出口見えぬ学術会議問題 「知」への反発が増幅
2020年10月18日 2:00 [有料会員限定記事]

「学術会議なんかつぶしてしまえ」と息巻く自民党タカ派。「運営が不透明」「無用の長物だ」。
これに会議側も応戦、混乱は収まりそうにない――。
いま注目の出来事にそっくりだが、じつは1980年代初めごろの報道である。当時、政府内で
にわかに日本学術会議の改革論がわき起こったのだ。
「政」と「学」は激しい綱引きを演じ、廃止も現実味を帯びた。曲折を経て、会員選びを学者
による直接投票から学会推薦制に切り替えるなどの改革が実現したのが84年だった。
学術会議をめぐる論議はこのときだけでなく、間欠的に起きている。だからそれ自体は驚く
に値しないが、今回はどうだろう。

なんといっても、騒ぎの発端は政府による個別人事である。学者6人を任命せず、批判を
受けるや、政府・自民党は論点を行革に移した。行革といえば響きがいいが、順番が違う。

もうひとつ憂慮すべきは、これを受けて、ネット空間などで組織への中傷や学者バッシング
が盛り上がっていることだ。
「税金を使っているのだから政府にたてつくな」という指摘はおとなしいほうだ。「日本を
おとしめる学術会議」「スパイもどきの集団」「エリートがふんぞり返っている」……。
デマやフェイクの混じった言説が飛びかい、学術会議が諸悪の根源であるかのような
騒ぎぶりである。ふだんは気にも留めなかった組織への、異様な視線というほかない。

政治と社会それぞれの、こうした動きの背景にあるメンタリティーは何か。
それこそ総合的、俯瞰(ふかん)的に言えば、学術や知性、教養といったものへの
リスペクトの欠如、さらには反発や嫌悪だろう。
「学者の世界へのルサンチマンが噴き出している。反知性主義の風潮が見て取れます」
と広田照幸日本大教授は言う。政府への「声援」の高ぶりは、政権の当事者さえ予想
していなかったかもしれない。
政治と社会のあいだで増幅する「知」への反発。こういう状況が事態の収拾をいっそう
難しくさせる。その間に、少なからぬ学者が萎縮していくだろう。公的資金を受けている、
さまざまな文化、芸術活動に影響は及びかねない。

学術会議に多くの課題があることは確かだ。決して聖域ではない。けれど6人の学者を、
なぜ、どんな経緯で任命しなかったのか。この不透明さを拭い、行き過ぎがあったなら
正さないと、話はますます深刻になるだろう。必要な改革だって進まないはずだ。
菅義偉首相と学術会議の梶田隆章会長は先週末に会談し、未来志向の改革で一致
したという。
しかし任命問題の局面は変わっていない。80年代の「政」と「学」は、長い時間
をかけて何とか着地点を見いだした。そういう過去は、あまりにも遠いのだろうか。