私が京都駅から百万遍まで市バスに乗ったときの話です。
降車するときに千円札を両替しようと降車口にある両替機に札を入れたところ、紙幣は吸い込まれたものの硬貨が出ず、
運転手に「あのう、紙幣の返却もできないし硬貨もでないのですが」と話すと、一言「わしはあんたが紙幣を入れると
ころ見てないんや」といわれました。私はその日夕刻までに済ませなければいけない急用があり、こんなやっかいなこ
とに巻き込まれてはいけないと考え、もう一度、別の千円札を入れたところ、また同じように機械に吸い込まれたのに
両替できません。その場面を運転手は見ていたので、さすがに私も抗議したところ「機械の不良は管理会社に言うてや、
ワシの知ったことやないねん!」とのありがたいお言葉。そこで私も完全に切れました。日頃、京都市バスが市民の間
で悪評を得ていることを知っていた私は、「バスの運転手はダンプの運ちゃんと違うんだ。砂利を運んでいるわけじゃ
ない。お客さんを目的地まで運ぶのが使命じゃないか、機械の不備があれば客のために運転手が対応するのが筋だろう」
と話したところ、突然、この運転手は、道のど真ん中で急ブレーキをかけ立ち上がり、「うるさい客やの、何度言うた
らわかるねん」と私を怒鳴りつけました。そしてやおら急発進すると、降車の他の客が入るにもかかわらず次のバス停
を無視して走り抜けたのです。情けないことに私は両替もできず料金を払うこともできず、そのまま北小路のバスター
ミナルまで連行されてしまったのです。そこでこのバスターミナルの京都市バスの係長さんに事情を話したところ、
「まあ、ちょっとした行き違いはよくあることですよ」と、木で鼻を括ったような返事ばかりで全く埒があかない。
私は自分の身分を明かし、お互い正式な話し合いの場を設けた方が良いだろうと名刺を見せたところ(けして私は水戸
黄門的に自分の身分を明かしたわけではありません、一介の町医者にすぎません)、この部長さんは私が医師である
ことを知って態度を急変させ、とってつけたような丁寧な口調に変わったのです。「私も管理者として今後気をつけ
ますので、申し訳ありませんでした」と戻ってこなかった2千円を返し追い払おうとするではありませんか。私は
この係長の態度にも怒り、「もはやこの問題は私という一人の被害者の問題ではない。こんなことを許したならば
市バスの運転手達をますます甘やかすばかりで、いっそう悪くするばかりだ。京都市は観光地なのだから、県外や外
国の方も市バスは利用するだろう。そのためにももう少しまともな対応が取れないのか?このことを京都市の交通課
に報告書として提出して下さい」と話したところ、ことの重大さがしだいにわかりだしたのか、今度はどうかそれ
はお許し下さいと平身低頭になるばかり。あまりにこの男がおびえだしたので、なにか深い事情があるのだろうと
そのことを問いただしたところ、問題の市バスの運転手(山田)は組合活動のボス的な存在で、もしそんなことに
なれば自分は血祭りに上げられてしまう、というではないですか。全く話がかみ合わずその日は取りあえず帰ると、
翌日、バスターミナルの統括責任者と前日の係長がお詫びに伺いたいので、是非私の職場まで行きたいと電話が
あったのですが、私は「当事者のバスの運転手に事情を確認したのか」と尋ねたところ、二人と も一言も事情を
確認していないのです。さらに私はこの統括責任者に「事情を確認して1週間以内に報告書を提出せよ」と粘っ
たところ、「どうかそればかりはホンにお許しを」 と繰り返すばかりで話は全くの平行線状態。さらに後日私が
ターミナルに出向き、この責任者に詰め寄ったところ、「この問題の背後には今、京都市バスや市役所が抱えて
いる深刻な問題があるのです。私たちも前向きに取り組もうとはしているものの、率直に言って難しいのです」
と語り、そのとき彼ら管理者達が怯えていた「深刻な問題」が一体何であるのか、私にもようやくわかったのです。