本当は優しい宗教(笑)平和の宗教(笑)
とやらの”本来の教え”に忠実に従えば、
イスラムへの改宗を飽くまで拒む異教徒や無神論者は、殺されるか、でなければ、
ジズヤと呼ばれるカネを搾取され続けるかしか無い。

そして、凶悪な犯罪集団の親玉が作った糞みたいなカルト教団に、
ほとんど喉元に刃を突き付けられたかのような状態で脅されて、
一方的に財産を恐喝されるってだけでも、かなり腹の立つ事案なのに、
それに輪をかけて、「ジズヤの貢納儀礼」ってのが、見ていて頭に来ることこの上ない。↓

《ジズヤの貢納儀礼》
ジズヤについては税金の多寡がズィンミーの経済的負担に直結したのは無論だが、
その納税の仕方にもズィンミーに屈辱を与える様々な仕組みがほどこされた。
例えば、ジズヤの納税は、地方の有力者のもとに納税者が直接届けにいくことが多いが、
その際に、公衆の面前で暴力を振るわれることが少なくなかった。
これは「異教徒はイスラム教徒よりも下である」という、
一種のデモンストレーションであった。
暴力だけでなく、体に「不信仰の輩」と焼印を押されることさえもあった。
このようなデモンストレーションについては、何人ものムスリムの学者たちが記している。

「ジズヤの徴収者は椅子に座り、不信仰者は立ち続ける……彼の頭はたれ、背中は曲がる。
徴収者がそのあごひげを持ち、両方の頬を平手打ちにする間に、
不信仰者は金銭を秤の上に乗せなくてはならない。(アル・ナワーウィ)」

「ユダヤ教徒、キリスト教徒、そしてマギ教徒はジズヤを支払わなければならない……
ジズヤを差し出すにあたっては、役人がそのあごひげをつかみ、
耳の下の出っ張った骨を打つ間に、そのズィンミーは頭を垂れていなくてはならない
(たとえば、下顎……)。(ガザーリ)」

「これ(ジズヤの手渡し)に続き、アミールはズィンミーの首を彼のこぶしで打つ。
ズィンミーを早急に追い払うために、アミールの近くに1人男が控える。
そして、二番目と三番目のズィンミーがやって来て、同じような扱いを受け、
すべてのズィンミーがそうなる。
すべてのムスリムはこの見世物を楽しむことを許されている。
( ムハンマド・アブドゥルカリーム・マギリー)」

「ジズヤの徴収に当たってのズィンミーのとるべき姿勢– イブン・アッバースによれば、
手で歩くことによりいやいや身を低める。(タバリー)」


ジズヤ一つを見ても、このように、
イスラム教の教義の思考回路って、もはや、
まるで北斗の拳に出てくる、世紀末のモヒカン集団とほぼ変わらないような状態。

北欧や欧州に押し寄せたムスリムの移民難民どもが、
受けた恩を全部仇で返したり、郷に入れば郷に従うってこともせずに、
挙句の果てには、窃盗や恐喝を繰り返したり、
難民キャンプでボランティアで働いてた若い女性を強姦殺人して殺したり、
そういう事件がもう数えきれないほど起きているそうだが、
まあ、イスラムの教義のそのもののクズっぷりとか見たら、
実に頷ける話だねぇ…。