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「平和の礎 海外引揚者が語り継ぐ労苦」

8月15日(終戦日)を境にして、
それこそ天地がひっくり返ったようになり、いく先の運命は段々と暗くなっていった…
文坪の町も日に日に治安が悪くなっていた。

しばらく鳴りを潜めていた朝鮮過激分子の跳梁が始まってきた。
元山でも朝鮮人が暴徒と化して、日本人経営の店や住宅にまで押しかけて
暴行、略奪を始めたという噂が入ってきた。
私たち文坪在住の日本人も、このままでは危ない、
何か対策をたてないとということで相談を始めたところに、
朝鮮保安隊(朝鮮人による警備隊)から指示があった。

その内容は、
「日本人は町中の一ヵ所に集め、集団生活をさせることとなった。
2世帯か3世帯が一緒になって同居のような形になる」
というような内容だった。
態度を豹変させた保安隊員は、指示により他に移り住む人々を、
まるで囚人を追い立てるかのように家から追い立てていた。
まだ移転する準備もできずに家財道具も整理していないのに、小銃などで追い出していた。
私の家も追い立てられて、よその人の家に同居することになった。