遠く日本海を望む丘陵地の妻木晩田遺跡に再現された弥生時代のムラ
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 中国地方の最高峰・大山(だいせん)のふもとで大量の高地性集落の遺構が確認された「妻木晩田(むきばんだ)遺跡」(米子市、大山町)と、殺傷痕のある弥生人の骨が10体分も出土した「青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡」(鳥取市)。ともに国史跡に指定された弥生時代の2遺跡を抱えることから、鳥取県は「弥生の王国」を掲げる。発見から20年以上経た今も続く両遺跡の発掘調査では、少しずつ歴史のベールがはがされていく。この中で浮かび上がってきたのは、中国の歴史書「魏志倭人伝」=3世紀末編纂(へんさん)=に記された当時の日本の姿だ。

日本海を望む「国邑」

 「弥生時代のニュータウン? そうですね」。妻木晩田遺跡で丘陵の急斜面から今夏、3棟の竪穴(たてあな)住居跡が確認された。10月19日に行われた記者発表で、県立むきばんだ史跡公園の調査活用担当、河合章行(のりゆき)さんは記者の質問にそう答えた。

 平成7年ごろに始まった発掘調査では、丘陵の頂部で約450棟の竪穴住居跡や、食料倉庫として使われたとみられる510棟もの掘立柱建物跡が見つかっており、大規模な「ムラ」の存在を物語る。今回の急斜面での住居跡確認について同史跡公園は、丘陵頂部の人口増に伴う居住域の拡大と推測した。まさに「弥生時代のニュータウン」が広がっていった様子がうかがえる。

 《倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島によりて国邑(こくゆう)をなす》

産経新聞 2020.11.6
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