍の情報力不足を見抜いたスターリンによる壮大なこけおどし ソ連側は戦車の数も性能も圧倒的に上で兵隊数でも3倍近いのに何故か日本よりも死者数ずっと多いんだよなこれ
日本陸軍が異常に強いのかソ連が弱いのかしらんがランチェスターの法則とかノモンハンに関しては大嘘だってことになるわ >>139
そもそも侵攻じゃないから作戦もクソもない >>138
辻はクソだけど、なんでもかんでも先入観に囚われて歴史解釈するなよ
むしろ数十万の兵力に攻められてるのに、前線を見殺しにした大本営や他の関東軍幹部が糾弾されるべき モンゴル側から見たら、祖国の領土を守った「大祖国戰爭」としている
実体はモンゴル軍と満州国国境警備隊の不時遭遇戦にみせかけた
日ソ正規軍の正面衝突ではあるが >>92
マニラも1か月程度でかなり死んでるし
民間人を巻き込む陸上戦は地獄だな >>52
英米蘇が支援する中国相手の戦争に手一杯だったのに、
対蘇戦に切り替えるなら、急いで英米と手を組み中国戦線を縮小
する必要があり、それには軍も外交も完全掌握している体制が
無いとできない。
当時の外交にそんな器量ないし、第一、誰も軍を、いや軍自体が
軍を掌握できていないw
とても無理だな。 >>118
日本軍が史実以上の規模で行こうと後続を待ってたら
ソ連軍はそれ以上の兵員を集めてきそうというなのがなんとも。 >>142
それは嘘
第二次大戦前までのソ連軍の装甲部隊は日本よりずっと劣っていたよ。
当時の日本がいつも無謀な戦争をしていたと誘導したいキチガイ左翼による脚色でしかない ぶっちゃけWW2で戦略を成功させたのはスターリンであって、それ以外は戦略破綻してんだから
日本がどうのって問題でもないな >>52
そもそも昭和天皇や海軍がナチスドイツとの三国同盟に大反対してるのに、
松岡洋右が半ば独断で三国同盟を締結、
さらにソ連を加えた四国同盟を吹聴してソ連と中立条約を締結してる。
その頃、ドイツはソ連との国境付近に軍を終結させており、
欧米の情報機関は独ソ戦不可避と判断してた。
そしてアホの松岡が三国同盟を締結してわずか数か月後に独ソ戦勃発。
松岡の妄想は数か月で崩れ、
日本は英米ソを敵に回し孤立無援の戦いを強いられることになった。
日本は軍事力を行使する以前に外交でボロ負けしてたわけで、
その元凶は頭のイカレタ松岡洋右に外交をまかせたこと。
戦後、昭和天皇は松岡が靖国に祀られたことにご立腹され、
二度と靖国を参拝しなかったけど、当たり前だよね。 >>130
これって難しいとこだね
戦場に於いて臨機応変であることは必須だし、独断専行だって上に伺いを立てている間に気を逸してはならないって考えれば推奨だってされる
でも大作戦で全ての部隊が自分の役割を果たすのも必須
そこはバランスが必要
ただ日本の場合は放任や追認が起きすぎたんだと思う >>105
日本軍だって敵の文書やメモぐらい重要視してたわカス!!
100万年ROMってろガキ。 >>151
スターリンさえいなきゃもっと楽に勝てたのに
戦略とか何の冗談 吉河光貞は、1939年に起こったノモンハン事件で、
関東軍がジューコフ将軍によって大敗を喫したのは、
概してリューシコフ事件に際して
ゾルゲがその任務を完全に果たした
ことによるものと信じている。
ゾルゲのおかげで、ソビエトは
日本軍が蒙古に浸入する前に、
日本軍がシベリアの赤軍の兵力を
どの程度に見ているかを
厳密に知ることができたのである。 大本営「天さん(天皇陛下)の言う事は聞かんでも良い」
大本営「転進〜、転進〜!」
だめだこりゃ… WW2開始はどう考えてもポラックへの侵攻だろ
何言ってんだこのスパイ新聞社 >>153
そもそも無線だって満足に整備されて中で攻撃部隊が敵陣に突入中に後方にお伺いを
立てるのが合理的に見えるならそいつは筋金入りのアホだ >>120
結局ソ連は不可侵条約を破って侵攻
条約破って領土略奪
勝った方が正義なんだよね >>137
あんたのレス
133 何この頭の悪い書き込み
137 馬鹿だろお前 日露戦争での戦死者は日本側が倍以上も多いのに
ソ連邦になってからは独ソ戦でもフィンランド侵攻でも
相手側より遥かに戦死者数が多いよな
これが共産主義の戦い方なんだろ >>145
辻だよ辻。
後は責任逃れの仕組みだよ。誰も責任取らないんだから。
辻と上官を処刑すべきだった。
が、関東軍は力を持ちすぎてて、誰も手を付けられなかった。 >>139
君みたいに勘違いしている奴が多いが
参謀本部というのは元は複雑になってきた補給を管轄するための組織なんだよ
作戦というのは補給のことだったんだ
日本はトラック数千台、鉄道すら臨時に引いたソ連軍に最初から「作戦」で負けていたと言える
さらに工業化の遅れから戦車装甲車は数十倍の差があり、牽引車両の不足から
砲の威力も頑丈で射程に優れるソ連製よりも劣った
それらは単に「指導者の愚かさ」という通り一辺倒の物では片づけられないね
日本の重工業化は日露〜WW2までほとんど達成できず、結局敗戦で高度成長が成ったのだから >>156
あいつが赤軍粛清をやってなかったらノモンハンから全面攻勢かけられてるわ >>154
関係ないね
ソ連軍に戦略なんかなかった。
無茶苦茶に総攻撃をかけて日本軍を怯ませること自体が戦略だった。
その割にはソ連軍はだいぶ苦戦したようだが、肝心の日本軍がそれを把握してなかった。 >>154
>ジューコフが、最初に指揮した大規模な戦闘がノモンハン事件だった
このころのジューコフはまだひよっこみたいだな 中国本土では日本軍が声をあげての吶喊をやったら100戦百勝
その癖が抜けなかったものか、アメリカの機関銃相手に闇雲に吶喊したらダメだよ >>145
そこら辺は気をつけてるよ
そもそも上層部が甘く見て備えを怠ったあげく、見殺しに等しい対応をして、負けたら負けたで過剰反応して引っ込みまくりだからね
辻に関しても、現場での能力と組織論としての辻と言う存在は分けて考えるべきでしょう
完全な無能ならそもそも存在感など発揮できる立場にならないからね >>163
69 名前:不要不急の名無しさん[] 投稿日:2020/09/15(火) 16:12:12.58 ID:8/S3Ac7b0 [1/3]
本当はノモンハン戦争というべきなのに
あまりに無様な戦いだったので
それを覆い隠すために
ただの事件と捏造した
この駄文は頭悪すぎとしか表現できないだろアホw >>142
被害は陣地に籠っていればいい防御側より攻撃側の方が大きくなるからだよ
独ソ戦末期の戦いなんかドイツ軍が10倍の損害を喰らった戦いも珍しくないぞ
春の目覚め作戦とか、バルジの戦いとかな >>167
そんな状態で戦争したらダメじゃないのw それを決定するのは日本の指導層ですけど >>168
あ。ごめん。ロシアが余裕で勝てた(ナチスに)という意味だった
トゥハチェフスキーを粛清とか基地外のアホだよな>スターリン 近い将来「第一次世界大戦は日露戦争の責任」言い出すな。 >>156
アメリカは旧大陸に大兵力を置いて、西側のリーダーとして無尽蔵の国費を浪費したかったのか?
中華民国は大陸を捨てて台湾に逃げ込みたかったのか?
イギリスは植民地の全てを失陥する大失態を犯したかったか?
ソ連はユーラシア大陸に共産圏の大勢力を築いて超大国として君臨するという戦略を
完全に達成したぞ? >>167
30年以上前の歴史認識
ノモンハンにあたってソ連軍はまともな補給を用意してないし、戦車装甲車もかなりみすぽらしいものだった。
そもそもそれだけ徹底していたら、日本軍よりソ連軍の方が損害がでかいなんてことにはならない。
君ら老害左翼はいつまでデマを吐き続けるんだい?w >>120
馬鹿w
ソ連の戦略は、日本にその条約を結ばせ日本を南進させる事。
日中戦争に戦力を割いてる関東軍を罠に掛けたのがノモンハン。
脳筋関東軍は、まんまと罠にはまった。 >>169
人名無視の飽和攻撃だものな本質的にジューコフってそういう将軍 >>165
>日露戦争での戦死者は日本側が倍以上も多いのに
乃木が無意味な肉弾突撃をくり返したからだよ。
本来なら処罰されてしかるべきなのに、
同郷の山縣は無能な乃木を軍神として神格化。
軍神乃木の玉砕戦法は太平洋戦争まで引き継がれ、
多くの日本兵の命を奪うことになった。 スターリンの人権を完全に無視した恐怖政治での圧倒的な工業力と兵力は完全にナチスドイツの想定を超えていた。
ソ連兵は2人に1人にしか小銃を与えず食糧も無く敵前逃亡には銃殺を繰り返した結果、人海戦術による狂気のソ連兵がドイツ兵へ襲い掛かった。 >>140
アメリカも日本を仮想敵国にしていたので日本がアメリカを仮想敵国として見るのは当たり前
世の中甘くない
実際に喧嘩を始めるかどうかは別の話だが >>183
全ての総突撃は大本営の厳命であり、乃木は反対したんだが 【ノモンハン前】
イギリス
↑
チェコスロバキア併合(39.03)
↓
ドイツ ← 反共 → ソ連 ← 反共 → 日本
*ドイツはイギリスとソ連の両方と対立、英ソ接近による挟撃を恐れはじめる
*日本は北進政策でイギリスとは対立緩和、ソ連と衝突
>>ノモンハン事件―独ソ不可侵条約<<
日本「まずソ連をやっつけようぜ」→ しかし敗れる
もともとドイツは極東からイギリスを軍事的に挟み撃ちにしてくれない日本に不満、
しかも日本がソ連と喧嘩して負けそうになっているのを見て、日本の実力に絶望。
ドイツ「なあソ連、ポーランドを山分けしないか」→ 独ソ不可侵条約
【ノモンハン後】
イギリス
↑
↓
ドイツ = ソ連 ―(休戦)― 日本
↓ ↓
ポーランド侵攻(WWII勃発。ポーランドはイギリスの同盟国)
日本もイギリスと対立へ→ 南進政策 陸士は、日本人を犬死させてしまう馬鹿軍人を養成するインチキ学校だった。
マジで時代が悪かったな。こんな馬鹿学校を有り難がっていたのだから。 >>148
英国だったかな
あの時に日本かソ連へ侵攻していたなら日本を敵にはしなかったし、日本が戦勝国になれた最後のチャンスだったと述べていたのは
日本軍の体制としても、陸軍は基本的に常にソ連を潰す事が目標だったわけで、対中戦線をそこで落ち着かせることは異議はなかったんじゃないかね 風が吹けば桶屋が儲かる的にさかのぼったらきりがないぞ アメリカの歴史家スチュアート・ゴールドマン氏
名前からしてユダヤ系かな
今度は何を企んでいるのか
朝日もこのタイミングでこんな記事をアップするのはなぜなんだぜ >>184
いうて前線に立たせたのスラブ人以外の少数民族だし粛清のついでみたいなもんよ
スラブ人は後方で師団砲兵に配属されてたぞ >>179
結果から物言うのはアホでもできるよ
粛清が無けりゃ2500万も死なずに済んだ
ロシア国民もよく怒らねえよな
スターリンじゃなくても勝てた
むしろスターリンじゃなければもっと楽に勝てた まあノモンハン事件を教訓に出来なかった日本軍は無能だし
そういう戦争しておいて、大東亜戦争中、友国ロシアとして
一生懸命アメリカとの仲介頼み続けてた政府及び外務省職員も無能 >>193
トハチェスフキーだったら四ヶ国条約を五ヶ国同盟に発展させるような真似して
袋叩きになってソ連は死んでたと思うぞ
冒険主義の指導者じゃ無理だろ ソ連で1964年11月にゾルゲが「名誉回復」したさいの、
A・シェレーピン以下3人の署名した
KGB対外諜報局報告書の
「価値あるゾルゲ情報の中身」の中には、
「1936年前半ならびに1939年中頃の、
ソ満国境での関東軍による軍事的挑発の理由と性格。
1937年の日中戦争勃発と、
これに関連した日本軍の展開」があった。 >>178
日露とWW1もかなりつながっているのは間違いない
ドイツ帝、ビスマルク首→フランとロシアが同盟、ドイツが挟み撃ちに→ロシア日本にけしかけたろ!!→三国干渉
↓
日本はロシア戦を覚悟して英国と同盟、ロシアに勝ってからはロシアとも協商
英国はフランスと同盟、ここに英仏露日のドイツ包囲網が完成(イタリアも入る)
これがWW1前の状況 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています