日本学術会議が推薦した会員候補6人が任命されなかったことが問題になっている。私は1983年に会員を公選制から任命制に変更した際の国会審議に衆院文教委員として関わった。

 審議のなかで、当時の丹羽兵助総理府総務長官や高岡完治内閣官房参事官が「学会の方から推薦していただいた者は拒否しない」「形式的な任命制」などと答弁していたことを覚えている。

 任命制に変更するにあたっては、政府によって恣意(しい)的な任命が行われるのではないかという懸念があり、学者らからも強い反対があった。このため政府側は「形式的な任命制」を強調して収めた経緯がある。法案審議の一番の肝だった。

 2005年に推薦方法に変更があったが、推薦であることに変わりはない。「形式的な任命制」という答弁はずっと生きていて、有権解釈として成立してきた。任命する際に政府が選択できるとするならば、明らかに解釈を変えたことになる。

 歴史的な経緯があり、そう簡単に変えていいものではない。必要があって変えるのであれば、どういう理由で変えたのかを公にしたうえで任命をしなければ、私は「闇討ち」だと思う。

 任命されなかった6人の立場を考えても、説明を聞きたいだろうし、説明をしないのなら、その人たちになにか別の問題があるのか、と思われる。実際には6人の業績は素晴らしく非の打ちどころがない。しかし、彼らの名誉を考えた時に、どう説明し、どう名誉を回復するのかという点についても、政府は責任を果たしてほしい。

 政府は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」という憲法15条を任命を拒否できる根拠にあげている。たしかに一般的なルールとして書かれているが、こうした形で拡大するということは解釈の行きすぎ、都合の良いように伸ばしているという印象は否めない。

 学者には研究の成果をどう世の中に役立てるかという観点がある。だから、どんな時代であっても、時の政府の判断やコントロールから独立して存在している必要がある。

 中立であるべきだし、政府か…

https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20201020/pol/00m/010/002000c
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