関東は三韓人の地

天智天皇5年(666年)、百済人の男女2000人以上を東国に移住させる。凡そ緇素(出家者と非出家者)を択ばず。癸亥年より3年間、同様に官食を給賜する。
天武天皇13年(684年)、百済人の僧尼及び俗人の男女23人を武蔵国へ移す。
朱鳥元年(686年)、新羅沙門行心が謀反し、飛騨国の伽藍に徙す。
持統天皇元年(687年)、投化した高麗56人を、常陸国に居住させ、投化した新羅人14人を下野国に配する。又、新羅の僧侶及び百姓の男女22人を武蔵国に移住させる。いずれも土地と食料を給付し、生活が出来るようにする。

霊亀2年(716年)、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野七カ国の高麗人1799人を武蔵國に移し、始めて高麗郡を立てる。
天平5年(733年)、武蔵国埼玉郡の新羅人徳師等の男女53人に請われ、金姓とする。
天平宝字2年(758年)、日本に帰化した新羅の僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵国の閑地に移住させ、はじめて新羅郡を置く。

武蔵守 埼玉県、東京都 高麗福信(770年〈宝亀元年〉8月任 - )造宮卿 従三位、『続日本紀』。
百済王慶仲(839年〈承和6年?〉)従四位下、『続日本後紀』。
百済貞連(939年〈天慶2年〉5月17日任 - )従五位下、(「類聚符宣抄」『大系本』222頁)。

上総守 千葉県
百済王敬福-746年
百済王玄鏡-789年
百済王教徳-799年

相模守 神奈川県
百済勝義(承和4年〈837年〉1月 - )従四位下→従四位上

下野守 栃木県
秦大魚(746年〈天平18年〉9月) 従五位下 〔続日本紀〕
百済王俊哲(再任:791年〈延暦10年〉9月22日〜795年〈延暦14年〉8月7日卒去) 正五位上、後に従四位上、陸奥鎮守将軍〔続日本紀〕
百済王教俊(809年〈大同4年〉1月16日) 従五位下 〔日本後紀〕

駿河守 静岡県
高麗殿継(延暦23年〈804年〉1月24日〜延暦25年〈806年〉1月28日)従五位上