- 三笠宮崇仁親王 http://www.geocities.jp/yu77799/nihonjin.html#mikasa

「私が戦地で強いショックを受けたのは、
ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。
それで根性ができる』という話を聞いた時でした」

「南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。
それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、また、そこに毒ガスが放射されたり、
毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。
これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう」

しかし、日本軍が昔からこんなだったのではありません。
北京駐屯の岡村寧次大将(陸士十六期・東京出身)などは、その前から軍紀、軍律の乱れを心配され、四悪(強姦、略奪、放火、殺人)厳禁ということを言われていました。私も北京に行って、直接聞いたことがあります。

 日清、日露戦争の際には、小隊長まで「国際法」の冊子をポケットに入れていたと聞きました。
戦後ロシア人の捕虜が日本内地に収容されていましたし、第一次大戦の時にはドイツ人の捕虜がたくさん来ていました。
彼らは国際法に基づいて保護されていましたから、皆親日になったのです。
彼らの中には、解放後も日本に残って商売を始めた人達さえいました。
神戸には今でも流行っているパン屋さんやお菓子屋さんがありますね。(注 「ユーハイム」のことだと思われます)

(「THIS IS 読売」1994年8月号 P54〜P56)