ノモンハン事件、第2次大戦の「着火点」 欧米に新視点(朝日) [蚤の市★]
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第2次世界大戦は、欧州ではなく極東アジア・モンゴルの草原で始まった――。日本と旧ソ連が衝突した1939年の“ノモンハン事件”について、こうした新たな見方が欧米で広がりつつある。歴史家らは、そこにソ連の独裁者、スターリンの思惑を見る。
「ノモンハン事件は、規模としては主要な戦いとは言えない。しかしその影響は絶大だった」
こう指摘する英国の著名な歴史作家、アントニー・ビーヴァー氏は、文筆活動の集大成といえる第2次大戦の通史を、ノモンハン事件から書き起こした。「それは、ユーラシア大陸の東と西を初めて結びつけた戦いだった。そして欧州戦線の分岐点となった独ソ戦の行方も左右した」と語る。
モンゴル東部を流れるハルハ河の一帯には、80年余が過ぎた今も“大戦の発火点”と呼ぶべき跡が生々しく残されている。
規則正しく並ぶ円形の壕(ごう)は、39年8月20日早朝、ソ連軍が日本の関東軍に総攻撃を仕掛ける際に物資を蓄えた拠点の跡だ。国境に近いこの周辺は現在も航空機の接近が禁じられているが、一帯の戦跡を継続的に調べている「ノモンハン事件日蒙共同調査団」(岡崎久弥団長)に対して2019年、ドローンによる撮影が認められた。
欧州では当時、ポーランドに領土の割譲を求めるドイツのヒトラーと、対抗する英仏とが、それぞれソ連を味方にしようと激しい外交戦を繰り広げていた。その矢先、関東軍は東京・参謀本部の制止を振り切り、満州国軍警備隊とモンゴル軍騎兵部隊の国境をめぐる小競り合いを、モンゴルに駐留するソ連・機械化部隊との局地戦に広げた。
スターリンは、欧州の戦乱から自国を当面は局外に置くためドイツと手を結ぶ一方、“背後の敵”日本をたたく決断を下す。それによりドイツは英仏と戦い、ソ連はドイツと日本からの挟み撃ちを回避できるという思惑に基づいていた。
ソ連・モンゴル連合軍の司令官はゲオルギー・ジューコフ将軍。スターリンの指令を受け、周到な準備のもとで日本軍と満州国軍を圧倒的な物量で包囲し、壊滅的な打撃を加えた。1939年8月20日の総攻撃は2日間で大勢が決する。同23日に独ソは不可侵条約を締結。これには両国でポーランドを分割する密約があった。
そしてドイツは9月1日、ポーランドへ侵攻。これが一般的な第2次大戦の始まりとされるが、ノモンハン事件はそこに至るまでの“流れ”の中にある。英仏は同3日、ドイツに宣戦布告。一方、ソ連もノモンハンで16日に日本と停戦を成立させると、17日にポーランドへ侵攻した。
後に独ソ戦を勝利に導いて英雄となるジューコフが、最初に指揮した大規模な戦闘がノモンハン事件だった。8月20日の関東軍総攻撃の作戦図は、スターリングラード攻防戦で彼がドイツ軍を包囲・殲滅(せんめつ)した“天王星作戦”と酷似する。
米国の歴史研究者で「ノモンハン 1939」の著者、スチュアート・ゴールドマン氏は「『第2次大戦の起源』という複雑なジグソーパズルで、ノモンハン事件は小さくはあるが、大切なピース。そのピースをはめると、全体の図柄が非常にわかりやすく見えてくる」と評した。
関東軍はそうと知らずに第2次大戦のスイッチを押してしまったのか――。この問いにゴールドマン氏は「その通り」と答えた。「彼らは、4千マイルも離れた欧州の外交と自分たちがモンゴル国境でやっていることに関連があるとは思いもしなかったでしょう。しかし結果は重大でした」(天野みすず、編集委員・永井靖二)
朝日新聞 2020年9月15日 15時00分
https://www.asahi.com/articles/ASN9H2DZ2N99PLZU001.html >>35
満州事変だろ。まぁその前の張作霖の暗殺からおかしいんだけど
とにかく関東軍がクソ >>34
ポーランド分割で国境接する事になったけどw >>35
その後もアメリカ派の軍事官僚が執務室で暗殺されたりとか山ほどあって、完全に日本の官僚組織が共産化してしまったんですよね。
菅新総理が逆らった官僚を左遷した話を聞いて感動しました。
その姿勢こそが民主主義にとって必要なのだとわかってくれている総理大臣は頼もしい。 海軍はユダヤの工作員だったので、
アメリカをドイツと戦わせる為に、
ドイツと同盟を組んでから、
ハワイに仕掛けて行った。 >>1
過去の日本は軍事国家だもん
しかも真珠湾にテロ攻撃
アメリカが日本に核を投下して潰して民主化して技術を与えてくれたから生活向上して今俺たちはこうやってカキコできてるんだよ
なので同じように中国や北朝鮮など潰して民主化しなければならない
※もちろん竹島を奪ってる敵国の韓国は滅ぼして残骸を中国に放り込む
これで平和になる ノモンハンを勝利に導いたジューコフは、その翌年、大将の称号を与えられた。
スターリンにも謁見が許され、ジューコフは日本軍についてこう報告した。
スターリンとはこれまで会ったことがなかったので、私は強く興奮して引見にのぞんだ。
(中略)スターリンはパイプたばこを吸いつけながら直ちにたずねた。
「君は日本軍をどのように評価するかね」
「われわれとハルハ川で戦った日本兵はよく訓練されている。とくに接近戦闘でそうです」
と私は答え、
さらに「彼らは戦闘に規律をもち、真剣で頑強、とくに防御戦に強いと思います。
若い指揮官たちは極めてよく訓練され、狂信的な頑強さで戦います。
若い指揮官は決ったように捕虜として降らず、『腹切り』をちゅうちょしません。
士官たちは、とくに古参、高級将校は訓練が弱く、
積極性がなくて紋切型の行動しかできないようです(後略)」
(『ジューコフ元帥回想録』) アメリカも日本もコミンテルンの謀略にひっかかって戦争おっぱじめた ノモンハン事件、戦車vs歩兵の戦いがあったって本当? 独ソ戦って規模むちゃくちゃだわな。
ドイツは衛星国でお付き合いのいやいやながらのハンガリーやら
ルーマニアやらの諸国も含めたら、400万人も動員。
日本の四国全部くらいの規模。ソ連軍の捕虜も一回の会戦で60万人とか
もうむちゃくちゃ。
日本軍が海外に出してた兵員が200数十万で、中国やらマレー半島やら
あちこちの島々に点在してて、米軍の飛び石作戦で無視され実際は
ほとんど戦ってないほうが多いのと比べたら、ほんとむちゃくちゃ。 >>38
その影響は大きかったろうね
ただすぐさま松岡外相はそれまでの対ソ外交をひっくり返して、すぐにソ連に攻め込むべきと主張してるんだよね
ただ天皇にも叱責されて松岡は主張を引っ込めた
松岡は切れ者だったのだろうけど、よく言えば臨機応変過ぎて、何をそんな軽々しく言ってるんだと思われたのかもね >>41
それはへ理屈。
旧ポーランド領の東半分を緩衝地帯にするのと、いきなりウクライナにまで隣接されるのとどちらが戦略的に危険か。
考えればわかるはず。
ソ連の戦法は冬将軍を利用した穴熊戦法。
敵の補給線をいかに長く伸ばすかが勝負。
そこを考えればわかるはず。 物資少ない中、冬になるのにノモンハン勝ってソ連侵攻?
無理だろ >>40
なんで陸軍中央は関東軍を止めれないんだ?
命令違反で軍法会議にかけるとかできなったのか? >>48
あいつとフルシチョフも大粛清で死んでればな。惜しかった
ナチスみたいにソ連の優秀な軍人を殺させるような工作も下手だったな、日本 ナチスの最大の支持者はアメリカだった。
アメリカ人の70%はドイツ地の戦いに反対し、
尚かつアメリカの大企業、
大銀行はナチスへの投資を惜しまなかった。
日本がドイツと同盟を組んで、
アメリカに仕掛けるしか、
方法が無かったのである。 >>33
日本軍が負けてソ連運が勝った事に違いない
ただソ連運損害の方が大きかっただけ
ソ連は計画的に大兵力を投入したから日本軍より損害が多くても勝利できた
日本は中央は戦争に反対なのに出先の関東軍が暴走したから兵力不足。 >>5
× シュミレーション
○ シミュレーション
英語の綴りがsimulationだから
シミュだ >>52
天皇陛下の裁可も受けずにナチスと同盟したりソ連と不可侵条約を結んだりした時点で大変お怒りでしたから。 シベリアに油田があること知ってたら日本は南進しなくて済んだかもな
独ソ戦でソ連の極東方面はガラガラだったし >>26
戦死者の数など戦争の勝敗に何の関係もない。独ソ戦でソ連はドイツの何倍死んだのか。
ソ連が人命を顧みない戦術をとっていただけ。 >>50
めっちゃ本当 そしてかなり撃破している
でも対戦車砲が相当活躍しているし、日本の戦車でも覗き窓を狙って撃破はしている >>61
そうなんだよねぇ そりゃ怒るよねえ
フットワークが背負ってるものに見合わない軽さなんだよね >>14
「ノモンハンで日本が勝利していれば」という
実現不可能な前提からしておかしいw >>50
それも神話のひとつ
実際は対戦車砲が活躍した 本当はノモンハン戦争というべきなのに
あまりに無様な戦いだったので
それを覆い隠すために
ただの事件と捏造した 日本の陸軍は敗戦革命の為に、
アジアに戦線を拡大し、
海軍はユダヤの為にアメリカに戦争を仕掛けた。
一般の日本人は、恐慌以降に貧富の差が拡大し、
敗戦革命にかけるしかなかったのである。 >>28
それやろうとしたが日本陸軍は対中戦でアップアップ。
ソ連極東軍主力が対独戦に引き抜かれるのを待って攻撃するつもりだったが
主力がいなくなってさえ極東軍は日本軍を圧倒していてそれどころはなかった。 陸軍が暴走しまくってたからな昔は
ゴーストシップ事件とか松島事件とか警察にも逆らって乱闘騒ぎ起こしてた事件がある
しかもどっちの乱闘も警察が陸軍に勝ってるという >>1
>日本軍と満州国軍を圧倒的な物量で包囲し、壊滅的な打撃を加えた。
ソ連崩壊で明らかになった資料で、ソ連軍も甚大な被害を蒙ったことが明らかになっているだろ
2,30年くらい頭が古すぎ >>55
大本営にも関東軍のシンパがいたからね。
大本営ができたのはノモンハンへの増派を拒否することくらい。
関東軍も大本営からの増派が無ければ単独でソ連とは戦えないからね。 >>47
過去の日本は軍事国家で戦争大好きだったから全て日本が悪い
過去の日本:「アジア解放じゃ」 ←バカみたいに開戦して特攻して中国や韓国みたいな土人を野に放った
中国や韓国を野に放ったので日本は潰され世界のATMにされた
日本はよその国の為に戦ってバカ丸出し、挙げ句の果てに助けてやった(自由にさせてやった)国々は恩を忘れ日本が悪いと言い出してる
ココ→ 中国、韓国、アフリカ、中東、中南米、同和、沖縄なんて助けてはいけない アメリカ人さんの著書を朝日が牽強付会に引用したのか。
戦前の朝日さんはイケイケのバリバリだったみたいなのに、
今でも社旗が韓国から因縁つけられないのかと ノモンハン事件って「相手のほうが損害が多かった」っていう主張はよくあるけど、
べつに勝敗はそれじゃ決まらないわけで(そもそもソ連は戦勝国だけど被害は参加国中最大) >>56
ソ連軍将校の大粛清ってナチの謀略だったっけ? >>67
実現は可能だったよ。
ノモンハンで日本は十分に勝利できた。
太平洋戦争よりずっとずっと勝利の確率は高かったんだよ。 第二次大戦の着火点はベルサイユ条約なんだがな
あれでドイツを永遠に立てないようにする算段だったのが
まんまとナチスに利用されて政権を獲るためのいい口実の一つになったんだろ?
何を自分らが撒いた災厄の種を無かったことにしてんの?
まあかつて自分らが散々やった苛烈な植民地支配で蓄えた蓄財で今があることを
見ないふりするアーメン白ブタらしいっちゃらしいがw >>50
ノモンハン事件では日本軍の九四式三七粍速射砲でソ連軍の戦車や装甲車を多数撃破出来た
ソ連軍戦車はノモンハン事件の教訓から37o砲クラスの対戦車砲では破壊出来ない様に戦車の装甲を厚くした。 >>55
出来なかったね。昭和天皇すら苦々しく思ってたのに
日本陸軍にもシンパ多かったから。515事件で関東軍は満州に対しては好き放題できるように
なって、226で日本国内の政治家はもうなにも言えなくなった。あとは軍の言いなり >>71
俺が知ってるのは、ソ連大使が平伏せんばかりに日本側に攻撃しないことを確約させようと必死になり、それを行い続けて日本側が実際に参戦しないと確信してようやく対独戦線へ戦力を移動させ、それでドイツの侵攻を凌げたってものだな
実際にソ連へ日本が侵攻する具体的な動きがあったのは知らないや >>81
だからさ...勝利って
何を指して言ってるの?w ベルサイユ条約以降は酷かったからな
あんだけしばき上げた連中が知らないふりしてるのはどうかと >>9
それもこれも関東軍の不拡大主義が招いたこと。
数個師団送り込んでソ連軍を殲滅していれば、世界史は変わった。 >>86
国境紛争の日本の主張通りに実効支配できたら勝利。 いやぁ、ノモンハン事件が無くてもドイツはポーランドに侵攻してたし、独ソでポーランドを分けあうことにはなってたと思うよ? >>51
レニングラード市は3年近く包囲されて民間人軍人あわせて餓死や戦死者100万人というデタラメな数字。 >>73
総兵力に3〜4倍差があるんだから、例え5割増しの損害与えたってジリ貧なんだよ
イ号作戦よろしく、海軍が全面参戦してくれりゃ挽回できたけど >>80
トゥハチェフスキーを陰謀で殺させた。SDすげーわw
ジューコフもやっとけよ 昭和天皇って陸軍に心のどっかで警戒心もっていそうだったな
警視総監に「色々な重要な施設等暴漢例えば、2・26の如き折、充分防護は考えていようね」
って聞いたりしたらしいし >>73
>日本軍と満州国軍を圧倒的な物量で包囲し、壊滅的な打撃を加えた。
この記述は正しい
しかしソ連軍も甚大な被害を蒙った
ソ連軍側が数で圧倒していたので被害が大きくても
数で日本軍をすり潰せた。 人的損耗率こそ日本側が70%以上とボロボロだが、死傷者数の絶対値はソ連側と大差
ないのよね。戦闘ではなく、自傷「事故」が多かったらしいのが哀しい。 一つはやはり経済政策の失敗によって、
社会がニ分化され、社会不安が増加する事と、
外国との諜報活動に敗れる事で戦争は起こってしまうものなのだよ。
日本は戦争の反省を一切していないので、
経団連の暗躍と、中共ロシアの工作活動の成功によって、
再び第三次世界大戦に巻き込まれてしまうだろう。 >>93
日本の兵力はたった2万だったぞ
対するソ連は20万
いくら当時の日本が小国とはいえ、10万以上の兵力を注ぎ込むのは容易いことだった。
そしてそれさえすれば、ソ連軍は壊滅した。 >>69
宣戦布告してないから戦争ではなく事件ね
国境紛争の扱い。 オマエら便所コオロギと違って俺様は「手だと思います。」のオッサンが
ファインモールドのシャッチョーサンだと声だけで気付いた。
これぐらい余裕でないと一人陸軍中野学校は務まらない。 塹壕に隠れた歩兵が小銃に銃剣装着して、一斉に喊声(鬨の声)上げる。それを聞いた敵兵は腰を抜かして身動きできなくなる代わりに、声が聞こえた所に重機関銃浴びせ撃ちするとまるでシャワー浴びせたように声がしなくなったと生き残った兵士の証言読んだ事が有る。これをガダルカナルの密林でもやっている。足音立てないで忍び寄る(これをストーキングと言って、立派な戦法の一つになって居る)米兵に向かって喊声上げたら…やっぱりバタバタ倒されてしまった。問題はその後。日本語の文字が書いて有った物は全て米国に送られた。敵性言語として英語を禁止していた日本との違いがまざまざと浮かび上がる。相手を己を知ると言う事は非常に重要で、そういう意味で自分らももっと戦争とか兵器とかに知見を拡げなければ、戦う前に敗れてたなんて事に成りかねない。 >>93
ソ連の極東軍団はたった50万
全面戦争になっても日本有利
スターリンは決死の牽制をした >>1
最近の研究ではノモンハン事件でのソ連軍の損害は日本軍のそれを
大きく上回っていたいたことが明らかになっているけどね
まあソ連は人命の価値が無いも同然なので損害と認識してないのかもしれないが 最近新聞下段にある本の広告で
このノモンハンを扱った本が宣伝されてる
ノモンハンとはいったいどこなんだ、だれも答えられるものはいなかった
というレベルだったんだって日本軍って >>101
南京攻略後に散った大陸遠征軍を全部ノモンハンに集結させるのに何か月かけるつもりだ?
輸送機どころかトラックすらろくにない時代だぞ >>74
長年かけてそう言う体質になってる
例えば参謀が作戦を立てても現場が独断専行で勝手に動いて、それでいて戦果を挙げて褒め称えられるってことが結構あった
それを咎めずにいると、そう言った行動が英雄的なものとして見なされるし、自分が指揮官になった時の憧れるシチュエーションになってしまう
そこを軍上層部も汲んじゃうもんだから、強い抑止力がない
本来なら政治家が上に立って統制するべきだが、彼らはクーデターを起こされたときに権限を取り返しきれなかったし、そもそも国民の政治不信が強く軍の方が支持されていた
統帥干犯というシステムがそれらを正す機会を奪う紋所になってしまっていたので、そう言う組織が出来上がってしまった >>101
政府も陸軍中央もソ連との戦争には否定的だったんだよ
関東軍が暴走して勝手に戦闘を始めてしまった
こんな戦いは勝てるはずがないな。 >>79
誰も勝敗をひっくり返そうとして言ってるんじゃない
ノモンハンは日本がソ連の機甲兵団に圧殺されたかのように流布されているから、実体はそうではなかったという話をしているだけ >>112
関東軍の暴走はない。
あくまでもソ連が大軍で攻めてきただけの事だ。 簡単な話
関東軍が「戦いさえ」すれば、当時のソ連極東軍団には楽に勝てた。
日本の運命も大きく変わった。
ソ連を自虐史観の左翼にかかるとソ連にも勝てなかった!日本は惨めだった!
ということになってしまうが、とんでもない!
戦うべきときに戦い、戦ってはいけない時は戦わない。
当時の日本に欠けていたのはこの判断力とそれを支える情報力 >>107
損害は隠してるからね
ソ連の宣伝戦の巧みさだと思うよ ノモンハン事件は日本の部隊は大きな打撃を受けたが
ソ連側も打撃は大きかった
単純に損害で言えばソ連の方が大きかったのだからな
このノモンハンの勝利というより、痛み分けというべきだろうが
これがあったから日ソ不可侵条約に繋がったのだ
そういう意味で意義があったがな
まあ、本来ならドイツが侵攻した時点でソ連を攻めて挟撃して落とすべきだったかも知れないが
当時の日本は南の資源が欲しくて仕方がなかった つまりノモンハンを主導した辻政信は大罪人って事?
でもこいつ戦後は議員になってるよな
こういうの見ると日本ってノモンハンから太平洋戦争までの総括が全く出来てないよね >>53
屁理屈はお前だよ
ソ連が緩衝地帯としてポーランド分割を望むのならノモンハンに関係なく分割を望む
お前は都合のいいところを持ち出して都合のいい解釈しかしていない 少なくとも7月攻勢では旭川第七師団を全部投入すべきだったな
第二三師団は申し訳ないがやっぱり弱い。
8月下旬には日本軍の損害が大きく、ソ連としては日本が停戦交渉に
出てくるものと思っていたが、日本はおくびにも出さないでいた。
平沼内閣を吹っ飛ばした独ソ不可侵条約(8月23日)の秘密議定書で
ソ連は9月にはドイツとポーランドを分割支配することになっていたので
早々にノモンハンを片付けて西部戦線に集約したがっていた
日本が停戦交渉もせずに軍備増強の臭いまであるとなると、ソ連は望まない
二正面作戦を強いられるのでは・・・という疑心暗鬼がスターリンを
おびえさせていた。ノモンハン停戦における日本の外交交渉術は悪くない
粘りを見せていた。今の害務省外交とは雲泥の差があったのは事実 >>73
いまだに小説を鵜呑みにしてるバカがいるからな
兵力差考慮したらむしろ大善戦だったのにな >>112
そんな史実はない。
むしろ関東軍は「不拡大主義」を取り、現場の1個師団を見捨てた。
関東軍がまともに兵力を投入していれば、楽に勝てた。
どこまで昔の大間違いの認識を引きずってるんだよ老害 >>121
あまりに政治から切り離せないから、総括したところでかなり偏向したものになって、それはそれで誤った結論と行動に繋がりかねないとも思うわ >>111
石原が悪い。いくら天才でも自分が言った通りに満州事変後に板垣と一緒に腹を切れば
よかったんだよ
無能の癖に自称天才で石原のマネしようとした辻のクソ野郎が企てたノモンハンはなかった
>>114 >>121
最後までクソ野郎だったよな。ほんとこうやって他人に責任をなすりつけて上り詰めていく奴は
タチが悪い >>111
独断専行はそもそもドクトリンのうちの一つだが
まあ満州事変のやつとかとは事情が違うけどな ノモンハン事件は、
尾崎の満州諜報活動後に行われている。
そういう準備をして、
日本に攻めかかったのだよ。 おまえらごときが どうこういう話じゃないwww これは。
愛新覚羅溥儀 ラストエンペラーのご意向が国境に関してはあったわけでしょ。
以前から清国が不利におかれていてその国境を押し戻しただけでしょ
日本はよく防衛につとめていたということでもある。
ロシアは領土拡大という野心むき出し 話し合いすれば良かっただけの話。
てか いきなり発砲は野蛮人の所作。
そのくせは漁船拿捕などの現在の殺傷事件と同様。 ロシアは改善する必要があるよw
そうプーチンにいっておきなさいwwww
わたしからは以上だな ミカエル(悟ったもの)より。
>>76
>>102
事件の呼称
モンゴル国は、人民共和国時代からこの衝突を「戦争」と称している
日本および満洲国は「ノモンハン事件」、
ソ連は「ハルハ河の戦闘と呼び
モンゴル人民共和国及び中華人民共和国は「ハルハ河戦争(戦役)」と称している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ノモンハン事件 >>121
はい?
ソ連による侵略なのに、なんで辻が主導したことになるんですかね?
辻の「救援」がなければ、それこそ現場の師団は全滅していた。 >>129
まあ辻に限らずたくさんそう言うのは現れたし信奉者も多くて歪みをもたらしたね 最近の研究ではソ連側の死傷者も日本側と同じくらいだった。でも作戦は陳腐で装備は段違いだった
つまり、日本の指導層の愚かさと、日本兵の強さを示した象徴的な戦い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています