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アメリカイギリスが引き起こした 日本人虐殺・強姦・拷問、強奪

「読者手記 53編」 文藝春秋・特別号 1983.9掲載

昭和20年8月20日頃であったろうと思う。
病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりながら玄関に出て見て驚いた。
12、3の少女から20ぐらいの娘が10名程タンカに乗せられて運ばれていた。
それは、まともに上から見ることの出来る姿ではなかった。

その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、
その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。

顔をゆがめつつ声を出しているようだが、聞き取れない。
次の女性はモンペだけをはぎとられて下の部分は前者と同じだが、
下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。

次の少女は乳房を切られて、片眼を開けたままであったから
死んでいるのかも知れない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。

次々に病室に運ばれて行く少女を眼のあたりに見て、
その非情なソ連兵の動物的行動に憤りを感じた。

銃でうたれて死ぬのは苦痛が一瞬であるが、
自分の体重の3倍以上もある毛むくじゃら男数名になぶられた少女や娘等はどんな苦しみであったろうか。

また女医さんに聞いたことだが、
「10名に2、3名は舌を噛んで死んでいるんです。また何名かの方は胸を圧縮されて息絶えている人がありました」
と語られたことを想い出す。