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【満州従軍看護婦】ねずきち氏

昭和20(1945)年8月8日、
ソ連が日ソ中立条約を破って、突然一方的に満州に攻め込んできました。

日をおかず、長春はソ連軍に占領されました。
ソ連軍は、看護婦や将校夫人や女子児童76名を、合宿所に入れました。

そこで身上調査が行われました。
調査の結果、掘喜身子さん以下虎林の野戦病院から来た看護婦34名は、長春第八病院に勤務せよとの命令となりました。

昭和21(1946)年春、第八病院の婦長をしていた堀喜身子さんのもとに、
ソ連陸軍病院第二赤軍救護所から、一通の命令書が来ました。

内容は、
「看護婦の応援を要請。 期間一か月。 月給300円」
というものでした。

いくらソ連軍とはいえ、世界各国で公認されている赤十字を背負う看護婦に間違った扱いなどしないだろう。
ましてソ連陸軍の発令による公的な「命令書」です。

堀婦長は一抹の不安はおぼえながらも、引率者である平尾勉軍医と相談して、
看護婦の中でも、一番のしっかり者の大島花枝看護婦と、やはりしっかり者の細川たか子、
大塚てるの3名の看護婦を選びました。

堀婦長は出発する3名に、きちんと制服
(当時は看護婦の白衣の他に 軍看護婦としての制服があった)を着せました。