>>41
>戦後70年超にわたる大阪の長期低落

大阪では戦後、広域行政に市が出張って府内に行政の司令塔が2つ存在する形になり、70年超
にわたり主導権争い、足の引っ張り合いなど内輪揉めを繰り返して来た。このために大阪都市圏
全体の将来像を描くことが出来ず、迷走し、長期低落した。
(戦前、東京府と経済規模で肩を並べていた大阪府だが、現在は東京都の2.5分の1にまで
落ち込んでいる。)

不祥事が多発し、発覚する度(たび)に大阪の政治・行政のチンケ振りがマスメディアを通して世間
に晒(さら)され、その度に国中の失笑を買い、当時の森首相から「大阪は日本の痰壺(たんつぼ)」と
言われるほどの酷さだった。