単純に、北進論者の秩父宮は、自分の意見が先行されないものだから、
お仲間である身内にその鬱憤を書いた手紙を送っていた。
もしくは、後々不都合が生じた場合、「私は反対していた」と言える保険を手紙という形でかけた。

その手紙を発見した現代人が、「否定的だったようだ」と『推測』したという記事でしかない。
旧宮家の復籍提唱のタイミングでもあるし、満州事変から90年の節目の手前でもある。

確かに貴重な資料である事は間違いないが、この資料をもってして『否定論者であった』とは、時系列上、客観的に分析すると断言はできないと思うしだい。
あくまでも、>>1の学者さんの論説として興味深く読ませて頂きました。
以上です。