【歴史】アイヌの星座、漂泊の民サンカの星…古事記や日本書紀に星の名前が出てこないワケとは ★2 [樽悶★]
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■大和ことばに星の名前が無い理由とは
※省略
■古事記と日本書紀に星の名前が出てこないわけとは
星の名前が無い。国の公文書であった古事記・日本書紀においても星の名前は昴以外何も出てこない。
これは古代化からの文明を持つ民族・国語においては極めて奇異な現象なのである。これに関して、日本は湿気が多くて、星が見えにくいので人々は星をよく見ることができなかったので、星に名前を付けるという習慣がなかった、のだという説があるが、この説はかなり苦しい。
そもそも古代においては平均気温は現在よりも、2度近く低く寒かったのである。
古代の日本がほかのアジア諸国に比べて、一年中湿度が多いだとか、雲が多いなどということはない。私の子供のころだって、まだ空気は澄んで、ネオンも街灯も少ない日本の空には、多くの星々が輝いていた。
ではなぜ星に名前をつけなかったのか?
星というものに実用性を求めるとしたなら、まず、航海にさいしての目印ということがあげられる。もちろん大陸の平原を移動する狩猟民や、時代は下るが遊牧民においても同じである。大事な目印なのだから、それぞれに名をつけ、星々を組み合わせて星座という物もつくっていことになった。
全ては、安全に集団が移動するための手段である。と、するならば、日本人というものは、少なくともこの列島に定住をしたいろいろな民族たちは、いったん腰を下ろしてしまったならば、あまり移動というものをしなかったのではないだろうか。
移動をしないですむということは、住居の確保と食料調達が比較的安全かつ潤沢であった証拠である。人類の特徴はその移動性の高さだというところから、ホモ・モーベンス(移動する人)という概念があるが、その意味においては、我々の先祖はホモ・モーベンスをやめてしまったらしい。
■星と航海と美意識
※省略
■アイヌの星座と漂泊の民サンカの星
ここまで、星と日本人の関連性についてのべてはきたが、我が国においても星に強い関心をもっていた人々が二つある。
一つは、今は北海道だけにその拠点を持つアイヌの人々であり、もう一つは我が国の中で特異な文化と伝統をもった、漂泊の民サンカの人々である。
アイヌの神話・伝承には多くの星が出てくる。
先に述べた昴に関しては、【七人の働き者の男と12人の怠け者の女】という話がある。七人の働き者の男とは、オリオン座のことであり、12人の怠け者の女とは昴・プレアデス星団のことである。
この話は星空を海に見立てて、船で漕ぎあがるものであり、アイヌの文化に航海と漁猟が欠かせなかったことを如実に物語っている。
一方、漂泊の民サンカは航海をしない、山の民である。ただ彼らは山間部を非常に長距離いどうする。以前放送されたBS朝日でのインタビューでは、秩父のサンカの女性たちが、川遊びをしようと今の世田谷区付近の多摩川まで行き来をしていたことが語られていた。
彼らが夜間の移動をするとしたら、やはりその目印は星であったのではないのか。
事実、明治以降全国民に苗字の使用が義務付けられたとき、サンカの多くが星という字を使った苗字を選んだ。これは現在でも同じで、星・赤星とか星野などという苗字は、ほぼすべてがサンカにルーツをもつ人たちのものである。
■星を観なかったから地動説を信じられた日本人
星を見ない、観ても特段には貴ばないとなれば、もちろん神聖視もしない。一部、天台宗や真言宗の密教では星を祭るが、これは一般民衆や、権力を持つ武士階級にはどうでもいいことであった。
そのことが、後年日本にとって幸運をもたらした。
近世になって、地球を中心とした観念であった天動説にたいして、科学主義の地動説が唱えられた。ヨーロッパではキリスト教の教義に反するとして、多くの天文学者が異端審問にかけられ拷問死や火あぶりに処せられたが、日本では、驚かれはしたものの、ああそうですかという感じで、すんなりと受けいられたのである。
この現実から遡って考えてみれば、我々日本人は人下の存在の上に覆いかぶさる、神秘的な権威というものにはなじまず、それが世俗的というより、もっと卑近な人間関係を中心とした、道徳と文化をはぐくみ、近代化というものに適応をしたのではなかろうか。(続きはソース)
2020/10/8
https://mnsatlas.com/?p=62865
https://mnsatlas.com/wordpress/wp-content/uploads/2020/10/10795475395_d34b05ed1c_z.jpg
★1:2020/10/12(月) 22:36:06.03
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1602509766/ >>1
漂白の民「サンカ」とは初めて知ったな!勉強になるな >>5
先日YouTuberのキリンの動画で見たばっかり
日本の少数民族で紹介されてた
あと家船民族と一緒に ぶっちゃけ昔から日本の学問レベルは低かっただろ
日本人は道徳の教科書や仏教の教えみたいなことが学問だと思ってた節がある ちゃうわぼけ
宿曜があるから秘密にしとかなあかんのや
日本書紀は支那への情報工作という戦略やったわけや 古代から現代って2℃しか変わってないのか
たいして温暖化してないな 120ニューノーマルの名無しさん2020/10/15(木) 06:18:23.39ID:q6W7Mr1s0
北海道のアイヌが、エミシなどの縄文人直系の末裔ではないというのは明らか
「大和ことば」には“星の名前が無い”
「アイヌの神話・伝承」には“多くの星が出てくる”
「アイヌの文化」に“航海”と“漁猟”が欠かせなかった事を如実に物語っている
これが、「アイヌ」が“北方から渡来”して来た
“海獣狩猟”や“漁労”を中心とする生活を送っていた『オホーツク人』たる所以
「アイヌ文化」の中には
“熊の崇拝”の様な「オホーツク文化にあって擦文文化にない要素」がある
そのため、『オホーツク人』は「アイヌの文化」を“形成”したと考えられている
アイヌは和船のような構造船(イタオマチプ)を使っていたと推察されるが
これもオホーツク文化の影響ともされる
北海道大学の増田准教授らは『オホーツク人』のなかに
「縄文系には無いが、アイヌにはある遺伝子」のタイプを確認した
北大の天野哲也教授(考古学)は「アイヌは縄文人の子孫ではないことが
明らかになった」と、分析結果を評価する
asahi.com/culture/news_culture/TKY200902040080.html (「朝日新聞」リンク切れ)
https://blog.goo.ne.jp/ainunews/e/ce5b14119ea056cc0903be78e906bdfc
北方渡来の「オホーツク人」(アイヌ)が北海道へ進出(南下)してきて
その後、先住民である北海道の和人(擦文)と“交雑”したもので
北海道の近代アイヌが、縄文人直系の末裔(縄文→続縄文→擦文)の進化形
蝦夷(エミシ)ではないというのは明らか
http://www.okhotsk.org/news/pict/fuyou/img178.jpg なんらかの事情で住居を持たず山里で生活してる人を
サンカと呼ぶことが(それもほぼ現代になってから)あったってだけで
彼らに統一文化がある流浪の民であるなんていうのは完全にファンタジーで創作なんだろ 研究自体はあったと思うが陰陽師とかが秘密にしてたんじゃね ジャップは元々天文に興味無かったんだよ
占星術が貴族の嗜みだった古代中国と大違いw >>1
オカルト専門サイトとかキモイソースでスレ立てんなよ アイヌは倭人に寄生して生きてきた渡人。今は絶滅しました うちの地域は「星野」とか「星川」とか「星」とかは全部朝鮮半島ルーツで、併合後に移住してきた人達なんだが… 二十八宿絡みは大陸の星名だから昴は和名とは言い難い
昔の日本では夏の天の川を船に見立ててたんだよな
これは東南アジアの島々とも共通している
南の星に和名が多いのも日本の星名の特徴だよ
調べればいぱい出て来るよ サンカが本当に居たと思ってんの???
星野仙一ディスってんの? >>1
どこのどいつが書いてたんだか知らんけど、サンカの話やサンカの苗字の話などめちゃくちゃやな 西洋には自分が住んでる世界は端で水があふれてる半球って想像図があるけど
日本は世界をどう見てたんだよ
その概念すら無かったのか? >>25
上星川は違うぞ
星川が朝鮮?
「星川の地名は平安時代に記された和名類聚抄にも見られ、松や杉の木立で鬱蒼としており昼なお暗く、川の流れに星影を映したといわれたことに由来する説がある。」
わめいるいしゅしょうにも出てるらしいぞ
日本に星が無いなんて嘘じゃね いろいろわかったぞ
久々に結構まともな理由かも
「月をこそ 眺めなれしか 星の夜の 深きあはれを 今宵知りぬる」 建礼門院
星を歌った歌などは時々あるよう
だが百人一首に採用されてないのでマイナー
星が選ばれなかった理由
日本では星は畏怖の対象
流星なんかを見ると縁起が悪い
つまり星は怖かった。西洋人みたいにメルヘンチックじゃなかった
平安時代に超新星爆発の記録を藤原定家が明月記という著書で残しているが
この史実は西洋では見つからないそう
天文学的に証明されているので西洋人は大して星に関心が無かったとのこと
つまりマスコミの嘘ですね えー?アイヌの星座?
アイヌ民謡集にはそんなん出てこなかったけど? >>33
朝鮮人が日本名の名字になる時に好んで名乗ったから、今でも彼らが多い地域に大量に固まって住んでるんだよ >>36
よくわからんけど大阪じゃないから
日本のほとんどの地域は大阪ほど朝鮮人は住んでないんだよ
いつも朝鮮の話題を出されてもわからんもんはわからんとしか 山村相手に集団で蓑笠売れる程の需要は無い
しかし山賊なら手軽に出来る
警察が犯罪者予備軍をサンカと読んで危険分子とみなしていたのは仕方ない 日本古代は呪禁道が主流だったからな。
だから生年月日が不明な貴人がやたらに多い。
冠位のない女性は諱も絶対分からない。 >>21
夕星も通ふ天道をいつまでか仰ぎて待たむ月人壮士(柿本人麻呂@万葉集)
牽牛の嬬迎へ船漕ぎ出らし天の川原に霧の立てるは(山上憶良@万葉集)
夕星は金星、牽牛はアルタイル 電気がなかった1300年前の夜空は常にプラネタリウムみたいな満点の星空だったんだよなあ
スマホもないから視力も良かっただろうし ゆうづくよ顔出す消えてく子供の声
遠く遠くこの空のどこかに君はいるんだろう >>8
それだよね
あと「星を見る部族」はアラハバキというか
反ヤマト政権だったと一部では言われてる
そういう事を言いたい記事なのかと思ったが 利用しないものに名前なんかつけないだろ。足元の石や砂に一つ一つ固有名詞なんてつけないのと同じ。 >>42
そうでもない。月が出てるとそれだけで星はかなり見えなくなるし。
いい条件の場所でも、満点の星空は新月前後の数日間の月のでていない晴天時だけだよ。 高松塚古墳は飛鳥美人で有名だけど
天井に北斗七星が描かれてなかった? サンカなんていう存在自体があやふやなでマユツバなものを根拠に語るとは・・信憑性の低い記事 星姓はサンカの末裔とかはなんかで読んだ
巨人の星の見方が変わったw >>1
アイヌの話をしたいがために古事記引っ張り出して来た感 日本書紀に天津甕星って神様が出てくるのでフェイクニュース >>7
いや、江戸時代の町民は多分お前より数学力高いぞ >>1
ジャップ島での星の名は中国からのパクリ
この時期のジャップはまだ暦を中国からパクってないから星の名前が無いのは当然 小学校の同級生に三鹿さんという人がいた
女子なのにヒゲはえているすごいワイルドな人だったが、
もしや山の民の末裔だったのか 雑な歴史考察だな古事記よりも前に占星する陰陽師はおっただろ。 >>1
日本でも「親担い星」とか「鼓星」とか、星辰への関心は民間ではそれなりにあったよ。
正史に出てこない(?)というだけで。
正史にも、日本書紀には太歳記事がある。
正史という中国由来の書を編纂する以上、中国の天体への関心の影響はあった。 様々なものに情緒感じる日本人にしては意外だな
星の位置は季節によって変わるものなのに 牧畜の民が羊の番をしながら夜空を眺めて星に名前つけてたのが星座じゃないの?
海とか関係ないんじゃないの? >>71
航海の目印には北極星。北極星を見つけるのに北斗七星やカシオペア座を使う 文献に記述が無い物は存在しなかったと決め付けて良いのか >>70
Wiki先生から丸パクリだが陰陽寮・占星台(676年)、古事記初版(712年)日本書紀初版(720年)。 サンカw。んなもんと一緒に扱われて怒らないのは鮮イヌ。 >>20
蝕の光は不浄ってのはあったらしいな
日蝕月蝕の時は天皇の宮殿を菰でくるんだとか うちの近所に江戸時代の石碑があって
北斗七星信仰によるものらしい 山窩って山間ジプシーじゃないの
竹細工を売って生計たててたんでしょ 西洋人もそんなに星なんか見てなかったらしいけど
星座占いなんてトランプ政権くらいからの発祥なんじゃないの >秩父のサンカの女性たちが、川遊びをしようと今の世田谷区付近の多摩川まで行き来をしていた
この広いエリアが庭みたいなもんなのか。
足とか丈夫なんだろうなぁ。 >>60
それはYouTuberのキリンに言ってあげてください >>85
埼玉と三多摩と相模は元々同じエリアみたいなもんだから >>1 が懸命に知恵絞って作文したのに、論破されてかわいそう。 >>30
古事記、日本書紀では八つの島
仏教導入後は仏教徒が作成した世界地図
時代は下って、マテオリッチの万国全図が輸入
そして、ヨーロッパからの地球儀
江戸時代は
仏教の先生は仏教による世界地図
儒学の先生はマテオリッチの万国全図
蘭学の先生は地球儀
と種々入り乱れていたが、江戸幕府は統一する気はさらさらなかった
伊能忠敬は地球が丸いことを前提の測量をしてるから
賢い人は地球が丸いことを知ってた >>89
丸い事前提だったっけ?
確か地球の球体分ずれてなかったっけ? さすがに丸いことを知らないことはないと思うけど
日本人どんだけ原始人やねん >>90
伊能忠敬がなんで最初に蝦夷地に測量の旅に向かったかっていったら
緯度の1度が何キロに相当するか、っていうのを幕府の命令で調べに行ったわけだから
天文方および幕府の関係者は丸いのは当然知ってた
ただ、経度を測るのに必要な正確な時計がなかったので経度が少しずれていた >>76
安倍晴明も陰陽寮の中の天文博士だった
日本の干支は暦の時間のずれを正すために
木星の周期を利用していた
日本に天文学がなかったと言うのはアイヌ信者の知ったかになるね
日本を舐め過ぎだわ >>76 >>1
安倍晴明も陰陽寮の中の天文博士だった
>>67
日本の干支は暦の時間のずれを正すために
木星の周期を利用していた
日本に天文学がなかったと言うのはアイヌ信者の知ったかになるね
日本を舐め過ぎだわ >>94
渡来文化以前の日本に天文学(の前身となる星読みの習慣)
があったかどうかが論点なので、その指摘は的はずれ。
キトラ古墳の天文図だって渡来文化だよね。玄武とか白虎とか。
月の齢にはあれだけ各々名前をつけてるのに
星の名前がないとなると、やはり移動民族ではなかったという判断か。
農耕の時期を知るには太陽と月だけで足りるから
天照大神と月読尊が基本。
古事記や日本書紀には恒星どころか金星火星木星も出てこないのかね?
あんな目立つものが目に入らないのは不思議。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています