日本戦略研究フォーラムに投稿された、屋山太郎氏のコラムから件の部分を引用します。

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1980年代の学術会議はまるで共産党の運動体だった。定員数は同じ210人。
これを30委員会に振り分けるから一委員会7人ずつである。
会員は学会に加わっている人の選挙。
この中で常に選ばれる人物に福島要一という人物がいた。
彼は第5部(原子力関連の委員会)に属していたが他の6人は福島の能弁に誰も反論できなかった。

その様を見て桑原武夫氏(京都大フランス文学)がある雑誌に「3人で210人を支配する方法」という皮肉な随筆を書いた。
桑原氏によるとこの委員会は最初7人全員が参加していたが、福島氏が一日中喋っているから嫌気がさして、次回は3人になる。

結局福島氏に2人は説得されて部会一致の採決をしてしまう。
学術会議は50年と67年には「戦争に関わる学問には協力しない」と宣言した。
一連の運動は共産党の行動方針そのもので、改善策として人選のやり方を全く変えることにした。

福島要一氏は農水省の出身で、共産党系学者に号令して毎回、当選してきた。
この農業経済学者が日本の原発政策を主導したのである。
加藤寛氏(慶大教授)の提案で投票は学会員たちだけにし、会員を選出する方法に改めた。
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正に「3人で210人を支配した」訳です。