【学校】入学率1%未満?戦前の旧制中学・旧制高校 卒業すれば旧帝大入り、選ばれたスーパーエリート [樽悶★]
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中学から高校生のころ、作家の北杜夫さんの作品を好んで読んでいた。「楡家の人びと」「幽霊」など純文学の叙情的な文章が、多感な心に染みこんだ。学校の勉強に割くべき時間を北さんの本につぎ込んだ中高時代であった。他の場所でも書いたことがあるが、北さんの名著「どくとるマンボウ青春記」のことを書く。これは1968年に出版された名作で、ぜひ今の若い人にも読んでほしいと切に思う。なぜかというとここに「学校の神髄」が詰まっていると思うからなのだ。
青春記は、北さんの10代半ばから大学卒業までを描いたユーモラスな自伝だ。中でも旧制松本高校時代の学校生活が秀逸である。世に旧制高校の素晴らしさ、面白さを広めたのは、この青春記といえるだろう。
旧制高校とは、今の高校とは全く違う存在だ。まず、小学校(6年)の上に、旧制中学校というのが5年制であり、その上に3年制の旧制高校があった。49年の学制改革で、現在の制度になり、旧制は廃止されたが、明治時代から終戦後まで、日本の教育の軸になっていた学校といえる。
旧制中学もそうだが、高校も厳しい受験競争があった。同世代の1%未満(0・2%というデータもある)しか入れない学校で、入って卒業すれば、選ばない限り旧帝国大学(東京大とか京都大などですね)に、試験はあるがまあ入学できることになっていた。なので、旧制高校は今の大学受験などの比ではなく、まさに激烈な競争を乗り越えて選ばれたスーパーエリートの集団であった。
1学年200人ほどの男子校。現東京大の一高、京都大の三高といったナンバースクールや松本や新潟といった地名のついたネームスクールが各地に作られていた。受験時から文系と理系を分けた。授業では語学の重視など、特徴的なことはたくさんあるが、それより何より、先生と生徒の触れ合いが濃密であったことが最大の持ち味といえる。
青春記でも「旧制高校の先生のよい点は、生徒と一緒になって人生を語り、親身になって相談に乗ってくれることであろう」と、北さんは書く。本では、面白くも羨ましい、その先生(旧制高では教授という呼称であった)と生徒のやり取りが描かれている。引用すると膨大な量になるのであえて引かないが、例えば北さんらが学生寮の部屋で、いろりを囲んで教授2人と酒を飲み、何かの話題で意見が交錯、北さんは教授の頭をポカリと殴った、という事件が書かれている。その後、うち一人の教授(有名なドイツ文学の専門家・翻訳家)と仲良くなり、北さんの人生に大きな影響を与えることになるのだ。あるいは、定期試験の話。物理の問題が分からず、答案用紙に長い詩を書いて、合格点(60点)に1点足りない59点をもらうといった、当時のおおらかな様子が描かれる。
もちろんそんなふざけた場面ばかりではないだろうし、落第もあって、2年連続で落第すると放校といって退学処分になってしまう厳しい学校でもあった。
旧制高校がエリート集団だったからできたのかもしれない。学力も高く、ぎちぎちと受験に向けた勉強をしなくてもよかったから、教師と生徒の人間的な関係や学校運営のおおらかさが認められたのやもしれぬ。
今、物理の試験の答案に詩を書いて点をもらったら、大騒ぎになってしまうだろう。教師は懲戒処分かもしれない。酒を飲んで教師を殴れば、立派な傷害事件になって、裁判沙汰になる。
学校の役割を考える。高校までは受験突破を目指し、しっかり勉強すること。良し。大学に入れば、ちょっと息抜きしてから就職試験突破に向けて、勉強すべし。これもまあ良し。しかし、いったいどこで「人間を作る教育」を施すのか? 教養を持った人をどう育てるのか? 人間の幅を広げるのは学校ではないのか? もちろん学校だけではないが、学校が外れることはありえないと思うのだ。
青春記を読めば、本来の学校の大事な役割が見えてくる。「今の時代では不可能だ」と諦めるのではなく、良い点を取り込む学制を、新たに編み出すべきではなかろうか。私はそう思うのだ。
毎日新聞 2020年10月7日 11時57分
https://mainichi.jp/articles/20201007/k00/00m/070/082000c?inb=ra
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2020/02/18/20200218k0000m040103000p/9.jpg >>2
そんなにいくら吠えても、お前の惨めさは変わらないよ。一生なw 知覧とか大和ミュージアムとか
戦争博物館みたいな場所に当時の学生の遺書とか飾ってあるが
字の上手さから内容からとても20歳前後とは思えん
トビキリの秀才や!って人が多いね
頭がいい男はみんな戦争で死んだ
残ったのはバカばかりって祖母が言ってたが 大叔父さん旧制中学に行ったけど予科練に志願して戦死しちゃったな
まだ10代の若さで何にもわからなかったんだな、きっと >>100
明らかに旧制ナンバースクールより各上の存在だし、
しかも当時は国民にも陸士海兵は身近な憧れの存在だった。
パヨクには悔しくて仕方のない事実だが、こういう社会だから
国民自身が大喜びで戦争へ突入していったのさ。 俺の曾祖父さん(明治生まれ)は大学出だが
村では村長と曾祖父さんだけが大学進学
ウチは旧制中学〜高校〜大学のために
田畑、山を売って金策したと聞いた
まあ江戸時代は名主だったからできたこと
戦後の農地改革で小作人も田畑も失ったよ
今は俺も息子も国家公務員 >>99マイグランパが旧制高校でその弟が士官学校だわ >>105
それはない
軍学校なんて特殊な存在でみんなが行きたがったわけでもない 本田圭佑のお爺ちゃんが日体大中退という
シブイ学歴だったな。 >>81
オタリーマンって兼業漫画家は
何処の大学出たか知らないが
ファミコンからプログラミングに
興味持ったっていっていたから
同じゲームを遊ぶにしても
興味を持つポイントが多いんだろ。 >>105
>パヨクには悔しくて仕方のない事実だが、こういう社会だから
>国民自身が大喜びで戦争へ突入していったのさ。
学術会議任命拒否の加藤陽子の著書でも読め
国民、マスコミ一丸となって軍部を後押しして戦争を選んだことがよくわかる >>102
あれは筆の立つ人を選んで展示してある側面もある これくらいのエリートが勝手気儘にフラフラしてたんだから、今のニートと昔の高等遊民じゃ中身のレベル自体が違ってる。 軍学校は実学メインだから、旧制高校から帝大を出た人からは 軍人は教養がない と
思われていた 陸大や海大を出た超リートは別だけど >>108
徴兵で軍が国民生活の一部だった時代、陸士海兵は誰もが知るトップエリート。
これは当時の常識。認めないのはパヨクの歴史修正主義者だけ。
一高の方が優秀とか言い出すのは、学費のかからない師範にも優秀な奴は
たくさんいたとか、それと同程度のズレた反論。 北杜夫は松本の町や自然のことはともかく
こと人間性に関しては結構ボロカスに書いてるけどな
斎藤茂吉を神の様に崇める松本人が北を食事に誘って和歌や文学のことを得意げに語ったが
「全体的にどこかズレてて、食事が苦痛だった」
とか >>31
経済的な理由で進学できない人もたくさんいた。
高等教育の内、高等学校と、高等師範学校、高等実業学校を除いたものが専門学校。ただし、高等実業学校は戦時中に専門学校になった。
複雑な進路から、現在の単線系に対し複線系と言われているが、現在のヨーロッパもこれと同じ。
つまり、小学校を卒業した時点で、ギムナジウム、実業学校、基幹学校に振り分けられる。 >>108
その通り
学資が潤沢な家庭の子は好き好んで海兵陸士を選ばない 昭和前期 旧制中学卒業生の進路を見ると「その他の者」の割合が異様に高い
恐慌でえらく就職難だったらしい
ttp://www.jc.u-aizu.ac.jp/research/activity/2018/r-06.pdf >>121
明治の話を1945年まで誤認させるとか
時間の観念がないのは朝鮮人だからかな? 高等教育受けてなくても
多くの国民が読み書きできてたわけで
識字率が高いってのが当時の日本の凄さと思う
某朝鮮や某支那国は悲惨だったろ
米国や欧州すら上回ってたんじゃね?
まあ新聞読める故に情報操作されたのかも知れんが >>51
容姿が悪かったりするからな
経歴だけじゃ分からない 大叔父が陸士だな
朝鮮軍所属で終戦だから激戦地には行ってないようだが
地元で同じく海兵の人が出たので二番手扱いだが
曽祖父母の自慢の息子だったとか 東大の駒場は元旧制一高
最初の2年間はここだが自由な雰囲気で良かった
本郷は広大で格式があるが何となく冷たい感じだったな >>124
昭和恐慌の真っ只中だろ。
「大学は出たけれど」ってその頃の言葉だったと思うが。 >>18
特に海軍兵学校は卒業と同時に少尉(今で例えると小さな警察署の署長クラス)からスタートの超絶エリートやもんな。
戦前(特に軍靴の音が聞こえてた頃)の海兵と比べりゃ今の防衛大学のエリート度なんて屁みたいなもの! 三島由紀夫は学習院から東大だけど推薦なんだよね
この学習院が旧制高校?旧制中学?になるのか 太宰治なんか弘前高校卒業したってだけで
無試験で東大仏文科に入ってる
東大じゃ一度も講義に出ることなく
そのまま退学してる
漱石なんかの足元にも及ばない甘ったれた
野郎だよ 大学進学率はそれぐらいでいいよ
半分の大学生は学部の講義もついてゆけないのだから 貧乏人の子弟でも進学可能だが
実際には士官学校はそこそこいい家の子が多かった
勉強は環境だしね 俺の出た高校は、もともと藩校だったけどw
今じゃすっかり、社会のお荷物。 >>133 >>137
でも木っ端微塵だよ
歴史に名を残した模様w 団塊ジュニアあたりのトップが一番優秀なんでは?
競争率高かったわけだし 結構、昔の学校は無慈悲に落第させてるもんな。
近頃はメンタルヘルスケアまで学校の責任になっているけど。 今の大卒も昭和の終わりごろの高卒と同じくらいのステータスだもんな
大学行って当たり前みたいになってる >>2
高級国民の天下り先としての大学が必要なんだよ
学生はゴミ屑でいいから、補助金投入して給料と退職金を貰うシステムなんだ
上位校じゃなきゃ進学の意味は小さいよ 結局小学校のときに地頭の良さってわかるから、そこで進学する層を選ぶ昔のシステムのほうが理にかなってそう 戦前の学歴の話になると海兵陸士を必要以上に持ち上げる勢力必ず現れるんだよなあw
田舎では確かに神のように崇められたが都会の富裕層の間では軍学校なんてどちらかというと
軽蔑の対象だよ 金さえあれば誰でも行けた時代だな
しかも今と人口は変わらないから医者や弁護士や公務員、教員なんかは今と変わらないくらい必要だったわけで本当甘々入試だったんだろうな 令和生まれは同世代が80万人くらい
団塊だと280万人だっけ?
しかも当時は大学定員も大学の数もずっと少ない
相当な競争率だわな団塊じゃなくて良かったよ >>137
そこそこ大きな農家や商家の次男坊以下が多かったそうだね。合格には学力だけでなく体力が必要だから、食うや食わずの貧乏人の子にはハードルが高い。 祖父が家に金が無かったから大学進学諦めて高卒で戦争行ったな
戦争帰ったら国鉄に速攻で就職 スパルタな時代だ >2
例えば今はやりのAI、
つまり機械学習を一定レベル以上に理解をするには、
多変数の微積分、線形代数、多変量解析といった知識が必要だ。
これらの知識を独学で身につける事も可能だが、
明らかに大学の講義を聞いたほうが時間の節約になる。
だから、みんな大学に行こうとする。 >>153
終戦後国鉄に就職ってパターン多いよなあ。
それくらいしか就職先がなかったんだろうか。
たぶんそこは入れた連中はそれなりに優秀だったんだろうな。 当時から旧制中学っていってたの?
新制中学が併存してたの? >>142
その辺から氷河期にかけては、不況とネオリベの影響で有能無能問わず人格が歪んでる。 でも少数精鋭みたいな教育方法って発展途上国のモデルそのままなんだよな・・
1人のスーパーマンさえいれば後の99人はどうでもいいみたいなのは >>141
そうでもない
まぁ受験技術未整備な時代だけどね 別の大叔父は満鉄の職員だったが
引き上げ後は公職追放で国鉄入れず >>158
カラオケのDAMに旧制中学の寮歌いっぱいあるよね >51
父方祖父兄 中卒後赤紙 シベリア抑留 県庁
父方祖父 旧制3高 陸軍大尉
父方祖父弟 旧制3高 富士銀行支店長
父方祖母 女学校卒 主婦
父 大阪大法 準キャリア 大手メーカー
父弟 東大理 研究者大学教授
父妹夫 同志社商 大手保険
父従兄弟 九州大法 大手メーカー 社内留学MBA ドイツ支社長
母方祖父 高卒 商才あり自営で大儲け
母方祖母 中卒 主婦 縫製関係で特許取得
母姉 高卒 大手保険 エリート主婦
母 偏差値70高卒 メガ銀行本社 大手子会社社長秘書
従兄弟 早慶理 独立行政法人 出世中
従兄妹 マーチ文 大手広告代理店 御曹司と結婚
従兄妹 地方国立教育 銀行員の妻
私 マーチ法卒(2留)→ガソスタ店員→インド大遊学卒→造園見習い→IT土方→ITコンサル→コロナで無職こどおじ
一族から存在を抹消されていて辛い >>162
ああ、それで新規採用が多いのか。
著名人やその家族の戦争の苦労話とかTVでやってるとたいてい国鉄に入所って言葉が出てくるから。 >158
少なくとも20年程までは、
日曜日にごくまれに制服を着たおじいちゃん達が集まって、
食堂で歌を歌ってたぞ。
多分、寮歌も含まれてるんじゃないかなあ? 大学制度は戦前に戻せ
なんだよ教育困難大学って
アホか >159
確かに、俺の人格はグネグネに歪んでるよ。
悪かったなあ。
でも、あの氷河期をそれなりに勝ち抜いて来たから、
下の世代のやつにはそう簡単には負けない積もりだが。 >>71
極めて例外。
やっぱり、やくざになる人の大部分は恵まれない家庭に育って、
ろくな教育を受けずにグレていった人たちだ。
逆に、下手に教育があると、仁義なき戦いの広能くんのモデルの人のように浮いてしまう。 作家の梅崎春生は五高から無試験で東京帝大国文科
大学入学後もサボりまくった毎日のことを「風宴」
という小説に書いて作家デビュー アル中で早死に 今でこそ駅弁扱いだけど師範学校からの学部じゃなくて
ネームスクールからの学部の改組でできたとこなのを知ってたのか
喜んでくれたな、じーちゃん 「戦前の少年犯罪」と言う本は面白かった。
旧制高校生のDQNぷりとかこれでもかと載ってたし。
「ストーム」とか・・ >>61
北杜夫は二高 東北大医だろう。 ペンネームが杜の都 仙台から >>94
旧制時代なら、安倍ちゃんも東大に行けたんだよな。
旧制の成蹊高校ってのがあって、国立の旧制高校同様、
帝国大学の入学資格が得られたからな。 >>95
花嫁修行の一環として大学行ったってことだろうな。
しかし、それは卒業して就職口探さなくてもいい人達。 >>165
歪んでる自覚があるから言ってる。
負け組が歪むのは仕方ないにしても、勝ち組も変な焦燥感を抱えてて、自分がいつ下に落ちるか分からない不安感を抱えてる。
それがネオリベ思想と結び付くと、過剰な自己責任論や常識や社会性を軽んじる、他人への共感性を意図的に下げるみたいな形になって現れる。
その下のゆとり世代の方が大事にされてた分だけ鷹揚だし、本来の意味でのリベラルな気質を持ってるよ。 >>149
軍人を希望しない優秀な人間は当然東大、京大などの旧帝大を目指したが、最優秀な学生は旧帝大より陸士か海兵に入ることが当たり前でした。
例えば昭和11年は、288名の海兵入学者の中で、100名が各、中学校の首席だったそうです。
旧制中学自体が義務教育ではなく、進学率が1割から2割程度の狭き門ですから、その中学から1番かそれに準じるレベルでないと合格せず、今の東大、京大以上の最難関であったことが推察できます。
今風に言えば大学院トップクラスの成績でないと入れない、とんでもないレベルの水準だったことがわかりますね。 北杜夫は松本高、東北大医。斎藤茂吉に東北大を勧められた。 >>18
それは言い過ぎ
陸士海兵は一高よりはずっとやさしい。
都会の中学では軍学校より高校に行く人のほうが成績が良かった。 >>167
張作霖爆殺事件の列車編成に関わったのが自慢話だった >>149
頭脳+体力運動神経が必要だから勉強ができるだけじゃ受からなかったからな
学力だけなら帝大の方が難しかっただろうがな >>160
米独中とか飛び級入れてるとこは発展途上国以外でも多いのでは。
むしろ飛び級なしで年齢学年生のほうが先進国だと少ないような。 >>29
昭和30年代までは工学部と医学部は同じくらいだった 当時は、農家の長男のほとんどはどんなに地頭が良くても
進学せずに農業に就いていたよな(もちろん例外はあった) 東大出ても実際に仕事するとほとんど使えないよ
お前らと変わらん
唯一与えられた情報をまとめるのは凄く早くて的確なのは驚く
しかし、東大出が社会問題を解決したり新しい合理的なシステムを作ったりすることは
過去ほとんど例がありません >>71
鎌倉学園高校は馬鹿校だったと思う。
高校は昔と今で大幅にいちづけが変わっている場合がある。 まあ陸士海兵高師が人気ってのは要は金がかからないからだし、金も学もある都会のいいとこの子なら一高行くわなあ >>182
最初の神風特攻隊を指揮した関行男も、一高行きたかったというしな。
家庭の事情で行けず、陸士・海兵ダブル合格して、海兵へと。
後、貧乏人向けには、高等師範学校ってのがあったな。 >>186
それはない
医学部の定員は少なかったから 俺の知り合い、5年程前に亡くなったが、旧制中学4修で松山高に入った。学生改革の
ため1年修了で新制京大に入学し、21歳で京大を卒業した。 旧制つうのは学校で一番だと連れてかれちゃうというか、推薦制度で、
兵学校は志願制度で倍率が凄かったんじゃないっけ
どっちもどっちじゃね >>156
国鉄が復員軍人の受け皿になったからね
あと、役場勤めも多いんじゃないかな >>171
受験戦争末期を勝ち抜いた世代だから、有能な人間はかなり有能だと思うよ。
ただ、当人らの能力や意思以前の話で、社会人としての人格形成期に社会自体が大きく歪んでた。
歪んだ鋳型に嵌められてしまった世代で、どこかしらそれを引きずり続ける気がしてならない。 まだ進学校でなかった頃の灘高に通った遠藤周作の
あだ名が「ソバプン」というのはワロタ
風呂に入らんのでそばによるとプンと臭かったそうだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています