西暦200年頃には、人口10万人前後の地方が、関東、中部(岐阜、長野、山梨)、近畿、九州と4つ出現し、東海と中国も6万人弱の人口を擁するようになった。
言うまでもなく、稲作を伴って渡来した弥生文化人(Y染色体ハプログループ「Ob2」)が、土着の縄文文化人と混血しながら拡散したからである。

弥生文化人の故郷は中国の江南、昔の呉越のあった地方であるが、渡来ルートについては、いくつかの説がある。

1:江南→山東半島→朝鮮半島南部→北九州
2;江南→渤海湾沿岸→朝鮮半島→北九州
3;江南→東シナ海横断→九州西岸
4;江南→沖縄列島→南九州

日本よりも稲作が始まるのが遅かった朝鮮半島を経由した仮説には無理があるので、3:4に絞られるが
海流の関係から察すると4番だと思われる