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『米軍が大殺りくした沖縄戦』

沖縄戦は太平洋戦争における激戦地で
45年3月の慶良間諸島上陸から3カ月間つづき、日本側の戦死者は24万4000人余にのぼった。
このうち15万人が民間人で、いまも山野に数千体の遺骨が埋もれたままである。

米軍は沖縄戦に地上戦斗部隊の第10軍18万3000人と海軍部隊などをふくめた
総勢55万人と艦船約1500隻を動員した。
その目的は「沖縄奪取、基地としての整備、沖縄諸島における制空、制海権の確保」

【最初から沖縄全島を占領し刃向かうものは殺し尽くす作戦】だった。
(これは「沖縄大虐殺」と呼ぶのにふさわしい
この沖縄大虐殺、東京大空襲ほかの大虐殺、広島・長崎大虐殺などを誤魔化すために
例によって被害者を加害者に転化する目的で「30万人南京大虐殺」などというものをでっち上げ押し付け
「羊たちの沈黙」を強いてきた。もちろん、現在も彼らによる新たな大虐殺について、同じことを強いられ続けている。)

3月23日に沖縄大空襲をやった米軍は、4月1日に沖縄本島へ上陸作戦を開始。
空母40隻、戦艦20隻を中心とする1500隻の英米連合軍艦船で包囲し、
猛烈な艦砲射撃と1600機におよぶ空母艦載機で銃撃、爆撃した。
上陸準備の艦砲射撃を7日間つづけ、沖縄本島の中部西海岸に上陸するまえには
南北13`の海岸線に約10万発の砲弾を撃ちこんだ。
それは90b4方に25発以上というち密な事前計算にもとづくものだった。

米軍は4月19日、与那原に大量のナパーム弾爆撃(爆発すれば50b4方を火の海にする)を加えて
焼き尽くし、長い歴史を持つ首里も1日で瓦礫にした。
沖縄にわずか2カ月足らずで51万発の艦砲弾と177万発の野砲・重砲弾を撃ちこんだ。
1日7万5000発以上の砲弾の嵐のなかでは弾にあたらない方がまれだった。